2010年12月23日木曜日

16-2 医源

16-2医源
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『醫源』(イ-136)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』巻十六所収
  一オモテ
醫源序
天地間大小巨細之事、必各有極到之處矣、
字到王氏而極、詩到盛唐而極、文章到韓
蘇而極、學問到四書而極、至於其極處、即
必無不各有一定不變之理而立焉、斯理也、吾
知雖歴于萬世必莫之能變也、於吾醫亦然
矣、醫理到素靈而極、醫方到傷寒論而極、
此亦有一定不変之理、而吾知雖歴于萬世
  一ウラ
莫之能變也、惟惜今之素靈非古之素靈、殘
錯蠧闕、後人妄加補添、故其古之存者、十中
一二、非善讀之者、烏能得其定理、嗚嘑夫素
靈者、醫門典型、不可不信、而亦不能盡信也、孔子
云、吾猶及史之闕文也、孟子云、盡信書、不如無書、
吾於武成取二三策而已、孔子刪書、於唐虞夏
四五百年間不過數篇、而所述厪〃止此、聖賢
刪削之意亦可以知矣、世之讀内經者、固不知
  二オモテ
刪削之意、見其偽之不可信者、則併𢬵其真之
可信、見其真之可從、而惑于其偽、遂不肯從、是
以終身苦、而不能通其義而得其理也、故吾醫
之失傳殆千余年于今、葢亦無善讀之者之
由、是以醫之定理者既滅、而世徒以証候
曲節之末為醫之學、可嘆哉、皮之不存、毛
將安附焉、夫定理之於証候曲節、猶規矩尺
度之於方圓長短也、証候曲節之不可預定、猶
  二ウラ
方圓長短之不可勝窮也、故規矩一立、則不可欺
以方圓、而天下之方圓不可勝用矣、尺度一陳、則
不可欺以長短、而天下之長短不可勝用矣、定理一
明、則不可欺以証候曲節、而天下之証候曲節
不可勝應矣、若夫不眀其定理、而欲定其証
候曲節、猶不用規矩尺度欲定天下之方圓長
短、吾不見其能有成矣、而後之人不務明其
定理以精察施治、徒懸空討論隂陽五色五
  三オモテ
行倥侗不稽之説、以為醫之道止於此矣、如是
而欲臨事之無遺失、其亦遠矣、間或有覺
其齟齬繆妄支離牽滯、而卓然自奮、盡抛
𢬵世醫之所學、特從内經南陽之典章法則、
欲以挽回古醫學於既滅之後者、亦唯定理
未眀終身苦學、極其所抵、只是一人之私言、而
古神醫之蘊奥、遂不可覩、於是乎有引據之
學、而言之以為博、有駁雜之學、而言之以為
  三ウラ
通、紛〃藉〃羣起角立於天下、又不知其所適、
世之學醫者、如入百戲之場、耳目眩瞀、精神
恍惚、又如病狂喪心之人、茫乎莫自知其言之
所歸、此乃所以岳父竽齋先生有醫源之
著也、先生甞曰、醫學失傳、邪説互出、殺人之禍
烈也、葢古神醫之療病、自有一定不變之理、而
世之病者、常有萬變無涯之証候、然而不審
其理之定者、而欲察其証之變者、猶捨規矩尺
  四オモテ
度而欲為方圓長短、吾未知其不為謬也、乃
窮源及流、上自素靈難經、下至元明喎蘭諸
書、廣求博採、而後刪内經正難經、務芟葛
藤無稽之謬語、取諸古、而徴諸今、至於理
極義盡之處、而始一定不變之言立矣、於
是精神之本眀、而營衛之行詳、死生消
長之機、不復能竄匿隱晦於其間焉、三部
九候之法定、而虗實寒熱之變不謬、三焦
  四ウラ
十二蔵之職正、而氣化消化之候莫惑、若能
