2010年12月7日火曜日

12-4 解體鍼要

12-4解體鍼要
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『解體鍼要』(カ・40)。
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』12所収
 一オモテ
解體鍼要序
道不離形器象數而形器象數非所以盡
道也何以知之今使善書者教二人書焉
其受教者其志同其精力同其所學歳月
日數亦同而一則巧一則拙判然不同是
其故何天分有異也天分之異則神也非
器數之所得預也凡天地萬事萬物皆然
是故人之得病毉之療疾皆出於意量之
 一ウラ
外有不可思議爲者是神也非器數之所
得盡也善乎聖人之言云神而明之存于
其人莊周以輪扁斵輪發神理之妙眞達
人之見也雖然得器數而得道者有焉未
有未得器數而能得道者也毉之解剖藏
府而探得疾之源委是亦器數之末學也
雖然因此明知藏腑之位置經脉之連絡
骨骸之接屬皮膜之包容然後得疾之源
 二オモテ
委大畧可推而知則其於治術不爲無補
而於外科正骨諸術最爲緊要矣或以謂
掩骼埋胔聖人之仁政親剖屍體而檢視
腑臓是荷蘭内景之學蠻夷殘忍之習仁
人君子之所不忍爲也此言極是雖然王
莽誅翟義之黨使大毉刳剝之量度五藏
導脉終始廣西戮歐希範之黨靈簡剖腹
詳視之爲五藏圖以傳于世祟寧刑泗州
 二ウラ
賊楊介決隔膜摘膏肓作存眞圖以傳于
後由是觀之蕐夏聖人之邦固有其學不
特外夷之習也且也刑殺之法豈仁人君
子之所忍爲乎雖然刑一人則千万之人
懍〃乎惴慄瞿〃然徴艾不敢犯邦禁而
觸刑綱也是故其殺一人也生千萬人也
大舜謂之刑期于無刑周公謂之刑人而
脱桎梏而尼山老聖亦言刑不刑也今解
  三オモテ
一極刑死人之體而知病之源委而施治
得其至當躋億兆於壽域則其解一屍也
亦生千萬人也竆隂沍寒冰霜刻厲之氣
變而爲春風和氣卉木煥發之象乃是亦
古聖人之遺意也仁人君子奚爲不忍乎
予自少時有得于此學凡解視屍體者十
有五度雖未及無爲張濟視一百七十人
然略得其要領矣施諸内治施諸正骨施
  三ウラ
諸針砭得于此者爲居多焉是故今作此
圖説以續靈氏五藏楊氏存眞二圖要使
吾黨學者於形器象數無所不盡而後悟
神理之妙耳世之邃達神理者或以予爲
形器未學或爲荷蘭夷學呼馬呼牛任人
多口予於莊周有取云
文化六年歲次己巳仲冬南至
      阿波加古良玄識〔印形白字「加古/◆印」、黒字「字/將士」〕
    

  【訓み下し】
解體鍼要序
道は形器象數を離れず。而して形器象數は、
道を盡くす所以に非ざるなり。何を以てか之を知る。今ま書を善くする者をして、二人に書を教えしめば、
其の教えを受くる者、其の志同じく、其の精力同じく、其の學ぶ所の歳月
日數も亦た同じ。而るに一は則ち巧、一は則ち拙にして、判然として同じからず。是れ
其の故何ぞや。天分に異有るなり。天分の異は則ち神なり。
器數の預り得る所に非ざるなり。凡そ天地の萬事萬物、皆な然り。
是の故に人の得病、醫の療疾、皆な意量の
 一ウラ
外に出づ。不可思議有りて爲す者は是れ神なり。器數の
盡くし得る所に非ざるなり。善きかな、聖人の言。神にして之を明にするは、
其の人に存す、と云う。莊周、輪扁斵輪を以て、神理の妙眞を發し、
人の見に達するなり。然りと雖も、器數を得て道を得る者有るも、
未だ器數を得ずして能く道を得る者未だ有らざるなり。醫の藏
府を解剖して、疾の源委を探り得るは、是れも亦た器數の末學也。
雖りと然も、此れに因りて明らかに藏腑の位置、經脉の連絡、
骨骸の接屬、皮膜の包容を知り、然る後に疾の源
 二オモテ
委を得れば、大略推して知る可し。則ち其の治術に於いて補無しと爲さず。
而(しか)も外科、正骨諸術に於いて、最も緊要と爲す。或いは以謂(おもえら)く、
骼を掩(おお)い胔を埋(うず)むは、聖人の仁政なり。親しく屍體を剖(さ)きて、
