2024年9月21日土曜日

  『医学綱目』の版本について 03

   (三)清抄本

  図5-4 浙江図書館所蔵清初抄本


 浙江図書館には清初の抄本が所蔵されている。

     https://opac.zjlib.cn/opac/book/3291975?index=4&globalSearchWay=&base=q%3D%25E5%258C%25BB%25E5%25AD%25A6%25E7%25BA%25B2%25E7%259B%25AE%26searchType%3Dstandard%26isFacet%3Dfalse%26view%3Dstandard%26ro%3D10%26sortWay%3Dscore%26sortOrder%3Ddesc%26searchWay0%3Dmarc%26logical0%3DAND%26rows%3D1&isCluster=false&searchKeyword=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E7%BA%B2%E7%9B%AE

    醫學綱目:三十九卷,首一卷 (明)樓英撰 24册, 清(1644-1911)抄本,没有标签。


   この清初の抄本は,清代の諱をいずれも避けていない。浙江図書館は書写の様式・料紙・字体などから清初の抄本と鑑定している。

 全24冊,39巻,半葉11行,毎行22字,四周単辺,黒口,単黒魚尾で,眉批がある。匡郭の高さ22.2cm,幅14.6cm。銭塘東荘〔いま浙江省杭州市銭塘区臨江街道にある村名〕陳𪓌の書識・目録,本文巻一から巻三十九末の「小児部五硬五軟」まであるが,補遺方と運気部は見当たらない。


  図5-5 浙江省中医薬研究院図書館所蔵清抄本(残)


 浙江省中医薬研究院は清抄本として著録する。巻十五,1冊を存す。半葉の行数は13行,毎行の字数は25字,巻十五の首葉には,四明・曹炳章〔1878~1956。浙江省鄞県のひと。『中国医学大成』の編者〕の蔵書印がある。


  (四)曹灼刻本と建陽刻本の比較挙例

  図5-6 明曹灼刻本:其病有二……其二屬濕

  図5-7 明建陽刻本:其病有二……其二屬温

  図5-8 明・曹灼刻本:「陳無擇治卒喉痹」は第34葉の第6列に,「丹溪治喉痹」は第36葉の第11列にある。

  図5-9 明・建陽刻本:「丹溪治喉痹」は「陳無擇治卒喉痹」の後にあり,曹灼刻本と比較すると2葉の内容を欠く。


  『医学綱目』の版本について 02

   (二)明・嘉靖建陽刻本

 上海図書館の古籍聯合目録および循証平台*によれば,『医学綱目』には「明刻本四十巻,附一巻,目録四巻」があり,中国医学科学院図書館・成都中医薬大学図書館・寧波天一閣博物館・吉林省図書館・広州中医薬大学図書館などの機関に所蔵されている。

    *古籍联合目录及循证平台:中文古籍聯合目錄及循證平臺(Chinese Ancient Books Union Catalogue and Evidence-based Platform)是上海圖書館數字〔デジタル〕人文平臺的一個試驗型項目,目前收錄有1400餘家機構的古籍館藏目錄,其中上海圖書館的古籍館藏、加州柏克萊大學〔カリフォルニア大学バークレー校〕東亞圖書館的中文善本館藏、哈佛〔ハーバード大学〕燕京圖書館的中文善本館藏、澳門〔マカオ〕大學圖書館的中文古籍館藏可在線訪問部分掃描〔スキャン〕影像全文。除此之外,還融合了一些在歷史上有一定影響的官修目錄、史誌目錄、藏書樓目錄、私家目錄和版本目錄等,輔之以人名、地名、印章、避諱字、刻工等額外規範數據,並將結合即將開發完成的內容分析統計、時空及社會關係分析和可視化工具。該項目旨在藉由分佈式雲平臺技術〔分散クラウドプラットフォーム技術〕和關聯語義技術〔連想セマンティック技術〕,實現各館現存古籍珍藏的聯合查詢、規範控制,並提供學者循證版本、考鏡流藏之功用,未來希望更多的圖書館攜手加入,以嘉惠學林、澤被後人。 https://gj.library.sh.cn/index


 2021年に中国中医科学院の黄龍祥教授は「明刊45巻本『医学綱目』の版本とその文献的価値」〔「明刊四十五卷本《医学纲目》的版本及文献价值」,『中華医史雑誌』,2021年5月第51巻第3期〕を発表した。その論文で,この明刻本は明・嘉靖建陽刻本で,曹灼刻本に引けを取らない価値があると鑑定し,学界で大いに注目される重要な版本となった。

 曹灼刻本と比較すると,曹灼刻本にある補遺方・五運六気総論・運気占候補遺序・運気占候補遺十五篇および書末の跋が,建陽刻本にはない。反対に建陽刻本の主体となる章,五運の常・五運の変・六気の常・六気の変の諸篇は,曹灼刻本にはみな見られない。


  図5-2 中国医学科学院図書館蔵明嘉靖建陽刻本

  図5-3 寧波市天一閣博物館蔵明嘉靖建陽刻本


 2021年10月に浙江省中医薬研究院中医文献信息〔=情報〕研究所と楼英の故郷,浙江省杭州市蕭山区楼塔鎮人民政府が共同して奮闘し,黄龍祥教授から無償の学術支援を受けて,学苑出版社から『医学綱目』の明・建陽刻本を影印出版*した。

 *http://www.book001.com/News/Detail?id=511


 それに続いて浙江省中医薬研究院中医文献信息研究所も,国家中医薬管理局の『中華医蔵』編纂プロジェクトの一環として『医学綱目』提要の執筆と影印出版を担当し,杭州図書館所蔵の明・嘉靖四十四年曹灼刻本を〔底本として〕選択して影印出版した。

 これによって,より多くの学者が異なる版本を目にする機会が与えられ,全面的で深く持続的な研究をおこなうことができる。

 以下は『医学綱目』の明・建陽刻本の紹介である。


 1 建陽刻本の版本学的価値。

 明・建陽刻本は,本文41巻,目録4巻。前の39巻は曹灼本と同じく上下双欄で,上欄に批注,下欄に本文が刻される。匡郭の高さ20.8 cm,幅30 cm,半葉12行,毎行26字,四周単辺,白口,単黒魚尾で,天頭に字が刻まれているところもある。版心の下方に刻工の名がある。刻工には「余長清・鄒・余賜・波・詹一・詹四・葉一・陸仲周・朱四・周一本・詹嬭員・余唐八・六一・陸七・余双・張八・余朝・劉五・渓・朱・林四・賜一」があり,「小倉侍医王上準庵図書之記*」などが鈐印がある。

