19-1鍼灸樞要
京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼灸枢要』(シ-512)
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』19所収。卷2末落丁あり。
一オモテ
鍼灸樞要叙
山本玄通叟自號不貫乘工鍼
法以其平生試之所有經驗者暇
日講明彙而爲編名之曰鍼
灸樞要蓋本諸滑攖寧氏之書
兼及百家之言自素難以下採
一ウラ
輯孫眞人皇甫謐王維一樓全
善方賢李梴徐春甫陳善同
張景岳李士材之書推而廣之
觸類長之且交以己意可謂奇也
去取不一涇渭以分可謂勤矣抑
赤烏神鍼玄悟神鍼三奇六儀
二オモテ
枕中子午之經況又甄權張子
存之所傳者亦如何哉迎隨
應手補瀉任心遲速精微從
其思斟酌之損益之死可生
矣凶可吉矣丁其刺之時則茫
然復不覺鍼之在手神遊其
二ウラ
間可謂妙也余未嘗識叟去
載、在武而始識其爲人叟晋
而乞其題辭余豈敢耶今
茲在我白雲峰中而退居叟
屢寄書而需之不已於是不能
已遂書
三オモテ
寛文十年春二月日
潛樓散人埜三竹子苞父書
【訓み下し】
一オモテ
山本玄通叟、自ら不貫乘と號す。鍼法を工(たくみ)にし、
其の平生、之を試み經驗有る所の者を以て、暇
日講明して彙(あつ)めて編を爲し、之を名(なづ)けて
鍼灸樞要と曰う。蓋し諸(これ)を滑攖寧氏が書を本とし、
兼ねて百家の言に及ぶ。素難自り以下、
一ウラ
孫眞人・皇甫謐・王維一・樓全
善・方賢・李梴・徐春甫・陳善同・
張景岳・李士材が書を採(と)り輯して、推して之を廣め、
類に觸(ふ)れて之を長じ、且つ交(まじ)うるに己が意を以す。奇なりと謂(いつ)つ可し。
去取一ならず、涇渭以て分る。勤めたりと謂(いつ)つ可し。抑(そも)そも
赤烏神鍼・玄悟神鍼・三奇六儀・
二オモテ
枕中・子午の經、況んや又た甄權・張子
存が傳(つた)うる所の者、亦た如何(いかん)ぞや。迎隨、
手に應じ、補瀉、心に任す。遲速精微、
其の思いに從って、之を斟酌し、之を損益す。死も生ず可し。
凶は吉なる可し。其の刺すの時に丁(あた)っては、則ち茫
然として復た鍼の手に在ることを覺えず。神、其の
二ウラ
間に遊ぶ。謂(いつ)つ可し、妙なりと。余、未だ嘗て叟を識らず。去
載、武に在って、始めて其の人と爲りを識る。叟、晋(すす)んで
其の題辭を乞う。余、豈に敢てせんや。今
茲、我が白雲峰中に在って、退居す。叟
屢しば書を寄せて之を需(もと)めて已(や)まず。是(ここ)に於いて
已むこと能わず。遂に書す。
三オモテ
寛文十年春二月日
潛樓散人埜三竹子苞父書
【注釋】
一オモテ
○山本玄通:本書の撰者。不貫乗、適庵(菴)と号す。宗孝(むねたか)と称す。『木偶説』『人身図説』などを撰す。 ○叟:老年男子に対する尊称。 ○不貫乘:『孟子』滕文公下「我不貫與小人乘(我、小人と乘ることを貫(なら)わず)」。趙岐注:「貫、習也」。慣に通ず。 ○暇日:ひまな日。『孟子』梁惠王上:「壯者以暇日修其孝悌忠信」。 ○講明:解釈する。 ○滑攖寧氏:滑壽。字は伯仁。攖寧と号す。『十四經発揮』を撰す。攖寧は、『荘子』大宗師にみえる語。 ○素難:『素問』『難經』。
一ウラ
