2010年12月15日水曜日

15-2 兪穴便覧

15-2兪穴便覧
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『兪穴便覧』(ユ・4)。
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』15所収

兪穴便覧叙
經也絡也氣脈所之猶道路然起
蹷湔腸察膏肓原來於此矣可不
明乎自黄岐倡之和者庶而富矣
惟恨墨絲楊岐愈多愈惑一薫一
蕕不可簡焉齒乎脣乎群蛙亂聽
  一ウラ
汎虖不知攸嚮褎如充耳雖其論
似備也施諸今則豐蔀居半漆桶    ※「居」、原文は「古」を「立」にする異体字。
掃帚不啻耳辟之水月鏡花美則
美矣不可取而授焉是故膠者守
株昧者添足自匪具眼之徒則不
能迎刃而獲其肎綮也後進竟束
  二オモテ
手焉便言天應固古賢所稱要在
於迪滯而已亡一不可刺爇之處
矧乎上下曲直何妨之有從此説
木鐸於前途吠聲耳食矛盾相軋
朙堂之學至掃地也矣木子識少
念之染指二經者閲年矣��荼言   ※「��」、「舌+也」B領域。「舓(舐)」の異体字。
  二ウラ
齏語甘焉如薺取左右逢其原也
甞恐其徒之為妄語兒所紿而上
自軒岐下曁元明錯綜參攷必中
于正鵠以救偏門之弊於是乎朱
紫可辨焉淄澠可味焉書曰念茲
在茲可謂子識亦善念焉近究絶
  三オモテ
韋之力而後授梓記之以隻字不
脩其辭者為啟夫阿蒙而固無意
乎售美要譽則何必潤色追琢藻
繢黼黻以費匠心為辭達而已矣
聖言可徴也九方歅之相馬略其
玄黄取其駿逸子識之意葢在于
此與以余長於方伎家今官於佔
畢丐首冕一言余亦父兄之所業
於此舉也不能不推轂也聊為並
蕪乃以充蘄寛政辛亥清咊月
   友人 星岡源通虎
      〔印形黒字「通虎/之印」、白字「字/文郷」〕


  【訓み下し】
兪穴便覧叙
經や、絡や、氣脈の之く所、猶お道路のごとく然り。
蹷を起し腸を湔い膏肓を察する、原(もと)此より來たる。
明らめざる可けんや。黄岐、之を倡(とな)えて自り、和する者庶にして富めり。
惟だ恨むらくは墨絲楊岐、愈(いよ)々多く愈々惑う。一薫一
蕕、簡(えら)ぶ可からず。齒か脣か、群蛙、聽を亂る。
  一ウラ
汎虖として嚮(むか)う攸(ところ)を知らず。褎として充耳の如し。其の論
備わるに似たりと雖も、諸(これ)を今に施すときは、豐蔀、半(なか)ばに居し、漆桶
掃帚啻(ただ)ならざるのみ。之を水月鏡花の美なることは
美なれども、取りて授く可からざるに辟(たと)う。是の故に膠(かかわ)る者は
株を守り、昧(くら)き者は足を添う。具眼の徒に匪ざる自りは、
刃を迎えて其の肎綮を獲ること能わず。後進、竟に
  二オモテ
手を束(つか)ぬ。便ち言う、天應は固(もと)より古賢の稱する所、要は
迪滯に在るのみ。一も刺爇す可からざるの處亡し。
矧んや上下曲直をや。何の妨げか之れ有らん、と。此の説
前途に木鐸せし從り、吠聲耳食、矛盾相軋り、
朙堂の學、地を掃うに至る。木子識、少(わか)きより
之を念い、指を二經に染むること閲年。荼言  
  二ウラ
齏語を��(な)めて甘んずること薺の如く、左右に取りて其の原(もと)に逢う。
甞(かつ)て其の徒の妄語兒の為に紿(あざむ)かれんことを恐れて、而して上(かみ)は
軒岐自り、下(しも)は元明に曁(およ)び、錯綜參攷、必ず
正鵠に中して、以て偏門の弊を救う。是(ここ)に於いて朱
紫辨ず可く、淄澠味わう可し。書に曰く、茲(これ)を念えば
茲に在り、と。子識も亦た善く念うと謂う可し。近ごろ絶
  三オモテ
韋の力を究めて、而して後、梓に授く。之を記するに隻字を以てし、
其の辭を脩めざる者は、夫(か)の阿蒙を啟(ひら)くが為にして、固(もと)より
美を售(う)り、譽れを要(もと)むるに意無きときは、何ぞ必ずしも潤色追琢、藻
繢黼黻、以て匠心を費すことを為さん。辭達するのみ。
聖言徴す可し。九方歅の馬を相する、其の   
玄黄を略して、其の駿逸を取る。子識が意、葢(けだ)し
此に在るか。余、方伎家に長じ、今ま佔
畢に官するを以て、首に一言を冕せんことを丐(こ)う。余も亦た父兄の業とする所、
此の舉に於いてや、推轂せざること能わず。聊か為に並
蕪して、乃ち以て蘄(もと)めに充(あ)つ。寛政辛亥清咊月
   友人 星岡源通虎
      〔印形黒字「通虎/之印」、白字「字/文郷」〕

