2011年1月15日土曜日

21-5 非十四經辨

21-5非十四經辨
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『非十四經辨』(ヒの6)
       オリエント出版社『臨書鍼灸古典全書』21所収

  判読に自信なき字多数あり。したがって訓みも何カ所も疑問あり。
  
  一オモテ
題非十四經序
識己者親乎蓋交際之謂也是
故白鱗氏之子幣觀之蘆嘗舉
匏樽引壺觴共酌當論旨酒卿
之賞美味於觀何爲異矣然耽
釃不可説卿終醒去他日觀疾
作不可以執刀圭矣奔過卿之
舎請見童子出迎大人先應紳
笏家需今在佗先生須之幸可
  一ウラ
乎直牽觀使坐書齋側見几上
題有非十四經者竊採讀之意
哂之徒非其言不讓斯章國字
而哂埜陋已逮周編盡或驚或
呑津杲有故哉特爲童蒙謀之
乎聊雖出于膚淺之文惡童蒙
盲者所能容乎終攜主人菅硯
自識之懷紙云宜哉言雖載方
策事術要妙忽難施於之言可
  二オモテ
不愼矣夫要妙可言與抑不可
言與杲不可言者爲若無書乎
臻如漆園庖丁與廩人説矣始
知天下之志士百家千載滔〃
偕愛之未嘗不信焉白鱗氏雖
非割牛造車矣於鍼術頗有因
于茲觀之伎猶且爲不与於斯
乎凡人軀之兪募井營經合奚
爲經傳無由矣實怵惕卿之志
二ウラ
而耳蓋言及是猶敢似贅嘗非
要譽於卿黨若適卿之志乎幸
也是亦尚友之義矣敝之何憾
顧日已且西主人未歸投筆挾
之緒端遺言於童僕去
乙未仲秌穀雨日
 江都醫官 望草玄識
      谷嘉吉書〔印形黒字「◆」、白字「吉」〕


  【訓み下し】
  一オモテ
題非十四經序
己を識る者は親か。蓋し交際の謂なり。是の
故に白鱗氏の子(し)、觀の蘆に幣して、嘗て
匏樽を舉げて壺觴を引き、共に酌して旨酒を論ずるに當たって、卿
の美味を賞(ほ)むるに、觀に於いて何んぞ異と爲さん。然れども
釃に耽りて説く可からず。卿終いに醒めて去る。他日、觀、疾
作(お)こり、以て刀圭を執る可からず。奔りて卿の
舎に過(よぎ)り、見を請う。童子出でて迎う。大人先に紳
笏家の需めに應じて、今ま佗に在り。先生、之を須(ま)てば、幸いに可ならん
  一ウラ
や。直ちに觀を牽きて書齋に坐せしむ。側に几上を見れば
題して非十四經なる者有り。竊かに採りて之を讀めば、意(こころ)に
之を哂う。徒(いたづ)らに其の言を非とし、斯の章に讓らず、國字
にして、埜陋なるを哂う。已に周ねく編盡くすに逮(およ)んで、或いは驚き或いは
津を呑み、杲(あき)らかに故有るかな。特に童蒙の爲のみに之を謀るか。
聊か膚淺の文に出づと雖も、惡(いづ)くんぞ童蒙
盲者の能く容るる所ならんや。終に主人の菅硯を攜えて、
自ら之を懷紙に識(しる)して云う、宜なるかな、言、方
策の事術、要妙を載すと雖も、忽として之を言に施し難し。
  二オモテ
愼まざる可けんや。夫れ要妙、言う可きか、抑そも
言う可からざるか。杲らかに言う可からざる者は書無きが若しと爲すか。
漆園が庖丁と廩人の説の如きに臻(いた)りて、始めて
知る、天下の志士、百家千載滔〃として
偕(み)な之を愛し、未だ嘗て焉(これ)を信ぜずんばあらず。白鱗氏は
牛を割り車を造るに非ずと雖も、鍼術に於いて頗る因有り。
茲に觀の伎猶お且つ斯に与(し)かずと爲さん
や。凡そ人軀の兪募井營經合、
奚爲(なんすれ)ぞ經傳、由無からんや。實に卿の志を怵惕する
二ウラ
のみ。蓋し言、是に及べば、猶お敢えて贅するに似たり。嘗て
譽れを卿が黨に要(もと)むるに非ざれども、卿の志に適(かな)うが若きか。幸い
なるや、是れ亦た尚友の義なり。之を敝(す)てて何ぞ憾みあらん。
日を顧れば已に且(まさ)に西せんとす。主人未だ歸らず。筆を投げ
之を緒端に挾んで言を童僕に遺(のこ)して去る。
乙未仲秌穀雨の日
 江都醫官 望草玄識

