2016年10月15日土曜日

卓廉士『営衛学説与針灸臨床』 第八章 営衛学説の角度から見る その2

「循経感伝」のおもなよりどころは、鍼刺により「得気」が経気を喚起することにある。それによって感伝した線路が経脈の線路であり、経絡のはたらきのあらわれである。しかし筆者のかんがえでは、鍼刺によって「得気」が喚起するのは衛気であり、経気ではない。「循経感伝」の実質をあきらかにするためには、まず経気と営気と衛気というこれらの術語の意味をはっきりさせ、あわせて古代人がこのためにもうけた刺法を考察する必要がある。

経気は営気ともいい、経脈の気あるいは経絡の気を指す。『霊枢』経脈(10)に「経脈者常不可見也.其虚実也.以気口知之.脈之見者.皆絡脈也」とある。脈の大きなものは経脈であり、小さなものは絡脈であり、まとめて経絡という。経脈は「常不可見」〔つねに見ることができない〕とはいえ、脈搏を按じてその虚実を察することができ、呼吸をしらべてその動静を知ることができる。その気のめぐりは天の度数と同期していて、日に身を五十周する。「常営無已.終而復始」〔つねに営(めぐ)ってやむことがなく,終わりまできたと思ったらまた始まる〕(『霊枢』営気(16))ことによって、また営気ともいう。『霊枢』営気(16)に掲載されている営気の周流は、『霊枢』経脈(10)に掲載されている経気の循環と、名称・方向・順序においてまったく同じである。これから、営気と経気は同一の生理現象であるとすべきであり、経中の気を経気といい、循環周流するので営気という、と考えることができる。営は脈中を行き、網のように稠密な絡脈をとおして気血を臓腑と全身の組織に貫注させることができる。

衛気は生体を護衛する陽気である。日中に陽をめぐり、体表の陽経にあまねく分布し、腠理をあたためやしない、外邪をふせぐ。十二経脈に沿って集散分布し、標本の勢〔ながれ・いきおい〕を形成する。夜間は陰をめぐり、肓膜を熏じ、胸腹に散じ〔『素問』痺論(43)〕、臓腑をまもる。他に別のルートがあり経脈の外を運行し、脈と並行する。『霊枢』脹論(35)に「衛気之在身也.常然並脈循分肉.行有逆順.陰陽相随.乃得天和.五蔵更始.四時有序.五穀乃化〔【現代語訳】:衛気が人体を運行するときは、つねに経脈と一緒に循行し、肉の境目を循〔めぐ〕ります。運行するとき、上下には逆順がありますが、内外は相〔あい〕したが随っています。このようであってはじめて正常な機能を保持できるのです。五蔵の気は互いに伝え合い、四季の気候は一定の順序に従って推移するから、五穀は変化して精微を生ずることができるのです〕」とある。衛気は脈と並行して、規範をもって経脈は運行し、臓腑の新陳代謝を促進し、臓腑の生理と四時陰陽との同期性を維持し、気血の生化などの作用をうながすことを言っている。『素問』調経論(62)にいう「取血於営.取気於衛」は、営気と衛気の異なる生理的特徴にもとづいて制定した刺法である。

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