  【注釋】
○起蹷:『史記』扁鵲伝、虢太子の部分を参照。 ○湔腸:『後漢書』八十二下 方術列傳華佗:「若在腸胃、則斷截湔洗、除去疾穢」。 ○察膏肓:『春秋左氏傳』成公十年傳:「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰:疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。 ○黄岐:黄帝と岐伯。『黄帝内経』。 ○庶:多い。 ○墨絲楊岐:元は同じでも、末が異なる。ここでは、選択枝が多くて悩むことの意であろう。『蒙求』「墨子悲絲、楊朱泣岐」。『淮南子』説林訓:「楊子見逵路而哭之、為其可以南可以北。墨子見練絲而泣之、為其可以黃可以黑」。高誘曰:「憫其本同而末異」。墨子は白糸があらゆる色に染まるのを賛嘆し、楊子は岐路に立って、どちらの道にもいけるので泣いた。 ○一薫一蕕:『春秋左氏傳』僖公四年:「一薰一蕕,十年尚猶有臭」。薰は香草。蕕は臭草。一薰一蕕は、香草と臭草を一緒にして、十年も放置すれば、香気はなくなり、臭気だけが残る。善いものは消えやすく、悪いものは除きがたい、善いものは悪いものに容易に蔽われてしまうことの比喩。ここでは、善いものと悪いもの。 ○簡:「柬」に通ず。 ○齒乎脣乎:互いに密接で依存する関係にあるもの。 ○群蛙亂聽:未詳。沢山の声がして耳にうるさい、ということであろう。
  一ウラ
汎虖:あふれるさま。「汎」は「泛」に通ず。「虖」は「乎」に通ず。 ○褎如充耳:士大夫の服飾が華美であるのに、その徳が釣り合わないこと。『詩經』邶風.旄丘:「叔兮伯兮、褎如充耳」。「褎」は服飾が華美なさま。「充耳」は耳を塞ぐ、あるいは耳を覆うほどの多くの飾り。 ○豐蔀:光を遮る蔽い。『易經』豐卦˙上六:「豐其屋、蔀其家」。王弼注:「既豐其屋、又蔀其家、屋厚家覆、誾之甚也」。 ○居半:半分を占める。 
○漆桶:漆を入れた桶。あるいは漆塗りの桶。いずれにせよ真っ黒になった桶で、禅宗では、無明ゆえの暗黒の比喩。真っ黒で何も見分けがつかないように、仏法について何もわからない僧。また、その原因である煩悩や妄執。 
○掃帚:ほうき。掃除用具。何の比喩か未詳。俳論『華月一夜論』「或は山海経に見えたる春起鳥をうぐいすぞといふ人あり。 或は又吉利子をうぐいすぞといふ妄説もあり。今のごとく喚起鳥をうぐいすぞといふ億説もあれど。いづれも摸索のみにて★(注に「★は添か」と。)桶掃帚の類なれば。 全決しがたし。」
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/chrono/kagetsu1.html
『碧巖録』一則「打破漆桶」。八十六則「漆桶裏洗黑汁〔「洗」一作「盛」〕」。
『正法律興復大和上光尊者伝』(11)「然而要其所論。率不免為漆桶掃箒之摸索也」。現代語訳「ところが、彼らが唱えていることは、要は重箱の隅をつついているようなものに過ぎない。」
http://www.horakuji.hello-net.info/jiun/biography/11.htm