    *東京国立博物館所蔵の多紀元簡『金匱玉函要略輯義』には,「小倉侍医山上準庵図書之記」の朱印があるという。これによれば,「王」は「山」字の誤読であろう。豊前小倉藩の侍医であった山上準庵の旧蔵書であろう。

    https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/QB-7174?locale=ja


 曹灼本40巻,匡郭の高さ19 cm,幅30 cm,半葉13行,毎行22字,左右双辺,単白魚尾。版心下の表(おもて)面には書写した銭世傑・顧檈などの名があり,裏面にはそれを彫刻した柯仁意・夏文徳・袁宏などの名がある。「赤龍館図書記*」「弘前医官渋江氏蔵書記」「森氏」などの鈐印がある。

     *赤龍館:国文学研究資料館館蔵和古書目録データベースによれば,国文研所蔵の『詠茶詩録』に「赤竜館」という蔵書印があるという。/弘前医官渋江氏=渋江抽斎。森氏≒森立之。


 明・建陽刻本が基づいた別本は,曹灼刻本とは文と版式に大きな相違がある。版心には刻工の姓名がある。『中国古籍版刻辞典』『古籍刻工名録』などには,詹嬭員・詹三・劉五などは明代の嘉靖年間,余賜は明代の隆慶年間,余長清・陸仲周・余唐八・葉一・周一本・余双などは明代の万暦年間の刻工として載せられている。高い版本学としての価値があり,学者がさらに研究するための参考とすることができる。


 明・建陽刻本の校正と刊刻は,いずれも曹灼本の綿密さには及ばないし,錯葉〔乱丁〕もある。たとえば中国医学科学院図書館と成都中医薬大学図書館の蔵版は,いずれも第五冊の巻之八の第15・16葉は,第十九冊の巻之三十七の第25・26葉とまったく同じであり,上下の文脈を比べれば,巻八に錯葉があるはずである。

 曹灼本が40巻であるのとは異なり,明・建陽刻本は,本文41巻と目録4巻である。

 明・建陽刻本には目録と本文に齟齬がある。目録〔に記載されているの〕は40巻である。その巻四十は運気部であるが,目録に「運氣部別見運氣類注〔運氣部は別に運氣類注に見ゆ〕」との注記がある。本文は41巻である。しかし本文巻四十の巻頭にある大題は「内経運気類注巻之四十」で,本文巻四十一の巻頭にある大題,「内経運気類注巻之四十一」と同じである。他の39巻はこれと異なり,「医学綱目巻之一」から「医学綱目巻之三十九」である。巻三十九巻の巻頭にある大題と巻三十九巻の末尾にある大題は異なっていて,内容に脱漏があることを疑わせる。

 しかしながら,明・建陽刻本は明代以前の文献を大量に保存しており,重要な文献学的価値がある。


 3 建陽刻本の4巻目録の価値

 明・建陽刻本は総綱*のほかに,4巻の目録**〔目次〕がある。これは楼英の原書の基本構成を鑑定し,全書の構造を確定する最も重要な根拠であり,『医学綱目』を読解を保証するものである。全書本文の上欄にある文字もすべてこの4巻目録から出ており,楼英の批注だけでなく,さらに本書の類目もある。この4巻目録があるからこそ,目録と本文はまた本校***の役割も果たしている。

    *医学総綱 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 4/98 

    **医学目録 https://www.digital.archives.go.jp/img/4421866 14/98 

    ***本校:校勘の方法の一つ。その書の内部で前後の内容を比較し,異同を見つけて,誤りを知る。陳垣『校勘学釈例』を参照。

    

 たとえば,「大法」「雑方」「運気」「鍼灸上」「鍼灸下」「診」などと多くの小見出しは,これらの類目とタイトルの連結を失うと,『医学綱目』はばらばらの砂のようになってしまう。したがって,この4巻の目録がなければ,『医学綱目』の構造と内容を真に理解することは難しい。


 4 建陽刻本における楼英の医学思想の価値

 明・建陽刻本は楼英本人の学術主張と診療思想をより正しく反映している。明・嘉靖四十四年(1565)に曹灼は友人の邵偉元・劉化卿と分担して校讐し,眉批の一部を削除し,誤りを正し,欠けているところを補い,おおやけに刊行した。

 巻一の「朱丹渓相火論」を例にとると,明・建陽刻本には,楼英による多くの批注がある。たとえば,「相火,人之日用燃焚火屬君火,天之龍雷海火屬相火,相火在天,出於龍雷海在人,具於下焦肝腎二部」,「相火皆本於地中陰氣」,「相火無時妄動,則受煎熬而為病,死之漸」,「相火聽命道心而主靜,則陰得養育而為生生之運」などがある。

 これらの文は,曹灼刻本ではいずれも削除されたが,明・建陽刻本ではみな保存されている。このような例はいたるところに見られるので,明・建陽刻本は,我々がさらに研究するに値するものである。


 5 宋元の善本文献を非常の豊富に引用している

 楼氏一族の家学は深く奥行きがあり,専用に排翠楼(後に名を「清燕楼」に改めた)を建て,何代にもわたって収蔵した大量の古籍経典を保存した。とりわけ医学の典籍は,研究・著書・診察・製薬・接客・弟子への伝授に用いられた。

 楼英は三十一歳から排翠楼に隠居をはじめ,収蔵している医書を利用して書物を著わして説を立てた。『医学綱目』は明以前の文献を全部で百種余り引用していて,「内経運気類注」以外の各巻に広く見られる。

 特に隋・唐・五代時代の文献はすでに散佚しているものが多いが,楼氏『医学綱目』はこれらを引用することによってその内容ある程度保存している。また収録した文献が基づいているのは,宋・元代の善本が多いので,金・元の文献を輯校するための宝庫とも言え,極めて高い文献・版本としての価値を有する。

