21-1家傳十四經
東京大学附属図書館所蔵『家伝十四経』(Ⅴ11-2053)
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』21所収
〔書末〕
右十四經者味岡三傳也上領家秘之然予傳授之故家
傳加二字石川家為秘非其仁而授之則蒙神文
罸者也
寛政四子閏二月大吉日
上領玄碩傳
石川玄格源朝重字月舟謹書焉
〔印形黒字「石川/玄格」「字/月/舟」〕
儒醫 今村良庵手澤
【訓み下し】
右十四經は、味岡三〔伯〕の傳なり。上領家、之を秘す。然れども予は之を傳授す。故に家
傳、二字を加う。石川家、秘と為す。其の仁に非ずして之を授くれば、則ち神文の
罸を蒙る者なり。
寛政四子閏二月大吉日
上領玄碩傳
石川玄格源朝重字月舟謹みて焉(これ)を書す
【注釋】
○味岡三傳:「三」の下、「伯」字を脱するか。 ○上領:「かみりょう」と読むか。 ○其仁:「其人」に同じ。 ○神文:しんもん。罰文。約束を破った場合には神仏による罰を受けるという文言。 ○罸:「罰」の異体字。 ○寛政四子:一七九二年。 ○上領玄碩: ○石川玄格源朝重字月舟: ○今村良庵:(1814~90)。山県大弐(やまがただいに)の孫で、名は亮(あきら)、字は祗卿(しけい)、号は復庵(ふくあん)・了庵。佐藤一斎(さとういっさい)に儒を、多紀元堅(たきもとかた)に医を学び、江戸に開業。のち伊勢崎藩医。明治維新後は、大学で皇漢医術を教授し、脚気病院委員、明宮(はるのみや)皇子(のちの大正天皇)の侍医を歴任した。〔小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』〕
上領は「かみりょう」です。むかし、そんな苗字の知り合いがいました。そんなに親しかったわけでもないけれど、変わった苗字だから覚えています。たしか、中国地方も西のほうの出身だったような記憶です。
返信削除