2016年10月23日日曜日

卓廉士先生の『素問』標本病伝論(65)講義 その1

卓廉士『営衛学説と鍼灸臨床』第三章第二節標本刺法

第二節 標本刺法、一を執るを式となす
〔執一:根本の道を掌握することをいう。《呂氏春秋‧有度》: “先王不能盡知, 執一而萬治。” 高誘 注: “執守一道,而萬物治理矣。” 〕

現代中医基礎の教材には、「標と本は、一つの相対的な概念であり、多くの意味を有し、病気が変化する過程での各種の矛盾する主従関係を説明するのにもちいられる。たとえば、邪正の双方でいえば、正気は本であり、邪気は標である。病因と症状でいえば、病因は本であり、症状は標である。疾病の前後でいえば、旧病・原発病は本であり、新病・続発病は標である」(印会河主編『中医基礎理論』上海科学技術出版社、2006年)とある。このような説明はたいへん流行し、大学の教材に掲載され、現代中医における治則ではすでに不易の論〔至精至当で、あらたむべからざる定論〕となっている。しかし、『素問』標本病伝論(65)の標本についての論述を仔細に考察してみると、治標・治本とは、衛気標本理論にもとづいて制定された鍼刺方法であることがわかる。その意味は、終始一貫しており、病因・正気・新病旧病の説は、後世の医家が発展させて生じたものとすべきであり、『黄帝内経』にある標本の原義とは一致しない。幾千百年、他人の言に定見なく従い、ついには標本学説の本来のすがたが覆い隠されてしまった。標本の原義があきらかにした古い鍼灸治病の重要な原則は、かえって埋没してひとびとに知られなくなった。そのためそれを整理して示す必要が非常にある。『素問』標本病伝論(65)にいわく、

黄帝問曰.病有標本.刺有逆従.奈何.岐伯対曰.凡刺之方.必別陰陽.前後相応.逆従得施.標本相移.故曰.有其在標而求之於標.有其在本而求之於本.有其在本而求之於標.有其在標而求之於本.故治有取標而得者.有取本而得者.有逆取而得者.有従取而得者.故知逆与従.正行無問.知標本者.万挙万当.不知標本.是謂妄行.夫陰陽逆従.標本之為道也.小而大.言一而知百病之害.少而多.浅而博.可以言一而知百也.以浅而知深.察近而知遠.言標与本.易而勿及.治反為逆.治得為従.
【現代語訳】黄帝が問う。「病には標病、本病の区別があり、刺法には逆治、従治の区別があるが、これはどうしてか」。 岐伯が答える。「刺鍼治療の準則は、必ずまず病状が陰に属するのか、陽に属するのかを区別し、どの病が先に患ったもので、どの病が後に患ったものであるのかを区別しなければなりません。そののちに治療を行えば、逆治、従治の運用は当を得るし、標本のどれを先に治療し、どれを後に治療するかということも臨機応変に対処することができるのです。したがってある場合には標の病に対して標を治し、本の病に対して本を治することもありますし、またある場合には本の病に対して標を治し、標の病に対して本を治することもあるといわれているのです。したがって治療にあたっては標を治療してよくなるものと、本を治療してよくなるものとがあります。また正治によってよくなるものと、反治によってよくなるものがあるのです。 そこで逆治と従治の原則を知れば、正しい治療を行うことができますし、治療に際して疑念が生ずることもないのです。標と本とにおける軽重と緩急との関係がわかると、すべてうまく治療することができるようになるのです。しかし標本を知らなければ盲目的な治療となってしまいます。陰陽、逆従、標本の道理は、一見すると非常に簡単にみえますが、その応用価値はきわめて大きいのです。したがって標本逆従の道理を語るならば、多くの疾病による危害を知ることができるのです。少ないものから多くを知り、小から大を推しはかることができるので、一を語って百を知ることができるといっているのです。浅いところから深いところを知り、近くを調べて遠くを知ることができます。標本の道理というものは、非常に容易に理解はできますが、その臨床応用となりますと、けっしてそれほど容易に会得することはできません。相い反して行う治療を逆といい、正治の治療を従といいます」。