 医学書の校勘にも重要な他校*の資料として用いることができるので,学者のさらなる研究に供することができる。たとえば,黄龍祥教授は『医学綱目』建陽刻本を用いて『鍼灸甲乙経』を校勘した。

    *他校:校勘の方法の一つ。校勘の対象となる書籍以外の書籍と対照して字句の誤りを正すこと。『校勘学釈例』を参照。


 まさに明・建陽本が後世に伝えられたことによって,楼英『医学綱目』が構築した理論がよりよく理解される。『医学綱目』は楼英の最も偉大な作品であり,中国医学理論体系の二度目の系統的再構築を完成し,統一理論体系を基とする鍼方と薬方の知識体系の統合を実現した。本書は,現代的な意義を持つ「中医学」の経典である。

 通行本の多くは曹灼本を底本とするが,明・建陽刻本は曹灼本と明らかに異なる。その貴重な文献と版本学的価値の過小評価には,はなはだしいものがある。とりわけ建陽刻本は『医学綱目』の古態に近いので,楼英の学術思想を復元し研究するための重要な参考価値を持っている。

  『医学綱目』の版本について 01

   (一)明・嘉靖四十四年曹灼刻本


 図5-1 杭州図書館館蔵明嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本


 国家図書館・中国科学院図書館・首都図書館・中国中医科学院図書館・杭州図書館・上海中医薬大学図書館など十以上の図書館が明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本を所蔵している。明・嘉靖四十四年曹灼刻本は,本文が40巻,目次が1巻である。巻頭に嘉靖四十四年の曹灼の序と楼英の自序,7つの序例,目録1巻がある。半葉13行,毎行22字,左右双辺,白口,単魚尾,上下双欄,上欄には批注,下欄に本文が刻されている。匡郭の高さは上欄が1.9 cm,下欄が17.2 cm,幅は14.4 cm。

 杭州図書館所蔵本を例としてあげれば,曹灼序・楼英「医学綱目序」・序例・目録,巻一から巻三十九,末に「補遺方」を付す。巻四十には「五運六気総論」「内経運気類注序」「運気占候補遺序」「運気占候補遺」「跋」が収録されている。

 嘉靖四十四年曹灼刻本『医学綱目』の曹灼序に「友人邵君偉元授予以『醫學綱目』四十卷,曰是書出於蕭山婁全善先生【所輯】〔友人邵君偉元,予に授くるに『醫學綱目』四十卷を以てし,是の書は蕭山の婁(=樓)全善先生【輯(あつ)むる所】に出づと曰う/末尾の【所輯】2字は,曹灼序にしたがい訳者が補った〕」とある。

 *内閣文庫本:https://www.digital.archives.go.jp/img/4108698 4/97コマ目

 *龍谷大学本:https://da.library.ryukoku.ac.jp/view/980013/1 3/69コマ目


 曹灼の曹氏一族は沙渓鎮〔いま広東省中山市〕の名門名家であり,祖父の曹昶は東楼公と呼ばれ,松陽県の訓導を務め,父の曹献は明・正徳年間に例貢,南京兵馬指揮を務め,三城を歴て,文林郎の階にのぼった。

 曹灼は,明・嘉靖十年に礼経で京兆に魁〔第一位〕となり,明・嘉靖三十二年〔1553〕に進士,江西撫州の推官を務め,刑部郎に抜擢された。在任中,非常に政治的信望が高く,深く民に愛され,史書には,「律令精熟,政事諳練,鋤豪摘奸,平反冤訟,當官舉決,不避權勢〔律令に精熟し,政事に諳練(熟練)し,豪を鋤(のぞ)き奸を摘み,冤訟を平反し(誤審を覆して冤罪を晴らし),官に當たって舉決し,權勢を避けず〕」と記載されている。清廉潔白で,後世の敬服するところとなった。邵弁(邵偉元)とともに楼英の『医学綱目』40巻,『運気占候遺方』1巻,『補遺方』1巻を合刻して刊行した。隆慶年間〔1567~1572〕に李杲の『古本東垣十書』12種22巻,南宋・張杲の『医説』10巻,周恭の『医説続編』18巻を刊行し,自ら『表学軌範』8巻を編んだ。

 邵弁(1511~1598)は,明・嘉靖年間太倉(いま江蘇省太倉)の人,字は偉元,別の字は希周,玄沙と号した。〔著書に〕『詩序解頤』がある。嘉靖年間に曹灼とともに『医学綱目』40巻を合刻印行した。そのため『医学綱目』曹灼刻本の最後には,「玄沙邵偉元甫跋」がある。ここで特に指摘しておくべきことは,運気部の最後に「因讎校樓氏『醫學綱目』書,覽其後有運氣補註一篇,惜其用意甚勤,而尚遺古人占候之法,是以取諸『內經』之旨,列占候十五篇,命曰『運氣占候補遺』以續樓氏之後云〔樓氏が『醫學綱目』の書を讎校するに因って,其の後を覽るに運氣補註の一篇有り,其の用意甚だ勤にして,尚お古人占候の法を遺すを惜しむ,是こを以て諸(これ)を『內經』の旨に取り,占候十五篇を列ねて,命(な)づけて『運氣占候補遺』と曰い,以て樓氏の後に續くと云う〕」とあることである。これは,曹灼本『医学綱目』に付されている『運気占候補遺』は邵弁が作ったもので,楼英の著作ではないことを示している。

 『医学綱目』の曹灼序に「因與偉元暨劉君化卿,分帙校讐,矢志弗措,有不合者,晝繹夜思,若將通之。凡再逾寒暑,而後就梓,訛者正,缺者補,秩然可觀〔因って偉元暨(およ)び劉君化卿と,帙を分かちて校讐す,志を矢(ちか)って措(お)かず,合わざる者有らば,晝(ひる)に繹(たず)ね夜に思い,將に之を通ぜんとするが若(ごと)し。凡そ再び寒暑を逾(こ)え〔二年ほど経過して〕,而る後に梓に就く,訛(あやま)る者は正し,缺(か)くる者は補い,秩然として觀つ可し〕」とあるが,劉君化卿の生涯については不詳である。


