2023年4月8日土曜日

  天回漢墓医簡中の刺法 00

 『中国針灸』2018.10.01

顧漫,周琦,柳長華(中国中医科学院中国医史文献研究所)


  【要旨】四川省成都天回鎮の漢墓から出土した医簡のうち,整理者が「㓨(刺)数」と命名した部分は鍼刺治療法に関する専論であり,中国医学鍼灸の伝承発展を研究する上で非常に貴重な新史料である。本論は出土文献と伝世文献および出土文物の相互確認の方法を用いて,そこに保存されている前漢初期の鍼刺古法について散逸した史料の収集探求をおこなった。これにより,論中の述べられている「脈刺」「分刺」「刺水」という異なる刺法操作の要領およびその使用する鍼具の形状は,『霊枢』の記載や考古学で発見された「九鍼」とたがいに裏付けられた。論中の多くの初期の鍼処方は,『史記』倉公伝や『素問』繆刺論などの篇および漢代の画像石「扁鵲行鍼図」に見える鍼刺方法を反映している。鍼刺と脈診との密接な結びつきは,古代における経脈医学の「通天」思想をあらわしている。


  【キーワード】㓨数;天回医簡;刺法;脈刺;分刺;『史記』扁鵲倉公列伝:『素問』繆刺論;『霊枢』官鍼


『漢書』藝文志[1]醫經の小序:「醫經者,原人血脈經落(絡)骨髓陰陽表裏,以起百病之本,死生之分。而用度箴(鍼)石湯火所施,調百藥齊和之所宜〔醫經なる者は,人の血脈・經落(絡)・骨髓・陰陽・表裏を原(たず)ね,以て百病の本,死生の分を起こす。而して用(も)って箴(鍼)石湯火の施す所を度(はか)り,百藥齊和の宜しき所を調う〕」。

 近代〔歴史学的にはアヘン戦争から五四運動までの時期〕成都の名医,張驥先生は「箴石湯火所施」を解釈して,「余按箴、石、湯、火是四法〔余(われ)按ずるに箴・石・湯・火は是れ四法〕」といい,あわせて『素問』『霊枢』諸書を引用して,箴は九鍼,石は砭石を指すと指摘する。「是鍼以取其經穴,淺深出內,補瀉迎隨,各有法度;石以刺其絡脈,去出其血,癰瘍多用之。後世瓷鋒刺血,即砭石之意〔是れ鍼は以て其の經穴を取り,淺深出內(=納),補瀉迎隨,各々法度有り。石は以て其の絡脈を刺し,去って其の血を出だし,癰瘍多く之を用ゆ。後世の瓷鋒(陶器片)刺血は,即ち砭石の意〕」。湯は蕩滌〔洗い流す〕を,火は蒸熨を指す,「是湯以蕩之,火以灸之也。故曰箴、石、湯、火是四法〔是れ湯は以て之を蕩(あら)い,火は以て之を灸するなり。故に曰わく,箴・石・湯・火は是れ四法,と〕」[2]という。四川省成都天回鎮漢墓出土医簡M 3:121(以下「天回医簡」と略称する)には,石・犮・灸・㓨(刺)・傅(敷)・尉(熨)・湯・醪・丸などの多種の治療方法に関連する名詞が見え,前賢の「箴・石・湯・火は四法である」というのには先見の明があることが十分に証明された。本論は天回医簡中の鍼刺方法に関する内容を討論し,その他の治療方法については稿を改めて述べる。

 天回医簡の簡六部分は,全部で48本の簡があり、そのうち25本は完全で,簡の長さの平均は30.2cm,秦漢尺の1尺3寸にほぼ合致する。3本の縄によって編まれ,簡の背部には刻みが入っている。この簡の字体はすでに隷定後の隷書に属し,字形は平たく長く,波磔がはっきり見られ,漢代前漢中期以降の碑刻の隷書とほとんど変わらない。本篇には題名は見えないが,整理者は簡の内容にある「㓨(刺)數,必見病者狀,切視病所」(簡670)に基づき,『㓨(刺)数』と命名した[3]。

 『霊枢』邪客:「黃帝問於岐伯曰:余願聞持針之數,內針之理,縱舍之意」[4]113。

 『素問』湯液醪醴論:「今良工皆得其法,守其數」[5]33。

 『素問』疏五過論:「聖人之術,為萬民式,論裁志意,必有法則,循經守數,按循醫事,為萬民副」,「守數據治,無失俞理,能行此術,終身不殆」[5]195-96。

 以上の『内経』の文例では,「数」は常に「法」「理」と互文〔同義語の重複を避ける修辞法〕である。李伯聡氏[6]はすでにこの現象を指摘し,「ここから分かるように,いわゆる〈守数〉は〈得法〉(法則を掌握する)の意味であると互いにあきらかにしている」と論断した。また『太素』巻二十三・量繆刺の「凡刺之數」の一節の楊上善注には「數,法也」[7]381とあり,特に「㓨数」とは「刺法」の意味であることの証明とすることができる。

 本篇は内容と体例によって,総論と各論の二つに分けることができる。総論は刺法の原則を論述し,全部で6本あり,文は連続して書かれている。各論では,40種類以上の病症の具体的な鍼刺治療法を記載し,全部で42本あり,1本の簡にはそれぞれ一つの病症の刺法しか記されていない。ここでは本篇の記載に基づき,前漢の初期鍼刺治療法のいくつかの特徴を探求することをこころみる。以下に分けて論述する。


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