  【注釋】
  一オモテ
○親:関係が密接で信頼できるひと、か。 ○白鱗氏:本書の著者、廣瀬白鱗。名は見龍。法印・河野(通頼)仙壽院の門人。 ○幣:贈答する。 ○觀:本序の執筆者、望月草玄(常觀)。 ○匏樽:乾燥させた匏(ひさご)で作った酒の容器。後にひろく一般の酒器を指す。 ○壺:陶あるいは金属製の容器。小口大腹、通常酒や茶などを容れる。 ○觴:杯(さかづき)。 ○旨酒:美酒。 ○卿:なんじ。あなた。 ○耽釃:釃はうすい酒、一説に濃い酒。ここでは、酒の意味で、「耽釃」とは、酩酊するという意味であろう。 ○刀圭:薬を測る器具。 ○大人:父。 ○紳笏:官人。役人。
  一ウラ
○讓:おとる? ○埜:野の異体字。 ○菅硯:「菅」は「管」に通じて筆のことか。 ○懷紙:ふところがみ。 ○事術:物事を処理する算段、手段。「事」の判読があっていればだが。 ○要妙:深く微妙なこと。精微。 ○忽:すみやかに。
  二オモテ
○若無書:『孟子』盡心下:孟子曰、盡信書、則不如無書。 ○漆園:荘周(荘子)。宋国の蒙で漆園の吏をしていた。 ○庖丁:『莊子』養生主:庖丁為文惠君解牛,手之所觸,肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音。合於《桑林》之舞、乃中《經首》之會。文惠君曰:「譆。善哉。技蓋至此乎。」庖丁釋刀對曰:「臣之所好者道也、進乎技矣。始臣之解牛之時、所見無非牛者。三年之後、未嘗見全牛也。方今之時、臣以神遇、而不以目視、官知止而神欲行。依乎天理、批大郤、道大窾、因其固然。技經肯綮之未嘗、而況大軱乎。良庖歳更刀、割也。族庖月更刀、折也。今臣之刀十九年矣、所解數千牛矣、而刀刃若新發於硎。彼節者有間、而刀刃者無厚、以無厚入有閒、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣、是以十九年而刀刃若新發於硎。雖然、毎至於族、吾見其難為、怵然為戒、視為止、行為遲。動刀甚微、謋然已解、如土委地。提刀而立、為之四顧、為之躊躇滿志、善刀而藏之。」文惠君曰:「善哉。吾聞庖丁之言、得養生焉。」 ○廩人:下文の「造車」によれば、『莊子』天道に見える車大工の「輪扁」のことで、『孟子』萬章下「其後廩人繼粟、庖人繼肉、不以君命將之」と混同するか。『莊子』天道:桓公讀書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰:「敢問公之所讀者何言邪。」公曰:「聖人之言也。」曰:「聖人在乎。」公曰:「已死矣。」曰:「然則君之所讀者、古人之糟魄已夫。」桓公曰:「寡人讀書、輪人安得議乎。有説則可、無説則死。」輪扁曰:「臣也、以臣之事觀之。斲輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以喩臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣。」 ○百家:多数の家。いろいろな学派。 ○滔滔:続いて止めどないさま。 ○割牛造車:『莊子』を参照。 ○有因:関連がある。 ○兪募:兪穴と募穴。 ○井營經合:「營」は「滎」「榮」の誤りか。また下に「兪」字を脱するか、あるいは語調をととのえるためにはぶいたか。 ○怵惕:驚き恐れる。
二ウラ
○黨:志を同じくする仲間。 ○尚友:昔の賢人を友とする。 ○緒端:端緒。『非十四經辨』原稿の初めの部分であろう。 ○乙未:安永四年(一七七五)。 ○仲秌:「秌」は「秋」の異体字。仲秋。旧暦八月。 ○穀雨:二十四節気のひとつ。四月二十日前後。仲秋と合致しない。未詳。 ○望草玄:望月草玄。常觀。望月三英の養子。