 『医学綱目』の版本について 00

     江淩圳・丁立維主編『楼英中医薬文化』〔中国中医薬出版社,2023〕から『医学綱目』の版本紹介の部分〔064~073頁〕を訳出した。訳出するにあたって,改行を増やした。図は省略した。〔〕内は訳注。*は別に訳注をつけた。


 『医学綱目』は脱稿後,当初は刊行されなかった。明の嘉靖四十四年(1565)になって,明の進士曹灼がこの原稿を入手した。『医学綱目』を絶讃して,「簡而知要,繁而有條〔簡にして要を知り,繁にして條有り〕」と褒め称えたが,本書が世に知られていないことを歎いた。「夫不治刑不知造律者之深意,不治病不知著書者之苦心。先生康濟之心甚盛,而幾於無所用者〔夫れ刑を治めざれば律を造る者の深意を知らず,病を治めざれば書を著わす者の苦心を知らず。先生 康濟(民を安らかにし救う)の心甚だ盛んなれども,用いる所の者無きに幾(ちか)し〕」(『医学綱目』曹灼序)。そこで資金を出して上梓し,「此書二百年來,幾晦而復明,幾廢而復舉,寧不有定數存乎!〔此の書二百年來,幾(ほとん)ど晦くして復た明らか,幾ど廢して復た舉(お)こる,寧(いづ)くんぞ定數(天のよって定められた変えることができない運命)有らずして存せんや!〕」という。

 『中国中医古籍総目』の記載によれば,『医学綱目』の現存する版本の主なものは,明・嘉靖四十四年(1565)曹灼刻本(曹灼本と略称する)・明刻本・清初抄本および多種の残欠のある抄本などである。他に1937年の上海世界書局の鉛印本がある。

 『医学綱目』で現在伝存する版本には,二つの大きな版本系統がある。一つは伝世本の明嘉靖四十四年曹灼刻本とそれから派生した本で,残欠がない本は全部で40巻,目録が1巻である。もう一つは,黄龍祥教授が鑑定した明嘉靖万暦年間の建陽刻本とその派生本(建陽本と略称する)であり,残欠がない本は全部で41巻,目録が4巻である。二つの版本には内容に若干の相違点があって,それぞれに優れたところ,特色がある。

 曹灼は,生没年不詳で,字は子明,またの字は用晦で,履斎と号した。明・嘉靖年間の太倉(いま江蘇省太倉)の人,明・嘉靖三十二年の進士。江西撫州の推官に任じられ,刑部郎に抜擢された。

 曹灼本の全書は,陰陽臓腑・肝胆・心小腸・脾胃・肺大腸・腎臓膀胱・傷寒・婦人・小児・運気の十部に排列されている。その中で陰陽臓腑部(九巻〔巻1~巻9〕)は,陰陽・表裏・寒熱・虚実・臓腑・察病・診治および鍼灸・調摂・禁忌などが述べられ,総論を構成している。肝胆部(六巻〔巻10~巻15〕)は,中風・癲癇・痙厥などの病証を論述している。心小腸部(五巻〔巻16~巻20〕)は,心痛・胸痛・煩躁・譫妄などの病証を紹介している。脾胃部(五巻〔巻21~巻25〕)は内傷飲食・諸痰・諸痞積などの病証に分けて述べられている。肺大腸部(二巻〔巻26~巻27〕)は,咳嗽・喘急・善悲などが掲載されている。腎膀胱部(二巻〔巻28~巻29〕)は,耳鳴・耳聾・骨病・歯病などの処方薬による治療が述べられている。傷寒部(四巻〔巻30~巻33〕)は傷寒の六経諸証および陽痿・陰毒などの病因証治を主に紹介している。婦人部(二巻〔巻34~巻35〕)と小児部(二巻〔四巻の誤りか。巻36~巻39〕)はそれぞれ婦人と小児の諸病の証治を論述している。運気部(一巻〔巻40〕)は五運六気の内容を述べることを主とする。

 建陽本は目録が四巻である以外にも,最後の運気部も曹灼本とは異なり,巻四十と巻四十一の2巻に分かれているだけでなく,内容も全く異なっている。

 我々の研究によれば,「運気部」は実は楼英が著わした専門書の一つ,『内経運気類注』4巻に由来するはずで,二つの版本はそれぞれその一部を残している可能性がある。そのため内容が異なる。詳細は,本書〔『楼英中医薬文化』〕の第六章『運気類注』に見える。


2024年8月31日土曜日

相沴 『日本中国〈漢〉文化大事典』から

 

『日本中国〈漢〉文化大事典』の正誤表を見たら,五行の基本配当の図の誤りが載っていた。

https://www.meijishoin.co.jp/files/news/2024/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%88%E6%BC%A2%E3%80%89%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E5%85%B8_%E6%AD%A3%E8%AA%A4%E8%A1%A8.pdf


『日本中国〈漢〉文化大事典』の該当箇所(陰陽五行)を読んでみた。


・今文説と古文説の関係についての説明があった。

・この項目ではじめて言及された医書は,『鍼灸甲乙経』であった。

・運気七篇は王冰が加えたものとする従来の説を踏襲している。

・東洋医学という用語を用いている。陰陽五行を基礎的な理論としているというのだから,中国伝統医学のことであろう。


以下の記述があった。

「五行に分類されたものの間では,相生・相勝(相克)・相沴・相侮等々,相互に影響し合う関係が想定され……」

「相沴」は,初めて見る用語。残念ながら,意味の説明はなかった。

関連する記述は,見落としていなければ,

「相沴は『洪範五行伝』……に確認され,やはり前漢期には成立していた考え方であることが明らかである。」

だけだと思う。

ネットで調べてみると,「五氣相沴」「五行相沴」「隂陽相沴之氣」「五行相沴交會之說」「行不相沴則王者可以制禮矣」などの例が見つかった。


本書で陰陽五行を担当したのは平澤歩先生で,『漢代経学に於ける五行説の変遷』(2022年,汲古書院)の著者。


【目次】

http://www.kyuko.asia/book/b617000.html

内容紹介:漢代における五行説の展開について、研究の蓄積が厚い経学に関係する文献資料に基づいて考察。前漢末に劉向親子によって五行説が劇的に変容したことを解き明かす。


