2010年12月25日土曜日

17-4 水腫刺鍼法

17-4 水腫刺鍼法
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『水腫刺鍼法』(ス・14)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』17所収。

  序、読めない字が多い。かりに読んで文字を繋いでみる。識者の示教をもとむ。〔〕でかこんだのは、特にあやしいところ。
  一オモテ 383
水腫刺鍼法序
巨川不可濟則多舟楫之利興淡 
味不可食則有塩梅之和調人有痰
疾則有岐黄氏之術作凡嶮阻扞 
格進退性各不可奈何則〔應〕有救之
之道而興〔矣素苶〕然委頓其處
  一ウラ  384
者天之所以爲心也昌平之世父母
既順兄弟既翕和樂且湛亦何所之
有哉唯有痰疾爲人患其名以類分
以百數云亦各有其方以救之雖少間
罹痛苦幸復故則壯健如初以樂昌平
之祭則人生之榮有尚焉者乎予初知
  二オモテ 385
星陵子不以刀圭而以筆翰其以筆翰也於今
屈指既三十餘年當時雖口不言然以已知
其術之不凡幸而予家不罹于疾病不請
已辛酉歳朝幼女中風寒變而爲水腫
衆毉束手相視呆然無所措手於是頓
思星陵子之術遄行請之及其施刺
  二ウラ 386
鍼之術片時而病去其太半々年〔復/後〕而
全兪〔眞自之/其自言〕更肉枯藁〔復/後〕産者也
於是天之所以爲心果可見已予竊謂近歳
世患水腫者多矣而其施此術者所不
多聞也若筆之於書傳之於世應蒙其
惠者多矣會其門人齎一小冊子而來、
  三オモテ  387
閲之則手録其事者也將以上梓請此予
予曰亦有何不可乎苟有利於民者知
而不爲不仁也子其速爲之其人歸而上梓
遂以予言爲序
      平渕識
向陵逸史書
〔印形白字「◆/之」黒字「向/陵」〕
  【訓み下し】
  一オモテ 383
巨川濟(わた)る可からざれば、則ち舟楫の利興多し。淡 
味食う可からざれば、則ち塩梅の和調有り。人に痰
疾有れば、則ち岐黄氏之術作有り。凡そ嶮阻扞
格進退の性、各おの奈何ともす可からざれば、則ち應に之を救ふべき
の道有るべくして興る。素より苶然として其の處に委頓する
  一ウラ  384
者は、天の心を爲す所以なり。昌平の世、父母
既に順ひ、兄弟既に翕(かな)い、和樂し且つ湛(たの)しむ。亦た何の所か之れ
有らんや。唯だ痰疾有りて人の患いと爲(な)るのみ。其の名、類を以て分かてば、
百を以て數うと云い、亦た各おの其の方有りて以て之を救う。少間
痛苦に罹ると雖も、幸いに故(もと)に復せば、則ち壯健なること初めの如く、以て昌平
の祭を樂しめば、則ち人生の榮に尚(くは)うる焉者有らんや。予初めて知る、
  二オモテ 385
星陵子は、刀圭を以てせず、而して筆翰を以てするを。其の筆翰を以てするや、今  に於いて
指を屈すれば既に三十餘年なり。當時、口に言わずと雖も、然れども以て已に
其術の不凡なるを知る。幸いにして予が家、疾病に罹らず、請わずして
已む。辛酉の歳朝、幼女、風寒に中(あた)り、變じて水腫と爲る。
衆醫は手を束ねて相い視て、呆然として手を措く所無し。是(ここ)に於いて頓(にわ)かに
星陵子の術を思い、遄(すみ)やかに行きて之を請う。其の刺
  二ウラ 386
鍼の術を施すに及べば、片時にして病い其の太半を去り、半年後にして
全く兪(い)ゆ。眞に〔之れ自り〕更に肉枯藁し、後に〔復た〕産する者なり。
是に於いて天の心を爲す所以、果して見る可きのみ。予竊(ひそ)かに謂(おも)えらく、近歳
世に水腫を患う者多し。而して其の此の術を施す者は
多く聞かざる所なり。若し之を書に筆し、之を世に傳うれば、應に其の
惠みを蒙むるべき者多からん。會(たま)たま其の門人、一小冊子を齎(もたら)して來たる。
  三オモテ  387
之を閲すれば、則ち手づから其の事を録する者なり。將に以て梓に上(のぼ)さんとし、此  れを予に請う。
予曰く、亦た何ぞ不可有らんや。苟も利、民に有り、知りて
爲さざれば不仁なり。子、其れ速(すみや)かに之を爲せ、と。其の人歸りて梓に上ぼす。
遂に予が言を以て序と爲す。
        平渕識す
向陵逸史書
  【注釋】
○濟:河をわたる。 ○舟楫:船。 ○嶮阻:道がけわしい。艱難辛苦の比喩。 ○扞格:捍格。かたくつかえて、動きがとれないさま。 ○苶然:疲れ切ったさま。 ○委頓:疲れ果てる。疲れ苦しむ。 
  一ウラ  384
○昌平:国運が隆盛で、社会が安定している。 ○翕:仲良く素直。『詩經』小雅・常棣:「兄弟既翕、和樂且湛」。 ○少間:「病が少し良くなる」の意味もあるが、ここでは「しばらく」か。
  二オモテ 385
○刀圭:薬をはかる器具→薬物→医術。 ○筆翰:筆。文筆。 ○歳朝:元旦。
  二ウラ 386
○片時:短時間。
  三オモテ  387
○平渕:  ○向陵逸史:


水腫刺鍼法跋
凡事之難非手操之足蹈之之
難也又非心知之口説之之難
也又非得之手應之心之難也
凡事之難在興當今之絶滅者
而復諸千古之上腫脹之用刺
  一ウラ 422
鍼上古盖有之而秦漢以來其
文辤不少槩見星陵子生乎數
千載之後研精覃思之所得聞
水腫刺鍼之法於我東方葢考
者靈樞者也其切不亦偉乎其
効驗則豚児甞病水腫唯一鍼
  二オモテ 423
突然水出快然病減未再閲月
而強健如故不亦愉快乎其門
人記其所見以著此書請予題
其後予以受星陵子之賜不可
辤焉因題數行其後爾
享和癸亥秋
  二ウラ 424
      藤利貞撰
   〔印形黒字「利/貞」「名/能」〕

  【訓み下し】
水腫刺鍼法跋
凡そ事の難は、手に之を操り、足に之を蹈(ふ)むの
難に非ざるなり。又た心之を知り、口之を説くの難に非ざる
なり。又た之を手に得て、之を心に應ずるの難に非ざるなり。
凡そ事の難は當今の絶滅する者を興して
諸(これ)を千古の上に復するに在り。腫脹の刺
  一ウラ 422
鍼に用いるは、上古蓋し之有り。而して秦漢以來、其の
文辭少なからず概に見ゆ。星陵子、數
千載の後に生まれ、研精覃思の得る所、
水腫刺鍼の法を我が東方に聞く。蓋し考
うる者は靈樞なる者なり。其れ切に亦た偉なるかな。其の
効驗は則ち豚児嘗て水腫を病み、唯だ一鍼もて
  二オモテ 423
突然として水出で、快然として病減じ、未だ再びせず。月を閲して
強健なること故(もと)の如し、亦た愉快ならずや。其の門
人、其の見る所を記し、以て此の書を著す。予に
其の後に題するを請う。予は星陵子の賜を受くるを以て、
辭す可からず。因りて數行を其の後に題するのみ。
享和癸亥の秋
  二ウラ 424
      藤利貞撰す

  【注釋】
  一ウラ 422
○辤:「辭」の異体字。 ○槩:「概」に異体字。 ○星陵子:本書の口授者。 ○研精覃思:綿密に研究し、深く考究する。 ○東方:日本。 ○葢:「蓋」の異体字。 ○豚児:自分の子どもの謙遜語。 ○甞:「嘗」の異体字。 
  二オモテ 423
○閲月:一ヶ月経過する。 ○強健:強壮。健康。 ○享和癸亥:享和三(一八〇三)年。
  二ウラ 424
○藤利貞:名は能か。

3 件のコメント:

  1. 影印を見ずに言うことですから、はなはだ心許ないけれど、最初のほうの例は、「令其不苶然委頓其處者天之所以爲心也」で「その苶然とせしめずしてその処に委頓するは天の心を為すゆえんなり」じゃないでしょうか。「苶然」は疲れた貌で、『荘子』に見えるようです。「委頓」を、『漢辞海』では「疲れたさま」とするけれども感心しない。「委」はユダネルであり、「頓」にもトドマルの意があるから、「その処に身をあずけて休める」と解すべきだろう。それがまさに「疲れたさま」には違いないが。「疲れた様子でなくとも、そのところに身をゆだねて休ませようとするのは天のはからいである。」それにしても「苶然」の前の「不」字は本当にあるんだろうか。それはまあ、「疲れたから休ませる」よりも、「疲れてないようにみえるけど休ませる」のほうが、高度な計らいかもしれぬが。

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  2. つけたし
    「苶」も見慣れない字ですよね。あまり用例も無さそうです。『漢語大字典』では「��」(草冠に尓)がこれと同じといってます。とすると「薾」の略字の変形かもしれない。でも「薾」は『説文』では「華盛」です。もつとも『文選』李善注に引く先の『荘子』の用例は「薾然」になっているらしい。「��」(鬥に爾)がこれと同じという意見もあります。『説文』に「智少力劣也」で、『広韻』には「弱也」です。

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  3. 神麹斎先生に意見に従い、修整しました。
    ありがとうございます。
    「矣素」は、いまだに怪しいままですが。

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