2010年12月21日火曜日

15-7 鍼法要集

15-7鍼法要集
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼法要集』(シ・710)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』15所収

鍼法要集序       ※傍注:要、當作略
夫鍼灸者救急之法干而能刺則   ※「干」としたが、カナの「ニ」か?
其功湯液ニ勝雖然左右上下
隂陽表裏血氣之多少邪之有
處病之居處ヲ知經脉之行道
ヲ審シ補瀉委敷而是ヲ刺者也
偶其名有者ヲ見ルニ或鍼ヲ下
ニ以而不下或ハ片手ヲ以シ或ハ   ※以:「似」か?
扇ヲ以而是ヲウチ或水銀之刀ヲ   ※傍注:刀、当作力
以テ鍼ヲ出入シ只忍痛之労無ク
  ウラ   428
而人々之眼ヲ驚シテ其名ヲ得
爰ヲ以テ其功無シ此故鍼道益
衰ユ月々ニ微日 小ニシテ今ハ只
鍼道庸醫盲人之業ト成夫歎
可シ猶可悲凡鍼ハ隂陽天地
八風四時之理ニ應而左右上下
是ヲ刺スニ皆法則有其道ヲヲ     ※上の「ヲ」は「干」としたのと同じ字か?
以テセハ病及愈可シ其道ヲ以テ
セサレハ病必愈コト不能故凡
鍼ヲ用ント欲セハ必先意難諸家
  オモテ  429
之書ヲ譜ンシ五經六腑十二經ヲ   
             ※「譜」は、「諳」、「五經」は「五臓」の誤字であろう。
照ラカニシテ行可シ雖然◆人愚    ※◆は、「門」か?
盲之輩是ヲ知ル叓能ス故ニ窮ニ
素靈八十一難甲乙千金外臺明
道之書扁ヲ集メ其不可成ヲ捨
而其可成ヲ舉日〃ニ一二行ヲ書シ
テ遂ニ積テ一部ニ至リ別テ上下ト
為ス名テ鍼法要集ト題ス初
ニハ皆脉ヲ謂フ次ニハ按腹之法鍼
刺之禁法及ヒ五臓六腑之論営
  ウラ  430
衛三焦命門包絡之辨或疾病
之論ヲ舉ケ及ヒ九鍼之カタチ五兪
之有處募穴之有處下兪ノ治
スル所謂五行及絡脉ノ論補瀉
迎随ヲ演ヘ次ニハ症ヲ分テ鍼ヲ用
ニ誤無キ叓ヲ識シ婦人小児外科
之部ニ至ル亦悉ク盡而已予他ニ
アラハス所ヲ覚ヘ諳スルニ至ラハ何
之病ニ向トモ治寸ル叓勿ル可シ
時寛政壬子年夏六月丙辛      ※「辛」、判読に自信なし。
 メクラヘビノ先生  源長起序



鍼法要集序       ※傍注:要、當作略
夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち
其の功、湯液に勝る。然りと雖も、左右上下、
陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る
處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道
を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。
偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下す
に以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは
扇を以てして是をうち、或いは水銀の力を
以て鍼を出入れし、只だ忍痛の労無く
  ウラ   428
して、人々の眼を驚かして、其の名を得。
爰(ここ)を以て其の功無し。此の故に鍼道益々
衰ゆ。月々に微に、日々に小にして、今は只だ
鍼道、庸醫盲人の業と成る。夫れ歎く
可し。猶お悲しむ可し。凡そ鍼は陰陽天地、
八風四時の理に應じて、左右上下、
是れを刺すに、皆な法則有り。其の道を
以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。其の道を以て
せざれば、病必ず愈ゆること能わず。故に凡そ
鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家
  オモテ  429
の書を諳んじ、五經〔臓〕六腑、十二經を
照(あき)らかにして行う可し。然りと雖も、◆〔門〕人愚
盲の輩、是れを知る事能す。故に窮むるに
素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明
道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、
其の可成るを舉げ、日々に一二行を書し
て、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と
為す。名づけて鍼法要集と題す。初め
には、皆な脉を謂ふ。次には按腹の法、鍼
刺の禁法、及び五臓六腑の論、営
  ウラ  430
衛、三焦、命門、包絡の辨、或いは疾病
の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪
の有る處、募穴の有る處、下兪の治
する、所謂五行及び絡脉の論、補瀉
迎随を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いる
に誤り無き事を識(しる)し、婦人、小児、外科
の部に至る。亦た悉く盡すのみ。予、他に
あらはす所を覚へ諳んずるに至らば、何
の病に向うとも治する事勿かる可し。
時寛政壬子年夏六月丙辛      ※「丙辛」、が正しいとすると「丙申」か?
 メクラヘビノ先生  源長起序


  〔識語〕
右鍼法要集全
卷之上下、續編
迄却而一百十有
壹枚者、因鍼醫
之氣◆數ともに
本書之侭不顧愚
筆、享和三癸亥
年秋、於小川町邊
写之畢

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