2025年9月9日火曜日

『歷代名醫蒙求』067-1

 劉德精妙 之才神明  劉德は精妙 之才は神明 (劉德・徐之才・徐仲融・徐雄)

    晉書劉德彭城人也少以醫方自達衆疾

    於虚勞尤爲精妙療之隨手而愈猶是向

    風千里而至者多矣官至太醫校尉

    

    【訓み下し】067-1

    『晉書』:劉德,彭城の人なり。少(わか)くして醫方を以て自ら達す。衆疾,虛勞に於いて尤も精妙と爲す。之を療するに手に隨って愈ゆ。猶お是れ風に向かうがごとく,千里にして至る者多し。官 太醫校尉に至る。

    

  【注釋】067-1

 ○晉書:007,015を参照。房玄齢らの『晉書』には見えないようだ。 ○彭城:春秋宋邑。〔左傳成公十八年〕楚子伐宋。宋魚石復入于彭城。〔杜注〕「宋邑。今彭城縣。」卽今江蘇銅山縣。 ○少:年幼的、年輕的。 ○醫方:醫術。醫書;醫療處方。 ○自達:自己勉力以顯達。自然顯達。 ○衆:「眾」の異体字。許多的。如:「眾多」。 ○虚勞:中醫指凡先天不足,後天失調,病久失養,正氣損傷,久虛不復,所表現的各種虛弱症候,皆屬虛勞範圍。此皆由積漸而成。/虚:「虛」の異体字。 ○精妙:精微奧妙。精緻巧妙。 ○隨手:立刻。順手;順便。順手處理。 ○向風:臨風;迎風。景仰、仰慕。謂仰慕其人之品德或學問。 ○千里:形容路途的遙遠。『孟子』梁惠王上:「叟,不遠千里而來,亦將有以利吾國乎?」千里の道も遠いとは思わず。 ○太醫校尉:宮廷醫官名。晉朝置,銀印青綬,地位高於太醫令。別有「殿中太醫校尉」。見『宋書』禮志五。

     ○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・劉德:「劉德,彭城人也。少以醫方自達,長以才術知名。當朝縉〔一作「搢」〕紳伏膺附響。工治眾疾,於虛勞不足,尤見精通,療之隨手而愈。猶是承流向風千里而來者多矣。官至太醫校尉(『晉書』)」。

    

識典古籍*******************************************************

晉書:劉德,彭城人也。少以醫方自達,衆疾於虚勞 爲精妙,療之,隨手而愈,猶是向風千里而至者多矣。

    【AI譯文】

『晋书』记载:刘德,是彭城这个地方的人。(他)年轻时凭借医术而显达,在各种疾病当中对于虚劳症(的治疗)最为精妙,(他)治疗这种病,随手(病就)痊愈了,因此从远方慕名而来的人很多。

    【AI 1】『晋書』によると、劉徳は彭城の出身である。彼は若くして医術によって名声を得た。特に虚労症の治療に卓越し、彼が診ると病はすぐに回復したため、遠方からも評判を聞きつけて訪れる者が多かった。

    【AI 2】『晋書』にはこう記されている:劉徳は彭城の出身で、若いころから医術によって名を上げた。さまざまな病の中でも、虚労症(体力の衰弱や慢性疲労に類する病)の治療に特に優れており、この病を治す際には、手を下すとすぐに快癒するほどであった。そのため、遠方から彼の名声を聞いて訪ねてくる人が多かった。

官至太醫校尉。

    【AI譯文】

他的官职一直做到了太医校尉。

    【AI 1】その功績により、彼は最終的に太医校尉の官職に就いた。

    【AI 2】最終的には、太医校尉(朝廷の医療を統括する高官)にまで昇進した。

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