以下が,この本の概要であろう。

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2014/92.html


2024年7月7日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』5

   むすび


 (1)経筋学説の基本概念である「筋」は,筋肉とその付着構造の総称であり,筋肉を包む外膜もこれに含まれる。病理的核心概念である「筋急」は,筋が寒邪に中(あ)たって攣急するところを指す。「筋急」が長い間解けないと硬結となるが,これを「結筋」という。経筋病の治則治法には三つの鍵となる概念がある。「痛むを以て輸と為す」とは筋が急(ひきつ)るところ,最も痛む点を輸とすることを指す。「知るを以て数と為す」とは,鍼尖が最も痛む点に命中して,患者が痛さに耐えられず,医者は局部の筋肉が痙攣するのがわかることを「知る」という。知ることがあれば良い効果があるので,「知るを以て数と為す」という。痛む輸に正確に刺して,患者が痛さに耐えられなくとも強いて刺すのを「劫刺」という。さらに鍼を焼いて熱を加えることを「燔鍼劫刺」という。

 (2)経筋が「結ぼれる」場所は,筋の診どころであり,筋病刺法の常用部位,つまり筋病診療の標的でもある。標的が不明であれば,鍼をほどこしても的のないところに矢を放つようなもので,治療効果は評価しようがない。したがって筋病刺法の長所を活かすには,まず経筋が結ぼれる場所を明らかにしなければならない。

 (3)筋病刺法には,鍼が病所に至る燔鍼劫刺・貫刺法と,筋の外を刺す挑刺法および輸刺法・募刺法・分刺法,その延長線上にある刺法が含まれる。『霊枢』官針に記載されている「恢刺」と「関刺」は名称は異なっていても同じ定番の刺法である。かつまた「関刺」は『太素』に記載されている「開刺」という表記の方が意味としてまさっている。トリガーポイントへのドライニードル貫刺は,筋刺法中の貫刺法を再発見してものにすぎず,筋病刺法全体と比較することはできないし,ましてや鍼刺法全体と同列に論ずることはなおさらできない。

 (4)筋病刺法の浮沈は,経筋学説の盛衰と密接に関連しており,その復興には同様に理論,特に基層理論の革新が頼りである。「挑刺法」「分刺法」「輸刺法」などの筋病刺法の中で筋の外への鍼法の理をはっきり説明するには,できるだけ実験的な方法を用いて,筋と脈,筋肉と筋膜,その他の実質構造と被膜・隔膜との関係を解明し,これを基礎とした上で,「渓」「谷」「結」「節」「兪」「気街」「気穴」などの鍼灸学の基本概念の形態構造と生理学的意義を明らかにし,二千年以上前に『黄帝内経』が提唱した鍼灸学用の人体形態学——人体空間構造解剖学を構築しなければならない。


  参考文献

[1] 巢元方.南京中医学院校释.诸病源候论校释上册[M],北京:人民卫生出版社,1982:665-666.

[2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.

[3] David G, Simons MD, Janet G, et al. 肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册 第一卷 上半身[M].赵冲,田阳春主译.2版,北京:人民军医出版社,2014.

[4] 许任著.崔为,南征主编,针灸经验方:校勘注释[M].长春:吉林科学技术出版社,2015:47.

[5] Hong CZ.Lidocaine injection versus dry needling to myofascial trigger point. The importance of the local twitch response[J]. Am J Phys Med Rehabil,1994,73(4):256-263.

[6] 吴鲁辉.燔针劫刺之我见[J],江苏中医药,2011,43(3):78.

[7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

[8] 丹波康赖撰.高文柱校注,医心方[M]. 北京:华夏出版社,1996:69.

[9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:281.

[10] 徐春甫编集.古今医统大全 上册[M].崔仲平,王耀廷主校.北京:人民卫生出版社,1991:449.

[11] 吴崑.内经素问吴注[M].山东中医学院中医文献研究室点校. 济南:山东科学技术出版社,1984:243.

[12] 彭增福.肌筋膜疼痛综合征激痛点针刺疗法[M].广州:羊城晚报出版社,2019:3-11.

[13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

[14] 党正祥.深针刺在急腹症中的应用及实验研究[J].陕西中医,1988,9(5):237.

[15] 刘琳,黄强民,汤莉.肌筋膜疼痛触发点[J].中国组织工程研究,2014,18(46):7520-7527.

[16] 杨成明,李慧杰,余航,等. 肾交感神经射频消融术治疗高血压适宜消融温度的探讨[C]//第14届中国南方国际心血管病学术会议专刊,2012:143-144.

[17] 黄龙祥. 新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022: 292-299.


2024年7月6日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.3

   4.3 復興と革新 

    

 現代筋膜学説の発展により,中国医学と西洋医学にますます多くの共通の話題がもたされ,それと同時に中・西医学間がぶつかり合う最も直接的な競争点も形作られた。

 今日の中国の鍼灸従事者は,どのようにしたら精華を伝承し,守正創新〔正道を堅持しながらたえず革新〕し,筋病刺法に新たなより強い生命力を賦与し,その理論の学際的で,異文化をまたいだ学術的影響力を最大限に高めることができるだろうか。筆者は次の三つのステップを一歩ずつしっかりと歩む必要があると考えている。


 第一歩:己を知り彼を知り,長所を発揮させて短所を補う


 筋病刺法とドライニードル療法の共通点と相違点を整理した上で,さらに双方の長所と短所を合理的かつ総合的に比較し,みずからの強みと長所を十分に発揮し,足りない所を補う。

 われわれが経筋刺法を復興させ,経筋理論を革新することを提案するのは,それが歴史上にかつて存在したからでも,二千年後に西洋のドライニードル療法との狭間での出会いが中国の鍼灸従事者に感じさせた一種の無形の圧力や理論革新の切迫感のためでもなく,今日でも依然としてかけがえのない応用価値や理論的価値を持っているためであることを明確に認識すべきである。

