2016年10月11日火曜日

李建民「作為方法的中醫出土文物」から その2

試みに一例を挙げる。《素問.大奇論》は《素問》の中ではもっとも古い篇だといわれている【小曽戸洋「『脈経』総説」】。内容は、「寒熱獨」など、各種の死脈におよぶ。曹東義などの考証によれば、「《素問.大奇論》の全文は《脈經》にある〈扁鵲診諸反逆死脈要訣第五〉に見える。なおかつ《素問》のこの篇にははじめから終わりまで、黃帝と岐伯の問答の文言が見えないのも、別にもとづくところがあることを示している」。《脈經》巻五では,冒頭から「扁鵲曰」を引き、最後に二度、「問曰」を引き、師が回答して終わる。実際は、大きな段落の文がみな《素問.大奇論》には見えない。《脈經》のこの篇には、なお〔末尾に〕「華佗倣此」とあるが、なにを意味するのか?四角い柄を丸い穴に入れようとするように全く相容れないのではないか?いわゆる「大奇」とは漢代の人の慣用語である。《說文》に「大㱦」に作るのがすなわちこれである。〔『說文解字』「㱦:棄也。从𣦵。奇聲。俗語謂死曰大㱦。」〕劉盼遂(1896-1966)【『文字音韻學論叢』】は医書を引用し、「大奇」を死証の語とする。「また通じて「奇」に作る。《黃帝素問》に〈大奇篇〉有り、皆な人の死証を言う」。 〈大奇論〉の「暴厥者,不知與人言」という句もまた《素問.厥論》の厥症に「令人暴不知人」と見える。

五色診法は扁鵲学派の唯一無二の技術である。黃龍祥は、「『五色診』は実際、扁鵲医学の『専売特許』である」という。《周禮.疾醫》は五色診法を掲載し、五気・五声とならべて挙げている。鄭玄(127-200)は五色診を「審用此者,莫若扁鵲、倉公」〔この法を周到に使えるのは、扁鵲と倉公(淳于意)が一番である〕と考えた。黃龍祥は《脈經》の巻一から巻六まで少なからぬ扁鵲五色診の遺文を探し出した。五色は中国医学ではおおく「五臓」と関連がある。《左傳.昭公二年》に、「五色比象,昭其物也」とある。五色はしばしばその他の事物、たとえば季節や方位などと配される。顔面部の五色で,臓腑や肢節に関連する病候が推測できる(下文に詳しい)。《靈樞.五色》と《千金翼方.色診》には「扁鵲曰」の佚文が大量に引用されている。たとえば、「四墓當兩眉坐直上至髮際,左為父墓,右為母墓,從口吻下極頤名為下墓,于此四墓上觀四時氣」などは、すべてみな扁鵲学派の異なる伝本なのであろうか?医学流派が異なっていても、術語は似る。黃龍祥がいうようにすべては同じ酒瓶なのか?彼は医書の手直しの過程について、「ラベルを替え、包装を改めるだけでなく、時には酒瓶さえ交換した」という。ビンが黃帝のラベルだとしたら、ビンの中はどれほどまだ扁鵲の酒なのか?

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