2016年10月5日水曜日

第16章 続々

 第5節 「脈は気穴の発する所と為る」から「穴は脈気の発する所と為る」へ
 脈と穴との関係について、『千金要方』〔『千金翼方』巻26〕は「凡孔穴者.是経絡所行往来処.引気遠入抽病也」といい、楊上善は「気穴」に注して、「三百六十五穴、十二經脉之氣發會之處、故曰氣穴也」〔『太素』巻11・気穴〕という。これにより、かつてひとびとはみな「穴は脈気の発する所と為る」〔穴とは脈気が発せられる場所〕と考えていた。
 ここで提出する「脈は気穴の発する所と為る」〔脈とは気穴が発せられる場所〕には、二つの意味がある。第一、四肢本輸の遠隔診療作用は、経脈循行のよりどころである。第二、経脈概念が形成されたのち、あらたに発見された輸穴(おもに本輸と標輸)の遠隔治療作用が既存の経脈による解釈範囲をこえた場合は、随時あらたな分枝をくわえたが、新しい脈をつくることさえして、輸穴が主治する遠端部位に直接達するようにした――これも漢代以前の経脈循行が変遷したおもな形式である。

  一、脈は穴によって発せられた
 それぞれの穴は遠隔の診療作用をもってさえいれば、穴も脈である。あるいはどのような穴であってもはじめて発見されたときは、絡脈や陰蹻・陽蹻穴などとみな同様に、すべてに一本の専用の脈――有形あるいは無形の――があった。この理念は『素問』刺腰痛論(41)と『素問』気穴論(58)にすでにあらわれている。穴と脈との関係は、穴が脈を決定するのであって、脈が穴を決定するのではない、ということをはっきりと認識すべきである。まさに梅建寒先生の名言、「経脈の過ぐる所は、主治の及ぶ所」である。経脈がその場所をめぐるのは、本輸が主治する病症の部位がその場所に及ぶからである。もしさらにわかりやすくこの観点をあらわすとすると、「本輸主治の及ぶ所は、経脈絡脈の至る所」といえよう。
  二、一穴専用の脈から、多穴共用の脈へ
 早い時期、古代人が発見した遠隔治療作用を有する穴が少なかったときには、「一穴一脈」の段階があった――一本の脈が一穴専用に設けられた。脈の起点は穴の所在地となり、脈の終点が穴が主治する病症部位のもっとも遠い端となる。この段階では、脈と穴とは完全に同じ名称を用いて命名された。現在でも伝世本『内経』やその他の古い文献にこの時期の脈穴名の遺物が見られる。たとえば、「手太陰」あるいは「臂太陰」は脈名であり、穴名でもある。同様に、列欠は絡脈名であり、絡穴名でもある。陰蹻・陽蹻は脈名であり、穴名でもある。穴が増えるにしたがって、穴は分けるために異なる名称を用いて命名しなければならなくなった。
 ……絡穴はのちに相応の経脈に帰属することになったが、絡穴の作用は依然としてその元々所属していた絡脈が介在しているのであり、帰属している経脈によるのではない。足三焦の別である「委陽」は、足太陽経に入れられたが、その三焦病症に対する治療作用は、足三焦の別を通して実現するのであって、それが帰属している膀胱経によってその道筋が変更されたのでは決してない。照海と申脈は足少陰と足太陽に入れられたが、それが眼の疾患を治療する作用は、依然として陰蹻と陽蹻が介在する。
 もし『素問』気府論(59)の「脈気発する所」という概念がなかったら、腧穴は一穴一脈という形態が保持され、実際的な意味のうえでの三百六十五穴が三百六十五脈(あるいは三百六十五絡)に連なることになる。現在まで伝承されている別の鍼灸流派である「董氏鍼灸」は一穴一脈というモデルを保持していて、早い時期の古典鍼灸にあった「脈」「穴」関係の「生きた化石」とみなせる。唐代以後、『明堂』の穴は経に帰属したが、大多数は局部か近隣部に治療作用がある腧穴であって、「脈」の介在やつながりは必要なく、「脈気の発する所」の必要もない。これらの穴についていえば、経に帰属させる意味は、おもに腧穴の分類法を提供して、記憶して臨床で取穴するのに便利にすることにあるにすぎない。
 もし最初の一穴の脈という穴がそれ以上増えなかったら、穴名と脈名は依然として穴と脈が同じ名前である形式を保持し続けた〔原文:那麼穴名与脈名依然保持着脈、名同名的形式。//「脈、名同名」を「穴、脈同名」として訳した〕。たとえば、宋代になっても、陰蹻・陽蹻の脈と穴は依然としてまったく同じ名称をつかっている。
 もし穴がずっと一穴一脈の形態――今日の「董氏鍼灸」の脈-穴関係――を保持していたら、現代人の経脈の意味に対する理解はきっと大いに異なったにちがいない。少なくとも今日の実験研究者が「経絡とはなにか」という問題に執着せず、問題の出し方をかえるか、ちがう問題を提出することができただろう。
 経に帰属する穴がふえると同時に、対応する経脈の循行路線の描写もますます詳細なものにかわったので、参照すべき穴の座標点がさらに多くなった。一般に、本輸穴・六府合穴・気穴論の要穴・四海の輸、脈穴(特に標本脈と頸項にある十の脈穴)、さらに絡脈穴さえもみな『霊枢』経脈(10)の経脈循行路線の上にあらわすようになり、なおかつ経穴部位にもとづいて経脈の循行路線を修訂したり増補したりした。

 【まとめ】
1.2. 省略。
3.『内経』中の腧穴の多くは穴名がない。その中の「灸寒熱病兪」にはまったく穴名がない(唯一の穴名である「関元」は、テキストの誤りによる)。穴名があるおもなものは、以下の三種類に見られる。脈穴――脈と同名の穴(たとえば、大迎と天突、天府、天牖、扶突、天窓、委陽)。部位穴――解剖学的部位と同名の穴(たとえば、缺盆、上関、下関、犢鼻、完骨、肩解)。経脈穴――経脈と同名の穴(たとえば、手少陰、陰蹻、陽蹻)。厳密にいえば、みな腧穴の専用名とみなすことができない。ほかによく見られる命名の方式としては、経脈名+部位名がある。たとえば、「足少陰舌下」「厥陰毛中急脈」。
4.『内経』にある腧穴の専門篇は前後で呼応している。例:その一:「手少陰に五輸穴がない」ことは、各篇で一致している。特に説得力のあるいくつかの腧穴の誤りも一致していて、用語も同じである。これは、『内経』にある腧穴の専門篇と専門の論が同一の文献を出自としているか、あるいは同一人物によってまとめられたことを示している。その二:十一の脈穴しかない。気府論・気穴論・本輸篇はすべて十一脈のみである。

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