 それと同時に,今日の中国の鍼灸従事者は以下ような問題を真剣に考えなければならない。中国の鍼灸には数千年にわたって発展してきた歴史があり,系統的な理論とそれと一体となった鍼術がある。西洋のドライニードル療法は中国の鍼灸筋病刺法の「貫刺法」という一点を突破しただけにもかかわらず,わずか数十年の間に広範な影響を生み出し,中国の筋膜痛を研究する専門家,さらには中国の鍼灸従事者に大きな挑戦を感じさせるようになったのは,なぜなのか。

 中国鍼灸の強みは全体を重視して,巨視的な法則を発見するのに長けているところにあるが,弱点は体系的に構築する意識と能力の欠如に現われている。中国の鍼灸従事者は,ドライニードル療法が中国鍼灸の筋病刺法「貫刺法」を再発見再構築した事例から以下のような啓発と教訓を得なければならない。

 その一,概念の正確さと表現の明瞭さ。ドライニードル療法の核心概念である「トリガーポイント」の定義は現在もなお十分には簡単明瞭とはいえないが,研究者は一歩一歩踏み込んで機序の研究を進め,トリガーポイント鍼法を臨床と実験において運用性の高い概念にした。

 その二,実験研究方法の導入および治療効果評価の客観的基準の確立。まずトリガーポイントの位置と運動終板〔motor end-plate〕の関係についての仮説を提出し,実験的手法で検査確認した後,臨床では画像診断などの機器を用いてトリガーポイントの位置を客観的に決定し,正確な刺鍼を実施する。それと同時に,治療効果を評価する客観的な指標として,トリガーポイント・ドライニードル療法が臨床における治療効果と作用機序の研究に効果的に入れられるようにして,確実で公認される証拠を獲得すると同時に,臨床応用への普及も促進しやすいようにする。


 第二歩:法則を発見し,メカニズムを解明する


 このセグメントで解決すべき主な問題は以下の通りである。

 その一,「筋急」「結筋」に対する鍼治療の法則を研究する。どのような状況下では貫刺法を用いて筋肉そのものを直接刺し,どのような状況下では挑刺法や分刺法を採用して筋外の筋膜を刺すほうが,より治療効果がよいか。筋急と結筋が発生する機序は何か。刺法が異なる場合,同じ機序で効果が得られるのか,それとも異なる機序で効果が得られるのか。

 貫刺と挑刺の関係,筋刺と脈刺の関係,局所と全体の関係をしっかり把握してはじめて,臨床をよりよく導き,臨床の治療効果と治療効果の再現性を向上させることができる。

 その二,「内熱刺法」の鍼刺点の選択および適切な温度と治療効果の間にはどのような相関関係があるか,そしてこれを基礎として内熱鍼法の作用機序を解明する。

 経筋学説では筋急の主な病因は寒〔冷え〕であると考えるので内熱鍼法で治療するが,温熱刺激がその中でどの程度の役割をはたしているのかを解明する必要がある。最も効果的な温度区間はどれほどか。

 トリガーポイント・ドライニードル貫刺の経験に基づけば,正確な位置において針尖がトリガーポイントに刺入されると,針尖の温度が約45℃でトリガーポイントを不活化させることができる[15]。この温度はちょうど腎交感神経ラジオ波焼灼術治療による高血圧治療の適切な温度と同じであり[16],経筋病候における明らかな交感神経失調の病症に関連して,内熱鍼法による筋急・結筋治療の機序に「除神経する」調整機序が含まれているかどうかを考慮すべきである。もし「除神経する」機序が燔鍼劫刺における治療効果の中で重要な役割を果たしていることが確認できるならば,経筋病候をより深く理解できるだけでなく,これに基づいてより的を絞った,治療効果がより高く,苦痛がより小さい内熱刺法の治療計画を立案することができる。

    [15] 刘琳,黄强民,汤莉.肌筋膜疼痛触发点[J].中国组织工程研究,2014,18(46):7520-7527.

  〔経皮経後腹膜的腎交感神経ラジオ波焼灼術~新たな高血圧治療への検討~〕

  https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19K08234

  〔腎デナベーション~腎交感神経除神経術[renal sympathetic denervation(RDN)]について~〕

  https://www.twmu.ac.jp/TWMU/Medicine/RinshoKouza/021/medical/rdn_medical.html

    [16] 杨成明,李慧杰,余航,等. 肾交感神经射频消融术治疗高血压适宜消融温度的探讨[C]//第14届中国南方国际心血管病学术会议专刊,2012:143-144.


 第三歩:しっかりと基礎を固め,人形を論理する


 ヒポクラテスは「解剖学は医学の神殿へ通じる礎石である」と述べた。ほぼ同時期に,『黄帝内経』の著者も「人形を論理する」という理論的な枠組みを明確に提案し,黄帝の口を借りて「其れ信(まこと)に然るか?」と,避けては通れない問題を提起した。鍼灸学に向けたこの人体形態学理論の枠組みに信憑性を持たせ,磐石なものにするには,解剖学の実験研究の道筋が不可欠である。

 このように,西洋医学,中国医学を問わず,解剖学が両方の礎であることは明らかである。ただ視点や方法の違いによって,中国と西洋の医学で「人形を論理する」重点が異なるにすぎない。現代医学の解剖学は外科学を支える礎石であり,当初から実質的な構造の形態学的研究を指向している。現代解剖学の「聖書」である『グレイ解剖学』の初版(1858年)の書名には「外科学の解剖学」(Anatomy,Descriptive and Surgical)と明記されている。これに対して『黄帝内経』の人体形態学には実質構造と空間構造という二つの部分が含まれているが,後者に重点が置かれ,これが鍼灸学を支える礎石となっている。虚空にある意味と価値を発見することは,まさに古典鍼灸学の最大の特徴であり,それが存在価値の最大のものでもある。鍼灸学という高楼はまさに「兪」「結」「節」「渓」「谷」「気街」「気穴」といった虚空構造の上に建てられていると言える[7]43。このほか,鍼灸に基づく解剖学研究は特に生体・立体・動態を重視している。「観察は理論に浸透しており」〔自然弁証法の名詞「渗透了理論的観察(theory-impregnated observation)」に基づく表現であろう〕,解剖で得られた構造の解釈はより理論に依存している。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 ドライニードル療法は,理論構築においても治療においても,分割できない筋膜と筋肉全体のうち,筋肉をより重視する。しかし鍼灸学理論を構成するものの一つとしての経筋学説における「筋」の概念そのものには,筋肉と筋膜が含まれている。かつまたその両者の中では筋膜,すなわち筋肉の付着部と筋肉を包む膜により重きを置いている。十二経筋の分布を通覧して容易に分かることは,経筋全体の全行程を覆っているのは筋膜であることである。つまり,一部の経筋が循行する部位にあるのは腱や腱膜だけであって,筋肉はない。かつ経筋が「結」するところも,多くは筋腱・筋膜・靭帯などの付着構造であり,これらの部位への刺鍼についての作用機序は,筋肉のレベルから直接解明することは困難である。

