2016年9月27日火曜日

黄龍祥著『経脉理論還原与重構大綱』第15章 経別——原型と影

第2節 術語と定義
 これまでずっと、「経別」という語についての理解は学術界で大きな相違があり、対応する英文翻訳も一致していない。問題の鍵は、経別篇テキストを正確に理解できないところにある。したがって「経別」概念には正確で明確な定義が欠けている。
 1.「正」と「別」
 『霊枢』経別に述べられている経脈の「正」は、経脈篇の経脈循行と同じであるので、「正」とはすなわち「正経」(あるいは「本経」)であることがわかる。経別篇に述べられている「別」は、陽経が本経から別れて、相表裏する陰経に合し、内に入って行き、腑に属する分枝のことを指している。ここには特に注意すべき点が二つある。第一に、経別篇が述べる経脈の「正」の文には、経脈篇で対応する経脈循行と完全には一致していないものもあるが、これは経別篇の定稿年代が経脈篇の定稿年代よりあきらかに早いためである。第二に、経別篇が述べる「別」は、経脈篇で対応する経脈循行の描写に欠けることなく見られる。以上の理解にもとづけば、経別篇にある十二脈の「正」は「脈」か「経」に完全に取り替えることができる。当然のことではあるが、このように交換したあとの、経別篇と経脈篇に述べられている十二経脈の関係は一目瞭然である。しかし、二つの篇に述べられている脈の方向は異なり、そのうえ経脈篇の作者は両篇の経文中の方向が異なる対応する文字について相応の調整をおこなうことができず、経別篇の脈を「植え込んだ」、はっきりとしたまとまった標識をとどめたので、後代の人や現代人はずっとこの両篇の相互間の関係を知らなかった。まさに経脈篇の作者のこの手抜かりが原因で、後世の経別篇に注をつけた者は、この二つの底本にある単純明解な術語「正」と「別」に多くの理解しがたい解説を書き表わした。
 2.「経別」と「正別」
 「経別」という語は、唐代の楊上善『黄帝内経太素』巻九・経脈正別は「経脈之別」とも「正経之別」とも解している。彼の注した『黄帝内経明堂』は「別なる者、正別の別有り、即ち経別なり。別に走る者有り、即ち十五絡なり。諸脈は此れに類するなり」という。1957年の江蘇新医学院編『針灸学』は「別行の正経」と解しているが、意味は同じである。このように「経別」と「正別」は同義語と見るべきである。ただし理解の上ではやや異なるところがあり、「経別」という語は一般に「経の別」とのみ理解され、「正別」は「正経の別」と理解できるので、さらに「正」と「別」とに理解できる。もし「経別」を「経脈の別れ」の略称と理解するとすると、経脈篇に述べられている経脈循行の支絡脈「其支者」と十五絡脈、さらには陰蹻脈(足少陰の別)、陽蹻脈(足太陽の別)などでさえ、みな「経別」と呼べるようになってしまう。実際、古い『黄帝内経』の注釈者はたしかにこの意味で「経別」という語を使用している。たとえば、明代の馬蒔は、「正なる者は、正経なり。宜しく経脈篇の其の直行なる者と相合すべし。別なる者は、絡なり。宜しく経脈篇の其の支なる者、其の別なる者と相合すべし」という。清代の張志聡は、あらゆる絡脈(十五絡脈・五蔵六腑の大絡・『素問』繆刺論の諸絡など)をみな「経別」といい、十二経脈の絡は、直接「十二経別」といっている。
 『内経』にある異なる経脈分枝を区別するために、王冰は経脈篇の「其支者」を「絡」といい、十二経脈の絡を「別絡」といい、経別篇の脈を「正別」という。たとえば、『素問』繆刺論の「故に絡病は、其の痛み、経脈と繆する処、故に命(なづ)けて繆刺と曰う」に、「絡は、正経の傍支を謂う。正別に非ざるなり。亦た公孫・飛揚等の別絡を兼ぬるなり」と注している。このような区別はぴったりではないが、経別篇の脈を「正別」という点では、楊上善の処理法をまったく同じであり、伝世本経別篇にあたる楊上善『黄帝内経太素』では、「経脈正別」という篇名となっている。しかしながら、この術語は具体的な脈の名前をあらわすときに用いると(楊上善と王冰がいう「手太陰正別」「手陽明正別」など)、やはり明らかな欠陥がある(詳細は下文)。『霊枢』の経文では、同様の概念を述べるときは、単に「正」か「別」というのみで、「正別」と連ねてはいわない。
 これからわかるように、「経別」あるいは「正別」は篇名として用いる場合は問題ないし、経別篇の脈の総称としても通用するが、具体的な脈の名前として用いることはできない。たとえばわれわれは「手太陰経別」あるいは「手太陰正別」ということはできない(一つには経脈篇の手太陰経脈そのものの「支絡」脈と「手太陰之別」と区別するすべがない。二つには、さらに重要なことは、経別篇の六陰経には「正」があるのみで、「別」はない)。術語の一義性と科学性、および英文翻訳の便を総合的に考慮すれば、「手陽明腑絡」「足陽明腑絡」などのように、経別篇の具体的な脈名には「陽経腑絡」を用いるのがよい。このようにすれば、『内経』のその他の絡脈と区別できるし、正確な定義と英文翻訳に便利である。つぎのように問うひともいるかもしれない。なぜ別に「陰経臓絡」を立てて、経別篇の六本の陰経をいわないのか、と。なぜなら陽経は「経別」という特殊な通道を借りなければ腑に入り絡すことができないが、陰経は自前の主幹となる道と相応ずる五臓との連係があり、道を借りなくとも行けるのである。楊上善や朱肱などが十二経脈の循行路線を述べる際、陽経で経別篇の文を引用しているのみで、陰経ではみな引用していないのは、まさにこういう理由である。
 「経別」を「経脈別論」の略称と理解するひともいるが、この説は根拠を欠く。文法上からいえば、「経脈別論」の四字のいかなる一字も省略できないし、このような略称の先例はさがしても見つからない。文献上からいえば、伝世本『素問』には「経脈別論」という篇名がすでにあり、一冊の本の上下巻にまったく同じ篇名があらわれるというのも通らない。

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