○孫眞人:唐の医家。孫思邈。『千金方』を撰す。 ○皇甫謐:字は士安。西晋のひと。『鍼灸甲乙経』の撰者とされる。 ○王維一:宋のひと。王惟一。『銅人腧穴鍼灸図経』を撰す。 ○樓全善:明の医家。楼英。全善は字。『医学綱目』を撰す。 ○方賢:明の医家。『奇効良方』を編纂す。 ○李梴:明の医家。字は健斎。『医学入門』を撰す。 ○徐春甫:明の医家。字は汝元あるいは汝源。『古今医統大全』を撰す。 ○陳善同:明の鍼灸家。陳会。善同は字。『神応経』を撰す。 ○張景岳:明の医家。張介賓。景岳は号。『類経図翼』を撰す。 ○李士材:明末清初の医家。李中梓。士材は字。『医宗必読』を撰す。 ○觸類長之:『易經』繫辭上「引而伸之、觸類而長之。」ひとつの事物の法則を理解して、それをさらに進めてその他の同類の事柄に応用すること。 ○涇渭以分:涇水は源を六盤山に発し、黄土地帯を流れ、大量の泥砂を帯びて流れる。対して渭水は源を秦嶺に発し、急峻な崖壁に挟まれた山谷をへるため、河水は澄んでいる。涇水が渭水に流入する時は、清濁が混じらず、境界がはっきりしている。後に善悪の区別が非常にはっきりしていることの譬えにもちいる。 ○赤烏神鍼:『隋書』経籍志に「赤烏神鍼經」あり。赤烏は、孫権の年号。 ○玄悟神鍼:『宋史』芸文志に「玄悟四神針經」あり。 ○三奇六儀:『隋書』経籍志に「三奇六儀鍼要經」あり。
二オモテ
○枕中:『隋書』経籍志に「華佗枕中灸刺經」あり。 ○子午:『子午流注鍼經』。 ○甄權:隋唐間の医家。『明堂人形圖』を撰す。 ○張子存:『赤烏神鍼經』を撰す。 二ウラ
○去載:去年。 ○武:武州。武蔵の国。江戸。 ○今茲:今年。
三オモテ
○寛文十年:一六七〇年。 ○潛樓散人埜三竹子苞:野間三竹。京都の名医野間玄琢の子。医師。墓所は京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町白雲渓。/(鷹ヶ峰常照寺の東)同じ一角に曲直瀬玄朔・曲直瀬道三(玄朔義父)の墓があるという。
四オモテ
鍼灸樞要序
嘗聞鍼灸之法權輿于黄帝
故扁倉已來以醫鳴者無不
用此術其救病之効活人之玅與
湯液丸散並行然方劑之書多
而鍼灸之書少矣唯各書之内
四ウラ
標擧一門也昔 本朝之立醫
博士兼學鍼術故和丹両家
有擧鍼博士者中葉以降未
聞以鍼灸顯名者偶淂其傳者
亦著書幾希頃間門人南直携
鍼灸樞要來請曰此是山本玄通
五オモテ
所纂也彼業鍼術通灸穴其
效稍顯世或知之平生厚志家
業閲若干方書至論鍼灸則
悉抄之集之其間有自淂則記
於其絛末研覃厯年盡精
力於此積為二十卷願弁一
五ウラ
語以��子孫乃是玄通之志也余
聞之曰人各有業同業而可以議
其事也異業而相共議則猶樵之
談水漁之談山乎故曰道不同不相
為謀況余未知玄通之面哉直
頻勧頻請於是謂壽夭雖有命於
六オモテ
死生之衟大也鍼灸之術有起
死回生之効則一刺一壯豈其容
易乎由是言之二十册之堆有
補益於人不為少乎是亦仁
之一方而惠民之端乎嗚呼玄
通精于勤成于思其効見於
六ウラ
書何拘識面與不識哉韓子
曰名一藝者無不庸余為彼
有期焉其餘待如子陽子
豹者論而可也
延寳元年癸丑仲冬
賜弘文院學士林叟序
【訓み下し】
四オモテ
鍼灸樞要序
