21-3熙載録
東京大学附属図書館所蔵V11の434
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』21所収
(序)
一オモテ
書云有能奮庸熙帝之載熙興
也載事也臣熙其君之載忠也
子熙其父之載孝也方今昇平
所育上自先王之道下至諸子
百家莫不駸〃乎至復古之域
矣盛矣哉乃出若垣本鍼源翁
者惟鍼砭之用華枯甦鬼而名
著海内矣夫鍼石湯藥雖自古
一ウラ
而在未聞一鍼以療萬病也可
不謂奇也乎梶川長卿氏余莫
逆之友也左則左右則右生平
義氣相許燕會行遊未嘗不相
偕也長卿氏亦好古与余同病
相憐往年同游京師莫不叩諸
家之蘊長卿氏聞東洋東洞二
先生各唱古方則皆就而學之
二オモテ
既而聞鍼源翁善鍼術也亦將
就而學之余𡰱之曰子既受刺 〔尸+工〕「尼」の異体字。
絡之方於紅毛譯司吉雄子升
堂又入室矣而今將遊鍼源翁
之門雖志業之篤余不取也不
聽遂遊余窃怪之往窺鍼源翁
之門牆視其施治余撃節而嘆
曰宜哉長卿氏之不用余言也
二ウラ
夫紅毛之術雖專執鍼而膏油
藥散有時用之如鍼源翁之術
則異于此唯一鍼以療萬病未
嘗用藥嗚呼鍼源之名不虗可
不謂奇之又奇也哉長卿氏之
不用余言也宜既而鍼源翁易
簀有女子茂登者性敏妙觧刺
法能繼箕裘嚮來吾郷主長卿
三オモテ
氏多起病客時出一冊子且泣
曰此先人治効之書雖欲公之
世妾所不及也請屬之君長卿
氏悲茂登之志校而上梓不朽
其師詢書名於余〃曰女子而
繼箕裘其志勝丈夫謂之熙父
之載亦可孝哉因題之曰熙載
録云此爲序
三ウラ
安永戊戌仲春
學海平寛譔
〔印形白地「平寛/佑相」「鳴海/釣徒」〕
【訓み下し】
一オモテ
書に云う、能く庸を奮って帝の載(こと)を熙(おこ)すもの有り、と。熙は興
なり。載は事なり。臣、其の君の載(こと)を熙(おこ)すは、忠なり。
子、其の父の載を熙すは孝なり。方今、昇平の
育(はぐく)む所、上は先王の道自り、下は諸子
百家に至るまで、駸駸乎として復古の域に至らざるは莫し。
盛んなるかな。乃ち垣本鍼源翁の若き
者出づ。惟だ鍼砭のみ之れ用いて、枯(かれき)を華さかせ鬼を甦らせ、而して名
海内に著(あらわ)る。夫れ鍼石湯藥は、古(いにし)え自り
一ウラ
して在ると雖も、未だ一鍼以て萬病を療するを聞かざるなり。
奇と謂わざる可けんや。梶川長卿氏は、余が莫
逆の友なり。左は則ち左。右は則ち右。生平
義氣相許し、燕會行遊、未だ嘗て相い
偕(とも)にせずんばあらざるなり。長卿氏も亦た古えを好み、余と同病
相憐み、往年、同(とも)に京師に游び、諸
家の蘊の叩ざるは莫し。長卿氏は東洋、東洞二
先生の各おの古方を唱うるを聞き、則ち皆な就きて之を學ぶ。
二オモテ
既にして鍼源翁の鍼術を善くするを聞くや、亦た將に
就きて之を學ばんとす。余は之を尼(とど)めて曰く、子、既に刺
絡の方を紅毛譯司の吉雄子に受けて、
堂に升り又た室に入る。而今、將に鍼源翁
の門に遊ばんとす。業を志すこと之れ篤しと雖も、余は取らざるなり。
聽かず。遂に遊ぶ。余は竊(ひそ)かに之を怪む。往きて鍼源翁
の門牆を窺い、其の治を施すを視る。余は節を擊ち、嘆じて
曰く、宜しきかな。長卿氏の余が言を用いざるや。
二ウラ
夫れ紅毛の術は、專ら鍼を執(と)ると雖も、而して膏油
藥散して時に之を用いる有り。鍼源翁の術の如きは、
則ち此に異なり、唯だ一鍼以て萬病を療するのみ。未だ
嘗て藥を用いず。嗚呼、鍼源の名、虚ならず。
之を奇とすと謂わざる可けんや。又た奇ならんや。長卿氏の
余が言を用いざるや、宜(むべ)なり。既にして鍼源翁、
簀を易う。女子の茂登なる者有り。性、敏妙、刺