腑臓を檢視するは、是れ荷蘭内景の學、蠻夷殘忍の習い、仁
人君子の爲すに忍びざる所なり、と。此の言極めて是なり。然りと雖も、王
莽、翟義の黨を誅し、大醫をして之を刳剝し、五藏を量度し、
脉の終始を導かしむ。廣西、歐希範の黨を戮し、靈簡、腹を剖き、
詳(つまび)らかに之を視て、五藏圖を爲(つく)り、以て世に傳う。祟寧、泗州の
 二ウラ
賊を刑す。楊介、隔膜を決し、膏肓を摘し、存眞圖を作り、以て
後に傳う。是れに由り之を觀れば、華夏の聖人の邦、固(もと)より其の學有り。
特に外夷の習いのみにあらざるなり。且や、刑殺の法、豈に仁人君
子の爲すに忍ぶ所をや。然りと雖も、一人を刑すれば、則ち千万の人
懍々乎として惴慄し、瞿々然として徴艾し、敢えて邦禁を犯して、
刑綱(網)に觸れざるなり。是の故に其れ一人を殺すや、千萬人を生かすなり。
大舜は之を刑は刑無きを期すと謂い、周公は之を人を刑して、
桎梏を脱(と)くと謂い、而して尼山の老聖も亦た刑は刑せずと言うなり。今ま
  三オモテ
一極刑死人の體を解して、病の源委を知り、而して治を施し
其の至當を得れば、億兆を壽域に躋(のぼ)せん。則ち其の一屍を解するや、
亦た千萬人を生かすなり。窮陰沍寒冰霜刻厲の氣
變じて、春風和氣卉木煥發の象と爲る。乃ち是れも亦た
古聖人の遺意なり。仁人君子、奚(いず)くんぞ爲に忍ばざらんや。
予、少(わか)き時自り此の學に得有り。凡そ解して屍體を視ること、十
有五度。未だ無爲の張濟の一百七十人を視るに及ばずと雖も、
然れども略ぼ其の要領を得たり。諸(これ)を内治に施し、諸を正骨に施し、
  三ウラ
諸を針砭に施して、此れを得る者は、爲に多きに居る。是の故に今ま此の
圖説を作り、以て靈氏の五藏、楊氏の存眞二圖に續く。要するに
吾が黨の學者をして形器象數に於いて、盡くさざる所無く、而る後に
神理の妙を悟らしむるのみ。世の邃(ふか)く神理に達する者は、或いは予を以て
形器の末學と爲し、或いは荷蘭の夷學と爲し、馬と呼び牛と呼ぶも、人の
口多きに任す。予は莊周に於いて取る有りと云う。
文化六年、歲次は己巳、仲冬南至
       阿波、加古良玄識(しる)す

  【注釋】
○形器:有形の器物。物質。人体。 ○象數:『易経』の象と数。周易は天、日、山、澤などを「象」とし、初、上、九、六の類を「數」とする。 ○判然:はっきりと異なるさま。 ○天分:天賦、天資。 ○意量:意をもってはかる。想像する。
 一ウラ
○不可思議:想像するすべなく、理解しがたい。神秘奥妙を含んで、一般の情理の外にある。 ○神而明之存于其人:『周易』繫辭上:「極天下之賾者、存乎卦。鼓天下之動者、存乎辭。化而裁之、存乎變。推而行之、存乎通。神而明之、存乎其人〔天下の賾を極むる者は、卦に存す。天下の動を鼓する者は、辭に存す。化して之を裁するは、變に存す。推(お)して之を行うは、通に存す。神にして之を明にするは、其の人に存す〕」。あることの奥妙をあきらかにするのは、ひとえにそのひとの人格如何による。 ○莊周以輪扁斵輪:『莊子』外篇・天道第十三:「桓公讀書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰、敢問公之所讀者爲何言邪。公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、已死矣。曰、然則君之所讀者、古人之糟魄已夫。桓公曰、寡人讀書、輪人安得議乎。有說則可、無說則死。輪扁曰、臣也、以臣之事觀之。斲輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以喻臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣〔桓公、書を堂上に讀み、輪扁、輪を堂下に斲(けず)り、椎鑿を釋(お)いて上(のぼ)り、桓公に問いて曰く、敢えて問う、公の讀の所の者は何の言を爲すや、と。