  三オモテ  369頁
非十四經辯序
事師古毉道亦然余同朋
白鱗者好於鍼灸之術苦
刻有歳嘗作非十四經辯
而至於先生几下先生讀
之曰經絡者古聖人之定
論豈可妄議乎雖然如滑
壽經絡別傳其遺害非淺
今正之錯説余所必取也
  三ウラ
謹受先生之命爲序其首
安永乙未仲秋日
河野仙壽院門人
山嵜松丹謹序


  【訓み下し】
  三オモテ
非十四經辯序
師に事うること、古毉道も亦た然り。余が同朋
白鱗なる者は、鍼灸の術を好み、苦
刻して歳有り。嘗て非十四經辯を作る。
而して先生の几下に至って、先生
之を讀んで曰く、經絡なる者は古聖人の定
論なり。豈に妄りに議する可けんや、と。然りと雖も滑
壽の如きは、經絡別に傳え、其の害を遺(のこ)すこと淺きに非ず。
今之が錯説を正す。余の必ず取る所なり。
  三ウラ
謹しんで先生の命を受けて序を其の首に爲すと
云う。
安永乙未仲秋日
 河野仙壽院門人
    山嵜松丹謹序

  【注釋】
○苦刻:「刻苦」におなじ。 ○有歳:有年。長年。 ○先生:河野通頼(みちより)。仙壽院。明和三年法印。安永二年御匙。寛政五年歿。年八十。(『寛政重修諸家譜』卷第六百十四) ○山嵜松丹:


  一オモテ  371頁
非十四經序
伯鱗氏見滑伯仁之書以為膠人之目
曰人命至重矣鍼石相之不可以已乎
昔者明王竭其目力直鼻横目人皆
見之視其所不見謂某在此某在此
則皮裡名分居然在人睫十目以視
矣百世以明矣乃至乎宋元先民之
典寘諸照鏡上古之言見諸列眉
  一ウラ  372頁
秋毫不失錐末不違皮裡名分若視見
垣一方人哉而明人伯仁鴟目之大將
與何為眎不若鼠拭眥接物昬昬昧
昧摸蘓是類豈唯形骸有盲乎蕭條
君形者瞑焉廼不能不皮裡名分如
縣象有列瞽史貞觀者舉彼錯此
舉此錯彼身體支節多亂其目是
取其所見合會為人非妖即怪人
  二オモテ  373頁
見掩目而走幸莫合會之者耳而不
内自省盱盱高盻蒿目所見載之方
策奚翅不似丘明之書後昆之鑑哉
噫伯仁又矇人也而後進之士不知
離朱師曠畫規之目均之無見獨
眩白黒分明以為神心亦復然抉爾
焰焰眸子代之以夫腐肉之非乎一
人仰之二人嚮之衆人允若之受其黮
  二ウラ  374頁
闇不顧皮裡名分出明王目力者卒以
湮滅出于伯仁蒿目者卒以較著徒有
瞳子而已天下滔滔喪其明焉群瞽
累累居其晦焉乃我生此世亦若河
魚不得明目也久矣幸窺見伯仁之
沙石濊之即用厺之愽覽舊章究
察先言頌論形軀討論文理明王
竭目力之迹皮裡名分粲然猶觀
  三オモテ
火也斯著此書欲使夫人復歸於明焉
然舊之甘瞑於幽冥之室不嘗與日
月之光卒然排之戸牖愕然按劍
而立則稍稍喜得輝燭一旦側目
排之者乎然人命至重矣鍼石相
之不可以已也伯鱗氏欲發衆人之
蒙言其所見如此
   三河  岳融撰
  〔印形白字「岳融/之印」、黒字「字曰/子陽」〕
   友思孝書
    〔印形白字「思/孝」、黒字「奉/◆」〕

