2011年1月5日水曜日

18-1 挨穴資蒙

18-1挨穴資蒙
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『挨穴資蒙』(ア-47) 
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』第18巻所収
 なお三葉目の文は、二葉目のものとまったく同じ。

  一オモテ
挨穴資蒙叙
氣穴三百六十五以應周期之日其説尚矣
而甲乙經以下所載多闕而不具醫流憾
焉頃者本滑伯仁發揮畧正其分寸之
訛間移易穴位更挿補數穴以充舊數
  一ウラ
既而自謂膏肓穴始見千金方附之背
部者實創于銅人經當素問時恐無此
穴又如八髎穴水熱穴論未嘗言其所屬
骨空刺腰痛論亦未嘗言某經脉氣
所發亦似是奇兪盖去古既遠相傳多
  二オモテ
失其詳不可得而知也今也冥捜妄
填強合其數是徒爲身不如闕疑之爲
愈也雖則云然使初學多記穴名亦所不
妨遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君
云君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼
  二ウラ
從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪
之所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人
身無有可禁之兪又無有不可禁之穴
先府君毎以此見誨併書於茲以諗問
兪穴者    井岡冽識
  三オモテ
失其詳不可得而知也今也冥捜妄填
強合其數是徒爲身不如闕疑之爲愈也
雖則云然使初學多記穴名亦所不妨
遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君云
君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼
  三ウラ
從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪之
所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人身無
有可禁之兪又無有不可禁之穴 先府君
毎以此見誨併書於茲以諗問兪穴者
    井岡冽識

  【訓み下し】
  一オモテ
挨穴資蒙叙
氣穴三百六十五、以て周期の日に應ず。其の説尚(ひさ)し。
而して『甲乙經』以下、載する所多く闕して具(そな)わらず。醫流
焉(これ)を憾む。頃者(このごろ)、滑伯仁の『發揮』に本づき、畧(や)や其の分寸の訛(あやま)りを正し、
間(しば)し穴位を移し易え、更に數穴を挿補して以て舊數に充つ。
  一ウラ
既にして自ら謂(おもえ)らく、膏肓穴は始めて『千金方』に見え、之を背部に
附する者は、實に『銅人經』に創(はじ)む。『素問』の時に當りては恐らく此の穴
無からん。又た八髎穴の如きは、「水熱穴論」、未だ嘗て其の屬する所を言わず。
「骨空」「刺腰痛論」も亦た未だ嘗て某經の脉氣發する所と言わず。
亦た是れ奇兪に似たり。蓋し古(いにしえ)を去ること既に遠く、相傳多く
  二オモテ
其の詳しきを失いて、得て知る可からざるなり。今や冥搜して
其の數を妄りに填(う)め強(し)いて合せしむ。是れ徒(た)だ身の爲には闕疑の
愈(まさ)れると爲すに如(しか)ざるなり。則ち然りと云うと雖も初學をして多く穴名を記さしむるも亦た
妨げざる所なり。遂に釋するに國字を以し、以て蒙士を資(たす)けんと、之を先府君に聞く。
云う、君初め豊前の宇佐郡に在り、一游僧の鐡鍼を善くするに遭う。
  二ウラ
從って學ぶ。僧、書一卷を出だし之を授く、と。書の意は邪
の中傷する所は即ち鍼灸の當に迎隨すべき所と謂う。是(ここ)を以て人
身に之を禁ず可きの兪有ること無く、又た之を禁ず可からざるの穴有ること無し。
先府君毎(つね)に此の見を以て誨(おし)う。併(あわ)せて茲(ここ)に書して以て
兪穴を問う者に諗(いさ)む。
              井岡冽識(しる)す。


  【注釋】
○奇兪:經外穴。『類經圖翼』卷十に「奇兪類集」あり。 熱病五十九兪あるいは六腑の別絡を指す。『靈樞』刺節真邪:「徹衣者、盡刺諸陽之奇輸也……盡刺諸陽之奇輸、未有常處也」。『黄帝内経太素』卷二十二・五藏刺、楊上善注「諸陽奇輸、謂五十九刺」。 ○冥搜:力をつくしてさがす。 ○身:自身。本人。 ○闕疑:疑問があるところはしばらく保留にして断定しないでおく。 ○雖則:譲歩をあらわす。たとい。かりに。それが正しいとしても。 ○國字:和語。書き下し文。 ○蒙士:浅学無知のひと(男子)。 ○先:亡くなった人に対する尊称。 ○府君:亡くなった祖父・父への尊称。 ○君:先府君。 ○豊前宇佐郡:現在、大分県豊後高田市。宇佐神宮などあり。 ○游僧:雲水僧。 ○中傷:きずつける。 ○井岡冽:本書の纂述者。 


  〔跋〕
  オモテ
余近欲脩鍼刺之術就 家君質兪
穴所在 君乃出挨穴撮要及資蒙
二書見授聞之 君幼從驪恕公先
生問經絡之説既而先生没時
君年僅十五未能悉竟其義比至
弱冠折衷羣籍斟酌時師之説
以作為此書距今幾四十年矣予
  ウラ
恐其棄置籭底充蠧蟫之腹竊
淨録之以為帳秘云
 天保乙未重陽前一日
      井岡篤拜識

  【訓み下し】
余、近ごろ鍼刺の術を脩(おさ)めんと欲し、 家君に就きて、
兪穴の所在を質(ただ)す。 君乃ち『挨穴撮要』及び『資蒙』の
二書を出だし、授けられ之を聞く。 君は幼くして驪恕公先生に從い、
經絡の説を問う。既にして先生没す。時に
君は年僅かに十五、未だ悉く其の義を竟(おう)ること能わず。
弱冠に至る比(ころ)おい、群籍を折衷し、時師の説を斟酌し、
以て作りて此の書を為す。今に距つること幾(ほとん)ど四十年なり。予は、
ウラ
其の籭(ふるい)の底に棄て置かれ、蠧蟫の腹を充たすを恐れ、竊(ひそ)かに
之を淨録して以て帳と為し秘すと云う。
 天保乙未の重陽の前一日。
      井岡篤拜して識す。

  【注釋】
○家君:自分の父。 ○挨穴撮要:未詳。 ○驪恕公:目黒道琢(一七三九~一七九八)。
『参攷挨穴編』の撰者。 ○問:たずね聞く。考察する。 ○既而:まもなく。 ○弱冠:二十歳。 ○羣籍(群籍):多くの書籍。もともとは五経以外の諸書を指したが、のちにはひろく各種の書籍を指すようになった。 ○時師:現代の学者。 ○籭:篩。竹の器。 ○蠧:蠹。キクイムシ。蟫と同じ。 ○蟫:シミ。衣服や書籍を食べる害虫。 ○淨録:浄書する。 ○天保乙未:天保六年(一八三五)。 ○重陽:陰暦の九月九日。 ○井岡篤:冽の男(子)。本書の校録者。

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