 トーマス・W・マイヤース(Thomas W.Myers)の筋膜学の専門書『アナトミー・トレイン――徒手と動作治療の筋筋膜経線〔Myofascial Meridians for Manual & Movement Therapists  日本語訳の副題は「徒手運動療法のための筋筋膜経線」〕」は2001年に出版されて以来,再版されて版を重ねつづけ,世界中に影響を与えてきた。近年,生体観察技術の進歩に伴って筋膜学の研究が強力に促進され,また多くの筋膜解剖の専門書が出版されている。しかしながら,西洋で徐々に広まっているこれらの筋膜説は,今のところ現代の主流医学の視野には入っておらず,その革新的な核心概念である「筋膜」(myofascia)は,権威ある解剖学書,『グレイ解剖学』の2021年最新版にはまだ記載がない。これは現代解剖学が保守的だからではなく,その特定の視野が制限されていることによって,既存の理論的枠組みでは,これらの新しい発見や新しい観点を受け入れるのが難しいからである。

 筋肉そのものよりも,筋肉を包む膜とその付着構造の方がより重要なのは,なぜなのか。筋病はしばしば直接筋を刺さずに,筋の外を刺すのは,なぜのか。分肉の間を刺す「分刺」が鍼灸学による痺証治療のための一般的な刺法になったのは,なぜなのか。

 筋肉と筋膜,およびその他の実質的な構造と被膜・隔膜の関係を解明できなければ,これらの鍼灸学が避けることができない基本的な問題に根本的に答えることは難しい。中国の鍼灸従事者は「〔のちの研究成果を〕待つ」と「〔従来の研究成果に〕頼る」という考えを捨て,自信を持ち,他山の石をもって自分の玉を攻(おさ)め,実験研究の方法を自覚的に導入し,空白を埋めて,答えを求めなければならない。法則を総括し,メカニズムを解明した上で,『黄帝内経』が提唱した人体形態学――現代の解剖学とは異なりながら,最大限に互いに補い合う関係で,人体の実質的な組織と器官間の構造的意義と価値を探ることに重点を置いた「人体空間構造解剖学」を構築する[17]。

  [17] 黄龙祥. 新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022: 292-299.

 これは,今日の鍼灸従事者が推進すべき最も根本的な理論的革新であり,鍼灸の原理を明確に語り,現代の主流医学との効率的な対話を実現するための根本的な方法でもある。


2024年7月5日金曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.2

  4.2 ドライニードル療法と筋病刺法


 まず指摘しなければならないのは,西洋のドライニードル・トリガーポイント刺法は,古典鍼灸の筋刺法の一つである「貫刺法」とのみ比較可能性があるだけで,筋刺法全体,さらには鍼刺法全体とは同列には論じられないということである。両者の違いは少なくとも,以下の三点に現われている。

 (1)中国鍼灸は「鍼 病所に至る」と「気 病所に至る」という理念に基づいて,直接筋を刺す「燔鍼劫刺」,それに「貫刺法」と筋の外を刺す「挑刺法」「分刺法」,およびその延長線上にある刺法など,多くのすぐれた治療効果のある定番となる刺法を創始し,臨床応用により多くの選択肢を提供しただけでなく,さらには筋病治療の機序研究により多くの構想と道筋を提供した。一方,ドライニードル療法はその理論的視点の制約により,中国鍼灸の「鍼 病所に至る」という理念に基づく「貫刺法」を理解し,発掘することができるだけで,中国鍼灸の筋病刺法の中で治療効果が顕著な他の刺法を理解することは難しく,意識的に応用することは一層困難である。

 (2)中国鍼灸の筋病診療には筋急と筋縦の二つが含まれる。寒(ひ)えれば則ち筋は急(ひきつ)り,熱ければ則ち筋は縦(ゆる)む。筋が急(ひきつ)る病は燔鍼劫刺で治療し,筋が縦(ゆる)んだ場合は分刺で治療し,温法は用いない。一方,ドライニードル療法は陰陽観と全体観が欠如しているため,筋病の一側面しか見ることができず,その全体を認識することができないので,中国の鍼灸において長期にわたって用いられ,しかも非常に効果のある「分刺法」などの筋病治療における独特な意義を理解することができない。

 (3)理論を構築する上で,虚空構造に重点を置く鍼灸学の大きな背景の下にある経筋学説は,筋肉と筋膜を統一的な構造機能の全体,そしてこの全体の中で筋肉の付着構造である「結」と筋肉を包む「膜筋」をより重視するなかで構築された。一方,実質構造に重点を置く現代の主流となっている医学の土壌の中で生長したドライニードル療法は,機序の研究では筋肉に着目し,治療においても筋肉に焦点を当てたドライニードル貫刺法を採用している。理論的視点と枠組みが異なるため,中国医学と西洋医学は筋病を観察する際に異なる重点を捉えられる。

 貫刺法であっても,ドライニードル療法は中国の鍼灸とは臨床応用においても違いがある。前者はトリガーポイントを貫刺するだけで,効果がなければもう一度刺す。後者は臨床上,つねに内熱法や輸刺法などの方法と組み合わせて使われる。経筋病の治療効果の基準は「筋が柔らかくなる」ことを効果ありとしているが,筋が柔らかくなっても脈が和平になっていなければ,やはり脈に基づいて本輸を取って虚実を調えて,平を以て期と為す〔『素問』三部九候論〕からである。