明此理、而後善讀内經諸書、譬猶青天白
日走十字街上、莫復耳目眩瞀之惑矣、嗚
呼確乎、先生識見之出人意表也、如非有怪
偉特絶之識、豈能便斷得如此其分明、唯
恐醫學失傳既久、邪説之毒淪浹於人之
心髓、相習以為常、世乏於勇斷改過之
人、其冥悍自信之徒、則見以為怪奇異
  五オモテ
于己、至如囫圇呑椒之徒、一槩見以為高古
淵深、不可企及矣、雖然世豈不有夫豪傑之士
無待而興起者耶、有則聞此論、必有惻然而
悲、憤然而起、沛然若决江河、所不可禦
者矣、此余之所以望諸世也、醫源刻成、
乃以此為序、
櫟園石阪道宏宗圭謹識 〔印形黒字「◆/◆」「櫟/園」〕
  【訓み下し】
  一オモテ
醫源序
天地間、大小巨細の事、必ず各々極到の處有り。
字は王氏に到りて極まり、詩は盛唐に到りて極まり、文章は韓
蘇に到りて極まり、學問は四書に到りて極る。其の極まる處に至れば、即ち
必ず各々一定不變の理有りて立たざること無し。斯の理や、吾
知る、萬世を歴ると雖も、必ず之を能く變ずること莫きことを。吾が醫に於けるも、亦然り。
醫理は素靈に到りて極まり、醫方は傷寒論に到りて極まる。
此れも亦た一定不変の理有りて、而して吾知る、萬世を歴ると雖も、
  一ウラ
之を能く變ずること莫きことを。惟だ惜む、今の素靈は古(いにしへ)の素靈に非ず。殘
錯蠧闕、後人妄りに補添を加ふ。故に其古への存する者は、十中
一二。善く之を讀む者に非ざれば、烏(いづ)くんぞ能く其の定理を得ん。嗚嘑(ああ)夫れ素
靈は、醫門の典型、信ぜざる可からず。而れども亦た盡く信ずること能はざるなり。孔子
云ふ、「吾れ猶ほ史の闕文に及べり」と。孟子云ふ、「盡く書を信ずるは、書無きに如かず。
吾、武成に於いて二三策を取るのみ」と。孔子の書を刪る、唐虞夏
四五百年間に於いて數篇に過ぎず。述ぶる所厪〃此に止まる。聖賢
刪削の意も亦た以て知る可し。世の内經を讀む者、固(まこと)に
  二オモテ
刪削の意を知らず。其の偽の信ず可からざる者を見れば、則ち併せて其の真の
信ず可きを𢬵(す)つ。其の真の從ふ可きを見ては、而も其の偽に惑ひ、遂に肯えて從はず。是(ここ)を
以て終身苦しめども、其の義に通じて其の理を得ること能はず。故に吾が醫
の傳を失すること殆んど今に千余年。葢し亦た善く之を讀む者無きに之れ
由る。是を以て謂所(いわゆ)る醫の定理なる者(モノ)、既に滅して世徒(いたず)らに証候
曲節の末を以て醫の學と爲す。嘆ず可きかな。皮の存せざる、毛
將(は)た安(いづ)くに附かん。夫れ定理の証候曲節に於ける、猶ほ規矩尺
度の方圓長短に於けるがごときなり。証候曲節の預(あらかじ)め定む可からざる、猶ほ
  二ウラ
方圓長短の勝(あ)げて窮む可からざるルがごときなり。故に規矩一たび立てば、則ち欺くに
方圓を以てす可からず。而して天下の方圓勝げて用ゆ可からず。尺度一たび陳すれば、則ち
欺くに長短を以てす可からず。而して天下の長短勝げて用ゆ可からず。定理一たび
明らかなれば、則ち欺くに証候曲節を以てす可からず。而して天下の証候曲節
勝げて應ず可からず。若し夫(そ)れ其の定理を明らかにせず、其の証
候曲節を定めんと欲す、猶ほ規矩尺度を用ひずして天下の方圓長
短を定めんと欲するがごとし。吾れ其の能く成ること有るを見ず。而るに後の人、其の