  【訓み下し】
  一オモテ
非十四經序
伯鱗氏、滑伯仁の書を見て、以て人の目を膠(にかわ)すと爲して、
曰く、人命は至重なり。鍼石、之を相(たす)く。以て已(や)む可らざらんや。
昔者(むかし)明王、其の目力を竭し、直鼻横目、人皆
之を見る。其の見ざる所を視て、某は此に在り、某は此に在りと謂て、
則ち皮裡の名分居然として人睫に在り。十目以て視る。
百世以て明らかなり。乃ち宋元に至って、先民の
典、諸(これ)を照鏡に寘(お)き、上古の言、諸(これ)を列眉に見る。
  一ウラ
秋毫失わず、錐末違(たが)わず。皮裡の名分、視て垣の一方の人を見るが若きかな。
而して明人伯仁、鴟目の大なる、將(は)た
與(カ)何にか爲さん。眎(み)ること鼠に若かず。眥を拭って物に接するも昬昬昧
昧摸蘓、是れ類せん。豈に唯だ形骸のみにして盲有らんや。蕭條として
形に君たる者瞑す。廼ち皮裡の名分、
縣象、列有り、瞽史の貞觀の如くならざれば能わざる者、彼を舉げて此に錯(そむ)き、
此を舉げて彼に錯(そむ)き、身體支節多く其の目を亂る。是れ
其の見る所を取って合會して、人と爲さば、妖に非ざれば即ち怪人、
  二オモテ
見て目を掩って走らん。幸いに之を合會する者莫きのみ。
内に自ら省みず、盱盱として高盻し、蒿目して見る所、之を方策に載す。
奚ぞ翅(た)だ丘明の書の後昆の鑑(かがみ)たるに似ざるのみならんや。
噫(イ)、伯仁、又人を矇するなり。而して後進の士、
離朱・師曠、之が目を畫規するは、均しく之れ見ること無きに、獨り
白黒分明なるに眩し、以爲(おもえ)らく神心も亦復(またまた)然りと、爾(なんじ)の
焰焰たる眸子を抉(えぐ)って之に代うるに、夫(か)の腐肉を以てするの非を知らざるか。一
人之を仰ぎ、二人之に嚮(むか)ひ、衆人之に允とし若(した)がって、其の黮闇を受けて
  二ウラ
顧みず。皮裡の名分、明王の目力に出づる者、卒(つい)に以て
湮滅し、伯仁が蒿目に出づる者、卒に以て較著す。徒(いたづら)に
瞳子有る而已(ノミ)。天下滔滔として其の明を喪し、群瞽
累累として其の晦に居る。乃ち我、此の世に生まれて、亦
河魚の目を明することを得ざるが若きや久し。幸いに窺って伯仁の
沙石の之を濊(け)がすを見る。即ち用いて之を去って舊章を愽覽し、
先言を究察し、形軀を頌論し、文理を討論すれば、明王
目力を竭(つく)すの迹、皮裡の名分、粲然として猶を火を觀るがごとし。
  三オモテ
斯(ここ)に此の書を著して夫(か)の人をして明に復歸せしめんと欲す。
然れども舊(ひさ)しく之幽冥の室に甘瞑し、嘗て
日月の光に與(あずか)らず。卒然として之が戸牖を排(ひら)けば、愕然として劍を按じて
立たん。則ち稍稍に輝燭を得るを喜ぶも、一旦
之を排(ひら)く者を側目せんか。然れども人命は至重なり。鍼石
之を相(たす)く。以て已(や)む可からず、と。伯鱗氏、衆人の
蒙を發(ひら)かんと欲して、其の見る所を言うこと此(かく)の如し。
三河  岳融撰

