2010年12月20日月曜日

15-6 『經穴指掌』

15-6『經穴指掌』
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經穴手掌』(ケ・一五)
『臨床鍼灸古典全書』第十五所収

經穴指掌序
醫之爲術蓋十有三科云是以
各家專門異流殊派雖然出類
抜萃能達其源者鮮矣而況統
其十有三者乎我漏齋高田氏
學博古今道盡精要是謂之能    ※「博」、原文は「十+專」
統其十三科可也針灸亦其一
耳而辨明經穴施鍼灸之先務
  一ウラ
也若忽棄之醫之云乎故經有
言曰經脉者所以能決死生處
百病調虚實然自非詳其處未
易得其穴也若不得其穴則非
啻鍼之不應灸之不治災害亦
從來悲夫故施鍼灸者當詳于
經脉也經脉未詳而何決死生
處百病調虚實之有哉經穴之
  二オモテ
書無慮數十家或失于繁或闕
于疎諸説紛々而不可寄着也
要之窬穴冝在于筋骨間而與
説相合而后爲正當也近述其
所學題曰經穴指掌圖解詳明
一見可知耳初學之輩茲書以
求窬穴則思過半矣
于時文化四年丁卯三月甲子
  二ウラ
東都醫官武田信邦知龍父
    〔印形白字「武田/之印」、黒字「字曰/子寧」〕


 【訓み下し】
經穴指掌序
醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。是(ここ)を以て
各家の專門、流れを異にし派を殊にす。然りと雖も、類より出で
萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すくな)し。而して況んや
其の十有三を統(おさ)むる者をや。我が漏齋高田氏の
學、古今に博く、道、精要を盡くす。是れ之を能く
其の十三科を統むと謂うも可なり。針灸も亦た其の一
のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務
  一ウラ
なり。若し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。故に經に
言有り。曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、
百病に處し、虚實を調うる所以、と。然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ
其の穴を得ること易からざるなり。若し其の穴を得ざれば、則ち
啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た
從い來たる。悲しいかな。故に鍼灸を施す者は、當に
經脉を詳らかにすべきなり。經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、
百病に處し虚實を調うること、之れ有らんや。經穴の
  二オモテ
書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは
疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。
之を要するに、窬穴は、冝しく筋骨の間に在り、而して
説と相合して、而る后に正當と爲すべきなり。近ごろ其の
學ぶ所を述べ、題して曰く、經穴指掌と。圖解は詳明にして
一見して知る可きのみ。初學の輩、茲(こ)の書以て
窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。
時に文化四年丁卯三月甲子
  二ウラ
東都醫官武田信邦知龍父

  【注釋】
○十有三科:『元史』卷一百三 志第五十一 刑法二 學規:「諸醫人於十三科內、不能精通一科者、不得行醫」。『明史』卷七十四 志第五十 職官三/太醫院「太醫院掌醫療之法。凡醫術十三科、醫官、醫生、醫士、專科肄業、曰大方脈、曰小方脈、曰婦人、曰瘡瘍、曰鍼灸、曰眼、曰口齒、曰接骨、曰傷寒、曰咽喉、曰金鏃、曰按摩、曰祝由」。 ○出類抜萃:才能が多くのひとよりひときわ抜きん出る。「萃」は(多くの優れた)あつまり。『孟子』公孫丑上:「出於其類、拔乎其萃」。 ○漏齋高田氏:本書の著者。高田玄達。字は玄令。 ○先務:緊要でまずはじめに取り組むべきつとめ。『孟子』盡心上:「堯舜之知而不遍物、急先務也。」
  一ウラ
○經有言曰:『霊枢』経脈(10):「經脉者、所以能決死生、處百病、調虚實、不可不通」。 ○自非:もし~でなければ。 
  二オモテ
○無慮:おおよそ。 ○失于繁:繁雑に過ぎる。 ○闕于疎:疎漏が多い。 ○紛々:入り乱れて統一がとれていない。 ○窬穴:兪穴。腧穴。 ○冝:「宜」の異体字。 ○思過半:思慮すれば、その大半が推測できる、半分以上を知ることができる、およその見当がつく。『易經』繋辭下「知者観其彖辞、則思過半矣〔知者其の彖辞を観れば、則ち思い半ばに過ぎん〕」。 ○文化四年丁卯:1807年。 
  二ウラ
○東都:江戸。 ○醫官:幕府の医者。 ○武田信邦知龍:字は子寧。幕府医師、武田叔安か道安,杏安の縁者か。みな名が「信」ではじまる。『寛政重修諸家譜』卷三・211頁以下を参照。

  三オモテ
經穴指掌叙
夫書之於伯瑛也詩之於杜甫也其學之者或
得其筋或得其肉或得其皮或得其骨然未有
具其皮肉筋骨而得之者也詩也書也得其全
體實為難矣雖學經穴者亦然未有不詳於
皮肉筋骨之度而能得經穴之全體者也此
書也先詳骨肉筋皮之屈伸分理經絡兪穴之
流注卑高前記之圖而諭其所後附之註而示
  三ウラ
其法矣近世取穴之書不少也然未有若是眀且
盡者也夫人持此書以向形骸則猶庖丁之觧
牛手之所觸肩之所倚足之所履膝之所踦騞
然無不解者焉而後筋骨皮肉經絡兪穴屈
伸卑高其如示諸斯乎乃名以指掌固不誣也
且此書之觧釋以國字者蓋為弟子求之故
耳顧若骨度挨穴委曲之説讀誦或毫差則
謬以千里未如國字之易〃也可謂用心者也
  四オモテ
草稿既在于世間而恐有傳寫之魚魯故以圖
象觧釋其手自所筆之本書輙壽之乎梓
以藏其家塾而應同好求之嗚呼其德行懇至
循〃示人意至矣吾其審於玄令甫云
文化三年龍集丙寅十一月至日
 醫官     平田信行道有
    〔印形黒字「醫官/◆◆◆」、白字「平信/行印」〕