公曰く、聖人の言なり、と。曰く、聖人在りや、と。公曰く、已に死せり、と。曰く、然らば則ち君の讀む所の者は、古人の糟魄なるのみかな、と。桓公曰く、寡人、書を讀むに、輪人安(なん)ぞ議するを得んや。說有らば則ち可、說無くんば則ち死せん、と。輪扁曰く、臣や、臣の事を以て之を觀ん。輪を斲るに、徐ろにすれば則ち甘にして固からず、疾(すみや)かにすれば則ち苦にして入らず。徐ろならず疾かならざるは、之を手に得て心に應じ、口に言うこと能わず、數の焉(これ)を其の間に存する有り。臣以て臣の子に喻す能わず、臣の子も亦た之を臣より受くる能わず。是(ここ)を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古(いにしえ)の人は其の傳う可からざるものと死せり。然らば則ち君の讀む所の者は、古人の糟魄のみなるかな、と〕」。 ○源委:ものごとの本末。 ○末學:浅薄な基礎のない学識。
 二オモテ
○掩骼埋胔:腐乱した死体を埋める。『禮記』月令:「毋聚大衆、毋置城郭、掩骼埋胔」。 ○仁政:人民をいつくしむ政治。人民を幸福にする政治。 ○荷蘭:オランダ。 ○内景:道教にいう内神。内臓(解剖)。 ○蠻夷:野蛮人。未開の人。 ○王莽誅翟義之黨:『漢書』卷九十九中 王莽傳第六十九中「翟義黨王孫慶捕得、莽使太醫、尚方與巧屠共刳剝之、量度五藏、以竹筳導其脈、知所終始、云可以治病〔翟義の黨の王孫慶捕得せられ、莽は太醫、尚方をして巧屠と共に之を刳剝し、五藏を量度し、竹筳を以て其の脈を導き、終始する所を知らしめて、以て病を治す可しと云う〕」。 ○廣西歐希範之黨:多紀元胤『醫籍考』卷十六『呉氏(簡)歐希範五藏圖』。〔吳氏(簡)歐希范五臟圖〕佚。/趙與時曰:慶歷間、廣西戮歐希范及其黨。凡二日剖五十有六腹、宜州推官靈簡皆詳視之、為圖以傳於世、王莽誅翟義之黨、使太醫尚方與巧屠、共刳剝之、量度五臟、以竹筵導其脈、知所終始、云可以治病。然其說今不傳〔趙與時曰く、慶歷の間、廣西、歐希范及び其の黨を戮す。凡そ二日、五十有六腹を剖(さ)き、宜州推官の靈簡、皆な詳らかに之を視て、圖を為(つく)り以て世に傳う……。然れども其の說今は傳わらず〕。(『賓退錄』)/鄭景璧曰:世傳歐希范五臟圖、此慶歷間杜杞待制治廣南賊歐希范所作也。希范本書生、桀黠有智數、通曉文法、嘗為攝推官。乘元昊叛、西方有兵時、度王師必不能及、乃與蒙幹嘯聚數十(千)人、聲搖湖南。朝廷遣楊畋討之不得、乃以杞代。杞入境、即偽招降之說、與之通好。希范猖獗久、亦幸苟免、遂從之、與幹挾其酋領數十人皆至。杞大為燕、犒醉之以酒、已乃執於坐上、翌日盡磔於市、且使皆剖腹、刳其腎腸、因使醫與畫人、一一探索、繪以為圖。未幾、若有所睹、一夕登圊、忽臥於圊中、家人急出之、口鼻皆流血。微言歐希范以拳擊我、三日竟卒〔鄭景璧曰く、世に傳うる歐希范五臟圖、此れ慶歷の間に、杜杞待制、廣南の賊、歐希范を治して作る所なり。希范は本(もと)書生、桀黠にして智數有り、文法に通曉し、嘗て推官に攝するを為す。元昊の叛するに乘じ、西方に兵有る時、王師を度するも必ずしも及ぶ能わず、乃ち蒙幹と嘯聚すること數十(千)人、聲、湖南を搖がす。朝廷、楊畋を遣わして之を討たしむるも得ず、乃ち杞を以て代う。杞、境に入り、即ち招降の說を偽り、之と好(よしみ)を通ず。希范猖獗すること久しく、亦た幸いに苟免し、遂に之に從い、幹挾と其の酋領數十人皆な至る。杞大いに燕を為し、犒(ねぎら)いて之を醉わすに酒を以てし、已にして乃ち坐上に執(と)らえ、翌日盡く市に磔す。且つ皆な腹を剖き、其の腎腸を刳(えぐ)らしめ、因りて醫と畫人とをして、一一探索し、繪きて以て圖を為(つく)らしむ。