  【注釋】
  一オモテ
○伯鱗:白鱗に同じ。 ○滑伯仁:滑寿(1304--1386)。『十四経発揮』を撰す。 ○膠:ものを固定して動かないようにする。いつわる。 ○目力:視力。『孟子』離婁上:「聖人既竭目力焉、繼之以規矩準繩」。 ○直鼻横目:おそらく人間のこと。真っ直ぐな鼻と横型の目。 ○居然:確かに。あきらかに。 ○名分:名義。 ○照鏡:明鏡。 ○列眉:事情がはっきり明白なことは眉毛が整って並んでいるようである。見たところが真実で少しも疑う余地がないことのたとえ。
  一ウラ
○秋毫:微細の物のたとえ。 ○視見垣一方人:『史記』扁鵲傳「扁鵲以其言飲藥三十日、視見垣一方人。」 ○鴟目:フクロウの目。容貌の凶悪なさま。『淮南子』氾論訓「夫鴟目大而眎不若鼠」。大も小に及ばないこともある譬え。 ○將:はた。反語をあらわす。 ○爲:反語の終助詞。 ○昬昬:昏昏。暗くはっきりしない。曖昧で是非が判定できない。 ○昧昧:暗い。 ○摸蘓:模索。連綿語で、「あいまい」の意であろう。 ○蕭條:さびしく冷たいさま。 ○君形:『淮南子』説山訓「君形者亡焉」。 ○縣象:天象。 ○瞽史:周代の二つの官職。瞽は楽師で、楽をつかさどる。史は太史で、陰陽天時の礼法をつかさどる。 ○貞觀:正道を人に示す。『易』繫辭下「天地之道、貞觀者也」。 韓康伯注「天地萬物莫不保其貞以全其用也」。 孔穎達疏「天覆地載之道以貞正得一、故其功可爲物之所觀也」。 陳夢雷淺述「觀、示也。天地常垂象以示人、故曰貞觀」。 ○合會:集め合わせる。合成する。
  二オモテ
○盱盱:直視するさま。跋扈するさま。 ○盻:にらむ。 ○蒿目:目の届く限り遠くを眺める。○丘明:左丘明。春秋魯国の太史。孔子が『春秋』を作り、左丘明が孔子の志を述べ、『春秋』によって、伝を作り、『春秋左氏伝』という。 ○後昆:後代の子孫。 ○噫:悲哀、痛みの語気。心の不平を発するときの音声。ああ。 ○矇:あざむく。 ○離朱:離婁。黄帝時代の人。百歩離れたところの秋毫の末を見分けたという。『莊子』駢拇「是故駢於明者、亂五色、淫文章、青黃黼黻之煌煌非乎。而離朱是已」。 陸德明釋文引司馬彪曰:「離朱、黃帝時人、百步見秋毫之末。一云見千里鍼鋒。『孟子』作離婁」。 ○師曠:人名。字は子野、春秋時代、晋国の楽師。よく音律聞き分けたことで著明。 ○畫規:画策する。 ○神心:心神。 ○焰焰:明るく輝く。 ○眸子:ひとみ。 ○允:承諾する。同意する。 ○若:「諾」に通ず。 ○黮闇:はっきりしないさま。蒙昧なさま。『莊子』齊物論「人固受其黮闇、吾誰使正之。」黮:くらい。
  二ウラ
○較著:顕著になる。 ○滔滔:混乱したさま。『論語』微子「滔滔者天下皆是也、而誰以易之」。 ○瞽:盲者。 ○累累:数が多いさま。 ○河魚不得明目:『淮南子』俶真訓「故河魚不得明目、稚稼不得育時、其所生者然也」。 ○沙石:土砂。 ○濊:「穢」に通ず。よごす。『淮南子』齊俗訓「故日月欲明、浮雲蓋之、河水欲清、沙石濊之」。 ○厺:「去」の異体字。 ○愽覽:博覧。 ○頌:朗読する。
  三オモテ
 ○幽冥:暗眛。 ○甘瞑:「甘冥」に同じ。安らかに眠る。『莊子』列御寇「彼至人者、歸精神乎无始、而甘冥乎无何有之郷」。陸德明釋文「冥……本亦作‘瞑’、又音眠」。 ○按劍:手で剣をなでる。 ○稍稍:だんだん。徐々に。 ○輝燭:輝く光。 ○一旦:ある朝。ある日。突然ある日。 ○側目:横目に人を見る。敬畏、戒懼、怒恨、憤怒などの含意あり。 ○三河:いま愛知県東部地域。  ○岳融:川野正博著『日本古典作者事典』によれば、1792年『壷邱詩稿二集』の跋にも見える。東海(とうかい・大竹融/字;子陽、岳東海)1735ー1803 三河儒:能耳門、江戸で講説、備中足守藩儒、. 「五穀古名考」「東海詩文稿」「荀子孝註」「四家雋考」、岳は大竹の略;修姓.