嘗て聞く、鍼灸の法、黄帝に權輿す。
故に扁倉より已來、醫を以て鳴る者、此の術を用いずということ無し。
其の病を救う効、人を活する玅、
湯液丸散と並び行わる。然れども方劑の書は多くして、
鍼灸の書は少なし。唯だ各書の内(うち)
四ウラ
一門を標擧す。昔 本朝の醫博士を立つる、
鍼術を兼ね學ぶ。故に和丹の両家
鍼博士を擧ぐる者有り。中葉より以降(このかた)、未だ
鍼灸を以て名を顯わす者を聞かず。偶たま其の傳を得る者、
亦た書を著すこと幾んと希(まれ)なり。頃間(このごろ)門人南直、
鍼灸樞要を携え來たりて請いて曰く、此れは是れ、山本玄通
五オモテ
纂(あつ)むる所なり。彼れ鍼術を業とし、灸穴に通ず。其の
效(しるし)稍(や)や顯る。世、或いは之を知る。平生、志を家業に厚し。
若干(そこばく)方書を閲(けみ)す。鍼灸を論ずるに至っては、(則ち)
悉く之を抄し、之を集む。其の間、自得すること有るときは、(則ち)
其の絛末を記す。研覃、年を歴、精力を此に盡くして、
積みて二十卷と為す。願わくは、一語を弁(こうむ)らしめて、
五ウラ
以て子孫に遺さんことを。乃ち是れ玄通が志なり。余、
之を聞いて曰く、人各おの業有り。業を同じくして、以て其の事を
議す可し。業を異にして相共に議するときは、(則ち)猶を樵の
水を談じ、漁の山を談ずるがごときか。故に曰く、道同じからざれば、相
為めに謀らず。況んや余未だ玄通が面を知らざるをや。直(た)だ
頻りに勧して頻りに請う。是に於いて謂らく、壽夭、命有りと雖とも、
六オモテ
死生の衟(みち)に於いては、大なり。鍼灸の術、死を起こし、
生を回(めぐ)らすの効有り。(則ち)一刺一壯、豈に其れ容易ならんや。
是に由りて之を言えば、二十册の堆(うずたか)き、
人に補益有ること少なしと為せざるか。是れ亦た仁の
一方にして民を惠むの端(はし)なるか。嗚呼(ああ)、玄通
勤めに精しく、思に成る。其の効、書に見(あらわ)る。
六ウラ
何んぞ面を識(し)ると識らずは與(とも)に拘わらんや。韓子が
曰く、一藝に名の者、庸(もち)いられずということ無し。余、彼れが為に
期すること有り。其の餘は子陽、子豹が如き者を待ちて
論じて可なり。
延寳元年癸丑仲冬
賜弘文院學士林叟序
【注釋】
四オモテ
○權輿:萌芽。開始の比喩に用いる。 ○扁倉:扁鵲と倉公(淳于意)。 ○已來:「以來」と同じ。
四ウラ
○標擧:掲示する。列挙する。 ○醫博士:典薬寮において医生の教育にあたった。正七位下。 ○和丹:和気家と丹波家。 ○鍼博士:鍼生の教育にあたった。従七位下。 ○南直:未詳。
五オモテ
○淂:「得」の異体字。 ○厯:「歴」の異体字。 ○研覃:深く研鑽する。 ○弁:前や上に置く。
五ウラ
○��:「遺」の異体字。B領域。 ○
六オモテ
○精勤:専心にはげみつとめる。
六ウラ
○韓子曰:『(新・舊)唐書』韓愈傳「占小善者率以錄、名一藝者無不庸」。 ○子陽、子豹:ともに扁鵲の弟子。 ○延寳元年:一六七三年。 ○賜弘文院學士林叟:林羅山の子、林鷲峰。寛文三(一六六三)年十二月に「弘文院学士」の名号を得た。
七オモテ
鍼灸樞要序
滑伯仁所謂方藥之説肆行鍼
道寢遂不講盖當旹然今也厺
伯仁又遠其不講宜乎夫灸者
