2016年10月4日火曜日

第16章 つづき

 第4節 『内経』時代の腧穴総覧
一、穴の概念
 『内経』の腧穴専門篇である気穴論は「気穴」と名づけるが、「三百六十五」の気穴以外に「孫絡」「谿谷」がそれぞれ「三百六十五」ある。『霊枢』の第一篇である九針十二原篇も「節の交、三百六十五会」という。もしこの四者が異なる概念だとすると、『内経』時代の穴数は1460もの大きい数字に達することを意味することになり、『素問』気穴論が掲載する穴の総数の十倍に相当する。しかし、『内経』にいう「節」「気穴」「孫脈」「谿谷」は多くの状況下では、類義語として使用されているとすべきで、いわゆる「節の交三百六十五会は、絡脈の諸節を滲灌する者なり」(『霊枢』小針解(03))、「夫(そ)れ十二経脈は、皆な三百六十五節に絡す」(『素問』調経論(62))、「孫絡三百六十五穴会は亦た以て一歳に応ず」(『素問』気穴論(58))である。実際のところ、これらの異なる言い方はそれぞれの異なる「出身」の一側面――異なる時期の異なる理論的枠組を反映している。いわゆる「孫絡」は、「刺脈」(および後の「刺皮部」)との関係がより密接である。「谿谷」は「刺肉」「刺骨」と関連がある――いわゆる「肉の大会を谷と為し、肉の小会を谿と為す」「谿谷は骨に属す」は、『素問』骨空論にいう「骨空」(孔)の概念にいたり、「刺骨」とより関係が密接となった。これらの起源は「皮肉脈筋骨」という五体刺法の産物である。実際、伝世本『内経』に掲載される鍼灸処方の鍼刺部位である穴には、経脈理論が誕生する以前の、このような「五体刺法」の腧穴概念が大量にある。『内経』刺法の専門篇である『霊枢』官針(07)が掲載する各種の鍼術では、「五体刺法」が圧倒的多数をしめていて、その当時、「気穴」の概念はやっと起こったばかりである。『内経』に多量に記載されている時期の異なる「四時刺法」には、このような「五体」の穴から「気穴」の穴への変化移行の過程がはっきりと見て取れる。これらの異なる時期の異なる理論的枠組の下にある「穴」の概念が、みな「気穴」という名を冠されて、腧穴の専門篇である気穴論に集められた。この篇が編まれたとき、「穴」の外延はおおいに拡張され、もともと異なっていた「穴」が融合しはじめた。いわゆる「谿谷三百六十五穴会」「孫絡三百六十五会」は、概念が融合したことをあらわしている。しかしわれわれは、気府論ないし漢代の腧穴経典である『黄帝明堂経』からこの整理統合の過程を比較的はっきりとなお感じ取ることができる。
二、分類体系
 『内経』では、腧穴の分類で主要なものは、部位・効能・臓腑・経脈によって、四つに分けられる。その中で、部位による、あるいは部位と効能を合わせた分類法の応用がもっとも広い。『素問』気穴論は典型的な実例である。
 【部位による分類】「背兪」と「膺輸」、「本輸」と「天牖五部」など。
 部分けは、体幹部位によるものを除いて、ほかに臓腑によるものがあるが、これも二つに分かれる。その一、後背部の臓腑の腧を指す。いわゆる「五臓の腧の背に出づる者」(『霊枢』背腧(51))である。その二、十二経脈が臓腑と関連ができたのち、経脈の本輸――五輸穴も「臓兪」と「腑兪」と見なされる。いわゆる「臓兪五十穴、腑兪七十二穴」(『素問』気穴論(58))である。もしさらに細かに分ければ、やはり二つに分けることができる。その一、五臓は「十二原」に出る。いわゆる「五臓に六腑有り、六腑に十二原有り、十二原は四関に出で、四関は五臓を主治す。五臓に疾有れば、当に十二原に取るべし」(『霊枢』九針十二原(01))。その二、六腑は「下合輸」に合する。いわゆる「胃の合は三里に、大腸の合は巨虚上廉に入り、小腸の合は巨虚下廉に入り、三焦の合は委陽に入り、膀胱の合は委中央に入り、胆の合は陽陵泉に入る」(『霊枢』邪気蔵府病形(04))。
 経脈による分類も実際上は、「部位による分類」の一つの特例とみなすべきである。指摘が必要なことは、『内経』の穴で経脈に属するものは、本輸と標輸のみであり、この両者のなかで特に重視されるのは本輸である。特に「経兪」という語は、本輸――五輸穴を指す。これが実際的に反映しているのが、経脈理論が構築された時期の脈-穴関係である。

