2011年1月26日水曜日

24-2 續名家灸選

24-2續名家灸選
         京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『續名家灸選』(メ・4)
         オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』24所収
 
 (序一)
  一オモテ
續名家灸選序
夫七年之病求三年之艾者
不足以灼其病何則病久而
攻病者未久也世之欲灼病者
  一ウラ
不知所以灼病之道而且用不
足以灼病者是使人徒忍不可
忍之熱耳乃若其甚者則妄
灼無病之肌膚曰我能灼未然
  二オモテ
之病豈知肌膚焦爛血肉枯涸
強者至弱々者至不可救藥也
耶平井子謹氏竊有戒懼之
心於是索前哲之隱補其師
  二ウラ
之闕以編書一卷名曰續名
家灸選將以使世之灼病者
知七年之病無求三年之艾
與其所以灼病之道焉其於
  三オモテ
起予之才壽世之澤亦豈
鮮々乎哉及其上梓丐序於
主一因弁其端以數語云
文化三年丙寅冬十一月
  三ウラ
丹波園部文學平安馬杉主一撰
 〔印形黒字「園部/文學」、白字「主壹/之章」〕


  【訓み下し】
  一オモテ
續名家灸選序
夫れ七年の病に三年の艾を求むる者は、
以て其の病を灼くに足らず。何則(なんとなれ)ば病久しくして
病を攻むる者は未だ久しからざればなり。世の病を灼かんと欲する者は、
  一ウラ
病を灼く所以の道を知らず。而して且つ
以て病を灼くに足らざる者を用ゆ。是れ人をして徒らに
忍ぶ可からざるの熱を忍ばしむるのみ。乃ち其の甚しき者の若きは、則ち妄(みだ)りに
無病の肌膚を灼きて曰く、我能く未だ然
  二オモテ
らざるの病を灼く、と。豈に肌膚焦爛し、血肉枯涸し、
強き者は弱きに至り、弱き者は救い藥(いや)す可からずに至るを知らんや。
平井子謹氏、竊(ひそ)かに戒懼の
心有り。是(ここ)に於いて前哲の隱を索(もと)め、其の師の
  二ウラ
の闕を補い、以て書一卷を編む。名づけて曰く、續名
家灸選。將に以て世の病を灼く者をして、
七年の病に三年の艾を求むることを無きと、
其の病を灼く所以の道とを知らしめんとす。其の
  三オモテ
予を起こすの才、世を壽(ことほ)ぐの澤も、亦た豈に
鮮々乎たらんや。其の上梓するに及んで、序を
主一に丐(こ)う。因りて其の端に弁ずるに數語を以てすと云う。
文化三年丙寅冬十一月
  三ウラ
丹波園部文學平安馬杉主一撰
  【注釋】
○七年之病:『孟子』離婁上「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。」
  二オモテ
○平井子謹:平井庸信(ひらいつねのぶ)。字は子謹。 ○戒懼:いましめおそれる。 ○前哲:前代の優れたひと。 ○索隱:隠れていて優れたものを明らかにする。 ○其師:淺井南皐。
  二ウラ
○闕:欠けているもの。 
  三オモテ
○起予:自分が気づかないことを覚らせてくれる。『論語』八佾:「子曰、起予者商也。始可與言詩已矣(予(われ)を起こす者は商なり。始めて與(とも)に詩を言う可きのみ)」。 ○鮮鮮:よいさま。あざやかで美しいさま。 ○弁:(一番前・上に)置く。 ○文化三年丙寅:一八〇六年。
  三ウラ
○丹波園部:京都府南丹市園部町。園部藩。 ○文學:儒官。 ○平安:京都。 ○馬杉主一:
 (序二)
  一オモテ
續名家灸選序
丹州平井庸信今之良
醫而信吾祖業者也頃著
續名家灸選丐叙于予嗚
  一ウラ
呼此舉也灸法大備實醫國
之仁救民之術孰不嘉尚耶
因書簡端以還之云
 文化歳在丁卯四月
  二オモテ
[錦小路修理太夫丹波頼理卿]
  抱卵堂主人識
  〔印形白字「頼理/之印」、黒字「條/甫」〕

  【訓み下し】
  一オモテ
續名家灸選序
丹州の平井庸信は今の良
醫にして吾が祖の業を信ずる者なり。頃(ころ)おい
續名家灸選を著し、叙を予に丐(こ)う。嗚(あ)
  一ウラ
呼(あ)、此の舉や、灸法大いに備わる。實に國を醫(いや)す
の仁、民を救うの術、孰(たれ)か嘉尚せざらんや。
因りて簡の端に書きて以て之を還すと云う。
 文化、歳は丁卯に在り、四月
  二オモテ
[錦小路修理太夫丹波頼理卿]
  抱卵堂主人識(しる)す

  【注釋】
  一オモテ
○祖業:祖先の事績。祖先の遺産。ここでは鍼灸。 ○頃:剛才。近。
  一ウラ
○嘉尚:讚許。たたえる。あがめ尊ぶ。 ○簡:書信。書簡。 ○歳:木星。歳のめぐり。
  二オモテ
○錦小路修理太夫丹波頼理卿:錦小路/丹波よりただ。明和四(1767)年二月九日 ~文政十(1827)年三月二十二日。本草家、医師。嶧山とも号す。正三位修理大夫。『本草薬名備考和訓鈔』『医方朗鑑』を撰す。


