2016年9月29日木曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第15章 経別——原型と影  つづき

 3.「六合」と「離合」
 『霊枢』経別は、経別の循行を論じるのに、明確に「六合」を用いているので、現代人も「六合」を経別の別称としている。また経別で述べられている経別の循行では「離合」するところが強調されているので、明代の張景岳『類経』は「離合」を経別の文の篇名としている。『素問』陰陽応象大論を調べてみると、「帝曰く、余聞くならく、 上古の聖人は人形を論理し、臓腑を列別し、経脈を端絡し、六合に通ず、と」とあり、王冰は、「六合は、十二経脈の合を謂うなり。『霊枢』に曰く、太陰陽明 一合を為し、少陰太陽 一合を為し、厥陰少陽 一合を為す、と。手足の脈各々三、則ち六合を為すなり」という。しかし、この一例だけでは、「六合」が当時流行していた六組の「経別」を指した規範的な術語であることを証明するには十分ではない。さらに、「六合」という語は伝世本『霊枢』『素問』には合計八回出現し、「経別」と解釈して通じることができるのはこの一箇所のみであり、他の七箇所はみな「経別」とは関わりない。同様に、「離合」は『内経』でもっぱら経別の循行の特徴を指しているわけでもなく、その他の概念内容もある。このように、「六合」と「離合」を経別の総称とすることは、術語の一義性の要求に合致しないことがわかる。
 4.「与別倶行」と「復属於」
 『霊枢』経別全体をみると、陽経の循行に「正」と「別」があるのみである。まず本経と別「離」して、四肢から心に近いところで相応ずる陰経に合する。その「別」は陰経の道を借りて「入って」胸・腹腔に行き、相応ずる臓腑に属絡し、頸項部にある陽経の標脈箇所に「出て」、本経に「復た属す」。いいかえれば、陽経は陰経に「合した」のち、頸項から表に「出る」前までのすべての行程をずっと陰経の道を借りて行く。対して陰経はその本経に沿って四肢から心に近いところに行き、経と離れてめぐる陽経の別とともに入って裏に行き、臓腑に属絡し、さらに陽経にしたがい、頸項部に出て止まる。いいかえれば、陰経は相応ずる陽経と「合する」「出」口があるだけである。したがって陰経の循行は簡略であり、「正」があるだけで、「別」はない。そのため「別と倶に行く」は陰経にみられるだけで、陽経には見られない。「別れて行」かないので、当然「復た属す」という説明もない。したがって、本経に「復た属す」という説明は陽経に見えるだけで、陰経には見えない。この点を意識さえすれば、経別篇の真意を正しく理解することができる。「陽脈の別は内に入り、腑に属する者なり」という理論を構築するための通り道だったのである!これからわかるように、経別篇冒頭のいわゆる十二経脈の「離合出入」は、実は陽経にのみ言っているだけで、陰経は含まれていない。現代人がいう「十二経別」は適切ではなく、錯誤や誤解を生じやすい。

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