○辟:「譬」に通ず。 ○水月鏡花:実在しないもの、幻影。水の中の月、鏡の中の花。 ○膠者:「かかわるもの」、フリガナによる。拘泥する者。 ○守株:『韓非子』五蠹:「宋人有耕田者、田中有株、兔走、觸株折頸而死、因釋其耒而守株、冀復得兔、兔不可復得、而身為宋國笑」。過去の経験に拘泥する。 ○昧者:愚昧、蒙昧。愚か者。 ○添足:蛇足を加える。畫蛇添足。『戰國策』齊策二:「舍人相謂曰:『數人飲之不足、一人飲之有餘。請畫地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持卮、右手畫蛇、曰:『吾能為之足。』未成、一人之蛇成、奪其卮曰:『蛇固無足、子安能為之足。』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒」。 ○自匪:自非。もし~でなければ。 ○具眼之徒:事物を鑑別する眼力を有したひと。 ○迎刃:「迎」は「出会う」。刃をすすめる。/迎刃而解。物事を容易に処理することの比喩。 ○肎綮:肯綮。「肎」は「肯」の異体字。物事の急所、要所。肯綮(骨と筋が接する部分)に刃物があたると巧みに切り離せるため。 ○後進:学識や経験の浅いひと。 ○束手:手の施しようがない。方策がない。「束」、しばる。
  二オモテ
○便言:下文によれば、特定のひとのことばのようであるが、誰の言であるか、未詳。 ○天應:上天の感応。 ○古賢:古代の聖人賢者。 ○迪:導く、至る、実行する。 ○爇:焼く。ここでは「灸」の意。 ○上下曲直何妨之:上であろうが下であろうが、曲げようが真っ直ぐにしようが、どうでもよいではないか、という意か。 ○木鐸:銅の鈴で、舌が木製のもの。群衆を集めて布告するときに用いた。警告を発し教導する。 ○前途:これからこの道にすすもうとしているひとのことか。 ○吠聲:吠形吠聲。吠影吠聲。一匹の犬が吠え声をあげると、他の犬もそれにつられて吠える。世の中のひとが真偽もわきまえずに、盲目的に付和雷同すること。 ○耳食:耳を口の代わりにして、食物を判断する。見識が浅く、伝聞を軽々しく信じ込み、真実を追究しない。 ○
朙堂之學:腧穴学。「朙」は「明」の異体字。 ○掃地:地面の塵汚れを掃除する。すっかり破壊され消え失せることの比喩。 ○木子識:鈴木文彊。「木」は「鈴木」の修姓(唐風の呼び方。尊敬語)、「子識」は字。「自叙」末に黒字の印形で「字曰/子〔言+戈〕」とある。〔言+戈〕は「��」(B領域)の省略体で「識」の異体字。 ○染指:『左傳』宣公四年の記事に基づく。ごちそうをもらえないので、鼎の中に指を差し込んだ。おもに他人の持ち分まで手を伸ばすという悪い意味で用いられたが、転じて物事に手をつける意味となる。 ○二經:『素問』『霊枢』。 ○閲年:数年。あるいは二年。 ○��:「舓(舐)」の異体字。 ○荼言:「荼」は苦菜。「荼」のように苦いことば。
  二ウラ
○齏語:「齏」は調味用に細かく砕いた辛い食物あるいは菜の粉末。「齏」のように辛いことば。 ○甘焉如薺:『詩經』邶風˙谷風:「誰謂荼苦、其甘如薺。」薺は、甘い菜。荼菜は苦いが、内心の痛苦に比べれば、薺菜のように甘美に感じる。ひとは心の持ち方で、大きな苦しみも甘美なものとして受け入れられることの比喩。 ○取左右逢其原:『孟子離婁下:「資之深則取之左右逢其原、故君子欲其自得之也」。左右どちらにも水源が得られる。道を自得した者は、それを無限かつ自在に応用できるたとえ。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○妄語兒:でたらめを言う輩。