定理を明らかにして以て施治を精察することを務めず、徒らに陰陽五色五
  三オモテ
行倥侗不稽の説を懸空討論し、以て醫の道此に止まると爲す。是の如くにして
事に臨みて之れ遺失無きことを欲す。其れも亦た遠し。間ま或いは
其の齟齬繆妄支離牽滯を覺えて卓然として自ら奮し、盡く
世醫の學ぶ所を抛𢬵し、特に内經南陽の典章法則に從ひて、
以て古醫學を既滅の後に挽回せんと欲する者有れども、亦た唯だ、定理
未だ明らかならず、終身苦學して、其の抵る所を極むるに、只だ是れ一人の私言ニシテ、
古神醫の蘊奥、遂に覩る可からず。是に於いてか、引據の
學有りて、之を言ひて以て博と爲し、駁雜の學有りて、之を言ひて以て
  三ウラ
通と爲す。紛〃藉〃として天下に羣起角立して、又た其の適する所を知らず。
世の醫を學ぶ者、百戲の場に入る如し。耳目眩瞀、精神
恍惚、又た狂を病みて心を喪ふの人の如し。茫乎として自ら其の言の
歸する所を知ること莫し。此れ乃ち岳父竽齋(うさい)先生、醫源の
著有る所以なり。先生嘗て曰く、「醫學、傳を失ひ、邪説互ひに出づ。人を殺すの禍ひ
烈なり。蓋し古神醫の病を療する、自ら一定不變の理有りて、
世の病む者は、常に萬變無涯の証候有り。然り而して
其の理の定まる者を審らかにせずして、其の証の變ある者を察せんと欲す。猶ほ規矩尺
  四オモテ
度を捨てて、方圓長短を爲さんと欲するがごとし。吾れ未だ其の謬爲(た)らざるを知らざるなり。乃ち
源を窮して流に及び、上(かみ)、素靈難經自り、下(しも)、元明喎蘭の諸
書に至るまで、廣く求め博く採り、而る後に内經を刪り、難經を正し、務めて葛
藤無稽の謬語を芟(か)り、諸(これ)を古に取りて、諸を今に徴し、理
極まり、義盡るの處に至りて、始めて一定不變の言立つ。
是に於いて精神の本(もと)明らかにして、營衛の行(めぐ)り詳らかなり。死生消
長の機、復た其の間に竄匿隱晦すること能はず。三部
九候の法定まりて、虗實寒熱の變謬(あやま)らず。三焦
  四ウラ
十二蔵の職正しふして、氣化消化の候惑ひ莫し。若し能く
此の理を明らかにして、而る後に善く内經諸書を讀まば、譬へば猶ほ青天白
日に十字街上を走るがごとし。復た耳目眩瞀の惑ひ莫し。嗚
呼確乎たり。先生識見の人意表に出づるや、如(も)し怪
偉特絶の識有るに非ざれば、豈に能く便ち斷じ得ること此(かく)の如く其れ分明ならん。唯だ、
恐らくは醫學、傳を失ふこと既に久しく、邪説の毒、人の
心髓に淪浹し、相い習いて以て常と爲し、世、勇斷改過の
人に乏し。其の冥悍自信の徒なれば、則ち見て以爲(おもへ)らく、怪奇にして
  五オモテ
己(おのれ)に異なり、と。囫圇呑椒の徒の如きに至りては、一槩に見て以爲らく、高古
淵深、企て及ぶ可からず、と。然りと雖も、世、豈に夫(か)の豪傑の士の
待つこと無くして興起する者有らざらんや。有らば則ち此の論を聞きて、必ず惻然として
悲しみ、憤然として起こリ、沛然として江河を决するが若く、禦(ふせ)ぐ可からざる所の
者有らん。此れ余の諸(これ)を世に望む所以(ゆえん)なり。醫源刻成、乃ち此(これ)を以て序と爲す。
櫟園石阪道宏宗圭謹識 


  【注釋】
  一オモテ