法を解し、能く箕裘を繼ぐ。嚮(さき)に吾が郷に來(きた)り、長卿
三オモテ
氏を主として、多く病客を起こす。時に一册子を出(い)だし、且つ泣いて
曰く、此れ先人の治效の書なり。之を世に公にせんと欲すと雖も
妾の及ばざる所なり、請う之を君に屬(たの)まん、と。長卿
氏、茂登の志を悲しみ、校して梓に上(のぼ)せ、
其の師を朽ざらしめんと、書名を余に詢(はか)る。余曰く、女子にして
箕裘を繼ぐ、其の志は丈夫に勝る、之を父
の載(こと)を熙(おこ)すと謂うも、亦た孝ある可きかな、と。因りて之に題して曰く、熙載
録と云う。此れを序と爲す。
三ウラ
安永戊戌仲春
學海平寛譔
【注釋】
一オモテ
○書云:『尚書』虞書・卷三・舜典「舜曰:咨、四岳、有能奮庸熙帝之載、使宅百揆、亮采、惠疇(舜曰く:咨(ああ)、四岳、能く庸を奮って帝の載(こと)を熙(おこ)すもの有らば、百揆に宅(お)き、采を亮(たす)けしめん。惠(こ)れ疇(たれ)ぞ)」。(ああ、四岳〔東西南北の四方の神〕よ。よく功を奮い起こして、帝の事をさかんにするものがあるならば、それは誰か。) ○方今:いま。現在。 ○昇平:太平、治平。 ○駸駸:さかんなさま。 ○鬼:死者(の霊魂)。 ○海内:天下。国中。
一ウラ
○梶川長卿:本書の校定者、梶川東岡。 ○莫逆之友:心の通じ合った、情誼に厚い親友。『莊子』大宗師:「子祀、子輿、子犁、子來……四人相視而笑、莫逆於心、遂相與為友」。 ○義氣相許:意気投合する。 ○燕會:宴会。 ○行遊:旅行。 ○相偕:一緒にいる。 ○好古:古いものを好む。篤學好古/篤信好古:専心して古典籍をまなぶ。 ○同病相憐:同じような不幸にあったものがたがいに同情する。 ○遊:遊学(他郷で勉学)する。 ○叩:質問する。 ○蘊:蘊蓄。 ○東洋:山脇東洋(1705~62)。名は尚徳(たかのり)、字は玄飛(はるたか)・子樹(しじゅ)、通称道作(どうさく)。後藤艮山(ごとうこんざん)に学んだことから古医方を重視。法眼。(小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』) ・東洞:吉益東洞(1702~73)。名は為則(ためのり)。字は公言(こうげん)。通称は周助(しゅうすけ)。安芸広島の人。張仲景の医方の研究に傾注し、元文3(1738)年京都に上り医を行い、四十歳過ぎて山脇東洋(やまわきとうよう)に認められてからは大いに名声を博し、古方派の雄として当時の医界を煽った。(『日本漢方典籍辞典』)
二オモテ
○既而:やがて。まもなく。 ○鍼源翁:本書の著者垣本鍼源。京都のひと。 ○吉雄子:吉雄耕牛(1727~1800)か。阿蘭陀通詞、蘭方医。名は永章。耕牛は号。寛延元年(1748)大通詞。商館付医師から医学・医術を学ぶ。家塾、成秀館には各地から入門者が多く、吉雄流紅毛外科の名は広まった。(『国史大辞典』) ○升堂又入室:『論語』先進「由也升堂矣、未入於室也。」学問や技芸がだんだん進んで高い段階に達したことの比喩。 ○而今:現在。『論語』泰伯「而今而後、吾知免夫」。 ○不聽:従わない。服従しない。 ○門牆:門と塀。家の出入り口。先生の門。『論語』子張:「夫子之牆數仞、不得其門而入、不見宗廟之美、百官之富、得其門者寡矣(夫子〔孔子〕の牆や數仞、其の門を得て入らざれば、宗廟の美と百官の富を見ず。其の門を得る者は寡なし)」。 ○擊節:拍子を打つ。賛意をあらわす。激賞する。
二ウラ
