17-3経穴秘授
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『経穴秘授』(ケ・19)
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』17所収
一オモテ
經穴祕授序
經穴之失傳也尚矣古者
先經穴而後藥石今也專
藥石而遺經穴於是鍼
一ウラ
灸之術陵夷而墜於瞽者
之手與蹻摩導引為儔夫
甲乙立經上哲之所存心子
午標幽名醫之所用力鍼
二オモテ
灸豈易言哉勢州松坂鹿
洲君以醫為業好古而有興
廢之志研究經穴而有所
見稽諸古説驗乎今人遂
二ウラ
以國字觧之以圖象明之
著為一小冊名曰經穴祕授
寄送示余〃受覽之經穴
之事詳審明白無可間者
三オモテ
宜傳之於今學醫者論治
搜兪有所按據不亦可乎盖
亦鹿洲君之志也云
享和辛酉冬十月
三ウラ
尾張 山碕克撰
〔印形白字「山碕/克印」「士/敏」〕
源 達書
〔印形白字「源」「達」〕
一オモテ
經穴秘授序
經穴の傳を失するや尚(ひさ)し。古者(いにしえ)
經穴を先にして藥石を後にす。今や
藥石を專らにして經穴を遺(わす)る。是に於いて、鍼
一ウラ
灸の術陵夷して、瞽者
の手に墜ち、蹻摩・導引と儔(そもがら)と為る。夫れ
甲乙の經を立つるは、上哲の心に存する所、子
午、標幽は、名醫の力を用いる所、鍼
二オモテ
灸、豈に言うこと易きかな。勢州松坂の鹿
洲君、醫を以て業と為し、古を好み、而して
廢を興すの志有り。經穴を研究して、而して見る所有りて、
諸(これ)を古説に稽(かんが)え、今人に驗す。遂に
二ウラ
國字を以て之を解し、圖象を以て之を明らかにし、
著して一小冊と為し、名づけて經穴秘授と曰う。
寄送して余に示す。余受けて之を覽るに、經穴
の事、詳審明白にして、間(まじ)う可き者無く、
三オモテ
宜しく之を今に傳うべし。醫を學ぶ者は、治を論じ
兪を搜して、按據する所有らば、亦た可ならずや。蓋し
亦た鹿洲君の志なりと云う。
享和辛酉冬十月
三ウラ
尾張 山碕克撰
「山碕/克印」「士/敏」
源 達書
「源」「達」
【注釋】
一オモテ
○祕:「秘」の異体字。
一ウラ
○陵夷:衰微。 ○瞽者:盲人。 ○甲乙:『鍼灸甲乙經』。 ○上哲:並外れた道徳、才智の人。 ○子午:『子午流注鍼經』。 ○標幽:「標幽賦」。
二オモテ
○勢州:伊勢。 ○鹿洲:『国書総目録』によれば、鹿島忠敬。本書扉に「尾張九皐先生閲」とならんで「齊南鹿洲先生著」とある。「齊南」がどこか、未詳。伊勢神宮(齋)の南、ということか。 ○興廢:衰頽したものを復興する。
二ウラ
○國字:仮名交じり文。和文。 ○間:間にはさむ。
三ウラ
○尾張 山碕克:西尾市岩瀬文庫古典籍書誌データベース『尾藩禁方集成』によれば、山崎克は山崎克明(九皐)であろう。山崎九皐(克明)は名古屋の町医。〔淺井〕貞庵の祖父図南と父茅渟の門人。寛政3年名古屋藩寄合医師に抜擢される。文化7年没76歳。
〔跋〕
南山之竹弗揉自直斬而射
之通於犀革然括之羽之鏃
之其人誰鹿洲子於毉也最
精選此書原歸淺氏今也削
繁正圖而有撰於乎羽之鏃
ウラ
之實濟生之助砥礪之功亦
唯不少焉同郷間埼元晏云
爾享和辛酉秋八月
〔印形黒字「間崎/之印」「元/妟」〕
【訓み下し】
南山の竹は、揉(た)めずして自ら直(なお)く、斬りて
之を射れば、犀の革を通す。然(しか)も之に括して、之に羽し、
之に鏃す。其の人誰ぞ。鹿洲子、醫に於けるや、最も
精選なり。此の書は、原(もと)、淺氏に歸す。今や
繁を削り圖を正して、撰有り。於乎(ああ)、之に羽し
ウラ
之に鏃す。實(まこと)に濟生の助け、砥礪の功も、亦た
唯だ少なからざるのみ。同郷の間埼元晏云(しか)
爾(いう)。享和辛酉秋八月
〔印形黒字「間埼/之印」「元/晏」〕
【注釋】
劉向『説苑』建本:「子路曰、南山有竹、弗揉自直、斬而射之、通於犀革、又何學為乎。孔子曰、括而羽之、鏃而礪之、其入之不亦深乎。子路再拜曰、敬而受教」。
子路曰く「南山に竹があり、矯正しなくともひとりでに真っ直ぐで、これを切って矢として射れば、犀の革をも貫き通します。どうして学ぶ必要がありましょうか」。孔子曰く「矢筈をつけ、矢羽をつけ、矢尻をつけてよく磨けば、より深くまで達するではないか」。子路再拜して曰く「謹んで教えを受けたいと存じます」。
『孔子家語』子路は「揉」を「柔」に、「通」を「達」に作る。
○揉:曲げたわめる。矯正する。 ○括:矢筈の溝をつける。 ○羽:羽をつける。 ○鏃:矢尻をつける。/鏃礪括羽:苦労して鍛錬精進することのたとえ。 ○淺氏:尾張の浅井氏。 ○濟生:衆生を救済する。 ○砥礪:ともに刀を磨く石。砥石でみがく。励み務める。 ○間埼元妟:未詳。伊勢の英虞湾に間崎島あり。 ○享和辛酉:享和元(1801)年。
0 件のコメント:
コメントを投稿