2011年1月21日金曜日

23-1 宮本氏經絡之書

23-1宮本氏經絡之書
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『宮本氏經絡之書』(ミ・30)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』23所収

   一オモテ
此槀也宮本氏所著經絡之書
也蓋素靈者醫家者流之所祖
也然其辭簡古而義亦深矣苟
非其人不能闚其奥邃過此以
徃諸家之書雖槩盡其精粹間
互有得失是以初學輩不能辨
其可否則不知孰從而求之夫
經絡也者湯藥鍼灸之所關也
   一ウラ
學醫而不眀經絡何以施湯藥
鍼灸乎是所以湯藥鍼灸不可
以一日廢則經絡亦不可以一
日廢也唯此書取正於素靈極
其奥玅遍舉諸家之言以匡其
是非故雖淺學者一開卷閲之
顯然如披雲霧而窺青天也然
後湯藥鍼灸可得而施焉由此
觀之其功謂起死回生良不誣
   二オモテ
已白子直余社友也前得此書
而藏焉余請以書寫於是乎題
諸其首

天眀壬寅秋七月
     東都 澀江敬識
    〔印形白字「民苟/之印」、黒字「◆」〕

  【訓み下し】
   一オモテ
此の稿や、宮本氏著す所、經絡の書
なり。蓋し素靈は、醫家者流の祖とする所
なり。然れども其の辭簡古にして義亦た深し。苟(いやし)も
其の人に非ざれば、其の奥邃を闚(うかが)うこと能わず。此を過ぎて以
往、諸家の書、概ね其の精粹を盡せりと雖も、間(ま)ま
互いに得失有り。是(ここ)を以て初學輩、其の可否を辨ずること能わざるときは、
孰(た)れに從って之を求めんことを知らず。夫(そ)れ
經絡は、湯藥鍼灸の關わる所なり。
   一ウラ
醫を學びて經絡を明らめず、何を以てか湯藥鍼灸を施さんや。
是れ、湯藥鍼灸、以て一日も廢す可からざるときは、
經絡も亦た、以て一日も廢す可からざる所以(ゆえん)なり。
唯だ此の書、正を素靈に取り、
其の奥玅を極め、遍く諸家の言を舉げて、以て其の是非を匡す。
故に淺學者と雖も、一たび卷を開いて之を閲(けみ)せば、
顯然たること雲霧を披(ひら)きて青天を窺うが如からん。然して
後、湯藥鍼灸、得て施す可し。此れに由って
之を觀れば、其の功、起死回生と謂わんも良(まこと)に誣(し)いざる
   二オモテ
のみ。白子直は余が社友なり。前に此の書を得て
藏す。余請いて以て書寫す。是(ここ)に於いて、
諸(これ)を其の首に題す。

天明壬寅秋七月
     東都 澀江敬識(しる)す

  【注釋】
  ○白子直:  ○天明壬寅:天明二年(1782)。 ○澀江敬:澀江民敬。


  〔跋〕
舊本誤字衍文[甚多訛謬]不可枚
舉矣蓋傳寫之誤也然未遑盡校
定故姑仍舊而不改云爾

天明壬寅秋七月

     東都 澀江敬

  【訓み下し】
舊本、誤字衍文[甚だ多く、訛謬]枚
舉す可からず。蓋し傳寫の誤なり。然れども未だ盡く校
定するに遑(いとま)あらず。故に姑く舊に仍りて改めすと云爾(しかいう)。

天明壬寅秋七月

     東都 澀江敬

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