2011年1月8日土曜日

20-1 灸草考

20-1灸草考 
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『灸草考』キの94
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』20所収
注は、小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』などによる。
一部判読に自信なし。

  一オモテ
灸艸考敘
吾邑毉學井上氏之子
桐菴夙誦稻若水貝篤
信二公書慨然為治本
草之志遂入京從松岡
  一ウラ
先生受業退而研窮弗
措其所筆記有本艸傳
習錄本草製譜倭本草
正誤相庵雅言詩騒選
名箋等數百卷未悉脱
  二オモテ
稿灸草攷一册盖其緒
餘耳夫獲片玉而抵鵲
之富可知也茲編一上梓
海内諸君子必有問其寳
者矣
  二ウラ
享保丁未旾正月赤石
文學梁田邦美題
   〔印形黒字「梁印(?/甘+卩)/◆毛」、白字「蛻/巖」〕

  【訓み下し】
  一オモテ
灸艸考敘
吾が邑毉學井上氏の子
桐菴、夙(つと)に稻若水、貝篤信
二公の書を誦し、慨然として
本草を治するの志を為し、遂に京に入り松岡先生に從い、
  一ウラ
業を受く。退いて研窮して措(お)かず。
其の筆記する所、本艸傳
習錄、本草製譜、倭本草
正誤、相庵雅言、詩騒選
名箋等數百卷有り。未だ悉くは稿を脱せず。
  二オモテ
灸草攷一册、盖(けだ)し其の緒
餘のみ。夫れ片玉を獲て鵲を抵(う)つ
の富知る可きなり。茲(こ)の編、一たび梓に上(のぼ)せば
海内の諸君子、必ず其の寳を問う者有らん。
  二ウラ
享保丁未旾正月赤石
文學梁田邦美題す。


  【注釋】
○井上桐菴:生没年不詳。井上玄通は播州明石藩医で、字は子黙(しもく)。号は桐庵(とうあん)。京都で松岡玄達(まつおかげんたつ)に学び、本草学に通じた。他著に『本草製譜(ほんぞうせいふ)』『本草伝習録(ほんぞうでんしゅうろく)』『大和本草正誤(やまとほんぞうせいご)』などがある。 ○稻若水:稲生若水(1655~1715)名は宣義[のぶよし](義とも)、字は彰信(しょうしん)、通称正助(しょうすけ)、修して稲若水(とうじゃくすい)とも。江戸の人。前田綱紀(まえだつなのり)に召され、加賀金沢藩儒となった。『庶物類纂(しょぶつるいさん)』を著すなど本草家として名高い。 ○貝篤信:貝原益軒(かいばらえきけん)(1630~1714)。益軒は筑前福岡藩士で、名は篤信(しげのぶ)、字は子誠(しせい)。損軒(そんけん)と号したが、晩年益軒と改めた。父寛斎(かんさい)・兄存斎(そんさい)に医学・漢学を学び、黒田光之(くろだみつゆき)に藩医として仕えた。京都に遊学して儒者や、向井元升(むかいげんしょう)・稲生若水(いのうじゃくすい)ら本草学者と交わった。 ○慨然:感嘆したさま。 ○松岡玄達:(1668~1746)。玄達の字は成章(なりあき)、通称は恕庵(じょあん)、号は怡顔斎(いがんさい)。京都の人で、山崎闇斎(やまざきあんさい)・伊藤仁斎(いとうじんさい)に儒を、浅井周伯(あざいしゅうはく)に医を、稲生若水(いのうじゃくすい)に本草を学んだ。小野蘭山(おのらんざん)はその弟子。著書はすこぶる多いが、生前刊行された著作に『用薬須知(ようやくすち)』がある。
  一ウラ
○研窮:精審窮究。みがききわめる。研究。 ○卷:書かれているのは、異体字「㢧」(「弓+一」)の「一」の部分が「二」となる字形。『雲笈七籤』など道教文献でもちいられることが多い。
  二オモテ
○緒餘:あまり。のこり。多く学問・道徳などについていう。 ○片玉:才能が傑出した人の比喩。 ○抵鵲:桓寬『鹽鐵論』崇禮「南越以孔雀珥門戸、崑山之傍以玉璞抵烏鵲。」もともとは中原(中国)で尊ばれているものが、辺境ではさげすまれていることをいう。のちに「抵鵲」を才能あるひとを小さなことに使うことの譬えとする。また借りて「玉璞」を指す。 ○上梓:刊行。 ○海内:天下。全国。
  二ウラ
○享保丁未:享保十二(一七二七)年。 ○旾:春の異体字。 ○赤石:明石。 ○梁田邦美:寛文十二~宝暦七(一六七二~一七五七)年。梁田(やなだ)。名は邦美(ほうび)・彦邦、字は景鸞、号は蛻巌(ぜいがん)。亀毛とも称す。儒者、詩人。其角の門人で俳号は亀毛。江戸生まれ。人見鶴山(竹洞)に学び、山崎闇斎の学を慕い、新井白石にも教えを受け、室鳩巣らと交わり、朱子学を主として仏典・神道にも通じた。享保四(一七一九)年、四十八歳から明石藩の藩儒。『蛻巌集』などの著書あり(早稲田大学図書館ネットで公開中)。

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