2011年1月12日水曜日

20-7 穴名備考

20-7穴名備考
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『穴名備考』(ケ・一一六) 
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』20所収
     判読に自信のない字あり。

  一オモテ
穴名備考序
有物必有名正名而後實可索矣
語曰必也正名乎夫子爲政之所先特
名而已吾醫亦可言乎因受以正名
蓋名者實之標其可不正哉人身
  一ウラ
孔穴三百六十有五而一穴或三五名
加以奇兪歳至千餘名繽紛穴雜
不正將謬焉紀府田生患其未正
類聚其名括以國字是舉也岩邑河
生与翁二生者余之高足也書成而
  二オモテ
請余閲焉余急於教授而慢其事遲延
三年而田生歿又三年而河生歿余泫然
而泣曰久矣余之負於二生也余聞君子
成人之美二生之美其可廢哉遂轉攷
方書補其遺佚雖非集成名得略正
  二ウラ
矣鍼灸家卷懷一通尚不致疑惑於穴名
也是編之行也庶丈二子之名與孔穴之名倶
不朽哉因題其首付諸剞劂氏
寶暦癸酉之春花朝日平安圖南
滕直惟寅撰  〔印形黒字「滕氏/惟寅」、白字「圖南/◆◆」〕


  【訓み下し】
  一オモテ
穴名備考序
物有れば必ず名有り。名を正して而る後に實、索(もと)む可し。
語に曰く、必ずや名を正(ただ)さんか、と。夫子、政(まつりごと)を爲すに先んずる所は、特に
名のみ。吾が醫も亦た言う可きか、因りて受けて以て名を正す、と。
蓋し名なる者は、實の標なり。其れ正さざる可けんや。人身
  一ウラ
孔穴三百六十有五、而して一穴或るいは三五名あり。
加うるに奇兪を以てす。歳、千餘に至り、名は繽紛として穴雜(まじ)りて
正しからず、將に謬らんとす。紀府の田生、其の未だ正しからざるを患(うれ)い、
其の名を類聚して括るに國字を以てするは是の舉なり。岩邑の河
生と翁の二生とは、余の高足なり。書成りて
  二オモテ
余に焉を閲するを請う。余、教授を急として其の事を慢(おこた)り、遲延すること
三年にして田生歿し、又た三年にして河生歿す。余、泫然として
泣きて曰く、久しきかな、余の二生に負(そむ)くや、と。余聞く、君子は
人の美を成す、と。二生の美、其れ廢す可けんや。遂に轉じて
方書を攷(かんが)え、其の遺佚を補う。集成するに非ずと雖も、名略(やや)正すを得たり。
  二ウラ
鍼灸家、一通を卷懷して、尚(ねが)わくは疑惑を穴名に致さざらんことを。
是の編の行わるるや、庶(こいねが)わくは丈二子の名、孔穴の名と倶に
朽ちざらんことを。因って其の首に題して諸(これ)を剞劂氏に付す。
寶暦癸酉の春花朝日、平安 圖南
滕直惟寅撰


  【注釋】
  一オモテ
○必也正名乎:『論語』子路に見える語。 ○亦:「所」か。 ○其可:「其相」か。
  一ウラ
○奇兪:奇穴。 ○繽紛:乱雑で多く盛ん。 ○將:「猶」か。 ○紀府田生:紀伊国(紀州)の医官、竹田景淳。 ○岩邑:美濃岩邑藩か?跋文によれば、周防岩国領か? ○河生:医官、河北宗碩。 ○翁:別字かも知れない。「翁」字でよければ、男性に対する尊称で竹田氏のこと。 ○高足:弟子に対する美称。
  二オモテ
○泫然:涙が流れ落ちるさま。『禮記』檀弓上「孔子泫然流涕、曰……」。 ○君子成人之美:『論語』顏淵「君子成人之美、不成人之惡(君子は他人の善事を助成し、他人の悪事を助成しない)」。唐・韓愈『處州孔子廟碑』「後之君子、無廢成美」。 ○攷:「攻(おさめる)」か。
  二ウラ
○卷懷:収蔵する。『論語』衛靈公:「邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之。」 ○通:文書を数える量詞。 ○剞劂:彫刻用の曲刀。版木を彫ること。印刷。剞劂氏は版木を彫る職人。 ○寶暦癸酉:宝暦三(一七五三)年。 ○花朝日:旧暦の二月十二日か、十五日。春の花が咲く時期。 ○平安:京都。 ○圖南滕直惟寅:浅井図南(あざいとなん)。一七〇六~八二年。名は政直(まさなお)、字は惟寅(これとら)(維寅とも)、通称頼母(たのも)。京都の人であるが、父浅井東軒(名正仲[まさなか])の跡を継いで尾張藩医となり、以後歴代尾張藩医を襲う。(以上、小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』)/「滕」、浅井家は、藤原氏を祖とするので、「藤」の漢語風表記であろう。