  【訓み下し】
  三オモテ
經穴指掌叙
夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは
其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得。然れども未だ
其の皮肉筋骨を具えて之を得る者有らざるなり。詩や書や、其の全
體を得るは、實(まこと)に難しと為す。經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。未だ
皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。此の
書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の
流注卑高を詳らかにす。前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して
  三ウラ
其の法を示す。近世取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き眀にして且つ
盡くせる者有ざるなり。夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の
牛を解くがごとし。手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞
然として解せざる者無し。而かる後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈
伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。
且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故
のみ。顧(た)だ骨度挨穴委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち
謬(あやま)り千里を以てす。未だ國字の易々なるに如(しか)ざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。
  四オモテ
草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖
象を以て解釋す。其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、
以て其の家塾に藏し、而して同好之を求むるに應ず。嗚呼、其の德行は懇至にして、
循々として人に示す。意至れり。吾、其れ玄令甫に審かと云う。
文化三年、龍集は丙寅、十一月至日
 醫官     平田信行道有


  【注釋】
  三オモテ
○伯瑛:後漢の張芝のことか。字は、伯英。草聖といわれた。 ○杜甫:字は子美、号は少陵。詩聖とよばれた。 
  三ウラ
○眀:「明」の異体字。 ○夫:「支」字にも見えるが、「夫」としておく。 ○庖丁:『莊子』養生主:「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音」。 ○觧:「解」の異体字。 ○無:判読に自信なし。ひとまず「無」と読んでおく。 ○其如示諸斯乎乃名以指掌:『論語』八佾:「或問禘之說。子曰、『不知也。知其說者之於天下也、其如示諸斯乎』、指其掌」。指掌:掌紋を指さしてひとに示す。容易なことの比喩。 ○誣:だます。あざむく。 ○國字:カナ。 ○挨穴:取穴。 ○委曲:詳しく細かにすみずみまで行き届いていること。 ○讀誦:声を出して読む。閲読する。 ○毫差:わずかのちがい。『大戴禮記』禮察:「易曰、君子慎始、差若毫釐、繆之千里」。 ○用心:心をつくす。『孟子』梁惠王上:「察鄰國之政、無如寡人之用心者。」
  四オモテ
○傳寫之魚魯:文字の形が似ているため、写し誤ること。 ○手自:みずから。手ずから。 ○壽:保存する。 ○梓:版木。 ○德行:道徳に基づいた行為。 ○懇至:誠摯周到まごころのこもったさま。 ○循〃:順序正しいさま。 ○甫:男子に対する尊敬語。 ○文化三年龍集丙寅:1806年。龍集は歳次。 ○至日:夏至あるいは冬至。 ○平田信行道有:幕府医師、平田貞庵か。武田信復(叔安)の二男。『寛政重修諸家譜』卷十七・216頁。


  オモテ
古人有言曰、人心是所學、體安所習、鮑
肆、不知其臭、翫所以先入、此書也、亦予
之是所學、而安所習者耳、從學之
徒、有寫去者焉、傳〃之多、豈無誤乎、魚
魯一混、則淄澠難辨焉、今二三之同志
多寡助其費、以刻于家塾、然學之不
博、習之不熟、未能審於先入之果非而漫
  ウラ
翫鮑臭邪非邪、世之明者、見其不是、
若改而正諸、不亦可乎
文化丁卯春三月上巳
城南八官鷹起平玄達謹書
(印形「鷹/起達」「玄/霝(レイ))
  【訓み下し】
古人に言有り。曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑
肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。此書や、亦た予
の學ぶ所を是とし、而して習う所に安ずる者のみ。從學の
徒に、寫し去る者有り。傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。魚
魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。今、二三の同志、
多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。然れども學の
博からず、習いの熟せずして、未だ先ず入るの果、非にして漫(みだ)りに
  ウラ
鮑臭を翫うや、非なるやを審かにする能わず。世の明なる者、其の是ならざるを見て、
若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。
文化丁卯春三月上巳
城南八官鷹起平玄達謹書

 【注釋】
○凡人心是所學、體安所習。鮑肆不知其臰、翫其所以先入。(文選巻三・東京賦)…凡そ人の心は學ぶ所を是とし、體[み]は習う所に安んず。鮑肆 其の臰を知らざるは、其の先づ入る所以に翫[なら]へばなり。(いったい人の心は自分の学んだことを是とし、人は習慣に安んずるものです。また、塩づけの魚を売っている店に久しく入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからです。)『全釈漢文大系26・文選一』集英社、209頁 ○魚魯:魯魚帝虎。『抱朴子』内篇、遐覽:「書三寫、魚成魯、帝成虎。」みな文字の形が似ていることによる傳寫あるいは版木に彫るときの誤りを指す。魯魚亥豕。 ○淄澠(シベン):淄水と澠水の併称。ともに今、山東省にある。二つの川の水の味はそれぞれ異なり、混ぜると判別しがたくなると伝えられる。 ○從學:就学。 ○多寡:多いと少ない。若干、あるいは多く。ここでは沢山の意か。 ○上巳:旧暦の三月三日。 ○鷹起平玄達:高田玄達。平氏。字は玄令。鷹起は号か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した。(篠原孝市先生解説および斯文会司書岩井直子さんによる) ○八官: 中央区銀座8-4-5に八官(ハチカン)神社あり。

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