2010年10月24日日曜日

2-1 扁鵲新流鍼書

2-1 扁鵲新流鍼書
     武田科学振興財団杏雨書屋所蔵『扁鵲新流鍼書』(研一七八三)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』2所収

  判読に自信のない文字あり。したがって書き下しに、あやまりが多いかも知れない。『扁鵲新鍼書』(京都大学附属図書館所蔵、七-○二-へ二、『臨床鍼灸古典全書』2所収以下、京大本という)を校勘資料とする。

 (扁鵲新流鍼書跋)
今此扁鵲新流書者奥州九部住人越齋壽閑
ト云者依得玅針應望以為傳授竟然則以五
鍼平愈五臟病疾事更以非私儀竊以漢土三皇
之代初神農氏從作靈樞經以來注多諸醫
針術无逾秦越人王扁鵲之傳又於本朝奈良
都聖武御宇自天平之比至于今雖有家々
鍼書數多慥説稀也故予拾加俗解難經之
井滎兪經合陰募陽兪旨參考鍼灸捷
經之祖以明堂經上下記穴法無疑難様以銅人
  ウラ
形具明之為殘乎世雖然後明良醫刪誤有取
摘者猶是可矣
旹慶長拾二丁未霜月吉辰


  書き下し
 (扁鵲新流鍼書跋)
今ま此の扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑
ト云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。竟然として則ち五
鍼を以て五臟の病疾を平愈す。事更ら以て私儀に非ず、竊(ひそ)かに以て漢土三皇
の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の
針術、秦越人王扁鵲の傳を逾えること無く、又た本朝、奈良の
都に於いて、聖武御宇(しろしめす)天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の
鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。故に予は俗解難經の
井滎兪經合、陰募・陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷
經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人
  ウラ
形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。世に殘す為なり。然ると雖も、後の明良なる醫、誤りを刪し、取りて
摘む者有らば、猶お是れ可なり。
旹慶長拾二丁未霜月吉辰

  【注】
○此:「比」にも見えるが、意味の上から「此」とした。 ○九部:未詳。かつて奥州(青森県東部から岩手県北部)糠部(ぬかのぶ)郡に九部四門(「四門九戸」)がおかれていた。 ○越齋壽閑: ○玅:「妙」の異体字。 ○應望:京大本は「懇望」につくる。 ○竟然:意外にも。 ○私儀:「私議」。内密に議論する。 ○漢土:からくに。 ○三皇:中国古代の伝説上の、理想的な三人の君主。伏羲(フッキ)・神農(シンノウ)・黄帝、または伏羲・神農・女媧(ジヨカ)など、諸説あり。 ○代物:しろもの。 ○神農氏:伝説上の上古の帝。農業・製薬などの創始者とされる。 ○无:「無」の異体字。 ○秦越人王扁鵲:春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。「王」の読みに自信なし。扁鵲はのちに薬王とも称された。 ○傳:(『霊枢』の)注。『難経』。 ○本朝:日本。 ○聖武:大宝元年(701)~天平勝宝八年(756)。奈良時代の第四十五代天皇。 ○御宇:〔天子などが治めている〕御代。治世。 ○俗解難經:明の熊宗立『勿聴子俗解八十一難経』のことであろう。 ○陰募:募穴。胸腹部にあり、各経脈の陰気の集まるところ。 ○陽兪:背部兪穴。手少陰の膻中(募穴)と心兪のように、募穴と表裏をなす。 ○捷經:「捷徑」か。近道。 ○明堂經上下:『太平聖恵方』卷九十九、一百を指すか。 ○無疑難様:京大本は「様」を「經」につくる。それによれば、「疑い無く、難經は、銅人形を以て具さに之を明らかにす。」
  ウラ
○為殘乎世:京大本は「為殘手也」につくる。これによれば「手に殘す為なり。」 ○摘者猶是:京大本は「摘指且又」につくる。これによれば「取りて指に摘むもの有らば、且つ又た」。 ○旹:「時」の異体字。 ○慶長拾二丁未:一六〇七年。 ○霜月:旧暦十一月。 ○吉辰:良い日。吉日。

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