「病有標本.刺有逆從」とは、標本がもともと鍼刺のためのものであることをあきらかにしている。「前後相應」とは、気街を通行する衛気が身体の前後に感応を発生させる連係をいう。「逆從」とは、「標本相移」に対して取る措置である。衛気には病患部へうごき、うつり、あつまって、邪気をのぞく能力がある。そのためその集散は疾病の変化にともなって変化する。古代人はこれを「標本相移」といった。これは標本の位置が変わることをいっているのではなく、もともと本部に集まっていた衛気が上に移動したり、もともと標部に散在していた衛気が下に移動することを指す。このような変位〔移動・動き〕は、衛気本来の生理的な情況を変え、それによって脹満・喘息・疼痛などの症状があらわれる。したがって、「標本相移」は、衛気の異常をあらわしている。『霊枢』衛気失常(59)にいう。

黄帝曰.衛気之留于腹中.搐積不行.苑蘊不得常所.使人肢脇胃中満.喘呼逆息者.何以去之.伯高曰.其気積于胸中者.上取之.積于腹中者.下取之.上下皆満者.傍取之.黄帝曰.取之奈何.伯高対曰.積於上.写大迎.天突.喉中.積于下者.写三里与気街.上下皆満者.上下取之.与季脇之下一寸.重者雞足取之.
【現代語訳】黄帝がいわれる。「衛気の巡りが異常をきたして、腹の中に停滞し、蓄積して正常な運行を失い、鬱積して病になると、胸脇と腎が腫れ、喘息して気が逆上するなどの症状となるが、どのようにして治療するのか」。 伯高がいう。「気が胸の中に蓄積して発病するものは、身体の上部の経穴を取って治療するべきです。腹の中に蓄積したものであれば、身体の下部の経穴を取って治療すべきです。もし、胸も腹も脹れたものであれば、上部下部と経脈付近の経穴を取って治療すべきです」。 黄帝がいわれる。「どの経穴をとるのか」。 伯高がいう。「胸に蓄積したものは、足の陽明胃経の人迎穴および任脈の天突穴と廉泉穴を取って瀉します。腹に蓄積したものは、足の陽明胃経の三里穴と気衝穴を取って瀉します。胸腹のどちらにも蓄積したものは、身体の上下の経穴をすべてと、季脇の下一寸にある章門穴を取るべきです。病が重いものは、鶏足の刺鍼法 (真っ直ぐに鍼を一本入れ、その左右に斜めに二本入れる) を用います。

衛気は十二経脈の本部に集積することが多く、胸腹と頭面などの標部に集積することは少ない。したがって生理上は本は重く標は軽くあらわれるが、衛気が失調するとその道理に反して、標は重く本は軽くなる。「標本相移」すると、多くの病理がもたらされる。たとえば、衛気は「留于腹中.搐積不行」し、胃脇に留まり、中焦は痞満し、胸中に留まり、「喘呼逆息」する。衛気はもともと「熏於肓膜.散於胸腹」(『素問』痺論(43))し、運行してやすまず、滞留しえず、留まれば病となる。衛気の失調によって引き起こされた病症について、鍼刺治療は、標本の上下の連係にもとづいて、それぞれ標を刺す・本を刺す・先に標、後に本・先に本、後に標・標本かねて施すなど、各種の方法を採用する。「積于腹中者.下取之」については、上の病は下に取り、四肢本部の腧穴である足三里・気衝などに鍼刺する。ただし気が胸部標証に鬱積して急なものは、「止之膺与背腧」〔『霊枢』衛気(52)〕することができ、標部の腧穴に鍼刺してその急迫をゆるめる。当然、標本ともに施術してよく、上下両方を鍼刺し、他に章門(LR13)を加えて気をめぐらす力をつよめる。「雞足」刺法は、『霊枢』官針(07)に記載されている。その操作方法は、「左右雞足.鍼于分肉之間.以取肌痺」〔【現代語訳】(第四は合谷刺という。合谷刺とは分肉の間にまで直刺したのち、一旦皮下まで引き上げ、さらに)左右にむけて分肉の間に鶏の足のように一カ所づつ斜刺し、肌痺を治療する〕である。その方法は、三本の鍼で、一本の鍼は直刺し、他の二本はその両側に刺入して、三本の鍼を交叉させて鶏の爪の形のようにする。肌肉のあいだにある邪気を同時に瀉す作用がある。肉の小会は谿であり、大会は谷であるので、「雞足」の刺法は、「合谷刺」ともいう。この刺法は、かなり強烈に衛気の感応を喚起することができる。

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