散寒邪除隂毒開欝破滯助氣
回陽其功最在火艾藥者百艸
七ウラ
各有所主焉醫以爲君爲臣爲
佐爲使調攝之醫與藥功相合
而治病鍼也則不然經所謂如
寒者熱之熱者寒之堅者削之
客者除之結者散之留者攻之
溢者行之強者瀉之屬皆用瀉
八オモテ
之灋也如散者収之燥者潤之
急者緩之脆者堅之衰者補之
勞者温之損者益之驚者平之
屬皆用補之灋也爲之舉醫在
之指掌故不朙經旨不衷經絡
則不猒譱之宜乎鍼道不興矣
八ウラ
想夫鍼灸藥之於病也猶智仁
勇之於德也闕一不可也先賢
所謂若鍼而不灸〃而不鍼非
良醫也鍼灸而不藥〃而不鍼
灸亦不良醫也實不朙經絡不
審虚實是又此道之疾病也盍
九オモテ
先治此病而後治彼病乎夫素
問靈樞以下論之者不少而其
言約其義淵初學者未易窺測
之亦藥方後僅載之者未盡其
要旨適雖有近世之書冰炭鈎
繩不相符或有精于醫者而鍼
九ウラ
也爲小技而不窮心焉嗚呼無
精工也亦宜哉矣余慨經旨之
無傳患鍼道之不興忘己謭陋
竊攟摭靈素之文以梢爲緒夫
正經絡極兪穴則彙類經及衆
書之諸圖探病因温本源則於
十オモテ
赤水玄珠及朙哲之確論摘��
于鍼灸者取穴治術之灋補瀉
之要宗素靈且渉獵諸名公之
鍼書吐露師傳之隱秘又或俗
説雖非正穴者日鍛月錬有捷
効者則不敢自私必載之裒成
十ウラ
袟劙爲二十卷名曰鍼灸樞要
云爾凡易稿數四而恐其條分
次第參差舛誤冀同志之士相
與訂焉
寛文九季己酉孟冬不貫乘
玄通渉毫於適庵
〔印形白字「適/菴」、黒字「不/貫/乘」〕
【訓み下し】
七オモテ
鍼灸樞要の序
滑伯仁が所謂る、方藥の説肆(ほしいま)まに行われ、鍼
道寢(いよ)いよ遂に講せず、と。蓋(けだ)し當時すら然り。今や
伯仁を去ること、又た遠し。其の講せざること、宜べなるかな。夫(そ)れ灸は、
寒邪を散し、陰毒を除き、欝を開き、滯を破り、氣を助け、
陽を回(めぐ)らす、其の功最も火艾に在り。藥は百艸
七ウラ
各おの主とする所有り。醫、以て君と爲し、臣と爲し、
佐と爲し、使と爲し、之を調攝して、醫と藥と功相い合して
病を治す。鍼は則ち然らず。經に所謂る
寒なる者は之を熱し、熱なる者は之を寒し、堅き者は之を削り、
客なる者は之を除き、結する者は之を散し、留まる者は之を攻め、
溢るる者は之を行(めぐ)らし、強き者は之を瀉すという屬(たぐ)いの如き、
皆瀉を用いるの
八オモテ
法なり。散する者は之を收め、燥なる者は之を潤し、
急なる者は之を緩くし、脆き者は之を堅くし、衰う者は之を補ない、
勞する者は之を温め、損する者は之を益し、驚く者は之を平らぐという
屬いの如き、皆な補を用いるの法なり。之を爲すこと舉けて醫の
指掌に在り。故に經旨を明らめず、經絡を衷(ただ)さざるときは、
之を善すること猒(いと)わず。宜べなるかな。鍼道の興らざることや、
八ウラ
想うに夫れ鍼灸藥の病に於ける、猶お智仁
勇の德に於けるがごとし。一を闕(か)いて不可なり。先賢の
所謂る、若(も)し鍼して灸せず、灸して鍼せざるは、
良醫に非ず。鍼灸して藥せず、藥して鍼灸せざるも、
亦た良醫にあらず、と。實に經絡を明らめず、
虚實を審らかにせざる、是れ又た此の道の疾病なり。盍(なん)ぞ
九オモテ
先づ此の病を治して後に彼の病を治せさるや。夫(そ)れ素