  後一オモテ
題穴名備考後
誰與輯斯編者紀之田周
之河也葢欲貫珠璧於一
繯使觀者不眩於衆寳已
於是乎耕藍田蒐崐岡左
右取之和盤托出眀月夜
  後一ウラ
光斕然在睫烏乎二生之
功偉矣嘗就家君攻其疵
瑕家君朝磋夕磨成而未
鏤東宦于尾遂舉彫刻之
役属之於路路也非賈師
焉能辨其物使海内信連
  後二オモテ
城乎雖然蘊匱不發恐獲
罪於成美聊附一言公之
市肆亦唯為和氏拆璞已
寳曆乙亥冬十一月望
  平安 滕正路識
   〔印形白字「正路/之印」、黒字「由/卿」)


  【訓み下し】
題穴名備考後
誰か、斯の編を輯する者は。紀の田、周
の河なり。蓋し珠璧を一繯に貫かんと欲すれば、
觀る者をして衆寳に眩(くら)まざらしむるのみ。
是に於いて、藍田に耕し崑岡に蒐(あつ)め、左
右、之を取り、盤に和して托出し、明月の夜
  後一ウラ
光、斕然として睫に在り。烏乎(ああ)、二生の
功、偉(おお)いなるかな。嘗て家君に就きて其の疵
瑕を攻(おさ)む。家君、朝(あした)に磋(みが)き夕べに磨(みが)きて成る。而して未だ
鏤(え)らず。東のかた尾に宦(つか)え、遂に彫刻の
役を舉げて、之を路に属(シヨク)す。路や賈師に非ず。
焉んぞ能く其の物を辨じ、海内をして連城を信ぜしめんや。
  後二オモテ
然りと雖も、匱(ひつ)に蘊(たくわ)えて發(ひら)かずんば、恐くは
罪を成美に獲ん。聊か一言を附して之を市肆に公(おおやけ)にするも、
亦た唯だ和氏の拆璞の為めのみ。
寳曆乙亥冬十一月望
  平安 滕正路識(しる)す
  【注釋】
○紀之田:紀伊国の竹田景淳。 ○周之河:周防国の河北宗碩。 ○珠:真珠。 ○璧:扁平で円形、中央に穴がある玉器。 ○繯:縄でくくった輪。「環」に通ず。 ○衆:多くの。 ○藍田:山の名。美玉の産地。現在の西安の北方。/藍田生玉:優れた父親に優れた子どもが生まれる。 ○崐岡:崑崙山。美玉の産地。 ○和盤托出:すこしも残さず洗いざらい持ち出したり説明すること。 
  後一ウラ
○斕然:色が多彩なさま。 ○家君:自分の父親。 ○攻:学問をおさめる。研究に従事する。 ○疵瑕:きず。あやまち。 ○朝磋夕磨:切磋琢磨。『禮記』大學「如切如磋、如琢如磨。」のちに研究討論することをいう。 ○鏤:彫刻する。版木に彫る。 ○宦:仕官する。 ○尾:尾張。平安(京都)より東方の尾張(名古屋)に遷る。 ○属:「嘱」に同じ。委嘱する。 ○路:浅井正路。 ○賈師:市場を管理し、物の値段を決定するひと。商人。 ○海内:四海の内。全国。天下。 ○連城:貴重な物のたとえ。戦国時代、趙国に和氏の璧という宝玉があり、秦の昭王が十五の城(都市)と交換することを望んだ。『史記』卷八十一・廉頗藺相如伝を参照。「連城之價(きわめて高い価値)」「連城之珍(非常に貴重な宝物)」。
  後二オモテ
○成美:すでに完成された素晴らしい物。唐・韓愈『處州孔子廟碑』「後之君子、無廢成美」。 ○市肆:町中の店。 ○和氏拆璞:『韓非子』和氏「楚人和氏得玉璞楚山中、奉而獻之厲王、厲王使玉人相之、玉人曰、『石也』。王以和為誑、而刖其左足。及厲王薨、武王即位、和又奉其璞而獻之武王、武王使玉人相之、又曰『石也』、王又以和為誑、而刖其右足。武王薨、文王即位、和乃抱其璞而哭於楚山之下、三日三夜、泣盡而繼之以血。王聞之、使人問其故、曰、『天下之刖者多矣、子奚哭之悲也』。和曰、『吾非悲刖也、悲夫寶玉而題之以石、貞士而名之以誑、此吾所以悲也』。王乃使玉人理其璞而得寶焉、遂命曰、『和氏之璧』」。 ○寳曆乙亥:宝暦五(一七五五)年。 ○望:旧暦十五日。 ○平安:京都。 ○滕正路:浅井南溟(あざいなんめい)、一七三四~八一。図南の子。名は正路(まさみち)。字は由卿。南溟と号す。和気の姓も用いる(以上、篠原孝市先生解説)。尾張浅井第三代。

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