21-2鍼灸樞要
東京大学附属図書館所蔵V11-1401
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』21所収
〔〕内は上字の見せ消ちの傍記。
一オモテ 179
鍼灸樞要序
上古鍼灸藥三者得兼而為以良毉
※「為」の上に墨訂あり。「以」は「為」の右下に後から加えられた。正しくは「以為」の順となすべきか。
中古以來無人也或為二或為三皆以
末世也越人有言疾在腠理熨炳之
所及在血脉鍼石之所及其在腸胃
酒醪之所及嗚呼今知俗毉藥法
耳而不知鍼灸之功嘗曰鍼者有瀉
無補鍼則氣力衰不宜病人矣是
一偏論也不然鍼生成功則諸病愈
猶嚴氷之解春温也其功又在所及
藥劑之哉是成功之毉生然也又不功
鍼生者以虚瀉則元氣絶又以實補則
一ウラ 180
邪氣盛也邪氣盛則體臥是虚々
實々也如此毉不殺疾人而殺毉人
也矣匪獨鍼毉而已也藥毉亦然蓋期
書首論經絡之兪穴終載刺鍼之
法術此書熟讀翫味而精心巧手能施
刺鍼之法則無於百病不愈矣是吾
先師所為之奥秘而匪愚之所竊
古所謂毉者必通三世之書以此語
見則何取藥耳而捨針乎所謂三
世之書者黄帝鍼經神農本草岐
伯脉訣也脉訣察証本草純辨
藥針灸〔經〕祛沈痾匪是三者不足言
二オモテ 181
毉是毉家之要具也今呼施藥者而
曰毉師呼施針者不曰毉師是愚妄
之俗語而匪言為士人也藥治灸治
針治豈治病者匪毉乎毉者惣名也
將毉者意也又毉者理也古人言也
矣又鍼灸藥三者醫之綱領也可謂
智仁勇三乎假令灸者如智藥者
如仁針者如勇國有姧賊則用兵
刃者如勇表仁智裏勇則剛柔相備
而國豈不治乎表藥灸裏針則疾病
不愈乎凡人之周身三百六十穴審
其經絡之源察其兪募穴以刺針者
二ウラ 182
古之法也吾先師亦如此逐古而諸病
皆施刺針之法於手足而治之所謂
井栄兪經合又井栄兪原經合也又
匪不刺針於腹肚都手足腹肚也有
敢經脉兪穴不拘者或刺邪之所在
開元氣巡途而令通則氣順々々則
痰順々々則熱散々々則風内消况
又氣順則血活々々則潤生々々則精生
々々則神内立針之成功如期甚〔其〕大矣
古人曰有十全之功者是唯稱針砭之法
行鍼者能熟讀翫味而可得成功也矣
敬勿忽云云旹
三オモテ 183
寶永六年己丑中春望日武江埜人侍醫
佐田氏定爾齊乘員源房照謹自序
【訓み下し】
一オモテ
鍼灸樞要序
上古は、鍼・灸・藥の三者、兼ぬるを得て、而して以て良毉と為す。
中古以來、人無きなり。或るいは二と為し、或るいは三と為す。皆な以て
末世なり。越人に言有り、疾、腠理に在れば、熨炳の
及ぶ所、血脉に在れば、鍼石の及ぶ所、其れ腸胃に在れば、
酒醪の及ぶ所、と。嗚呼(ああ)、今は俗毉の藥法を知る
のみ。而して鍼灸の功を知らず。嘗て曰く、鍼なる者は瀉有りて
補無し。鍼すれば則ち氣力衰え、病人に宜しからず、と。是れ
一偏の論なり。然らずして鍼生、功を成せば、則ち諸病愈ゆること、
猶お嚴氷の春温に解くるがごときなり。其の功、又た藥劑の及ぶ所に在らんや。
是れ功を成すの毉生、然るなり。又た功あらざる
鍼生は、虚を以て瀉せば、則ち元氣絶し、又た實を以て補せば、則ち
一ウラ
邪氣盛んなり。邪氣盛んなれば、則ち體臥す。是れ虚を虚せしめ
實を實せしむるなり。此(かく)の如くんば、毉は疾人を殺さず、而して毉人を殺す
なり。獨り鍼毉に匪ざるのみなり。藥毉も亦た然り。蓋し期して
書の首に經絡の兪穴を論じて、終わりに刺鍼の