問靈樞より以下、之を論ずる者、少なからず。而(しか)も其の
言約に、其の義淵にして初學の者未だ之を窺い測り易からず。
亦た藥方の後に僅かに之を載する者は、未た其の要旨を盡さす。
適(たま)たま近世の書有りと雖も、冰炭鈎
繩相い符せず。或いは醫に精しき者有れば、鍼を
九ウラ
小技と爲して心を窮めず。嗚呼、
精工の無きこと、亦た宜べなるかな。余、經旨の
傳え無きことを慨(なげ)き、鍼道の興らざることを患(うれ)い、己れが謭陋を忘れ、
竊(ひそ)かに靈素の文を攟摭して、以て稍(や)や緒を爲す。夫れ
經絡を正し、兪穴を極むるときは、類經及び
衆書の諸圖を彙(あつ)め、病因を探り、本源を温(たず)ぬるときは、
十オモテ
赤水玄珠及び明哲の確論に於いて、
鍼灸に便(たよ)りある者を摘(つ)み、取穴治術の法、補瀉の
要は、素靈を宗とし、且つ諸名公の鍼書を渉獵し、
師傳の隱秘を吐露す。又た或いは俗
説の、正穴に非ざる者と雖も、日に鍛し月に錬し、捷効有る者は、
則ち敢えて自ら私せず、必ず之を載せ、裒(あつ)めて袟を成し、
十ウラ
劙(そ)げて二十卷と爲し、名づけて鍼灸樞要と曰うと、
爾(しか)云う。凡そ稿を易(か)うること數四。而(しか)も恐る、其の條分
次第、參差舛誤あらんことを。冀(こいねが)わくは同志の士、相い
與(とも)に焉(これ)を訂(ただ)せ。
寛文九季己酉孟冬不貫乘
玄通、毫(ふで)を適庵に渉す。
【注釋】
七オモテ
○滑伯仁所謂:未詳。 ○寢:原文は穴冠につくる。傍訓に「く」の繰り返し記号あり。/寢:「寖」に通じる。ようやく。次第に。 ○盖:「蓋」の異体字。 ○旹:「時」の異体字。 ○厺:「去」の異体字。 ○夫灸者:張介賓『類經圖翼』卷十一・鍼灸要覧・諸証灸法要穴「凡用灸者、所以散寒邪、除陰毒、開欝破滯、助氣回陽」。
七ウラ
○調攝:ととのえ、やしなう。体調を恢復させる。/『本草經』序例「藥有君臣佐使、以相宣攝……」。 ○經所謂:『素問』至真要大論「寒者熱之、熱者寒之、温者清之、清者温之、散者收之、抑者散之、燥者潤之、急者緩之、堅者耎之、脆者堅之、衰者補之、強者寫之」。「勞者温之、結者散之、留者攻之、燥者濡之、急者緩之、散者收之、損者温(ママ)之、逸者行之、驚者平之」。
八オモテ
○灋:「法」の異体字。 ○朙:「明」の異体字。 ○不衷:不善。不当。 ○猒:「厭」に通ず。 ○譱:「善」の異体字。 ○
八ウラ
○智仁勇:智慧・仁徳・勇敢。儒家思想の中で君子がかならず持っていなければならないとされた三種の徳性。 ○先賢所謂:『備急千金要方』卷三十・孔穴主対法「若針而不灸、灸而不針、皆非良医也。針灸而薬、薬不針灸、尤非良医也。」『鍼灸資生經』卷二・針灸須薬の引用する千金は「尤」を「亦」につくる。
九オモテ
○約:簡略。 ○淵:深い。淵博(ふかくひろい)。 ○冰炭:性質が相反して、かれこれ、相容れないこと。 ○鈎繩:鈎(鉤)は曲尺。繩(縄)は木を真っ直ぐにする道具。/規矩鉤繩:円・方・平・直を製作測量する器具。守るべき法の比喩。
九ウラ
○窮心:思慮をつくす。/窮:探究する。 ○謭陋:学識が浅薄である。/謭:「譾」の異体字。浅い。 ○攟摭:クンセキ。拾い集める。/攟:「攈」「捃」の異体字。 ○類經:明・張介賓の撰。ここでは『類經圖翼』のことであろう。