「兒」は、相手を軽蔑した言い方。 ○軒岐:黄帝と岐伯。黄帝は軒轅の丘に生まれたため、軒轅氏という。 ○錯綜:資料をいろいろ運用し綜合的に参照する。『易經』繫辭上:「參伍以變、錯綜其數」。 ○參攷:参考する。「攷」は「考」の異体字。 ○中:命中する。あたる。 ○正鵠:的(まと)の中心。 ○偏門:傍の門。中正でない道。邪道。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○朱紫:『論語』陽貨:「惡紫之奪朱也」。 何晏集解引孔安國曰:「朱、正色。紫、間色之好者。惡其邪好而奪正色」。後に「朱紫」をもって正と邪、是と非、善と悪の比喩とする。 ○淄澠:淄水 と澠水。山東省を流れる川。ふたつの川の水の味は異なると伝えられている。それが混じり合えば判別が難しくなることのたとえ。また性質がはっきりことなる二種類の物のたとえ。 ○書曰:『尚書』大禹漠:「帝念哉。念茲在茲、釋茲在茲。名言茲在茲、允出茲在茲、惟帝念功」。 ○念茲在茲:ひろく思念して、あることを忘れないことを指す。
  三オモテ
○絶韋之力:韋編三絶。三度(何度も)、竹簡を編んでいたナメシ革が切れる。『史記』孔子世家。読書に勉め、学問に勤めるさま。 ○而後:しかるのち。そうしてはじめて。 ○授梓:雕板に附す。印行する。 ○隻字:カタカナのことか。本文は漢字カタカナ交じりの和文。 ○不脩其辭者:漢文を理解できない者。 ○啟:「啓」の異体字。 ○阿蒙:三国時代、呉の名将、呂蒙。武人であったが、孫権のすすめにしたがい、勉学に励み、数年後にはひろい学識を有するようになった。後に学識の浅いひとの意に用いる。 ○潤色:文章を飾る。 ○追琢:雕琢。ことばを飾る。 ○藻繢:藻繪。華麗な色彩。文章。 ○黼黻:衣裳の花柄。文章。 ○匠心:詩文などの作品の創作に凝らす工夫。 ○辭達:意味が通る。 ○聖言:聖なることば。 ○徴:もとめる。あらわれる。 ○九方歅:九方皋。九方堙。人名。春秋時の人。名馬を見分ける名人。『列子』説符に見える。 ○相馬:馬の優劣を観察する。 ○略其玄黄取其駿逸:『列子』説符:「伯樂對曰:『……有九方皋,此其于馬,非臣之下也。請見之。』穆公見之,使行求馬。三月而反,報曰:『已得之矣,在沙丘』。穆公曰:『何馬也』。對曰:『牝而黃』。使人往取之,牡而驪。穆公不說,召伯樂而謂之曰:『敗矣,子所使求馬者。色物、牝牡尚弗能知,又何馬之能知也』。伯樂喟然太息曰:『……若皋之所觀,天機也,得其精而忘其粗,在其內而忘其外;見其所見,不見其所不見;視其所視,而遺其所不視。若皋之相馬,乃有貴乎馬者也。』馬至,果天下之馬也」。色など外見などを問題にせず、その本質を見抜く。/『説文解字』:「驪,馬深黑色」。/駿逸:馬のすぐれている、足の速いさま。 ○葢:「蓋」の異体字。 
  三ウラ
○長:生長する。生まれ育つ。 ○方伎家:方技家。ここでは、医者の家。 ○佔畢:木簡。書籍を読む。儒者のことか。 ○丐:乞い求める。 ○首:巻首。 ○冕:冠。巻頭に置く。 ○舉:行為。 ○推轂:車を前進させる。推挙する。 ○並蕪:未詳。蕪雑な文句を並べるという、謙遜語か。 ○寛政辛亥:寛政三年(1791)。 ○清咊:陰暦四月の別称。「咊」は「和」の異体字。 ○星岡源通虎:未詳。字は文郷。「星岡」は号か。