法術を載す。此の書、熟讀翫味して、而して心を精にし手を巧みにして、能く
刺鍼の法を施せば、則ち百病に於いて愈えざる無し。是れ吾が
先師の為す所の奥秘にして、而して愚の竊(ぬす)む所に匪ず。
古(いにし)えに所謂毉者は必ず三世の書に通ず、と。此の語を以て
見れば則ち何ぞ藥を取るのみにして、而して針を捨てんや。所謂三
世の書なる者は、黄帝鍼經、神農本草、岐
伯脉訣なり。脉訣は証を察し、本草は純(もつぱ)ら
藥を辨じ、針灸〔經〕は、沈痾を祛す。是の三者に匪ざれば、
二オモテ
毉と言うに足らず。是れ毉家の要具なり。今、藥を施す者を呼びて、而して
毉師と曰う。針を施す者を呼びて、毉師と曰わざるは、是れ愚妄
の俗語にして、而して言いて士人と為すに匪ざるなり。藥治、灸治、
針治、豈に病を治す者は毉に匪ざるか。毉なる者は惣名なり。
將に毉は意なり。又た毉は、理なり。古人の言なり。
又た鍼・灸・藥の三者は、醫の綱領なり。
智・仁・勇の三と謂う可きか。假令(たとえ)ば灸は智の如し。藥は
仁の如し。針は勇の如し。國に姧賊有らば、則ち兵
刃を用いること勇の如し。仁智を表とし、勇を裏とせば、則ち剛柔相備わり、
而して國、豈に治せざらんや。藥灸を表とし、針を裏とせば、則ち疾病
愈えざらんや。凡そ人の周身三百六十穴、
其の經絡の源を審らかに、其の兪募穴を察して以て針を刺すは、
二ウラ
古えの法なり。吾が先師も亦た此(かく)の如く、古えを逐い、而して諸病
皆な刺針の法を手足に施し、而して之を治す。所謂
井栄(滎)兪經合、又た井栄(滎)兪原經合なり。又た
針を腹肚に刺さざるに匪ず、都(すべ)ての手足腹肚なり。
敢えて經脉兪穴に拘わらざる者有り。或るいは邪の在る所に刺して、
元氣の巡途を開きて、而して通ぜしむれば、則ち氣順(めぐ)る。氣順れば、則ち
痰順る。痰順れば、則ち熱散ず。熱散ずれば、則ち風内に消ゆ。况んや
又た氣順えば、則ち血活す。血活すれば、則ち潤い生ず。潤い生ずれば、則ち精生ず。
精生ずれば、則ち神内に立つ。針の功を成すこと、期の如く、甚だ〔其れ〕大なり。
古人曰く、十全の功有る者は、是れ唯だ針砭の法を稱するのみ、と。
鍼を行う者は、能く熟讀翫味して、而して功を成すを得可きなり。
敬して忽がせにする勿れ、云云。旹(とき)
三オモテ
寶永六年己丑中春望日、武江埜人、侍醫
佐田氏定爾齊(齋)乘員源房照謹んで自ら序す
【注釋】
一オモテ
○上古鍼灸藥三者得兼而為以良毉:『備急千金要方』巻三十・孔穴主対法「若針而不灸、灸而不針、皆非良医也。針灸而薬、薬不針灸、尤非良医也。」 ○越人有言:『史記』扁鵲倉公列傳「扁鵲曰:疾之居腠理也、湯熨之所及也、在血脉、鍼石之所及也、其在腸胃、酒醪之所及也」。 ○嘗曰:汪機『鍼灸問對』中卷末「或曰、丹谿〔『丹溪心法』卷五・拾遺雜論九十九〕言針法、渾是寫而無補、何謂也……虞氏〔虞摶『醫學正傳』醫學或問〕曰、針刺雖有補寫之法、余恐但有寫而無補焉、謂寫者、迎而奪之。以針迎其經脈之來氣而出之、固可以寫實也。謂補者、隨而濟之。以針隨其經脈之去氣而留之、未必能補也。不然内經何以曰形氣不足、病氣不足、此陰陽皆不足也。不可刺之、刺之重竭其氣、老者絶滅、壯者不復矣。若此等語、皆有寫無補之謂也。」/徐春甫『古今医統大全』卷七・附録「或問、用針渾是瀉而無補、古今用之、所以導氣、治之以有餘之病也、令人鮮用之。或知其無補而不用、抑元氣稟賦之簿、而不用歟。或斲喪之多而用針無益歟。抑不善用而不用歟。經曰、陽不足者、溫之以氣。精不足者、補之以味。針乃砭石所製、既無氣無味、破皮損肉、發竅於身、氣皆自竅出矣、何得為補。經曰、氣血陰陽俱不足、勿取以針、和以甘藥是也。又曰、形氣不足、病氣不足、此陰陽皆不足也、不可刺之、刺之重竭其氣、老者絕滅、壯者不復矣。若此謂者、皆是有瀉而無補也」。/『鍼灸大成』卷十にも同様の文あり。