未だ幾(いくば)くならず、睹る所有るが若し。一夕、圊(かわや)に登り、忽ち圊中に臥す。家人急ぎて之を出だすに、口鼻皆な血を流す。微かに言う、歐希范、拳を以て我を擊つ、と。三日にして竟に卒す〕。(『劇談錄』)/楊介曰:宜賊歐希范被刑時、州吏吳簡令畫工就圖之以記、詳得其證。吳簡云、凡二日剖歐希范等五十有六腹、皆詳視之。喉中有竅三、一食、一水、一氣、互令人吹之、各不相戾。肺之下則有心肝膽脾、胃之下有小腸、小腸下有大腸。小腸皆瑩潔無物、大腸則為滓穢、大腸之傍則有膀胱。若心有大者、小者、方者、長者、斜者、直者、有竅者、無竅者、了無相類。唯希范之心、則紅而硾、如所繪焉。肝則有獨片者、有二片者、有三片者、腎則有一在肝之右微下、一在脾之左微上、脾則有在心之左。至若蒙幹多病嗽、則肺且膽黑。歐詮少得目疾、肝有白點、此又別內外之應、其中黃漫者脂也〔楊介曰く、宜賊の歐希范刑せられし時、州吏の吳簡、畫工をして就きて之を圖(えが)き以て記し、詳らかに其の證を得さしむ。吳簡云う、凡そ二日、歐希范等を剖くこと五十有六腹、皆な詳らかに之を視る。喉中に竅有ること三。一は食、一は水、一は氣、互いに人に之を吹かしめば、各々相戾せず。肺の下に、則ち心肝膽脾有り。胃の下に小腸有り。小腸の下に大腸有り。小腸は皆な瑩潔にして物無し。大腸は則ち滓穢を為し、大腸の傍らに、則ち膀胱有り。心の若きは大なる者、小なる者、方なる者、長なる者、斜なる者、直なる者、竅有る者、竅無き者有り、了として相類する無し。唯だ希范の心のみ、則ち紅にして硾(か)き、繪く所の如し。肝は則ち獨片なる者有り、二片なる者有り、三片なる者有り。腎は則ち一は肝の右微(わず)かに下に在り、一は脾の左微かに上に在る有り。脾は則ち心の左に在る有り。蒙幹の若きに至りては嗽を病むこと多く、則ち肺は膽の黑に且(ちか)し。歐詮は少しく目疾を得て、肝に白點有り、此れ又た內外の應を別かち、其の中の黃漫する者は脂なり〕(僧幻雲『史記標注』、引『存真圖』)。
 二ウラ
○楊介……作存眞圖:『醫籍考』卷十六『楊氏(介)存真圖』。楊介曰、黃帝時醫有俞跗、一撥見病因、能割皮解肌、湔浣腸胃、以祛百病云。宜賊歐希范被刑時、州吏吳簡令畫工就圖之記、詳得其狀、或以書考之則未完。崇寧中、泗〔州刑〕賊於市、郡守李夷行遣醫並畫工往觀、決膜摘膏、曲折圖之、得盡纖悉。介取以校之、其自喉咽而下、心肺肝脾膽胃之系屬、小腸大腸腰腎膀胱之營疊、其中經絡聯附、水穀泌別、精血運輸、源委流達、悉如古書、無少異者〔楊介曰く、黃帝の時、醫に俞跗有り。一たび撥すれば病因を見、能く皮を割き肌を解き、腸胃を湔浣し、以て百病を祛(のぞ)くと云う。宜賊歐希范刑せられし時、州吏の吳簡、畫工をして就きて之を圖き記し、詳らかに其の狀を得。書を以て之を考うるも、則ち未だ完からず。崇寧中、泗〔州の〕賊を市〔に刑〕す。郡守の李夷行、醫並びに畫工をして往きて觀、膜を決し膏を摘し、曲折して之を圖かしめ、盡く纖悉なるを得たり。介、取りて以て之を校するに、其の喉咽自りして下り、心肺肝脾膽胃の系屬、小腸大腸腰腎膀胱の營疊、其の中の經絡の聯附、水穀の泌別、精血の運輸、源委の流達、悉く古書の如く、少しも異なる者無し〕(僧幻雲『史記標注』引)。/政和三年、洛陽賈偉節『存真環中圖』序曰:楊君介吉老以所見五臟之真、繪而為圖、取煙蘿子所畫、條析而釐正之、又益之十二經、以存真環中名之〔政和三年、洛陽の賈偉節『存真環中圖』序に曰く、楊君介吉老、見る所の五臟の真を以て、繪いて圖を為(つく)り、煙蘿子の畫く所を取り、條析して之を釐正し、又た之に十二經を益し、存真環中を以て之を名づく〕(同上、幻雲曰、存真、五臟六腑圖也。環中、十二經圖也)。/趙希弁曰、存真圖一卷、上皇朝楊介編、崇寧間、泗州刑賊於市、郡守李夷行遣醫並畫工往、親決膜摘膏肓、曲折圖之、盡得纖悉。