  四オモテ
腧穴便覧敍
仲尼不云乎信而好古夫學不師古則
豈有能成者乎雖然信古之篤亦不察
古人有一失之在則不獨誤己亦復誤
人多矣要在博覧研究之耳蓋經穴之
書也諸科固非所忽諸而在鍼灸科
則尤為當務之急也見今之業鍼灸者
  四ウラ
大率不依骨度僅以指頭挨二三要穴
其餘置而不論皆取之於其臆粗亦甚
矣社友木子識常有患之欲導其徒令
之習以精其術乃錯綜諸家擇其善者
而從之著腧穴便覧予閲之雖兒女子
一寓目則不縁師友而取法蓋盡於此
矣於戲非特為導童蒙雖老成人亦
  五オモテ
大有所得也間者將上梓來徴叙於予
予素不能文固辭者再三焉不聽因題
數言於卷端聊塞其責云爾
寛政辛亥夏四月
       神戸美恭
    〔印形白字「神戸/美恭」、黒字「玄/眞」〕


  【訓み下し】
  四オモテ
腧穴便覧敍
仲尼云わざるか、信じて古を好む、と。夫れ學びて、古を師とせざれば、則ち
豈に能く成す者有らんや。然りと雖も、古を信ずるの篤きこと、亦た
古人に一失の在る有りを察せざれば、則ち獨り己を誤るのみならず、亦た復た
人を誤らすこと多し。要するに之を博覧研究するに在るのみ。蓋し經穴の
書なるや、諸科固(もと)より諸(これ)を忽せにする所に非ず。而して鍼灸科に在りては、
則ち尤も當に務むべきの急と為すなり。今の鍼灸を業とする者を見れば、
  四ウラ
大率(おおむね)骨度に依らず、僅かに指頭を以て二三の要穴を挨(と)るのみ。
其の餘は置きて論ぜず、皆な之を其の臆に取る。粗なること亦た甚だし。
社友の木子識、常に之を患う有り。其の徒を導きて、
之をして習いて以て其の術を精ならしめんと欲す。乃ち諸家を錯綜し、其の善なる者を擇(えら)んで
而して之に從い、腧穴便覧を著す。予、之を閲すれば、兒女子と雖も
一たび寓目すれば、則ち師友に縁らずして、而して法を取りて蓋し此に盡く。
於戲(ああ)、特(た)だ童蒙を導くを為すのみに非ず、老成の人と雖も、亦た
  五オモテ
大いに得る所有るなり。間者(このごろ)將に梓に上(のぼ)さんとす。來たりて叙を予に徴(もと)む。
予素(もと)より文を能くせず。固辭すること再三なり。聽かず。因りて
數言を卷端に題し、聊さか其の責めを塞ぐと云爾(しかいう)。
寛政辛亥夏四月
       神戸美恭