  四オモテ  377頁
非十四經辨序
昔軒轅制作鍼灸之術以拯民
之瘼則得行於永世者毉家之
要術不可過之矣余志鍼灸之
術三十歳于此吾邦未觀鍼術
之精者復觀今世鍼灸之書皆
滑壽介賓二腐毉精粕而無足
取者余嘗著非十四經辨以告
門人夫余鍼術者絶類離羣徴
  四ウラ
之以軒岐師之以扁倉欲復補
元明以來鍼灸經絡兪穴之弊
竢諸來者耳
安永乙未仲秋
   東都 廣瀬見龍白鱗
  〔印形白字「姓廣瀬/名見龍」、黒字「◆◆/原◆」〕


  【訓み下し】
  四オモテ
非十四經辨序
昔、軒轅、鍼灸の術を制作し、以て民
の瘼(やまい)を拯(すく)い、則ち永世に行う者を得たり。毉家の
要術、之に過ぐる可からず。余、鍼灸の
術に志すこと三十歳。此に于(お)いて吾が邦に未だ鍼術
の精なる者を觀ず。復た今世の鍼灸の書を觀るに、皆
滑壽介賓二腐毉は精粕にして、而して
取るに足る者無し。余嘗て非十四經辨を著し、以て
門人に告ぐ。夫れ余が鍼術なる者は類を絶し群を離れ、
  四ウラ
之を徴とするに軒岐を以てし、之を師とするに扁倉を以てして、
元明以來の鍼灸經絡兪穴の弊を復補せんと欲す。
諸(これ)を來者に竢(ま)つのみ。
安永乙未仲秋
   東都 廣瀬見龍白鱗

  【注釋】
  四オモテ
○軒轅:黄帝。 ○介賓:張介賓。 ○腐:役に立たない。 ○精粕:「糟粕(粗悪無用の物)」の意か。 ○絶類:たぐいなく優れる。絶倫。 ○羣:「群」の異体字。離羣:多くを超越している。蘇軾『表忠觀碑』「篤生異人、絶類離羣」。 
  四ウラ
○徴:証拠とする。 ○扁倉:扁鵲と倉公(淳于意)。 ○來者:後進。後輩。 ○安永乙未:安永四年(一七七五)。 ○東都:江戸。 


