2010年12月10日金曜日

某氏

渋江抽斎の『霊枢講義』をみていると、何カ所かに「某氏曰」というのが有りますよね。最初の登場は、『十四經發揮抄』を書いた人で、「正保中人」だそうですが、後も同一人物なんでしょうか。
それにしても、どうして某氏なんでしょうか。著者名がしるしてなかったんでしょうか。それとも、はばかる理由でも有ったんでしょうか。例えば、勅撰集の「詠み人知らず」のように。

4 件のコメント:

  1. 「正保中人」 正保:1644年12月16日~1648年02月15日。
    『十四經發揮抄』
    http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/KTGSearch.cgi
    著者:谷村/玄仙 編  別称:昌安斎。
    万治四刊(1661)

    『臨床鍼灸古典全書』第六十五巻所収
    篠原孝市先生解説:
    江戸時代における『十四経発揮』の流布状況にもかかわらず、『十四経発揮』所載の経脈流注や経穴部位についての解説書はあっても、逐語的注解書は少ない。その筆頭に挙げら
    れなくてはならないのは、万治四年(一六六一)刊行の谷村玄仙著『十四経発揮抄』十巻である。これは日中を通じて現在でも『十四経発揮』研究の最高峰とみなされるべき大部の訓釈書である。

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  2. まずは渋江抽斎の引用が,谷村玄仙の『十四経発揮鈔』からであるかどうかを確認することから始めたらいいのでしょう。

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  3. 書き込んでいただいたhttpは機能してません。

    某氏が谷村玄仙であることは、まあまちがいないだろうと思っています。より気になるのは、どうして某氏なんだろうということです。たしか、多紀元簡の『素問識』だったか『霊枢識』だったかにも、邦人の注を引くのに、名をあげないという例が有ったように思います。なぜでしょう。はばかる理由でも有ったんでしょうか、というのが主題です。
    『素問識』や『霊枢識』がどうだったかは、もう忘れましたが、『素問攷注』や『霊枢講義』には、仲間の考証学者はけっこう引用しているんですがね。市井の医者の意見を採り上げては、沽券にかかわるとでも思ったんでしょうか。

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  4. 日本古典籍総合目録
    http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html
    =⇒
    http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/KTGDefault.exe?DEF_XSL=default&GRP_ID=G0001401&DB_ID=G0001401KTG&IS_TYPE=meta&IS_STYLE=default
    書名などを入力して検索する

    『素問識』では,日本人の名は挙げられていなかったように記憶します。
    日本人は名を挙げないという方針だったのでしょうか。

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