  【注釋】
  四オモテ
○仲尼:孔子。名は丘、字は仲尼。 ○信而好古:『論語』述而:「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」。 ○夫:「支」字に見えるが、「夫」とした。 ○當務之急:緊急の課題。『孟子』盡心上:「知者無不知也、當務之為急」。 
  四ウラ
○挨:取る。「挨穴」は、「取穴」の意味で、江戸時代用いられた。 ○臆:当て推量。 ○社友:おそらく、なにかの勉強会の仲間。 ○木子識:鈴木文彊。本書の著者。「子識」は字。 ○錯綜:資料を総合的に参考にして運用する。 ○寓目:目を注ぐ。 ○師友:交際して自分の道徳学問などに益あるひと。 
  五オモテ
○能文:文章をつくるのがうまい。 ○聽:聞き入れる。受け入れる。 ○寛政辛亥:寛政三年(1791)。 ○神戸美恭:


  六オモテ
『兪穴便覧』自叙
夫人身有經絡三陰三陽命目者豈猶有道途
山陰三陽命目哉有兪穴命目者豈猶有郡縣
命目哉庖犧氏立道途郡縣命目者是治天下
一端也軒轅氏立經絡兪穴命目者是治人身
一端也故良將者精於地理矣其興平則以德
教其禍乱則察某地理而出甲兵以治之醫亦
無異之故不可不審兪穴也其平性則以養生
其疾病則診某經穴而施鍼灸以治之然不正
  六ウラ
兪穴則不可愈病也故以諸家之説而折衷之
以國字書焉以俚諺説焉為童蒙初學一助題
曰兪穴便覧矣既成而命諸剞劂氏雖然此書
非敢公諸大方也唯欲省子弟傳借謄録之勞
也耳
寛政二庚戌年夏至日 東都鈴木文強識
       〔印形白字「木/彊」、黒字「字曰/子識」〕


  【訓み下し】
夫れ人身に經絡三陰三陽有りて命目する者は、豈に猶お道途に
山陰三陽有りて命目するがごとからんや。兪穴有りて命目する者は、豈に猶お郡縣有りて
命目するがごとからんや。庖犧氏、道途に郡縣を立てて命目する者は、是れ天下を治する
一端なり。軒轅氏、經絡に兪穴を立てて命目する者は、是れ人身を治する
一端なり。故に良將なる者は地理に精し。其の興平なる則(とき)は德を以て
教え、其の禍乱なる則(とき)は某の地理を察して而して甲兵を出して以て之を治す。醫も亦た
之と異なること無し。故に兪穴を審(つまびら)かにせざる可からざるなり。其の平性なる則(とき)は以て生を養い、
其の疾病なる則(とき)は某の經穴を診て、而して鍼灸を施して、以て之を治す。然れども
  六ウラ
兪穴正しからざる則(とき)は病を愈す可からざるなり。故に諸家の説を以て、而して之を折衷し、
國字を以て焉(これ)を書き、俚諺を以て焉(これ)を説き、童蒙初學の一助と為す。題して
曰く、兪穴便覧と。既に成り而して諸(これ)を剞劂氏に命ず。然りと雖も、此の書
敢えて諸(これ)を大方に公にするに非ざるなり。唯だ子弟傳借謄録の勞を省かんと欲するなるのみ。
寛政二庚戌年、夏至日 東都、鈴木文強識(しる)す


  【注釋】
○命目:命名。名前をつける。 ○庖犧:伏羲。 ○軒轅氏:黄帝。 ○興:昌盛。さかん。 ○平:安寧。戦争のない状態。 ○甲兵:武裝した士兵。またひろく軍隊を指す。 ○平性:平生と同じであろう。平時。 
  ウラ
○剞劂氏:彫り師。刻工。/剞劂:雕刻用の曲刀。雕版、刊印。 ○大方:有名な大家。大方家。 ○東都:江戸。 ○寛政二庚戌年:一七九〇年。

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