十オモテ
○赤水玄珠:明・孫一奎の撰。『赤水玄珠全集』の略称とすれば、『医旨緒余』なども含まれる。 ○確論:精確な評論、議論。 ○��:「便」の異体字。
○名公:技量のすぐれた人、あるいは有名な人。/公:書かれている文字は「㕣」エン(「八」の下に「口」)。篆書の「公」であろう。 ○日鍛月錬:長い時間をかけてたゆまず研鑽をかさねることの比喩。 ○捷効:速効。 ○袟:「袠」の異体字。「帙」に通じる。書籍を入れるケース。ここでは書籍。
十ウラ
○劙:さく。わる。 ○云爾:語末の助詞。というわけである。のみ。 ○數四:再三再四。何度も。『類經』自序「凡歴歳三旬、易稿數四」。 ○條分:項目分け。 ○參差:乱雑で整っていない。不一致。 ○舛誤:錯誤。 ○相與:相互に。 ○寛文九季己酉:寛文九(一六六九)年。 ○孟冬:陰暦十月。 ○渉毫:筆を動かす。渉筆。/毫:毛筆。
卷二十の三十オモテ
鍼灸樞要跋
余聞千金之子坐不垂堂百金
之子不騎衡葢危也矧醫者人
命之所係也何不擇其術之精
粗哉適菴玄通翁洛陽人也髫
齓携手文場寓目經籍逮壯歳
卷二十の三十ウラ
不懈螢雪以鑽研為己任一日
讀甲乙經所謂夫受先人之體
有八尺之軀而不知醫事遊魂
耳若不精通於醫道雖有忠孝
之心仁慈之性君父危困無以
濟之焉可忽乎從是切頻志於
卷二十の三十一オモテ
毉術昕夕孜孜不輟祇憾雖歴
代名醫其間是非觳牴未視歸
一之論妄投方劑以爍骨髓刮
腸胃擅用鍼灸以爛藏腑斷筋
膜班氏云有病不治常得中醫
信哉此言也因知毉之本在岐
卷二十の三十一ウラ
黄之經典矣其有源水其委長
稽古者驗于今諦樞素則不掩
乎雜説然簡古淵涵難通曉衍
文錯字亦不寡積年熟讀沈翫
頗得闖其籓籬於此施鍼刺取
其效如桴鼓形影余親視其所
卷二十の三十二オモテ
治起死回生之功不遑曲指而
筭之逈異於世之叩刺者豈異
哉至如其或刺之或不刺之猶
扁之刺虢君之蹷而不刺於趙
簡秦穆宜哉此書成焉曩季戊
午冬來余廬語曰此書未暇訂
卷二十の三十二ウラ
正願吾子為予電覽則可也余
素愧不才而弗敢肯適翁曰吾
子遊饗庭氏門已有年矣於
東都昉講靈素何其不為為哉余 〔※この行、一字擡頭〕
曰向有高明之二序足以称和
璞僕豈賛之雖然四瀆八流殊
卷二十の三十三オモテ
源委而倶歸乎海且經所謂經
治者鍼灸藥竝用治其病依之
觀之則公與余道無有異同矣
遂忘蕪陋取之閲之純據于素
靈越人士安及叔和滑壽而近
世英傑方書無不櫽括焉如通
卷二十の三十三ウラ
弊九章義理捷徑辨論確如可
謂力焉然或有變古亂常之輩
嗟乎燕雀安知鴻鵠之志哉天
於翁隂德未報亦命哉彼不垂
騎乎堂衡之子不足論焉
旹
卷二十の三十四オモテ
延寳歳在己未仲秋既望
武陵隱醫通菴竹中敬瑞伯識
〔印形白字「瑞伯/之印」、黒字「通/菴」〕
【訓み下し】
卷二十の三十オモテ
鍼灸樞要跋
余聞く、千金の子は坐するに堂に垂れず、百金の
子は衡に騎(の)らず、と。葢(けだ)し危(あやう)ければなり。矧(いわ)んや醫は、人
命の係る所なり。何ぞ其の術の精粗を擇ばざるや。
適菴玄通翁は、洛陽の人なり。髫
齓より手を文場に携え、目を經籍に寓す。壯歳に逮(およ)ぶも、
卷二十の三十ウラ
