066宋邑率性 程據徇情 宋邑は性に率(したが)い 程據は情に徇(したが)う (宋邑・程據)
史記宋邑臨淄人率性仁愛志尚醫術就
太倉長淳于意學五𧧂脉論之術遂爲良
醫也
【訓み下し】066-1
『史記』:宋邑は,臨淄の人なり。性に率(したが)うこと仁愛にして,志は醫術を尚ぶ。太倉の長 淳于意に就きて,五診脉論の術を學び,遂に良醫と爲るなり。
【注釋】066-1
○史記:003を参照。 ○臨淄:古營丘地。周封太公望爲齊國。獻公自薄姑徙都此。〔國策齊策〕「蘇秦説齊宣王曰。臨淄之中七萬戸。」秦滅齊。因故城置齊郡。其後項羽封田都爲齊王。漢有天下。封庶長子肥爲齊王。皆卽故城都焉。漢置臨淄縣。爲齊郡治。後漢作臨菑。幷爲青州治。 ○率性:稟性;本性。本來的性質。循其本性;盡情任性。依循天性的所感而行。『禮記‧中庸』:「天命之謂性,率性之謂道」。 ○仁愛:仁厚慈愛。寬仁慈愛;親愛。 ○志:意向、抱負、決心。 ○尚:尊崇、仰慕。主管其事。通「掌」。 ○醫術:醫療技術。治病的技術。 ○就:依順、依從。 ○太倉:古代京師儲穀的大倉。古代政府積藏糧食的地方。職官名。職掌倉廩出納的職務。 ○淳于意:人名。漢臨淄人,生卒年不詳。仕齊為太倉長,世稱為「太倉公」或「倉公」。精通醫術,神於治病,並能論斷死生。文帝時,因故獲罪,當處肉刑,其女緹縈上書,願以身入官為婢,代父贖罪,文帝悲其孝心,因廢肉刑。 ○五𧧂:『史記正義』:「謂診五藏之脈」。/𧧂:「診」の異体字。 ○遂:終究、竟然。就、於是。 ○良醫:醫道高明的醫生。醫術精湛的醫生。
○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・宋邑:「宋邑者,臨淄人也。率性愛人,志尚醫術。就齊太倉公長淳于意學五診脈論之術,為當世良醫(並『史記』)。」
○『史記』扁鵲倉公列傳:「臨菑人宋邑。邑學,臣意教以五診〔【正義】謂診五藏之脈。〕,歲餘。」
識典古籍*******************************************************
史記:宋邑臨淄人,率性仁愛,志尚醫術,就太倉長淳于意學五診脉論之術,遂爲良醫也。
【AI譯文】
『史记』记载:宋邑是临淄人,生性仁爱,立志学习医术,跟随太仓长淳于意学习了五诊脉论的医术,于是成为了一名良医。
【AI 1】『史記』によると、宋邑は臨淄の出身で、生来仁愛の心を持ち、医術を学ぶことを志していた。彼は太倉長の淳于意に師事し、「五診脈論」の医術を習得し、優れた医師となった。
【AI 2】『史記』にはこう記されている:宋邑は臨淄の出身で、生まれつき仁愛の心に厚く、医学を志して、太倉長の淳于意に師事し、「五診脈論(ごしんみゃくろん)」の医術を学んだ。その結果、優れた名医となった。
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