  十七オモテ  403頁
匪十四經跋
夫鍼灸術起于軒岐其要妙者秦
漢唐宋之名毉咸有纂述可大備
矣至元滑壽著十四經妄附臆度
差譌遺漏後世無識其妄者豈不
悲乎白鱗素精鍼術者著此書以
辯於滑壽孟浪之説名曰非十四
經辯令余爲之考訂余曰經絡腧
穴之道出于聖人逮至後世毉道
  十七ウラ  404頁
大變穪聖人未發䝿新賤舊滑壽   「稱」 「貴」
殿弊無甚於此矣是故白鱗者欲
使學於門人鍼灸之術者趣正而
遠邪也聊以爲之跋
安永乙未之秋
東都  林鳳舉元恭識
  【訓み下し】
  十七オモテ
匪十四經跋
夫れ鍼灸術は軒岐に起こる。其の要妙なる者は秦
漢唐宋の名毉、咸(み)な纂述有りて大いに備わる可し。
元の滑壽、十四經を著すに至りて、妄りに臆度を附す。
差譌遺漏、後世、其の妄を識(し)る者無きは、豈に
悲しからずや。白鱗は素より鍼術に精しき者なり。此の書を著して以て
滑壽孟浪の説を辯ず。名づけて非十四
經辯と曰う。余をして之が考訂を爲さしむ。余曰く、經絡腧
穴の道は聖人に出づ。後世に至るに逮(およ)びて、毉道
  十七ウラ
大いに變じ、聖人未だ發せずと稱し、新らしきを貴び、舊きを賤しむ。滑壽
殿の弊、此より甚だしきは無し。是の故に白鱗なる者
門人の鍼灸の術を學ぶ者をして正に趣きて而して
邪を遠ざけしめんと欲するなり。聊か以て之が跋と爲す、と。
安永乙未の秋
東都  林鳳舉元恭識(しる)す
  【注釋】
  十七オモテ
○差譌:あやまり。 ○孟浪:軽率なこと。『莊子』齊物論「夫子以為孟浪之言、而我以為妙道之行也」。 
  十七ウラ
○林鳳舉元恭:未詳。朱子学の林家のひとか。


十八オモテ  405頁
非十四經辨跋
經絡之説出於素靈而成於秦越人隋唐
以降諸家所見不同分趣異途莫適爲準
至元滑壽著十四經以爲發揮古昔所未
言而其説皆出於臆斷牽強大與素靈背
馳明馬玄臺祖述之而注内經張介賓本
之而著類經從是而滑氏之説徧行於天
下而有輕重之者鮮焉伯鱗子嘗疑滑氏
之説出於鑿説而固與素靈相悖於是乎
  十八ウラ  406頁
博考遠稽三十年於茲竟知其所發在彼
所謬在此因分條而辨正之命曰非十四
經辨其意合經者扶之悖經者斥之要在
明素靈之旨正炎黄之統其功可不謂勤
乎今欲上之梓以公於世予與伯鱗子相
知深因忘固陋以跋云
  安永戊戌仲春既望
         與住德誼撰
  〔印形黒字「盈/士」、白字「德/誼」〕


  【訓み下し】
十八オモテ
非十四經辨跋
經絡の説は素靈に出で、而して秦越人に成る。隋唐
以降の諸家、見る所同じからず。趣きを分ち途を異にし、適して準と爲す莫し。
元の滑壽に至りて、十四經を著し、以て發揮を爲す。古昔未だ
言わざる所なり。而して其の説皆な臆斷牽強に出で、大いに素靈と
背馳す。明の馬玄臺は之を祖述し、而して内經に注す。張介賓は之に本づき
而して類經を著す。是に從いて滑氏の説徧(あまね)く天下に行われ、
而して之を輕重する者有ること鮮(すくな)し。伯鱗子嘗て滑氏
の説の鑿説を出だし、而して固(もと)より素靈と相い悖(もと)るを疑う。是(ここ)に於いて、
  十八ウラ
博考遠稽すること三十年。茲(ここ)に竟(つい)に其の發する所、彼に在り、
謬る所、此に在るを知る。因りて條に分けて之を辨正す。命(なづけ)けて曰く、非十四
經辨と。其の意の經に合する者は之を扶け、經に悖る者は之を斥(しりぞ)く。要は
素靈の旨を明らかにするに在り。炎黄の統を正す。其の功、勤めたりと謂わざる可けん
や。今之を梓に上ぼせ、以て世に公にせんと欲す。予は伯鱗子と相
知ること深し。因りて固陋を忘れて以て跋すと云う。
  安永戊戌仲春既望
         與住德誼撰