○王氏:王羲之。書聖と称される。 ○盛唐:明の李夢陽は「文必秦漢、詩必盛唐」といったという。 ○韓蘇:韓愈と蘇東坡。唐宋八大家と称されるうちの二人。 ○四書:『大學』『中庸』『論語』『孟子』。 ○一定不變之理:『四庫全書総目提要』子部・医家類「儒有定理、而醫無定法。」 
  一ウラ
○素靈:『素問』『霊枢』。 ○殘:殘缺不全。殘本(欠けている部分が多い本)。 ○錯:錯誤。文字が誤っている。 ○蠧:虫食いの被害。 ○闕:闕本(冊数や巻数が欠けている本)。闕文(文字に脱漏がある)。 ○孔子云:『論語』衞靈公。 ○孟子云:『孟子』盡心下。 ○唐:伝説の帝王、堯。はじめ陶に封じ、のちに唐に封じられたので陶唐氏という。 ○虞:舜。堯より禅譲される。虞に建国したため、虞舜あるいは有虞氏と称せらる。 ○夏:商(殷)の前に存在したとされる王朝。禹が舜の禅譲を受けて建てた。 ★『傳習錄』卷上「孔子云、吾猶及史之闕文也。孟子云、盡信書、不如無書。吾於武成取二三策而已。孔子刪書、於唐虞夏四五百年間、不過數篇。豈更無一事、而所述止此。聖人之意可知矣。聖人只是要刪去繁文、後儒卻只要添上。」(『新釈漢文大系』所収本59頁~)
  二オモテ
○内經:『黄帝内経』。 ○皮之不存……:『傷寒論』張仲景自序および『春秋左傳』僖公傳十四年。 ○猶規矩尺度之方圓長短:『傳習錄』卷中・答顧東橋書「夫良知之於節目時變、猶規矩尺度之於方圓長短也。節目時變之不可預定、猶方圓長短之不可勝窮也。故規矩誠立、則不可欺以方圓、而天下之方圓不可勝用矣、尺度誠陳、則不可欺以長短、而天下之長短不可勝用矣。良知誠致、則不可欺以節目時變、而天下之節目時變不可勝應矣。」(『新釈漢文大系』所収本239頁~)
  二ウラ
○懸空:地に着いていない。現実離れした。『傳習錄』卷中「顧欲懸空討論此等變常之事……(顧(かえ)って懸空に此等の變常の事を討論し……と欲す)」(『新釈漢文大系』所収243頁)
  三オモテ
○倥侗:無知蒙昧。 ○不稽:でたらめ。根拠のない。『孔子家語』三恕:「聽者無察、則道不入。奇偉不稽、則道不信。」 王肅注:「稽、考也。」 無稽:無可考信、沒有根據。『書經』大禹謨:「無稽之言勿聽、弗詢之謀勿庸。」荒唐無稽。 ○繆妄:謬妄に同じ。荒謬愚妄。 ○支離:散亂而無條理。 ○牽滯:束縛。拘泥。『傳習錄』卷中「間有覺其空疏謬妄、支離牽滯、而卓然自奮、欲以見諸行事之實者、極其所抵、亦不過爲富強功利五霸之事業而止。」(『新釈漢文大系』所収265頁:たまにはそれらの無内容・誤り・不統一・不自然などに気づき、勇気を奮って天下の風潮に抗し……) ○南陽:張仲景は南陽のひと。『傷寒論』。 ○引據之學:考證之學(考據學)を指しているか。『傳習錄』卷下「後世學者博聞多識、留滯胸中、皆傷食之病也。」(『新釈漢文大系』所収本427頁) ○駁雜:交雜混亂。
  三ウラ
