2016年9月15日木曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』経脈別論十九条――書き終わった後に書いた提要

 本篇は実際のところ、全体(附篇を含む)の結語なのだが、各章ごとに結語がみなあるし、書末にも「結語」をさらに加えたので、読んできてそぐわないので、現在のタイトルにかえた。摘要のつもりで書いたので、全文を読む必要があるかどうかわからない読者と全文を通読する時間がない読者を想定して、できるかぎり圧縮して書いた。
・第一条:経脈とは常脈、すなわち経数の脈である。
 もっとも普遍的な意味を持ち、臨床でもっとも常用される「脈」が、常脈で、三陰三陽で命名され、手足あわせて十二脈、これを「経脈」という。経数の脈は、「十二」という天の大数に応じる。二種類〔血脈と血脈ではない経脈〕の理論の「経脈」概念の本質的な区別を認識できないと、「経脈」に明確で科学的な定義を与えることは根本的にできない。
 「経数」とは常数であり、術数でいう天地の数でもある。
 「経数」の枠組みに入れることができなかった大量の「脈」と「絡」は、あるものはすぐに消え去り、あるものは別の大きな分類である「絡」に繰り入れられた。
・第二条:経の数にもともと定数はなく、脈のめぐりにも定型はない。
 馬王堆『十一脈』、張家山『脈書』および『素問』『霊枢』の多くの篇では、記載されているのは十一脈にすぎず……これらの文献が共通して遵守しているのは「天六地五」という「経数」である。……たとえ当時、手心主あるいは手少陰脈の二脈がともにすでに流行していたとしても、片方は「絡脈」に組み入れられた。
・第三条:経脈学説とは、「人体遠隔部位縦方向関連律」についての解釈である。
 経脈理論とは、人体遠隔部位間の縦方向関連律についての解釈である。この関連には、体表と体表間の遠隔関係、および体表と内臓間の遠隔関係がふくまれる。古代人は特定部位間の連係は、特定の「脈」をとおして直接につながってなされていると認識した。この理論仮説は木型隠喩にもとづいて構築された。すなわち四肢末端を根本とし、頭面体幹を末梢とし、本末が相応じる。ゆえに脈はみな四肢末端から頭面体幹の方向へ循行する。四肢にある手首・足首の本部の脈で、上部標部および関連する内臓の疾患が診察できる。「本」部の穴に鍼灸する。本輸は「標」部および関連する内臓の疾患を治療できる。
・第四条:経脈学説は「人体遠隔部位縦方向関連律」を解釈した仮説の一つにすぎない。
 ひとびとは、「経脈理論」(または「経脈学説」)が「人体遠隔部位縦方向関連律」のすべての仮説、あるいは唯一の仮説であると、惰性的にずっと思い込んでいた。そしてまさにこのひとびとの完全に無意識で、かつ今にいたるまで真相を知らない誤った認識が、経脈理論研究に種々の誤り、困惑、混乱の根源となったのである。
 古典中国鍼灸学という林の中の「一本の木」を林全体とみなしていたのである。
 実験研究において、現代人が提出した「経脈」あるいは「経絡」という名の各種の仮説は、実際は明確な目標を欠いた――経脈理論が指向した問題の状況下で提出した――種々の仮説なのだが、研究者は、古代人が二千年以上前に提出した「経脈仮説」を証明している、とかたく信じている。
・第五条:経脈で脈候を解釈するのは、「陰陽脈解」という旧説に対する革命である。
 脈の本来の意味は、鍼灸の遠隔治療作用のルートについて提出された新しい仮説――旧来のあらゆる哲学的解釈に対する不満が提出した新しい仮説である。この解釈が普遍的に受け容れられ、新しい理論規範となったのは、古代人が新しい理論が提出されたのち、経験的に得、これを治療した経験から、理の中に事実を求めて、理論を武器として新しい事実を発見し、大量の新事実から条理あるいは法則を概括し、新しい学説の理論解釈力をたえず上昇させ、最終的には「脈」から「経脈」への遷移〔おそらく物理学を意識した用語〕をなしとげた。変化きわまりない関連病症を解釈した「所生病」の出現は、この遷移がなされた指標となった。

2 件のコメント:

  1. 今頃ですが、神麹斎先生がさきにこの部分の全体を訳されているを知りました。

    ご参照ください。

    http://chayu-jiuhou.blogspot.jp/

    2016年8月16日 星期二から2016年9月2日 星期五まで。

    なお先生が「機体」と訳されているのは、もちろん飛行機の胴体の意味ではありません。

    「機体」は、もうすこし長く書くと「有機体」となり、おもに人間のからだを意味します。

    それで、わたくしは「生体」「人体」と訳しています。

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  2. 私のはきわめて粗っぽい訳で,ろくに見直しすらしてません。
    岐阜の講座の仲間にも,ギコチナイとからかわれてます。

    そもそも黄さんの文章は苦手なんです,とこれは言い訳。
    『大綱』のお蔭で,だいぶ慣れましたが。

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