  経脈十二、絡脈十五、凡そ二十七気、以て上下す。出づる所を井と為し、溜〔なが〕るる所を滎〔けい〕と為し、注ぐ所を腧〔しゅ〕と為し、行 〔めぐ〕る所を経と為し、入る所を合と為す。二十七気の行〔めぐ〕る所、皆五腧に在るなり。(『霊枢』九針十二原(01))
 

 絡脈によって分類する穴は簡単で、十五絡にはそれぞれ一穴――十五絡穴がある。特に注意が必要なことは、十五絡穴はおそく現われた概念である、ということである。『内経』の腧穴の専門篇などには「十五絡穴」は見得ない。『内経』にある「絡兪」という語は十五絡穴を指すものではない。

  故春刺散俞,及與分理,血出而止,甚者傳氣,閒者環也。夏刺絡俞,見血而止,盡氣閉環,痛病必下。秋刺皮膚,循理,上下同法,神變而止。冬刺俞竅於分理,甚者直下,閒者散下〈新校正云:按《四時刺逆從論》云:「夏氣在孫絡」、此「絡俞」即孫絡之俞也。〉。(『素問』四時刺逆従論(64))

 按ずるに、新校正の言うことはきわめて正しい。四時鍼法は、「皮肉脈筋骨」という五体刺法にもとづく古い刺法であり、伝世本『内経』にはたくさんの記載がある。そのうえ、篇章が異なれば、異なる時代の特徴も表現されている。五体刺の旧態を基本的に保持しているものもあれば、五体刺から五輸刺への過渡期のものもあるし、五体刺から五輸刺へ完全に変化したものもある。しかし総体的にはつぎのような変遷の特徴が見いだせる。春と夏には「五体」の刺法を引き続き用いているが、秋と冬では「五輸」の刺法に改める。夏に取るのは「孫絡」であり、いわゆる「夏気は孫絡に在り」であり、すなわち『素問』診要経終論にある「絡兪」の意味でもある。

  ・是故春気在経脈.夏気在孫絡.長夏気在肌肉.秋気在皮膚.冬気在骨髄中.(S.64四時刺逆従論)
  ・故春取経血脈分肉之間.甚者深刺之.間者浅刺之.夏取盛経孫絡.取分間.絶皮膚.秋取経腧.邪在府.取之合.冬取井滎.必深以留之.(L.19四時気)
  ・春取絡脈諸滎.大経分肉之間.甚者深取之.間者浅取之.夏取諸腧孫絡.肌肉皮膚之上.秋取諸合.餘如春法.冬取諸井諸腧之分.欲深而留之.此四時之序.気之所処.病之所舎.蔵之所宜.(L.02本輸)

 これからわかるように、『素問』診要経終論にいう「夏刺絡兪」とは、『内経』の他の篇で対応しているのは「夏刺絡脈」であり、『素問』気穴論(58)にいう「孫絡三百六十五穴会」の絡穴であり、林億がいう「孫絡之兪」でもある。対応しているのは、『霊枢』官針(07)の「絡刺」法――「絡刺は小絡の血脈を刺すなり」である。当然のことながらこの「絡兪」を十五絡穴と理解すべきはない。

 【効能による分類】「熱兪」二種類、水兪、寒熱病兪などがある。この中で「水兪」は実際上は「腎之兪」に相当する。

  帝曰.水兪五十七処者.是何主也.岐伯曰.腎兪五十七穴.積陰之所聚也.水所従出入也.尻上五行.行五者.此腎兪.故水病下為胕腫大腹.上為喘呼.不得臥者.標本倶病.故肺為喘呼.腎為水腫.肺為逆不得臥.分為相輸.倶受者.水気之所留也.伏菟上各二行.行五者.此腎之街也.三陰之所交結於脚也.踝上各一行.行六者.此腎脈之下行也.名曰太衝.凡五十七穴者.皆蔵之陰絡.水之所客也.(『素問』水熱穴論(61))

 これからわかるように、経文中の「水兪」と「腎兪」の意味はひとしく、「腎は水を主る」という観念と関連する。

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