2016年9月16日金曜日

経脈別論十九条 つづき

・第六条:扁鵲医学は、経脈理論誕生のゆりかごである。
 扁鵲医学は血脈理論と経脈理論を創造しただけでなく、両者の統一と分裂を直接操作した。経脈学説をはぐくんだだけでなく、その帰結も決定した。
・第七条:「経脈病候」が「経脈の循行」を決定し、本輸の主治が脈の終始を決定した。
 「病候」は、経脈学説理論の原点である。経脈は、遠隔関連部位の病症表現に対する解釈である。
・第八条:経脈辨症の重点は部位にあり、循経取穴〔経に循った取穴〕はおもに本輸を取る。
 経脈循行線の意義は、その脈の診療に関連する各点――節目となる点をつないだもので、経脈辨症を指導するこれらの節目となる点にあるのであって、循行線にあるのではない。
 現代人の「循経取穴」についての誤解は、「寧(むし)ろ其の穴を失うとも、其の経を失うことなかれ」という古訓の曲解をもたらし、認識上のきわめて大きな混乱を引き起こした。十二経脈には一経一穴の段階があった。この段階では、いわゆる「循経取穴」は該当する経脈にある唯一の穴を取ることである。補足すれば、十五絡脈・陰蹻脈・陽蹻脈は、ずっと一穴しかない段階にとどまっている。その穴を失えば、一切を失うことになる。穴を失ってよいのだろうか?
・第九条:「標本」は十一脈の母胎であり、「根結」は経脈連環の基盤である。
 「根結」は表面上、「標本」の部位と同じか近いところにあるが、実は本質的なちがいがある。両者が述べているのは同じ問題ではない。まず文字が意味するところが示しているのは、「本」には「根」が含まれるが、「根」は「本」を統括できない。つぎに、「標本」は、診法に用いられ、その部位が診病部位である。三番目に、「標本」には一定の範囲があり、ひろがる動的過程があるが、「根結」は多く限局的、固定的な位置があり、特に「根」は一つの限局点である。四番目に、もっとも根本的な区別は、「標本」概念は経脈理論・経脈の穴・診断・治療というそれぞれの部分に滲透しているが、「根結」概念は実践的な直接指導作用を示していない。
・第十条:「診-療一体〔診断即治療〕」は、人体各部の関係を研究する一石三鳥である。
 「診-療一体」観念の確立、病が見られるところがすなわち診察箇所で、そこを取って治療する。この病候の診療で表現される人体遠隔部位の縦方向の関連についての解釈が経脈であり、「本」の脈処から出発し、病症の診療が向かうもっとも遠い端の部位に向かってすすむ。これが「経脈学説」の懐妊から分娩までの全課程を凝縮した再現である。
・第十一条:「陰陽法則」は経脈循行の描写の規範化を促進したが、経脈理論を硬直化させもした。
 「三陰三陽分部」の出現は、三陰三陽の脈を明確な脈の道に区分した。それによって経脈循行をえがくための規範化によりどころを提供した。
 経脈の走行分布の決定は、「陰陽の法則」に従うべきではなく、脈口診病部位が及ぶところと本輸主治が及ぶところに従うべきである。
・第十二条:「経脈連環」が成立すると、「経脈の木」が倒れた。
 『霊枢』経脈が構築した「経脈連環」は、実際的には経脈理論の十二脈を借りて、血脈理論の周って復た始まる「循環説」をなしとげたものである。経脈理論が構築されるなかで、「木」型モデルは、重要なはたらきを啓発し生み出した。人体を樹木に類比させ、とりわけ標本と終始の概念を重視し、四肢末端を本とし根として、頭面体幹を標とし結とした。「経脈連環」が形成されると、いわゆる「標本」と「終始」はなくなり、十二経脈の独立性も消失した。十二脈は一脈となり、そこでは十二経遍診法や三部九候はあきらかに余分なものとなり、これにかわったのが「人迎寸口脈診」であり、最終的には「独り寸口を取る」脈法へと向かった。
