2010年12月28日火曜日

17-5 經穴示蒙

17-5經穴示蒙
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經穴示蒙』(ケ-18)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』17所収

  一オモテ
經穴示蒙序
經絡兪穴之義昉于素靈難     
經厯世祖述焉葢經絡兪穴
在人身也推其所出在藏府
内藏府活機固不可測知也
先輩之諸説愈多愈誤余
嘗有志于此學然寒郷乏
師友丙寅之夏陪扈吾 公
  一ウラ
來于 江戸羈寓于邸中一年
許僚友有西村先生者博學
洽聞醫家蘊奥無不研窮
余遊其門親炙有日教育殊
厚不亦感戴乎我
本邦近世有一家之醫流其
爲學也捷徑而疎漏不取陰陽
不論藏府以素難爲僞造
  二オモテ
爲迂濶其説曰醫之學唯方
而已於是乎黄岐之道隱焉
經絡兪穴之義廢焉所謂舎
其本根取其枝葉皮之不存
毛將安屬焉先生憂之乃正
經絡督兪穴辨駁後人之
紕繆採摭古先之正説作一小
册題曰經穴示蒙欲使世醫
 2ウラ
興志於古醫道也古人云興廢
繼絶此之謂也
文化丁卯春日
越後 杏所神岡謙識
  〔印形白字「謙」、黒字「◆/◆」〕
  【訓み下し】
經穴示蒙序
經絡兪穴の義は、素靈難經に昉(はじ)む。
歴世、焉(これ)を祖述す。蓋し經絡兪穴は、
人身に在るなり。其の出づる所を推せば、藏府の内に在り。
藏府の活機は、固(もと)より測知する可からざるなり。
先輩の諸説は、愈いよ多くして愈いよ誤まる。余
嘗つて此の學に志有り。然れども寒郷は、
師友に乏し。丙寅の夏、吾が公に陪扈し、
  一ウラ
江戸に來たる。邸中に羈寓すること一年
許(ばか)り。僚友に西村先生なる者有り。博學
洽聞、醫家の蘊奥、研窮せざること無し。
余、其の門に遊び、親炙すること有日、教育殊に
厚し。亦た感戴せざらんや。我が
本邦に近世、一家の醫流有り。其の
學爲(た)るや、捷徑にして疎漏なり。陰陽を取らず、
藏府を論ぜず。素難を以て僞造と爲し、
  二ウラ
迂濶と爲す。其の説に曰く、醫の學は唯だ方
のみ、と。是(ここ)に於いて、黄岐の道隱れ、
經絡兪穴の義廢る。謂う所の
其の本根を舎(す)て、其の枝葉を取る。皮の存ぜずんば、
毛將(は)た安(いず)くにか屬(つ)かん。先生、之を憂いて、乃ち
經絡を正し、兪穴を督(ただ)し、後人の紕繆を辨駁し、
古先の正説を採摭して、一小册を作る。
題して曰く、經穴示蒙、と。世醫をして
志を古き醫道に興こさしめんと欲すればなり。古人云う、廢を興こし
絶を繼ぐ、と。此の謂(いい)なり。
文化丁卯の春日。
越後 杏所神岡謙識(しる)す。
  【注釋】
○活機:開閉。機微。 ○寒郷:貧しくわびしい土地。 ○丙寅:文化三(一八〇六)年。 ○陪扈:殿のお供をする。
  一ウラ
○羈寓:寄居する。 ○邸:藩邸。 ○僚友:同じ仕事にたずさわる友人。 ○西村先生:西村玄周。字は公密。本書の撰者。 ○博學洽聞:学問のはばがひろく、見識が豊富である。 ○蘊奥:学問のもっとも深いところ。奥義。 ○研窮:研究。問題になる事柄について深く調べ考えて内容をあきらかにする。 ○遊:遊学する。学ぶために行く。 ○親炙:直接指導を受ける。 ○有日:多日。長い間。 ○感戴:感激し敬愛する。目上のひとの徳の恵みに感じて尊敬する。 ○捷徑:簡便な近道。正規にしたがわず、早く目的に達する方法。以下、古方派に対する批判か。
  二オモテ
○迂濶:迂闊。思想言行が実際に合致しない。 ○黄岐:黄帝と岐伯。医家の祖。のちに医道の比喩として用いられる。 ○所謂:『傷寒論』序「祟飾其末、忽棄其本、華其外、而悴其内、皮之不存、毛將安附焉。」 ○督:正し直す。 ○紕繆:錯誤。 ○採摭:拾い取る。 ○世醫:何代にもわたり医業を行っているひと。
  二ウラ
○興廢繼絶:滅亡に瀕する、あるいは滅亡した国家をたすけ、伝承を復興させる。『文選』班固『兩都賦』序:「以興廢繼絶、潤色鴻業。」/興滅繼絶:『論語』堯曰:「興滅國、繼絶世。」 ○文化丁卯:文化四(一八〇七)年。 ○越後:いま、新潟県(佐渡を除く)のあたり。 ○杏所神岡謙:


凡例
一此書專以内經爲主甲乙經次之且傍採摭諸家
 之説以爲童蒙學經穴捷徑
一經穴次第十之八九仍舊其如雲門中府及經渠
 大淵列缺不得已易其次
一五里舊収于大腸經今移置于肺經天容舊収于
 小腸經今移置于膽經其他猶有可疑者仍舊不
 改以俟後之君子
   一ウラ
一脱名穴舊闕而不載焉今取以列次
一稱傳曰者本邦古來諸名家之説多所聞諸先師
 驪恕公者也

          西村公密識
      〔印形黒字「西村/密印」、白字「玄/周」〕

  【訓み下し】
凡例
一、此の書專ら内經を以て主と爲し、甲乙經もて之に次(つ)ぐ。且つ傍ら諸家
 の説を採摭し、以て童蒙、經穴を學ぶの捷徑と爲す。
一、經穴の次第は十の八九は舊に仍(よ)る。其の雲門、中府及び經渠、
 大淵、列缺の如きは、已むを得ず其の次を易う。
一、五里、舊くは大腸經に收むるも、今ま肺經に移し置く。天容、舊くは
 小腸經に收むるも、今ま膽經に移し置く。其の他猶お疑う可き者有るも、舊に仍り
 改めず、以て後の君子を俟(ま)つ。
   一ウラ
一、脱名穴、舊くは闕して載せず。今ま取るに列次を以てす。
一、傳に曰くと稱する者、本邦古來の諸名家の説は、多く諸(これ)を先師
 驪恕公に聞く所の者なり。

          西村公密識(しる)す

  【注釋】
○其次:その次序。順序。ならび。 
   一ウラ
○脱名:本書二十二丁表、天柱の次にあり。 ○先師:今は亡き師。 ○驪恕公:目黒道琢(1739~98)。名は尚忠。字は恕公、あるいは道琢。号は飯溪。「めぐろ」の地名の由来に「馬畦(めくろ)」説あり。『説文解字』:「驪、馬深黑色」。 ○西村公密:玄周。著書に『春靄録』(文化二年序)。書末の「谷王亭著書目録」には、他に『奇兪便蒙』『八十一難經講録』『禇氏遺書注』あり。

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