○易簀:すのこをかえる。臨終をいう。『禮記』檀弓上「曾子寢疾、病。樂正子春坐於床下、曾元・曾申坐於足、童子隅坐而執燭。童子曰、華而睆、大夫之簀與。子春曰、止。曾子聞之、瞿然曰、呼。曰、華而睆、大夫之簀與。曾子曰、然、斯季孫之賜也、我未之能易也。元、起易簀。曾元曰、夫子之病革矣、不可以變、幸而至於旦、請敬易之。曾子曰、爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德、細人之愛人也以姑息。吾何求哉。吾得正而斃焉斯已矣。舉扶而易之。反席未安而沒」。 ○敏妙:敏捷で利発。 ○箕裘:子弟が父兄から受け継ぐ家業。『禮記』學記「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。
三オモテ
○起:病を治す。 ○先人:亡き父。 ○妾:女性の自称。 ○悲:同情する。心が痛む。 ○上梓:刊行する。
三ウラ
○安永戊戌:安永七年(1778)。 ○仲春:旧暦二月。 ○學海平寛:川野正博著『日本古典作家事典』http://www.geocities.jp/manyoubitom/S1mokuji.htmに「雷首(らいしゅ・清水しみず長孺/中和、彩川外史、下郷雪房男)1755ー1836 尾張鳴海儒:学海・栗山門、伊勢神戸藩儒臣:追放、京で開塾/詩文、「蜑煙焦余集」」とある。/『日本古典籍総合目録』http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.htmlによれば、清水雷首、別称:長孺( ながちか ) 、平八( へいはち ) 。/『張城人物志』(安永七年序刊本、名古屋市鶴舞中央図書館/刈谷市中央図書館・村上文庫所蔵)の跋文にもその名あり。
(序二)
一オモテ
熙載録序
疾醫之道古者有汗吐下及刺法而後世
失其傳者尚矣今也文運之化及吾救豪
傑繼踵而起闢養榮益氣之邪説以汗
下活人疾醫之道於是復乎古時越有一
叟傳吐法漸布海内乃汗吐下粲然賅存
不亦愉快乎雖然余竊嘗謂至病在血
絡之証則非鍼不能起之豈汗吐下之所能
一ウラ
達哉故不知刺㳒則爲古醫法也不全夫 ※「㳒」は「法」の異体字。
秦越人醫之聖者也如起虢太子豈非鍼
之妙乎爲疾醫者鍼安可舎也古先聖王
之治必由六典立若舎一典則其致裁成輔
相之功也不全汗吐下刺相資以成功其猶典
有六而不可舎其一邪既而聞平安有垣本
先生善鍼也學而試之愈自信鍼之不
可舎焉余復嘗聞紅毛人刺法以余觀之
二オモテ
先生之術勝紅毛人遠矣紅毛人唯刺血絡而
已如先生之以鍼療萬病豈凡手所可企及
哉先生止有一女字曰茂登學父之業而術不
減父父没而繼不隊家聲可謂女丈夫矣其
非凡手亦奇去歳秋茂登齎熈載録來
就余于鳴海而正焉將以使海内遍知鍼之妙
且曰此輯先大人之経験者抑先大人之以鍼仁
人不知幾千人唯妾侍而傍觀唯妾侍而
二ウラ
私録所以多軼也余嘉茂登之志戮力上梓
海内疾醫庶幾聞風而興於鍼矣
皇和安永七年戊戌春二月
鳴海 梶川樹德撰
〔印形白字「橘印/樹德」「長卿/◆〕
【訓み下し】
(序二)
一オモテ
熙載録序
疾醫の道、古者(いにしえ)汗吐下及び刺法有り。而して後世
其の傳を失うこと尚(ひさ)し。今や文運の化、吾に救いを及ぼし、豪
傑、踵を繼きて起こる。榮を養い氣を益すの邪説を闢(しりぞ)け、汗
下を以て人を活す。疾醫の道、是(ここ)に於いて古に復す。時に越に一
叟有り。吐法を傳え、漸(ようや)く海内に布(し)く。乃ち汗吐下、粲然として賅(そなわ)り存す。
亦た愉快ならずや。然りと雖も、余竊(ひそ)かに嘗て謂(おも)えらく、病の血
絡に在るの證に至りては則ち鍼に非ずんば之を起こす能わず。豈に汗吐下の能く
一ウラ
達する所や、と。故に刺法を知らずんば、則ち古醫法を爲すや全からず。夫れ