 元代の『鍼経摘英集』の鍼による痛証治療はこの点をあらためて明らかにしており,筋病刺法を用いて最も痛む点を輸として痛証を治療した後に,さらに「経に随って穴を刺す」〔『鍼経摘英集』治病直刺訣/治腰背俱不可忍:「而隨經刺穴即愈」。〕必要がある。現代中国で最も早い結筋点貫刺法を用いて肩腕痛治療に成功した症例報告にも同じくこの特徴が反映されている[13]。

    [13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

 「脈の調和」は古典鍼灸学ないし中国医学全体の究極的な指標であり,全体調整を重視することは中国医学のはっきりとした特徴であり,強みでもある。


2024年7月4日木曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.1

  4 考察


  4.1 筋と脈

    

 『素問』皮部論には「皮部以經脈為紀〔皮部は經脈を以て紀(のり)と為す〕」とあるが,実は経筋学説も経脈学説をひな型として構築されている。『霊枢』経筋篇はその経筋が分布し走行する経路や病候・治則という全体の構造にせよ,経筋が分布する道筋を記述する「其の支なる者」「其の別なる者」という体例にせよ,みな『霊枢』経脈篇の十二経脈モデルに準拠している。

 著者がこのように処理した内在的な要因は,筋と脈の両者が臨床応用の面で非常に密接な関連を持っていることにある。たとえば,病因から見れば,脈病と筋病には共通の主たる病因である風寒がある。病機からみれば,寒(ひ)ゆれば則ち脈は急(ひきつ)り,脈が急れば則ち痛む。寒ゆれば則ち筋は急(ひきつ)り,筋が急れば則ち痛む。診法から見れば,脈の「是れ動ずれば則ち病む」を診,筋の「筋急(ひきつ)れば則ち病む」を診る。脈の「諸々急る者は寒多く,緩む者は熱多し」を診,筋でも「筋急るは寒(ひ)え多く,筋縦(ゆる)むは熱多し」を診る。治療から見れば,脈痺は「血絡」「結絡」を治療し,筋痺は「筋急」「結筋」を治療して,「結絡」「結筋」を刺すが,ともに貫刺法を用いて「結ぼれを解く」。

 したがって経筋病候を筋病の刺法でこれを治療しても脈が平らかにならない場合は,さらに脈をよりどころとして本輸を取って脈を和平な状態に調えなければならない。あるいは筋急・結筋するところがまさに経兪にあたる場合は,まず筋刺法をもちいて筋を調えて柔らげ,さらに脈刺法と輸刺法をもちいて脈を和平な状態に調える。

 経筋説も経脈説をひな型として構築されているが,残念なことに,両者の理論の成熟度には差がある。経脈病候の治則には『霊枢』経脈篇に詳しい解説があるほか,他の篇にも異なる角度からの解釈と例が示されている。これにたいして,『霊枢』経筋篇の最も重要な治則治法には解釈もなければ例も示されておらず,あるのは後世の人が字面(じづら)から当て推量した,いろいろな説だけである。

 さらに,『黄帝内経』も筋と膜,筋膜と脈・血気との関係を体系的に論述していないため,後世の医家は筋と脈,経筋と経脈の互いに補完し継承する不可分な結びつきを認識できず,筋を「中無有空,不得通於陰陽之氣,上下往來〔中に空有ること無く,陰陽の氣を通じて,上下往來することを得ず〕」(『太素』巻十三・経筋〔「以痛為輸」〕注)と誤って,経筋学説は発展する空間と革新する内在的原動力を失い,唐・宋の際から衰退に向かい,経筋刺法も理論の支えを失って谷底に落ちた。

 

2024年7月3日水曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.5

  3.5 募刺法


 長期にわたって,鍼灸治療は躯体の病気を主とし,内臓病は湯薬治療を主としていた。いわゆる「鍼灸はその外を治し,湯薬はその内を治す」である。この鍼治療のタブーを打ち破ったのが,長鍼による「募刺法」である。

 募刺法とは,深く刺して腹膜まで達し,さらには腹膜を貫通して内臓の肓膜と臓腑の募まで至ることもある刺法を指すので,著者はこれを「募刺法」と呼んでいる。

 他の筋病刺法に比べて募刺法が完成したのは遅く,『霊枢』経筋篇が編纂された時点では,募刺法はまだ明確な臨床応用を得ていなかった可能性がある。そのため内部の筋急による病に対しては,この篇は依然として「内に在る者は熨引して薬を飲ましむ」という伝統的な方法を踏襲しており,「募刺法」には言及していない。

 「募刺法」は技術の難易度が高いため,漢以降は隠れて目立たず,宋・元の間で再発見された後,間もなくまた失われた。明代の朝鮮の太医は中国の鍼灸経典に記載されている募刺法の鍼感と鍼の効果に対する記述に基づいて,繰り返し試験をおこなったことで,再び募刺法の操作が世に現われた[2]186が,明代以降また沈み隠れてしまった。

    [2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.〔『針灸易学校注』の総頁数は141頁である。頁数が誤っているか,あるいは,内容からすれば[2]は[4](許任『鍼灸経験方』)の誤りか。〕


 現代の芒鍼療法における腹部直刺深刺法は古典文献を参考にすることなく,意図せず古典鍼灸の募刺法を再発見し,この失われて久しい鍼法を再び鍼灸界に再現させたものである。

 20世紀70年代の中国医学と西洋医学の結合による,鍼によって急性腹症を治療する研究において,腹部の深刺法による臨床試験と動物実験の結果によって,「腹部への深い鍼の刺入は,肝臓・脾臓・胆嚢・膀胱に軽度の損傷をもたらす以外は,その他の臓器に対する明らかな損傷はない」[14]ことを示した。これらの初期の研究結果によっても,一定程度の募刺法の有効性と安全性が実証された。現在,画像検査と操作の標準化によって,内臓の肓膜と募穴を深く刺す募刺法は,その安全性が大幅に向上した。また鍼具の改良に伴い,患者の苦痛は大幅に軽減され,コンプライアンスも向上した。

    [14] 党正祥.深针刺在急腹症中的应用及实验研究[J].陕西中医,1988,9(5):237.