○紛紛:多くて乱雑なさま。 ○藉〃:籍籍。縦横に交錯するさま。紛紛籍籍は、入り乱れごたごたしたさま。唐・韓愈『讀荀』:「紛紛籍籍相亂、六經與百家之説錯雜。」 ○羣起:「羣」は、「群」の異体字。蜂起する。 ○角立:ひときわ抜きんでて立つ。並んでも譲らない。 ○百戲:アクロバットなど色々な曲芸。 『傳習錄』卷中「若是者、紛紛籍籍、羣起角立於天下、又不知其幾家。萬徑千蹊、莫知所適。世之學者、如入百戲之場、讙謔跳踉、騁奇鬭巧、獻笑爭妍者、四面而競出、前瞻後盼、應接不遑、而耳目眩瞀、精神恍惑、日夜遨遊淹息其間、如病狂喪心之人、莫自知其家業之所歸。」(『新釈漢文大系』所収本265頁:この種の学問が雑然と天下に群がり立って、幾学派あるともしれず、……そこで世の学問を志す人は、まるで綜合娯楽場に入ったようなもので、……目は眩み、耳は遠くなって、精神が朦朧として来る。……神経衰弱か記憶喪失症になって……)
  四オモテ
○喎蘭:和蘭。オランダ。 ○三部九候:『素問』三部九候論(20)などを参照。 ○葛藤:物事などがもつれて処理しにくいことのたとえ。 ○竄匿:逃げ隠れる。 ○隱晦:はっきりしない。暗いところに隠れる。
  四ウラ
○出人意表:「表」は外。予想の外に出る。宋・蘇軾『舉何去非換文資狀』「其論歷代所以廢興成敗、皆出人意表」。 ○怪偉:優れて雄大。特異。 ○特絶:卓絶。 ○淪浹:深く入り込む。大きな影響を及ぼす。淪肌浹髓。肌膚、骨髓まで浸透する。『淮南子』原道:「不浸於肌膚、不浹於骨髓」。『傳習錄』卷中「蓋至於今、功利之毒淪浹於人之心髓、而習以成性也、幾千年矣。」(『新釈漢文大系』所収本265頁:功利の観念の害毒は、人の心臓骨髄にまで浸み渡り……) ○冥:愚昧。ものごとの理にくらい。/悍:勇敢。理をわきまえない。王陽明『靜心錄』文錄一「為無師友之講明、認氣作理、冥悍自信、終身勤苦而卒無所得、斯誠可哀矣」。
  五オモテ
○囫圇呑椒:囫圇吞棗。椒(棗)を咬まないで丸呑みする。物事を分析せず、あいまいなまま受け入れる。学習しても突き詰めて理解しない。囫圇:丸ごと。全体。あいまい。 ○高古:高雅古樸。 ○渕深:「渕」は「淵」の異体字。深厚、深遠。 ○惻然:悲しむさま。 ○憤然:怒るさま。 ○沛然:盛んなさま。 ○江河:長江と黄河。『孟子』盡心上「若决江河、沛然莫之能御也」。『傳習錄』卷中「其聞吾拔本塞源之論、必有惻然而悲、戚然而痛、憤然而起、沛然若決江河、而有不可禦者矣、非夫豪傑之士、無所待而興起者、吾誰與望乎」。(『新釈漢文大系』所収269頁:……世間には必ずや感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然と起ち上がって、大河の堤防を決って水の奔流するごとく突進し、これを停めることのできないような人のあることを信じて疑わないのである。しかし、このようなことを期待できるのは、全く他人に頼らずに、自己の独力で自覚して立ち上がり得る、豪傑の士以外にはないが、……) ○櫟園石阪道宏宗圭:石坂宗哲の娘婿、宗圭または宗珪(~一八六三)。名は道弘、または道宏。別名、宗元。字は公琦。櫟園は号。『人参攷』を著す。

1 件のコメント:

  1. もし◆の中に?が二つ続いて見える部分があるとすれば,その部分は1文字で「扌+弃」です。意味は「捨てる」。
    UnicodeB領域は二文字分の「◆の中に?」やいわゆる豆腐「□」になるようです。

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