螢雪に懈(おこた)らず、鑽研を以て己が任と為す。一日、
甲乙經を讀む。所謂る、夫れ先人の體を受け、
八尺の軀有り、而して醫事を知らずんば遊魂ならく
のみ。若(も)し醫道に精(くわ)しく通せずんば、忠孝の
心、仁慈の性有りと雖も、君父の危困、以て
之を濟(すく)うこと無し。焉(いず)くんぞ忽(ゆるが)せにす可けんや。是れ從り志を毉術に切頻す。
卷二十の三十一オモテ
昕夕孜孜として輟(や)まず。祇(た)だ憾(うら)む、歴代名醫と雖も、
其の間、是非觳牴して未だ歸一の論を視ず、
妄りに方劑を投じ、以て骨髓を爍し、腸胃を刮し、
擅(ほしいまま)に鍼灸を用い、以て藏腑を爛し、筋膜を斷つを。
班氏の云う、病有り、治せざるは常に中醫を得とは、
信(まこと)なるかな、此の言や。因って知る、毉の本、
卷二十の三十一ウラ
岐黄の經典に在るを。其れ源有れば、水は其の委(お)れ長し。
古(いにしえ)を稽(かんが)うる者は、今に驗あり。樞素を諦(あきら)むれば、則ち
雜説に掩(おお)われず。然れども簡古淵涵にして通曉し難し。衍
文錯字も亦た寡(すく)なからず。積年熟讀沈翫して、
頗る其の籓籬を闖(うかが)うを得。此に於いて鍼刺を施し、
其の效を取ること、桴鼓形影の如し。余親しく其の治する所を視、
卷二十の三十二オモテ
起死回生の功、指を曲げて之を筭(かぞ)うるに遑(いとま)あらず、
逈(はる)かに世の叩刺する者に異なる。豈に異ならんや。
其の或いは之を刺し或いは之を刺さざるが如きに至っては、猶お
扁が虢君の蹷を刺し、而して趙簡秦穆を刺さざるがごとし。
宜(むべ)かな、此の書成る。曩季(こぞ)の戊
午の冬、余が廬に來たって語って曰く、此の書未だ訂正に暇あらず。
卷二十の三十二ウラ
願わくは吾子、予が為に電覽するは可なり、と。余、
素(もと)もと不才を愧ぢて敢えて肯(うべな)わず。適翁の曰く、吾
子、饗庭氏の門に遊び、已に年有り。
東都に於いて昉(はじ)めて靈素を講ず。何其(なん)ぞ為(つく)ることを為せざるや。余
曰く、向(さき)に高明の二序有り。以て和璞を称するに足れり。
僕、豈に〔之を〕賛(たた)えんや。然れども四瀆八流、
卷二十の三十三オモテ
源委を殊にすと雖も、而して倶に海に歸る。且つ經に所謂る經
治は、鍼灸藥竝びに用いて其の病を治し、之に依って
之を觀れば、則ち公と余、道に異同有る無し。
遂に蕪陋を忘れて、之を取って、之を閲(けみ)す。純(もつぱ)ら素
靈、越人、士安及び叔和、滑壽に據る。而して
近世英傑の方書まで櫽括せざる無し。
卷二十の三十三ウラ
通弊九章の如きは、義理捷徑にして、辨論確如たり、
謂っつ可し、力(つと)めたりと。然れども或いは變古亂常の輩有らん。
嗟乎、燕雀安(いづ)くんぞ鴻鵠の志を知らんや。天の
翁に於ける、陰德未だ報せず、亦た命なるかな。彼の
堂衡に垂騎せざるの子、論ずるに足らず。
旹(とき)
卷二十の三十四オモテ
延寳歳在己未仲秋既望
武陵隱醫通菴竹中敬瑞伯識(しる)す
【注釋】
卷二十の三十オモテ