  【注釋】
  十八オモテ
○素靈:『素問』『霊枢』。 ○秦越人:扁鵲。 ○馬玄臺:馬蒔。字は仲華、号は玄臺。明代、浙江会稽の人。『素問』『霊枢』の『註証発微』等を撰す。 ○祖述:前人の学説にならいしたがう。 ○張介賓:字は会卿、号は景岳、また通一子。浙江省山陰県の人。『内経』の注釈書『類経』等を撰す。 ○徧:「遍」の異体字。 ○輕重:軽重を問う。 ○鑿:牽強付会な。
  十八ウラ
○博考遠稽:ひろくものごとを考査する。学問に打ち込んで細かなことも漏らさず研究することの形容。深稽博考。 ○炎黄:炎帝神農氏と黄帝軒轅氏。 ○統:続いて絶えない体系。正統。 ○固陋:見聞の浅いこと。謙遜語。 ○安永戊戌:安永七年(一七七八)。 ○仲春:旧暦二月。 ○既望:旧暦十六日。 ○與住德誼:未詳。


  十九オモテ  407頁
非十四經跋
鍼之於灸藥譬之互行各自運
轉相爲用蓋鍼術之罹厄其元
明之間乎今之學者唯取信於
其書古術之不精職之由廼吾
家翁專志此道若干年目既熟
古書而得之於手應之於心自
若書前後十數篇今於此書亦
必謀諸古爲徴以斥其有錯誤
  十九ウラ  408頁
考以匡之必欲以改其正是家
翁之意也故予固請遂授之梓
人又欲使初學輩佐此竟牗其
衷也而後乃今与夫古之灸藥
相爲唇齒奚異亦庶幾有補於
濟民之術乎哉
安永乙未冬
   東都醫官村田長菴門人廣瀬見仲


  書き下し
  十九オモテ
非十四經跋
鍼の灸藥に於ける、之を譬うれば互いに行い、各おの自ら運
轉し、相い用を爲す。蓋し鍼術の厄に罹(かか)る、其れ元
明の間か。今の學者は唯だ信を
其の書に取るのみ。古術の精ならざるは職として之由る。廼ち吾が
家翁專ら此の道を志すこと若干年、目既に
古書に熟して、之を手に得て、之を心に應ず。自
若として前後十數篇を書す。今、此の書に於いて亦た
必ず諸(これ)を古えに謀りて徴と爲し、以て其の錯誤有るを斥け、
  十九ウラ
考えて以て之を匡し、必ず以て其の正に改めんと欲す。是れ家
翁の意なり。故に予固より請いて遂に之を梓
人に授け、又た初學輩をして佐(たす)けんと欲す。此に竟に其の
衷を牗(みちび)くなり。而る後乃ち今、夫の古えの灸藥と与に
相い唇齒を爲すこと、奚ぞ異ならんや。亦た庶幾(こいねが)わくは
濟民の術を補うこと有らんかな。
安永乙未冬
   東都醫官村田長菴門人廣瀬見仲

  【注釋】
○職:もっぱら。この部分、疑義あり。 ○家翁:父。 ○梓人:ここでは出版業者のことであろう。 ○唇齒:脣齒。きわめて密接な関係。 ○安永乙未:安永四年(一七七五)。 ○村田長菴:村田致和(むねまさ)。壽庵、杏庵ともいった。代々、長庵と号す。安永四年、寄合に列す。五年、家治の日光山詣でに随行。七年八月十四日、奥医となり、十二月十六日法眼に叙せられる(『寛政重修諸家譜』卷一三〇四。第二十册一頁)。 ○廣瀬見仲:廣瀬白鱗の子であろう。

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