一ウラ
○古所謂:『禮記』曲禮下「醫不三世、不服其藥」。疏「正義曰、……故宜戒之、擇其父子相承至三世也。……又說云三世者、一曰黃帝針灸、二曰神農本草、三曰素女脉訣。又云夫子脉訣、若不習此三世之書、不得服食其藥」。 ○岐伯脉訣:正史には見えず。この部分は、『鍼灸抜萃』(延宝八年刊/一六八〇)によるか。
二オモテ
○毉者意也又毉者理也:『舊唐書』卷一百九十一 列傳第一百四十一・方伎・許胤宗「醫者意也、在人思慮。……」明・兪弁『續醫説』呉恩序「醫者理也」。 ○智仁勇三:『論語』子罕「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼」。『禮記』中庸「知仁勇三者、天下之達德也、所以行之者一也」。 ○姧:原文は「姦偏に干」の字につくり、女がひとつ多い。
二ウラ
○先師:今は亡き先生。 ○神内立:「敢經脉兪穴不拘者」以下「神内立」まで、『鍼灸抜萃』に同様の文が見える。『鍼灸重宝記』(享保三年・一七一八)「當流傳受の奥義」は「精生」を「精益」につくる。「巡途」に「みちすじ」とフリガナあり。 ○古人曰:滑壽『十四經發揮』宋濂序「以成十全之功者、其唯針砭之法乎」。
三オモテ
○寶永六年己丑:一七〇九年。 ○中春:旧暦二月。また旧暦二月十五日。 ○望日:旧暦十五日。 ○武江:武蔵国江戸。 ○佐田氏:『寛政重修諸家譜』卷一三一一 村上源氏。第二十冊四十頁。「佐田道故(みちふる) 初照房、房照(ふさてる)、晋(あきら)、玉養、玉淵。致仕号轍翁。実は柘植氏の男。……元禄……十三年二月二十八日、奥医に列し、……宝暦六(1756)年閏十一月二日死す。年九十一。」佐田家は代々鍼医、養父の定之(さだゆき)、玉縁も柘植氏からの養子で法眼。跋文によれば、寛文十(1669)年正月十二日生まれであるから、享年数え年八十八歳のはず。 また、正徳二(1712)年に「四十有三才」とあるが、数えで四十四歳か。
(跋文) ()内は小字。
右是者當流奥秘而假令雖
爲門人妄不免之雅丈依爲丁
寧真實而不残心底令写者
也敬而勿忽〔云云〕玉淵堂〔寛文十戌年生正月/十二日/四十有三才/画〕
正德二年〔辰〕八月望日房照【花押】
(次頁)
〔印形「◆/◆」〕
入江縁安醫生
【訓み下し】
右の是れは、當流奥秘にして、而して假令(たとい)
門人爲(た)りと雖も妄りに之を免(ゆる)さず。雅丈依爲丁
寧真實にして、而して心底を残さず写せしむる者
なり。敬して而して忽せにする勿れ〔云云〕。玉淵堂〔寛文十戌年生正月/十二日/四十有三才/画〕
正德二年〔辰〕八月望日房照【花押】
(印形)
入江縁安醫生
【注釋】
○雅丈依爲:読めず。 ○寛文十戌年:一六七〇年。 ○正德二年〔辰〕:一七一二年。 ○入江縁安:
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