2023年4月14日金曜日

天回漢墓医簡中の刺法 06

 6 結び

 総合的に考察すると,『史記』倉公伝や『素問』繆刺論などの篇に掲載されている灸刺の方法は『㓨(刺)数』にかなり近い。その腧穴理論はまだ形成されておらず,固定された位置と名称のある穴はまだ現れていない。倉公が故(もと)の濟北王の阿母の熱蹶を治療して,「其の足心各三所を刺し」,本篇では「女子腹中如捲,兩胻蹷陰、足大指讚(攢)毛上各五」(632)を治療しているように,当時はまだ涌泉・大敦などの穴名はなかったのだから,「腧穴帰経」などの理論構築などがなかったことは言うまでもないことがわかる。したがってその鍼刺の部位は,今日われわれがよく理解している「腧穴」ではなく,主なものは「血脈」と「分肉」であり,両者はまたそれぞれ「脈刺」と「分刺」の法に対応している。脈刺の部位は,みな診察して脈に異常があるところ(すなわち「切病所在」「診有過之脈」)に取る。同時にそこは経脈が体表から出て,脈息を診察しやすい部位,すなわち「脈口」であり,「気口」とも呼ばれる。天回医簡に反映されている「経脈医学」の核心理論は「通天」であり,同時に出土した『脈書』上経と照らし合わせてみると,脈刺を施術する脈口部位は,まさにいわゆる「十二節通天」の場所である。「脈刺」と「分刺」の法を深く読み込むことによって,天回の経脈人に刻まれた丸い点や文字を解明するための新しい考え方と視野が提供されるだろう。本篇に保存されていた古い刺法は,まさに『霊枢』官鍼などの篇に記されているものと相互に裏付けとすることができるが,その法は長い間埋没して伝わっていなかった。この文献が出土したことによって,われわれは二千年前の先賢を直にたどることができるようになった。これは非常に貴重なことである。中国の学問の伝承は,しばしば薪を積み重ねることにたとえられるが,その結果として出てくるものは,決して前からあるものに取って代わることはできない。これはまさに中国の学問の特質である。


 (謝辞:簡662と簡667中の「切」字は,『文物』誌に発表した際は「扑(拊)」と釈字していたが,復旦大学の陳剣教授の指摘を受けて改めた。また簡667中の「循」字もまた陳剣教授の釈字による。簡667中の「審」字は「害(会)」と釈字していたが,中国社会科学院歴史研究所の鄔文玲研究員の指摘を受けて改めた。特に感謝の意を表す。)


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