2016年10月12日水曜日

李建民「作為方法的中醫出土文物」から その3

たとえば《脈經》巻三は五段あり、主に四時の脈を講じていて、肝・心・脾・肺・腎の五節に分かれる。本巻はすべて古書《四時經》を抄写したものである。たとえば春の脈は「其色青」であり、以下順を追って各時期の赤・黄・白・黒の五色の診がある。黃龍祥によれば扁鵲学派に入れられる《素問.移精變氣論篇》に「夫色之變化,以應四時之脈」とある。四時の脈は五色に相応じる。《隋書經籍志.醫方》には《三部四時五藏辨論色訣事脈》一巻が記録されている。《四時經》はこの類の色診の佚文にちがいない。森立之には1863年に著わした《四時經考注》がある。《四時經》佚文には、あいだに双行の小字注解があるが、作者は不詳である。この書の各篇の後には、みな「《素問》、《鍼經》、張仲景」というような形式で新たに付加された文がある。色脈学説が各家に派生し、仮託の方式も一様ではないことの証明になる。《四時經》も扁鵲学派が発展して変化した文章の断片なのだろうか?錢熙祚は〈脈經跋〉で、「西晉去古未遠,所據醫書皆與今本不同」〔王叔和の時代は、いにしえからいまだ遠くはなく、よりどころとなった医書はみな現代に通行している本とは異なる〕と考えたが、《脈經》が「引扁鵲脈法,並不見於難經,而書中引難經之文,又不稱扁鵲曰」〔引用している扁鵲脈法は『難經』には見えないし、『脉經』が引用している『難經』の文では、「扁鵲曰く」とは言っていない〕。扁鵲脈法という総称はいったい誰がはじめたのだろうか?

同じように五色診にふれる、《中藏經.五色脈論》も黃氏の扁鵲学派のリストにはない。《脈經》は《中藏經》を引用していた。《中藏經》の一部の内容は六朝人によると疑われている【李伯聰,〈關于扁鵲、扁鵲學派和中醫史研究的幾個問題〉,《醫學與哲學》1994年3期】。〈五色脈論〉が講じているのは死脈を診ることであり、その内容は、《中藏經》の中では非常にわずかな量しかない。

面青,無右關脈者,脾絕也;面赤,無右寸脈者,肺絕也;面白,無左關脈者,肝絕也;面黃,無左尺脈者,腎絕也;面黑,無左寸脈者,心絕也。五絕者死。夫五絕當時即死,非其時則半歲死。然五色雖見,而五脈不見,即非病者矣 。

  上文は色と脈が互いに見えるものと、色と脈が互いには見えないものを論じている。「関」、「寸」、「尺」の部位はどこか?その原理は五行(色)の相克である、木→土;火→金;金→木;土→水;水→火なのか?これは扁鵲の五色診のニセモノか?あるいはあまった無用のものか?以前に扁鵲に似たテキストはあるのか?誰がこのような五色診をおこなっていたのか?《中藏經.五色脈論》にかなり近いものに《素問.藏氣法時論》がある。残念ながら後者は黃氏が前に述べた扁鵲学派の「医籍」リストにはない。五色診の各種テキストにはあるいは矛盾するところがあるのか、まだわからないので、しばらく論じない。後漢以降、五色診は扁鵲学派の独占特許であるかどうかに論争はあるのか?六世紀の蕭吉《五行大義.論配五色》が引用する《黃帝素問》の「草性有五」は今本《黃帝內經》には見えない。蕭氏はさらに「五常之色,動于五藏而見于外」〔五常の色は五臓を動じて、外にあらわれる〕と展開している。黃帝に仮託しながら、さらに増補している。一書のように見えて、二種類あるようだ。

扁鵲はある時に書は残ったものの技術は滅んだのか?いつか?黃龍祥は、「扁鵲医学には『六絶』と『六極』の学説が知られている」と考える【『経脈理論……』391p】。関連する佚文の多くは、六朝の人、謝士泰《刪繁方》に見える。その中には「襄公問扁鵲曰」という長篇の問答があり、《靈樞.五色》の扁鵲の文章と合わせてみることができる【『経脈理論』386-389p】。「六極」学説は、《外台秘要》と《千金要方》の各巻では並び順が異なる。《外台》にある「扁鵲曰」の各文はみな16巻の〈虛勞〉の中に編入されている。しかし《千金要方》では巻11・巻13・巻15・巻17・巻19の各巻に分かれて編入されている。そのうち、蘇禮と王怡は〈《千金要方》所引扁鵲佚文及其學術價值〉において扁鵲の佚文、全部で121条という多くを分析したが、「《千金要方》巻11には扁鵲と襄公の対話があり、興味深い」という。ここの襄公は、《史記.扁鵲傳》中の虚構の人物である齊桓侯に類似する。このほか、黃龍祥は《千金》巻13の「襄公と扁鵲の問答」を引用するが、この書籍は襄公の問答の記述形式を明確に示しているわけではない【『経脈理論』396p】。黃氏はさらにすすめて《內經》の問答形式の経文に手を加え、たとえば「『黃帝』を『扁鵲』に改める」【『経脈理論』396p】ことさえする。もともと《內經》の問答形式での黃帝はみな扁鵲を指すのか?いくつかのテキストははっきり扁鵲医書として存在し、後代のひとが書き換えたのか?余嘉錫の考えでは、他書からの引用した文について、「援群書所引用,以分真偽之法,尚非其至也」【『古書通例』】〔多くの書物が引用していることを根拠に真偽を分かつ方法も、なお完全ではない〕という。正否は分かちがたく、佚文がいまの十倍百倍あったとしても、水増しした文もある。文字づらから分類して整理しようとしてもますます収拾がつかないのではないか?

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