介校以古書、無少異者。比歐希范五臟圖、過之遠矣、實有益於醫家也。王莽時、捕得翟義黨王孫慶、使太醫尚方、與巧屠共刳剝之、量度五藏、以竹筵導其脈、知所終始、云可以治病。亦是此意〔趙希弁曰く、『存真圖』一卷、上皇朝楊介編、崇寧間、泗州、賊を市に刑す。郡守の李夷行、醫並びに畫工をして往きて、親しく膜を決し膏肓を摘し、曲折して之を圖き、盡く纖悉なるを得しむ。介、校するに古書を以てするも、少しも異なる者無し。『歐希范五臟圖』に比するに、之を過ぐること遠し。實に醫家に益有るなり。王莽の時、翟義の黨王孫慶を捕え得て、太醫尚方をして、巧屠と共に之を刳剝し、五藏を量度し、竹筵を以て其の脈を導き、終始する所を知らしめ、以て病を治す可しと云う。亦た是れ此の意〕。/王明清曰:楊介吉老者、泗州人、以醫術聞四方〔王明清曰く、楊介吉老なる者は、泗州の人、醫術を以て四方に聞こゆ〕(『揮塵餘話』)。 ○蕐夏:古代漢族の自称。「蕐」は「華」の異体字。 ○懍々:恐れおののくさま。 ○惴慄乎:おそれ、戦慄する。 ○瞿々然:あわておそれるさま。懼懼然。 ○徴艾:懲艾。いましめおそれる。 ○邦禁:国家の禁令。 ○刑綱:「刑網」のあやまりか。形法。 ○大舜謂之刑期于無刑:『書經』大禹謨:「帝曰、皋陶、惟茲臣庶、罔或干予正。汝作士、明於五刑、以弼五教、期於予治。刑期於無刑、民協於中、時乃功、懋哉〔帝曰く、皋陶(舜の臣)、惟(こ)れ茲(こ)の臣庶、予が正を干(おか)すこと或る罔(な)し。汝、士と作(な)り、五刑を明らかにして、以て五教を弼(たす)く。予が治に期せり。刑は刑無きを期し、民は中に協(かな)わしむ、時(こ)れ乃(なんじ)の功なり、懋(つと)めんかな〕」。刑罰を施すのも、それによって刑罰をなくすためである。 ○周公謂之刑人而脱桎梏:『易經』蒙:「初六、發蒙。利用刑人、用說桎梏。以往吝〔初六は、蒙を發(ひら)く。用(もつ)て人を刑し、用て桎梏を說(と)くに利あり。以て往けば吝〕」。まず刑罰を与え、その上で手かせ足かせをはずしてやる。「說」は「脱」に通ず。伝説では、周の文王が卦辞を作り、周公が爻辞を作ったという。 ○尼山老聖:孔子。山東省尼山で生まれた。 ○刑不刑:『孔子家語』刑政:「孔子曰、聖人之治化也、必刑政相參焉。太上以德教民、而以禮齊之。其次以政言導民、以刑禁之、刑不刑也〔孔子曰く、聖人の治化するや、必ず刑政相參ぜしむ。太上は德を以て民を教え、而して禮を以て之を齊(ひと)しくす。其の次は政言を以て民を導き、刑を以て之を禁ずるも、刑は刑せず〕」。刑罰を用いて禁止するが、実際には刑罰を適用しない。
  三オモテ
○億兆:民衆。 ○壽域:長寿の境地。 ○竆隂:窮陰。冬がきわまり年が終わる時。陰気がきわまる。 ○沍寒:寒沍。寒がきわまって氷をむすぶ。 ○冰霜:氷と霜。 ○刻厲:苛酷。 ○春風和氣:春のなごやかな風。温かな恩沢のたとえ。 ○卉木:草木。 ○煥發:奮いたつ。光を放つ。 ○遺意:前人がとどめた意味。 ○仁人君子:仁徳をそなえた君子。情け深く熱心にひとを助けるひと。『晉書』卷三十˙刑法志:「刑之則止、而加之斬戮、戮過其罪、死不可生、縱虐於此、歲以巨計。此迺仁人君子所不忍聞」。 ○有得:心得がある。さとるところがある。 ○無爲張濟視一百七十人:張杲『醫説』鍼灸 善鍼「無爲軍張濟善用鍼、得訣於異人、能觀解人、而視其經絡、則無不精。因歳饑、疫人相食。凡視一百七十人、以行鍼、無不立驗。如孕婦因仆地、而腹偏左、鍼右手指而正。久患脱肛、鍼頂心而愈。傷寒反胃嘔逆、累日食不下、鍼眼眥、立能食。皆古今方書不著。陳瑩中爲作傳云、藥王藥上、爲世良醫、嘗草木金石、名數凡十萬八千、悉知酢鹹淡甘辛等味、故從味、因悟入益知、今醫家別藥口味者古矣(邵氏聞見録)〔無爲軍の張濟 善く鍼を用いる。