2023年4月11日火曜日

天回漢墓医簡中の刺法 03

 3 鍼刺時の診法の運用を論ずる


【切】病所在,【脈】熱,勭(動)不與它【脈】 等,【其應】手也疾,【盛則】勭(動),其應手疾,其虛則徐。病不已,間日覆之;病(652)已,止。所胃(謂)分㓨〓(刺,刺)分肉間也。(669)


 【切】字は,実際は「扌」と「七」にしたがう字形であり,現在の「切診」の「切」字である。『霊枢』刺節真邪に「用鍼者,必先察其經絡之實虛,切而循之,按而彈之,視其應動者,乃後取之而下之」[4]122とあり,『素問』挙痛論に「黃帝曰:捫而可得奈何?岐伯曰:視其主病之脈,堅而血及陷下者,皆可捫而得也」[5]80とあるのが,この「切病所在」の法である。

 張家山『脈書』簡63~64に「它脈盈,此獨虛,則主病。它脈滑,此獨{氵𧗿}(澀),則主病。它脈靜,此獨勭(動),則主病。夫脈固有勭(動)者,骭之少陰,臂之巨陰、少陰,是主勭(動),疾則病。此所以論有過之脈殹"」 [21]とある。按ずるに,『㓨(刺)数』篇にある診脈法は,『脈書』と同じく「比較診脈法」である。趙京生[15]74-75がまとめたものにもとづけば,この方法は経脈の体表搏動点を診察部位とし,脈動が他の経脈と異なることをもって経脈の病変を診察する基準とし,診察時に人体の多くの経脈とその脈動点をまんべんなく診察する必要がある。『内経』にある「三部九候脈法」と「人迎寸口脈法」はいずれもこの診脈法を継承したものである。

 『霊枢』経脈は,この診脈法をさらに発展させている。「脈之卒然動者,皆邪氣居之,留于本末。不動則熱,不堅則陷且空,不與眾同,是以知其何脈之動也」[4]36。その「邪氣居之,留于本末」とは,この竹簡にいう「病所在」である。「不動則熱」は,この簡の「脈靜,此獨動」に対応し,「不動則熱」はこの簡の「脈熱……盛則動」に対応し,「不堅則陷且空」は「其虛則徐」に対応していている。すなわち脈の虚実である。「不與眾同」は「動不與它脈等」に対応している。すなわちいわゆる「有過之脈」である。たがいに裏付ける関係にあって,同一の源から出ているにちがいない。


㓨(刺)數,必見病者狀,切視病所,乃可【循察】。病多相類而非,其名眾,審察診病而〓6〔艸+咸〕(鍼)之,病可俞(愈)也;不審(667)其診,〓6〔艸+咸〕(鍼)之不可俞(愈)。治貴賤各有理。(670)


 按ずるに,この竹簡の文章は,『素問』繆刺論にある「凡刺之數,必(「必」字は『太素』により補う)先視其經脈,切而順之,審其虛實而調之」[5]127を参照すると,鍼刺治療はまず患者を詳細に診察し,病気の所在を知り,病名を明らかにする必要があり,そうしてはじめて鍼をして病を回復するができることを強調している。「切視病所,乃可循察」は,「視其經脈,切而順之」と対応し,竹簡にいう「病所」は『素問』では「經脈」と明示されている。「循察」の二字ははっきりとは判読できないが,残筆と証拠資料から釈読したもので,「順察」の意味である。「病多相類而非,其名眾」は,『史記』倉公伝に記載された皇帝に対して述べた「病名多相類,不可知,故古聖人為之脈法」[20] 2813とたがいに裏付ける関係にある。「審察診病而鍼之」とは,「審其虛實而調之」である。「治貴賤各有理」については,『霊枢』根結の「刺布衣者,深以留之;刺大人者,微以徐之」[4]19,『霊枢』寿夭剛柔の「刺布衣者,以火焠之;刺大人者,以藥熨之」[4]21が,その実例にあたる。


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