秦越人は、醫の聖者なり。虢の太子を起こすが如きは、豈に鍼
の妙に非ずや。疾醫爲(た)る者、鍼、安(いず)くんぞ舎(す)つ可けんや。古先の聖王
の治は、必ず六典に由りて立つ。若し一典を舎つれば、則ち其の裁成輔
相の功を致すや全からず。汗吐下刺、相資して以て功を成す。其れ猶お典に
六有りて其の一を舎つ可からざるがごときか。既にして平安に垣本
先生有り、鍼を善くするを聞くなり。學びて之を試す。愈いよ自ら鍼の
舎つ可からざるを信ず。余復た嘗て紅毛人の刺法を聞く。余を以て之を觀るに、
二オモテ
先生の術は紅毛人に勝れること遠し。紅毛人は唯だ血絡を刺すのみ。
先生の鍼を以て萬病を療するが如きは、豈に凡手の企及す可き所ならんや。
先生に止(た)だ一女のみ有り。字(あざな)を茂登と曰う。父の業を學ぶ。而(しか)も術は
父に減(おと)らず。父没して繼ぐ。家聲を隊(お)とさず。女丈夫(じょじょうふ)と謂う可し。其の
凡手に非ざるも亦た奇なり。去歳の秋、茂登は熈載録を齎(もたら)し來(きた)り、
余に就きて鳴海に于(お)いて焉(これ)を正す。將に以て海内をして遍(あまね)く鍼の妙を知らしめんとす。
且つ曰く、此れ先大人の経験を輯(あつ)むる者なり。抑(そも)そも先大人の鍼を以て
人に仁するは、幾千人なるかを知らず。唯だ妾は侍(はべ)りて傍觀するのみ。唯だ妾は侍りて
二ウラ
私(ひそ)かに録するのみ。軼すること多き所以(ゆえん)なり、と。余は茂登の志を嘉(よみ)し、力を戮(あわ)せ梓に上ぼす。
海内の疾醫、庶幾(こいねがわ)くは風を聞いて鍼を興せ。
皇和安永七年戊戌春二月
鳴海 梶川樹德撰
【注釋】
一オモテ
○疾醫:『周禮』天官・疾醫「疾醫掌養萬民之疾病」。 ○文運:文学(学問)の気運。 ○化:教化。徳化。感化。 ○繼踵:かかとを接する。連なりつづくさま。 ○越有一叟:荻野元凱(1737~1806)のことか。元凱は金沢の出身だが。『吐法編』(1764)を著す。また『刺絡編』(1771)を刊行した。 ○賅:兼備する。完備する。『莊子』齊物論「百骸、九竅、六藏、賅而存焉」。
一ウラ
○裁成輔相:『漢書』卷二十一律曆志上「后以裁成天地之道、輔相天地之宜」。『易經』泰卦「后以財成天地之道、輔相天地之宜、以左右民」。/裁成:成就する。/輔相:助ける。 ○典有六:周代に帝王を補佐して国を治めるための六種の法典。治典、禮典、教典、政典、刑典、事典。『周禮』天官・大宰「大宰之職、掌建邦之六典、以佐王治邦國」。
二オモテ
○凡手:平凡な腕前。 ○企及:つま先だってなんとか達しようとする。おいつく。/不可企及:隔たりが大きすぎて、追いつけない。 ○家聲:家の名声。 ○女丈夫:女傑。傑出した女性。 ○鳴海:尾張国鳴海(いま、愛知県名古屋市緑区鳴海)。 ○先大人:亡父。「先」は亡くなった人に対する尊称。「大人」は父母などに対する称呼。 ○仁人:「医は仁術」。人を治療する。
二ウラ
○軼:「佚」に通ず。散逸する。 ○聞風:情報を得る。/聞風而起:情報を得てすぐ反応する。/聞風而動:情報を聞いてすぐに行動する。 ○皇和:皇(おお)いなる大和。日本。 ○安永七年:一七七八年。 ○梶川樹德:本書の扉に「梶川東岡先生校定」とある。橘氏。鳴海のひと。
(後序)
一オモテ
熙載録後敘
欲知世運之消息莫若察之人事不
藉蓍龜不質鬼神較然著明余嘗竊
慨歎於刺鍼之事久矣但可爲識者
道難爲俗士道語曰有文叓者必有 ※「叓」は「事」の異体字。
武備又稱君子之行曰強有力曰智
仁勇夫勇武君子之所以勉德而固
一ウラ
本者也豈可廢乎唯是太平日久則
丈夫皮薄膚柔筋弛骨弱血氣態度
擬於女子而題之曰上流男子翕然
