2016年9月22日木曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第12章 誤解から理解の道筋と境界を読む

第1節 経脈テキスト理解の例示
 第一に、発声器官の構造と機能について、「少師学派」の観察がこれほど細密で、これほど高い解剖学的水準に達して、『黄帝内経』中、その他の学派の文章と比して、このような目立って独特なのはなぜなのか?〔『鍼灸甲乙経』卷十二 寒氣客於厭發瘖不能言第二〕 『周礼』春官には「小師」という楽官名があり、『儀礼』大射では「少師」という。そのため、山田慶児は少師派の「少師」とは、この楽官であると考えた。
 〔第二、『霊枢』憂恚無言(69)の失音鍼処方、と『黄帝明堂経』天突の関係。〕
 第三に、……『黄帝内経』にある「少師曰」の文を通覧すると、おもなものは理論を述べることであり、具体的な治療案は見えない。『霊枢』の編者が治療処方を補ったのは、原文に脱文があったためではなく、「少師派」の理論に実践を呼応させ、読者により十全な情報を提供するためである。
 第四に、もしテキストにある鍼刺治療の内容が「少師派」から直接由来しているとしたら、われわれが現在見ている文章とどんな本質的なちがいはあるのか?前述のように、伝世本『霊枢』『素問』には「少師派」による具体的な鍼灸治療の内容は見えない。そのため、どのような鍼灸処方を提出できるのか判断はむずかしいが、一点だけ判定できることがある。それがどのような鍼灸処方であれ、経脈理論によっては解釈できないということである。なぜなら、『内経』でのあらゆる「少師曰」の文中には、経脈理論が見えないだけでなく、『内経』でひろく応用されている「三陰三陽」の陰陽理論すら見えないからである。大量に応用されているのは、「太少陰陽」の陰陽二分法での鍼灸治療原則の説明であって、「岐伯派」の学術思想とは完全に異なる。よって、たとえわれわれは今日、「岐伯曰」という文字を削除した『甲乙経』のテキスト形式しか見ることできないとしても、そこに存在する「陰と陽を取り違えた」ような誤りを見抜くことができるはずである。学術のバックグラウンドと学術思想がかなりかけ離れている二つの学派の文章をぎこちなくつないで一つにしているのは、「張冠李戴〔張氏が李氏の帽子をかぶる〕」というべきである。
 第五に、舌下の「両脈」は、何脈か、あるいは何穴か?漢代以後、足少陰の経穴に入れられなかったのはなぜなのか?舌下の両脈は『内経』では「廉泉」といい、任脈の「廉泉」穴と同名である。足少陰の標と結はみな「舌下の両脈」にある。『素問』気府論(59)が掲載している本輸を除くと、唯一ある足少陰の穴が「足少陰舌下」である。これは、足少陰経の「喉嚨を循って舌本を夾(はさ)む」という循行と完全に一致する。この穴が足少陰経に帰属することは、確実で疑いないことがわかる。任脈の同名穴「廉泉」の干渉を受けて、『黄帝明堂経』の編者はこの足少陰の「廉泉」穴を鑑別できず、『黄帝明堂経』に記載した。後世のひとは、『内経』にある「廉泉」をみな任脈の「廉泉」と誤解するようになってしまった。明代にいたって、足少陰の廉泉がやっと再発見されて、失音・失語の治療に用いられるようになったが、穴名が「金津玉液」にかえられた。
 〔第六:会厭の脈について。古代人にとっては非常に簡単で、だれもいつでも、一つの治療経験によって新しい一本の脈を構築できるし、もともとあった脈に新しい分枝を加えることができる。〕
 第七に、……『黄帝内経』時代の経脈に属する穴は、関連する経脈の本輸と標輸だけである。……今日いう「循経取穴」の穴概念は宋代以来のもので、十四経に帰属するあらゆる穴を指す。

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