訣を異人に得て能く觀る。人を解するに、其の經絡を視れば、則ち精ならざる無し。歳饑なるに因りて、疫人相い食む。凡そ一百七十人を視、以て鍼を行い、驗を立てざるは無し。孕婦の、地に仆るるに因りて、腹左に偏するが如きは、右手の指に鍼して正す。久しく脱肛を患うは、頂心に鍼して愈ゆ。傷寒・反胃・嘔逆 日を累(かさ)ねて食下らざるは、眼眥に鍼して、立ちどころに能く食う。皆な古今の方書に著れず。陳瑩中 爲に傳を作りて云う。「藥王藥上 世の良醫の爲に草木金石を嘗め、名數凡そ十萬八千。悉く酢鹹淡甘辛の等味を知る。故に味に從いて、因りて悟り入りて益ます知る、今の醫家 藥の口味を別つ者は古し」と(『邵氏聞見録』)〕。 /無爲軍は、宋代に設置された軍事行政区。いま、安徽省巢湖市區無為縣。
  三ウラ
○居多:多数を占める。 ○神理:神妙な法則。 ○夷學:蛮夷の学問。 ○呼馬呼牛:相手から牛と呼ばれれば自分は牛だと思い、馬だと呼ばれれば自分は馬だと思う。相手の言うがままになって逆らわないことの喩え。『莊子』天道:「老子曰、夫巧知神聖之人、吾自以為脫焉。昔者子呼我牛也、而謂之牛、呼我馬也、而謂之馬。苟有其實、人與之名而弗受、再受其殃。吾服也恒服、吾非以服有服〔老子曰く、夫れ巧知神聖の人は、吾れ自ら以て脫(まぬが)れたりと為す。昔者(むかし)子は我を牛と呼びて、而して之を牛と謂(おも)えり。我を馬と呼べば、而して之を馬と謂(おも)わん。苟(いやし)くも其の實有るに、人、之れに名を與えて受けざれば、再び其の殃(わざわい)を受けん。吾れの服(したが)うや恒に服うも、吾れは服うを以て服うと有(な)すには非ず〕」。 ○文化六年歲次己巳:1809年。「歲次」は歳星(木星)または太歳のやどり。 ○仲冬:陰暦十一月。 ○南至:冬至。 ○阿波:いま、徳島県。 ○加古良玄:字は將士。号は藍洲。


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此書既成藏諸巾箱有年于茲矣 水野子同君
偶見之知其有功于醫術慫惥刊之捐其貲財助其
刻費 君平生以愛物存乎心矣其在官也以慈惠
為先務此舉也一則使予積年苦心不就煙滅焉
一則使天下之毉淂治術之大本焉一則使生民免
橫夭焉是亦 君慈愛之所波及也嗚呼古之所謂
遺愛於 君乎見之
  文政改元戊寅孟冬   良玄重識〔印形黒字「◆」「◆」」〕


  【訓み下し】
此の書既に成り、諸(これ)を巾箱に藏すること茲(ここ)に有年。 水野子同君、
偶々(たまたま)之を見る。其の醫術に功有るを知りて之を刊するを慫惥し、其の貲財を捐し、其の
刻費を助く。 君は平生、物を愛するを以て心を存す。其の官に在るや、慈惠を以て
先務と為す。此の舉や、一は則ち予が積年の苦心をして煙滅に就かしめず。
一は則ち天下の醫をして治術の大本を得さしむ。一は則ち生民をして
橫夭を免れしむ。是れも亦た 君が慈愛の波及する所なり。嗚呼(ああ)、古(いにしえ)の所謂(いわゆる)
遺愛 君に於いてか之を見る。
  文政改元戊寅孟冬   良玄重ねて識(しる)す

  【注釋】
○巾箱:書巻などを入れる小箱。 ○有年:多年。 ○于茲:今に至るまで。 ○水野子同:未詳。 ○慫惥:慫恿。傍らから勧め励ます。 ○捐:寄附する。金銭、財物などを投げ出して援助する。 ○貲財:財貨。「貲」は「資」に通ず。 ○刻費:出版費用。 ○平生:常日頃。 ○愛物:『孟子』盡心上:「君子之於物也、愛之而弗仁。於民也、仁之而弗親、親親而仁民、仁民而愛物〔君子の物に於けるや、之を愛して仁せず。民に於けるや、之を仁して親しまず、親を親しみて民に仁し、民に仁して物を愛す〕」。 ○存乎心:『孟子』盡心上:「盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也〔其の心を盡くす者は、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事(つか)うる所以(ゆえん)なり〕」。 ○慈惠:仁愛。 ○先務:首要な務め。『孟子』盡心上:「仁者無不愛也、急親賢之為務。堯舜之知而不徧物、急先務也〔仁者は愛せざること無きも、賢を親しむを急にする、之れ務めと為す。堯舜の知にして物に徧(あまね)からざるは、先務を急にすればなり〕」。 ○舉:行為。 ○一則:一項。一条。 ○積年:多年。 ○煙滅:堙滅。埋没。消滅。 ○毉:「醫」の異体字。 ○淂:「得」の異体字。 ○生民:人民。 ○橫夭:意外の事態に遭遇して早死にする。 ○波及:恩恵がおよぶ。 ○遺愛:後世に遺される仁愛。後世に留まり、追慕される徳行、恩恵、貢献。『春秋左氏傳』昭公二十年:「及子產卒、仲尼聞之:出涕曰、古之遺愛也」。 ○文政改元戊寅:文政元(一八一八)年。 ○孟冬:陰暦十月。


解體鍼要跋
先生嘗著折肱要訣早已行于世今茲己卯解體鍼
要成矣是舉也 大司冦水候輔其貲費非先生誰
能得斯侯非斯侯誰又輔先生哉今而後吾黨之喜
可知也醫道十三家正骨之一術缺而不具矣先生
始開其道得要津焉若夫伸筋之術別有機軸者順
其經絡回其氣血蓋所以施於癱瘓家也且是術也
古人之所未發先生始行之故世之學醫者以先生
為正骨家之棟梁為伸筋家之柱石匕刀者疾域之
  ウラ
指揮旌藥種者病域之防鬭卒古人有言曰不為良
將則為良醫矣我於先生始見其人嗚呼知我者亦
唯先生乎知先生者其在斯書也與文政己卯仲春
       天洲居士信濃最上虎識
         〔印形黒字「最上/虎」「天/洲」〕

  【訓み下し】
解體鍼要跋
先生嘗て折肱要訣を著し、早く已に世に行わる。今茲己卯、解體鍼
要成る。是の舉や 大司冦(寇)水候(侯)、其の貲費を輔く。先生に非ずんば、誰か
能く斯(こ)の侯を得ん。斯の侯に非ずんば、誰か又た先生を輔けんや。今にして後、吾が黨の喜び
知る可し。醫道十三家、正骨の一術缺(か)けて具(そな)わらず。先生
始めて其の道を開き要津を得たり。若し夫れ伸筋の術、別に機軸有る者は、
其の經絡に順い、其の氣血を回(めぐ)らす。蓋し癱瘓家に施す所以なり。且つ是の術や、
古人の未だ發せざる所、先生始めて之を行う。故に世の醫を學ぶ者は、先生を以て
正骨家の棟梁と為し、伸筋家の柱石と為す。匕刀は疾域の
  ウラ
指揮旌、藥種は病域の防鬭卒なり。古人に言有り。曰く、良
將と為らざれば、則ち良醫と為る、と。我、先生に於いて始めて其の人を見る。嗚呼、我を知る者も亦た
唯だ先生のみか。先生を知る者は、其れ斯の書に在るか。文政己卯仲春
       天洲居士信濃最上虎識(しる)す
         〔印形黒字「最上/虎」「天/洲」〕

  【注釋】
○折肱要訣:文化七(一八〇八)年刊。五卷。 ○今茲:今年。 ○己卯:文政二(一八一九)年。 ○大司冦:「大司冦」は「大司寇」。刑部尚書、法務大臣のような職であるが、何の唐名であるか不明。幕府では町奉行、阿波徳島藩では家老職にあたるか。 ○水候:「候」は「侯」。水野子同。 ○貲費:資費。費用。 ○黨:志を同じくする仲間、友人。 ○醫道十三家:『元史』卷一百三 志第五十一 刑法二 學規:「諸醫人於十三科內、不能精通一科者、不得行醫」。『明史』卷七十四 志第五十 職官三/太醫院「太醫院掌醫療之法。凡醫術十三科、醫官、醫生、醫士、專科肄業、曰大方脈、曰小方脈、曰婦人、曰瘡瘍、曰鍼灸、曰眼、曰口齒、曰接骨、曰傷寒、曰咽喉、曰金鏃、曰按摩、曰祝由」。 ○要津:重要な渡し場。要害の地。重要な地位。 ○若夫:話題の転換、問題の提起をあらわす。 ○機軸:知恵。工夫。 ○癱瘓:脳血管疾患など、身体の一部の運動機能が失われる疾病。四肢麻痺。 ○家:患者。 ○正骨家:ここの「家」は専門家。 ○棟梁:重責大任をになうひと。統率者。棟木。 ○柱石:中心人物。家の支柱と礎。 ○匕刀:薬量をはかる匙。