愛之暖〃姝〃如韋如脂風俗行窳
迷而不復亦必然之勢也君子無勇
何以勉德政無武備何以固本可不
戒乎病萬變醫亦多方藥所不及鍼
二オモテ
以達之水以灌之火以熏之非多方
乎盖古之刺㳒兼用大鍼小鍼素問 ※「盖」は「蓋」の異体字。
有刺膚見血語亦足徵也近世獨用
小鍼而大鍼隱小鍼之於人如蚊虻
噆膚焉能厺病哉以故醫不敢執鍼 ※「厺」は「去」の異体字。
而盲者承乏資以餬口而已世運之
消息繫焉是余所以慨歎也平安有
二ウラ
鍼源子者善用大鍼活人如神事在
熙載録中然鍼源子之徒猶寥々焉
鍼源子没而大鍼將復隱能勿憾乎
世俗所謂上流男子惡大鍼如蜂蠆
刺膚見血怵惕自悼而在位君子及
富農大賈多上流男子故疝瘕動則
唯小鍼是頼蚊虻噆而瀉邪氣耳血
三オモテ
猶水也与夫汗溲涕唾何以擇何上
流男子忌血之甚惡在乎其尚勇武
夫刺鍼之叓技之小者也然有説誠
使鍼源子之徒繼踵而至比肩而立
是勇武不廢而大鍼顯世也是天地
之元氣盛而國家之命祚長也不亦
善乎嗚呼刺鍼之事技之小者也乃
三ウラ
其所繫也大矣豈唯去病而已哉
鶴鳴 市川匡子人撰
〔印形黒字「市/匡印」「子/人氏」〕
【訓み下し】
一オモテ
熙載録後敘
世運の消息を知らんと欲せば、之を人事に察するに若(し)くは莫し。
蓍龜を藉(か)りず、鬼神に質さず、較然として著明なり。余嘗て竊(ひそ)かに
刺鍼の事を慨歎すること久し。但だ識者の
道と爲す可きのみ。俗士の道と爲し難し。語に曰く、文事有る者は、必ず
武備有り、と。又た君子の行いを稱して、強く力有りと曰い、智
仁勇と曰う。夫れ勇武は、君子の德に勉めて
一ウラ
本を固むる所以の者なり。豈に廢す可けんや。唯だ是の太平の日久しく、則ち
丈夫の皮薄く膚柔らかく、筋弛(ゆる)み骨弱く、血氣態度、
女子に擬す。而して之を題して曰く上流男子と。翕然として
之を愛す。暖暖姝姝として韋(なめしがわ)の如く脂(あぶら)の如し。風俗行窳し、
迷いて復せざるも、亦た必然の勢いなり。君子に勇無くんば、
何を以てか德に勉めん。政(まつりごと)に武備無くんば、何を以てか本を固めん。
戒めざる可けんや。病は萬變し、醫も亦た方多し。藥の及ばざる所、鍼
二オモテ
以て之に達し、水以て之に灌(そそ)ぎ、火以て之を熏ずれば、方多きに非ずや。
蓋し古(いにし)えの刺法は、大鍼小鍼を兼用す。素問に
膚を刺し血を見るの語有り。亦た徵するに足るなり。近世獨り
小鍼のみを用いて、而して大鍼隱る。小鍼の人に於けるや、蚊虻の
膚を噆(か)むが如し。焉くんぞ能く病を去らんや。故(ゆえ)を以て醫敢えて鍼を執らず。
而して盲者乏しきを承けて、資(と)りて以て口に餬(のり)するのみ。世運の
消息焉(ここ)に繫(か)かる。是れ余の慨歎する所以(ゆえん)なり。平安に
二ウラ
鍼源子なる者有り。善く大鍼を用いて、人を活(い)かすこと神の如し。事は
熙載録中に在り。然れども鍼源子の徒、猶お寥々焉たり。
鍼源子没して、而して大鍼將に復た隱れんとす。能く憾み勿からんか。
世俗謂う所の上流男子、大鍼を惡(にく)むこと蜂蠆の如し。
膚を刺して血を見れば、怵惕して自ら悼(おのの)く。而して位に在る君子、及び
富農大賈に、上流男子多し。故に疝瘕動ずれば、則ち
唯だ小鍼のみ是れ頼る。蚊虻噆みて邪氣を瀉すのみ。血は
三オモテ
猶お水のごときなり。夫(か)の汗溲涕唾と何を以てか擇(えら)ばん。何ぞ上
流男子、血を忌むこと之れ甚だしき。惡くんぞ其の勇武を尚ぶこと在らんや。
夫れ刺鍼の事は、技の小なる者なり。然して説有り。誠に
鍼源子の徒をして踵を繼して至り、比肩して立たしめば、
是れ勇武廢せず。而して大鍼世に顯わるるなり。是れ天地