 (序3)
  一オモテ
續名家灸選叙
古自有樞素以來鍼灸藥
三法鼎立所以救民之夭殤
札瘥之法大備無以尚焉惟
夫鍼藥二者神聖工巧全
  一ウラ
備詳盡唯其所取故曰醫
者意也如灸焫一途又頗
有要矣有良工察其
病機定其點法星火頃
刻則起癈愈痼肉瘠
  二オモテ
蘇斃者不可舉數也而
本邦古醫之所傳及遠境
草莽之俗所秘反得其要
者間有之予深憾其傳
  二ウラ
之不廣焉是以客歳遍
採廣索選名家灸法以公
于世丹州平子謹深善其
舉今又輯其散逸拾其
遺漏以作續編觀子謹
  三オモテ
脩術于鍼于藥莫不精
密其於灸法亦如是之需
可謂具醫家之鼎趾
者也於是乎言
文化四年丁卯五月
  三ウラ
典藥寮醫員
 朝議郎大藏大録和氣惟亨誌
  〔印形白字「◆◆/之印」、黒字「南/皐」〕(◆◆は「維亮」か?)

  【訓み下し】
  一オモテ
續名家灸選叙
古(いにしえ)、樞素有りて自り以來、鍼灸藥
三法鼎立す。民の夭殤
札瘥を救う所以の法、大いに備わり、以て焉(これ)より尚きは無し。惟(おも)うに、
夫(そ)れ鍼藥の二者は、神聖工巧、
  一ウラ
唯だ其の取る所を全く備え詳しく盡くす。故に曰く、醫
は意なり、と。灸焫の一途の如きは、又た頗る
要有り。良工有り、其の
病機を察し、其の點法を定むれば、星火頃
刻にして則ち癈を起こし、痼を愈やし、瘠を肉づけ、
  二オモテ
斃を蘇らす者、舉げて數う可からざるなり。而して
吾が
本邦、古醫の傳うる所、及び遠境
草莽の俗の秘する所、反って其の要を得る
者、間(まま)之れ有り。予は深く其の傳
  二ウラ
の廣まらざるを憾む。是(ここ)を以て客歳遍(あまね)く
採り廣く索(もと)め、名家灸法を選し、以て
世に公にす。丹州の平子謹、深く其の
舉を善(よみ)し、今ま又た其の散逸するを輯(あつ)め、其の
遺漏するを拾い、以て續編を作りて觀せしむ。子謹は
  三オモテ
術を脩めて、鍼に藥に精
密ならざるは莫し。其れ灸法に於いても亦た是の如きを之れ需(もと)む。
醫家の鼎趾を具(そな)うる
者と謂う可きなり。是に於いて言う。
文化四年丁卯五月
  三ウラ
典藥寮醫員
 朝議郎大藏大録、和氣惟亨誌(しる)す


  【注釋】
  一オモテ
○樞素:『霊枢』『素問』。 ○鼎立:三方が鼎の三本足のように対になって立つ。 ○夭殤:短命早死。 ○札瘥:伝染病などの疾病により死ぬこと。『左傳』昭公十九年:「鄭國不天、寡君之二三臣札瘥天昬、今又喪我先大夫偃」。杜預注:「大死曰札、小疫曰瘥」。 孔穎達疏:「﹝札、瘥、夭、昬﹞揔説諸死、連言之耳」。 ○神聖工巧:『難経』六十一難曰:「望而知之、謂之神。聞而知之、謂之聖。問而知之、謂之工。切脉而知之、謂之巧」。

  一ウラ
○醫者意也:『金匱玉函經』卷一・證治總例。『舊唐書』許胤宗傳など。 ○星火:小さな火。灸。/星:細微な、ちいさな。 ○頃刻:ごく短い時間。 ○癈:廃疾。聾、啞、跛足などの疾病。 ○痼:根深い、難治の病。 ○瘠:瘦せ細った。
  二オモテ
○斃:死。 ○遠境:辺遠の土地。 ○草莽:田野、草野。 
  二ウラ
○客歳:去年。 ○舉:行為。
  三オモテ
○鼎趾:鼎の三本の足。 ○文化四年丁卯:一八〇七年。
  三ウラ
○典藥寮:典薬寮は令制宮内省の被管で医療を掌る官司。……十一世紀以後、典薬頭は、和気氏と丹波氏による世襲するところとなる(『国史大辞典』)。医博士は正七位下。医師は、従七位下。針師は正八位上。 ○朝議郎:養老令(『令義解』官位令)では、正六位上。 ○大藏大録:おおくらだいさかん。正七位上。 ○和氣惟亨:1760~1826。『名家灸選』の撰者。名は惟亨(これゆき)、字は元亮(げんりょう)。尾張藩医浅井南溟の養子となり、浅井南皐と名乗る。
 

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