  ウラ
○旌:(羽毛などで飾られた)旗。 ○藥種:くすり。薬の材料。 ○防鬭卒:戦いを防ぐ兵卒。「鬭」は「鬥」「闘」の異体字。 ○不為良將則為良醫矣:「將」は「相」の意か。宋の范仲淹(989年~1052年)の故事。宋・吴曾『能改齋漫録』卷十三 文正公願為良醫:「范文正公微時、常〔一作「嘗」〕詣靈祠求禱、曰、他時得位相乎。不許。復禱之曰、不然、願為良醫。亦不許。既而嘆曰、夫不能利澤生民、非大丈夫平生之志。他日有人謂〔公〕曰、〔大〕丈夫之志於相、理則當然。良醫之技、君何願焉。無乃失於卑耶。公曰、嗟乎、豈為是哉。古人有云、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。且〔大〕丈夫之於學也、固欲遇神聖之君、得行其道。思天下匹夫匹婦有不被其澤者、若己推而內之溝壑〔一作「中」〕。能及小大生民者、固在為相為相〔一作「固惟相為然」〕、既不可得矣、夫能行救人利物之心者、莫如良醫。果能為良醫也、上以療君親之疾、下以救貧民之厄、中以保身長命〔一作「全」〕。在下而〔能〕及小大生民者、捨夫良醫、則未之有也〔范文正公微(いや)しき時、常に靈祠に詣(いた)り求め禱(いの)る。曰く、他時、相に位するを得るか、と。許されず。復た之に禱りて曰く、然らずんば、願わくは良醫と為らん、と。亦た許されず。既にして嘆じて曰く、夫れ生民を利澤する能わずんば、大丈夫の平生の志に非ず、と。他日、人有り〔公に〕謂いて曰く、〔大〕丈夫の相を志すは、理は則ち當然なり。良醫の技は、君何んぞ焉(これ)を願う。乃ち卑に失するに無からんや、と。公曰く、嗟乎(ああ)、豈に是と為さんや。古人有りて云う、常に善く人を救う、故に人を棄つること無し。常に善く物を救う、故に物を棄つること無し、と〔『老子』二十七章〕。且つ〔大〕丈夫の學に於けるや、固(もと)より神聖の君に遇い、其の道を行くを得んと欲す。天下の匹夫匹婦の其の澤を被らざる者有るを思い、己の若く推して之を溝壑〔一作「中」〕に內(い)る。能く小大の生民に及す者は、固より相為(た)るに在り。相為るに〔一作「固より惟だ相のみ然りと為す」〕、既に得可からず、夫れ能く人を救い物を利するの心を行う者は、良醫に如(し)くは莫し。果して能く良醫と為るや、上は以て君親の疾を療し、下は以て貧民の厄を救い、中は以て身を保ち命〔一作「全」〕を長くす。下に在りて〔能く〕小大の生民に及す者は、夫の良醫を捨つれば、則ち未だ之れ有らざるなり〕」。○見其人:『論語』季氏:「孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隱居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣、未見其人也〔孔子曰く、善を見ては及ばざるが如く、不善を見ては湯を探るが如し。吾れ其の人を見、吾れ其の語を聞けり。隱居して以て其の志を求め、義を行いて以て其の道を達す。吾れ其の語を聞けども、未だ其の人を見ざるなり〕」。 ○知我者:『論語』憲問:「子曰、莫我知也夫。子貢曰、何為其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者、其天乎〔子曰く、我を知る莫きか。子貢曰く、何ぞ其れ子を知る莫しと為すや。子曰く、天を怨みず、人を尤(とが)めず。下學して上達す。我を知る者は、其れ天か〕」。 ○文政己卯:文政二(一八一九)年。 ○仲春:陰暦二月。 ○天洲居士信濃最上虎:

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