の元氣盛んにして、而して國家の命祚(さいわい)にして長きなり。亦た
善ならずや。嗚呼(ああ)、刺鍼の事は、技の小なる者なり。乃ち
三ウラ
其の繫かる所や大なり。豈に唯だ病を去るのみならんや。
鶴鳴 市川匡子人撰
【注釋】
一オモテ
○世運:世間における盛衰治乱の気運。 ○消息:栄枯盛衰。『易經』豐卦「天地盈虛、與時消息」。 ○蓍龜:蓍草と亀。古くは卜筮に用いたので、占いを指す。 ○鬼神:亡くなった人の魂や神霊。 ○較然:明らかなさま、顕著なさま。 ○俗士:見識の浅い人。卑俗な人。 ○語曰:『史記』孔子世家「孔子攝相事、曰、臣聞有文事者必有武備、有武事者必有文備」。文事:軍事以外の事。 ○強有力:『禮記』聘義「質明而始行事、日幾中而後禮成、非強有力者弗能行也。故強有力者、將以行禮也。」 ○智仁勇:『論語』子罕:「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼」。『禮記』中庸「知仁勇三者、天下之達德也、所以行之者一也」。『史記』平津侯主父列傳「智、仁、勇、此三者天下之通德、所以行之者也」。武士道の要諦。
一ウラ
○丈夫:男子。成年男子の身長は一丈前後であった。 ○翕然:一致するさま。 ○暖暖姝姝:柔和従順なさま。『莊子』徐无鬼:「所謂暖姝者、學一先生之言、則暖暖姝姝、而私自説也」。 ○行窳:おこたる。なまける。
二オモテ
○刺膚見血:『素問』診要經終論「夏刺絡兪、見血而止」。繆刺論篇「刺足跗上動脉……見血立已」。「刺膚」の語は『素問』には見えず。 ○蚊虻:カとアブ。 ○蚊虻噆膚:『莊子』天運「蚊虻噆膚則通昔不寐矣」。 ○以故:したがって。だから。 ○承乏:空いた職を補充する。多くは官吏が自分の任官を謙遜していう。『春秋左氏傳』成公二年「敢告不敏、攝官承乏」。 ○資:たのみとする。 ○餬口:人に頼り、わずかの粥を得て生活する。腹を満たす。『莊子』人間世「挫鍼治繲、足以餬口」。 ○繫:関係する。
二ウラ
○鍼源子:「子」は孔子、老子と同様、尊称。 ○寥寥:数が非常に少ないさま。 ○能:反語をあらわす。「能」字は「然」にも見えるが、後につづく「勿憾乎」から「能」とした。 ○蠆:さそり。 ○怵惕:驚き恐れる。 ○賈:商人。 ○疝:ひろく腹腔の内容物が不正常に外へ突出する病症。多く気痛の症状を伴うので、「疝気」ともいう。 ○瘕:腹中に硬結が生じる病症。
三オモテ
○汗溲涕唾:あせ・尿・涙鼻水・つば。 ○誠:もし。仮定をあらわす。 ○比肩:肩を並べる。次から次に。たくさん。『戰國策』齊策三:「寡人聞三千里而一士、是比肩而立、百世而一聖、若隨踵而至」。 ○祚:天から授かった福。 ○乃:かえって。
三ウラ
○鶴鳴 市川匡子人:『朝日日本歴史人物事典』:生年:元文5(1740)。没年:寛政7・7・8(1795・8・22)。江戸時代中期の漢学者。上州(群馬県)高崎の人。名は匡,匡麻呂,字は子人,通称は多門。鶴鳴と号す。儒学を大内熊耳に学ぶ。代々高崎藩士であったが,両親が亡くなると藩を去り,信濃,尾張,京都,大坂,薩摩と各地を転居。寛政3(1791)年,高崎藩に徴され,世子の侍読となる。寛政異学の禁(1790)に際し,真っ向から反対した五鬼のひとりとして知られる。また,本居宣長の『直毘霊』に対し,『まがのひれ』を著して,その国学思想を批判。この後続く論争の口火を切ったことは,思想史において大きな意義を持つ。■参考文献■小笠原春男『国儒論争の研究』(高橋昌彦)
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