・第十三条:「十五絡」は、ある種の早期バージョンである経脈学説を改編したものである。
 もし十五絡を経脈の別絡と理解すれば、経脈と異なる病候を診療できるのか?もし病候の診療が同じであるというのであれば、この十五本の絡脈をその所属する経脈から分離して、別に一説とするどんな必要性があるのか?
 最新の研究結果によれば、十五絡のうち、手足三陰三陽の絡は、実際は古い経脈学説のバージョンに手を加えたものである。
・第十四条:「経別」は「理論の継ぎ目貼り」として経脈の中に組み込まれた。
 「経別」の本来の意義は、「合で内府を治す」である。つまり、六腑の合輸で六腑の病を治療した経験が理論の支えとなった。『霊枢』邪気蔵府病形にいう「此れ陽脈の別、内に入り、府に属する者なり」のごとくである。
・第十五条:変化に富む衝脈は、血脈理論の第一次革命の記録である。
 衝脈がこのように〔複数の異名があること、少陰脈・陽明脈・任脈・督脈との間に分かち難い関係があること、「衝脈」の名の下に異なる概念内容と多くの属性・機能があること〕独自性が目立つのは、古代人がこれを借用して、漢代に生じた気血理論の革命の成果――原気説にもとづいて再構築した血脈理論を保存しているからである。
 「衝脈」概念が形成された過程をさかのぼることによって、衝脈の機能として重なり合っているものすべてが新たに発見された機能ではなく、既存の脈と臓腑の機能を、少しずつ「衝脈」の中に移したことがわかる。全過程の起点は、堅実な「経験」の上に立脚しており、少しずつ演繹していく過程で、意識してかあるいは無意識に「経験」の境界を越えた。これは実際、古典中医鍼灸理論が共有する特性――理論は経験の上に生長するが、その発展は経験の束縛を受けない――でもある。
 「衝脈」がどれほど多種多様であったとしても、その本態はかならず確認しなければないが、その本態は「伏膂の脈」であり、その特徴は、「之を揣せば、手に応じて動く」である。
・第十六条:「気府論」は、腧穴分部の産物である。
 『素問』気府論の腧穴は、三陰三陽によって分類されており、経脈によっては分類されておらず、『素問』離合真邪論と合わせて読んでみて、はじめて理解できる。
 唐代の王冰は『素問』に注をほどこしたが、この点を認識できなかったので、この篇を理解するすべがなかった。そこで経脈学説を準則として、『黄帝明堂経』の腧穴の「脈気発する所」を参照して、気府論に対して大胆な改編をおこなった。その中で後世の鍼灸学にもたらされた重大な影響は四つある。第一、足太陽脈の背兪穴が増えた。第二、陰経の五輸穴を削除した。第三、足陽明の脈気発する所の穴を削り改めた。第四、衝脈の脈気発する所の穴を加えた。
・第十七条:経脈篇がはなはだしく混乱している根源は、編者によるあってはならない三つの見落としのせいである。
 第一、六本の脈の循行方向を改変したのに、この六脈にあった循行方向を示す文字に相応の調整をおこなうことを忘れ、経脈循行方向の衝突をおこした。
 第二、経別の文を取り入れたときに、「其別者」という標識となる文字を添えることをいつも忘れて、二つの性質の異なる文章が混在し、理論の無矛盾性をおおいに下げた。
 第三、「経脈循環」を構築するために編者が新たに加えた11本の分枝は、原テキストにあった経脈分枝の意味とまったく異なる。それなのに、いかなる説明や注釈もないので、後世の人の意味も実りもない論争を引き起こした。
・第十八条:経脈理論の価値は、「経脈線」にあるのではなく、線上の関連点にある。
・第十九条:経脈の本質、鍼刺鎮痛、鍼灸作用メカニズムの研究、これらは実のところ一つのものが三つに分かれているにすぎない。 

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