2016年10月3日月曜日

第16章 気府と気穴――『内経』の穴図をあつめ、新たに解釈する

 第1節 気府論新解
 結論
1.『素問』気府論(59)の「脈気発する所」は、人体の三陰三陽によって分けられていて、『素問』陰陽離合論(06)と応じている。『黄帝明堂経』の腧穴は経脈によって分類されていて、文字は同じであるが、意味は大いに異なる。この点を見抜くことができないと、気府論を理解できない。このほか、気府論の手足三陽穴の排列には一カ所異なるところがあり、その中の手三陽の順序は陰陽離合論と一致し、太陽、陽明、少陽の順序で穴を論じている。足三陽は「太陽」「少陽」「陽明」とする。
2.王冰は気府論と陰陽離合論の関係を明らかにできなかったために、『明堂』『黄帝中誥孔穴図経』をつかって気府論のテキストに大胆な改編をおこなった。その中で後世の鍼灸学に対する大きな影響を生じたものが四つある。第一、足太陽脈に背兪穴を増やした。第二、陰経の五輸穴を削除した。第三、足陽明脈を削り改めた。第四、衝脈の脈気発する所の穴を加えた。この四つの改変は、気府論の様相をまったく変えてしまって、関連する篇章との間に多くの矛盾が生じることになった。
3.絡穴がないのは、脱文によるのではなく、当時がまだ「絡穴」は出現していなかった。
 第2節 気穴論新解
 結論
1.『素問』気府論(59)は、人体を三陰三陽でわけて全身の穴をまとめて述べているが、『素問』気穴論(58)は、効能によって臓兪・熱兪・水兪・寒熱病兪などに分類している。そのため楊上善は篇末に「以上九十九穴、通じて諸病を療するなり」と注している。その主旨を深く得ているといえる。本篇で述べられている穴には、『霊枢』本輸(02)の本輸・標輸(天容・人迎・天池の三穴を欠く)・熱兪の一、気街・水兪・下合穴・陰陽喬の四穴をふくむ。これからわかるように、本篇の腧穴は異なる理論の枠組みの下にある腧穴をあつめたもので、異なる枠組みの中で重なっている穴もそのまま残してある。〔表がある。省略〕
2.「関元一穴」「斉一穴・肓輸二穴」はみな、「灸寒熱法」の原文についての誤解である。臓兪十五穴〔「五十穴」か〕を除いて、本篇が述べているのはみな陽経の穴であり、上肢の穴を欠き、十五絡穴を欠き、いずれも灸寒熱法の特徴と同じである。『素問』水熱穴論(61)が載せる熱兪五十九穴も同様である。
 第3節 熱兪と灸寒熱病新解
 熱兪五十九穴には二説あり、一つは『霊枢』熱病(23)に見られ、もう一つは『素問』水熱穴論(61)に見られる。灸寒熱之法は、『素問』全元起本では『素問』刺斉論にあり、王冰注本では骨空論にある。楊上善『太素』では分けられ独立して「灸寒熱法」という篇になっている。
 二つの熱兪五十九穴の文は、本来のすがたが比較的失われておらず、後代のひとの理解に相違は少ない。しかし、灸寒熱之兪については、理解がたいへん困難で、灸処方全体がいくつの穴で構成されているさえ、確定しがたい。そのため唐代の楊上善のこの篇に対する注は少なく、王冰は、その大部分の腧穴に注解してはいるが、注をつけた穴もそれぞれ的確ではないので、明代の楼英が『医学綱目』で『素問』の灸寒熱之法の王冰注を引用する際は、疑問がある箇所には、「未詳是否」と注をつけている。「灸寒熱之法」のもともとの方には一つも穴名がなく、非常に古い灸処方であるので、伝世本『素問』が編集されたときには、このテキストにはすでにかなり多くの誤りがあって校正できなかった可能性がある。後世の伝承過程でもあらたな誤りがうまれ、この処方を解読がむずかしくなった。よって以下では、この灸寒熱病兪を重点的に考察する。
 この灸処方を考察してわかった、その腧穴の排列規則は以下の通り:第一、縦方向に上から下へ排列されている。第二、橫方向では行ごとに排列されている。
 同時に、やはりわかったことは、伝世本『内経』の腧穴専門篇あるいは専門論が相互に関連することである。具体的にはこの灸寒熱病処方は『素問』気府論(59)と密接に関連する。

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