○千金之子:『史記』卷一百一 袁盎晁錯列傳列傳第四十一「臣聞千金之子坐不垂堂、百金之子不騎衡」。金持ちの子供は軒下には坐らない(瓦が落ちる危険なところにはいない)し、衡にはまたがらない。「衡」の解釈には二説あり。一説には車の轅(ながえ)の先にわたした横木。もう一説は楼殿の周囲にめぐらせた欄干。 ○洛陽:京都の漢語風称呼。 ○髫齓:七、八歳の子ども。垂れ髪をして歯の抜け替わるころの子ども。 ○文場:文士の集まるところ。 ○寓:よせる。 ○壯歳:壮年。三十から四十歳のころ。
卷二十の三十ウラ
○不懈螢雪:「螢」は、晋代の車胤が蛍の光の明るさを借りて読書した故事を指す。「雪」は、孫康が雪の光の照り返しを利用して読書した故事を指す。「映雪囊螢」。後に「螢雪」を苦学して勉強につとめることの比喩とする。 ○鑽研:徹底的に深く研究する。 ○
夫受先人之體:『黄帝三部鍼灸甲乙經』序「夫受先人之體、有八尺之軀、而不知醫事、此所謂遊魂耳」。 ○遊魂:遊動不定の霊魂。 ○ならくのみ:ただ、まさに……なのである。断定の「なり」の未然形+接尾語「く」+「のみ」。 ○君父:君主。 ○危困:危急困窮。 ○切頻:ちかづける。接近する。
卷二十の三十一オモテ
○昕夕:朝から晩まで。一日中。 ○孜孜:勤勉に怠らないさま。 ○觳牴:矛盾する。/觳:角。きそう。ふれる。牴:抵。觝。角でぶつかり合う。 ○爍:焼く。とかす。 ○刮:はぐ。けずる。 ○班氏云:班固『漢書』藝文志「故諺曰:有病不治、常得中醫」。
卷二十の三十一ウラ
○水:川の流れ。 ○委:委曲。折れ曲がる。送り仮名「レ」に従って「おれ」と訓んだが、「委」は源の対で、下流、末の意味があるので、この意味で使っているのかも知れない。 ○稽古者驗于今:『漢書』董仲舒傳第二十六「善言天者必有徴於人、善言古者必有驗於今」。 ○簡古:簡略で質朴。 ○淵涵:深く広い。 ○積年:長年。 ○沈翫:じっくり研究する。/翫:玩。 ○籓籬:範囲。 ○桴鼓:バチとツヅミ。打てば響く。『素問』至真要大論「桴鼓相應」。 ○形影:カタチとカゲ。「形影不離」「形影相隨」など関係の密接なるをいう。
卷二十の三十二オモテ
○筭:「算」の異体字。 ○叩刺者:たたきさす者。下手な施術者をいうか。
○扁之刺虢君:『史記』扁鵲伝を参照。「虢太子……故暴蹶而死」。 ○蹷:蹶に同じ。「趙簡子……疾五日、不知人……扁鵲曰:血脉治也、而何怪、昔秦穆公嘗如此七日而寤」。 ○曩季戊午:昨年、延宝六(一六七八)年。
卷二十の三十二ウラ
○吾子:あなた。敬愛の意をあらわす。 ○電覽:目上のひとに見せることの敬称。電矚。呈電。 ○不才:才能がない。浅学菲才。 ○饗庭氏:饗庭東庵。 ○有年:数年。多年。 ○東都:江戸。 ○昉講靈素:万治三(一六六〇)年、半井家の家塾で『霊枢』などを講じた(オリエント出版社『黄帝内経要語集註』2石田秀實先生解説)。 ○何其:「何」と意味に変わりなし。 ○高明:地位や権勢のある人。 ○和璞:正当に評価されない才能などのたとえ。のちにはきわめて重要なもののたとえ。「璞」は、磨いていない玉石。和氏之璧。『韓非子』和氏および『史記』廉頗藺相如列伝を参照。ここでは『鍼灸樞要』のこと。「称」は「たたえる・称賛する」。 ○四瀆:古代の江、淮、河、濟諸河川の総称。/八海四瀆は、各地の海川。 ○八流:渭、漢、洛、涇、汝、泗、沔、沃の八つの河川。 ○源委:水源と下流。
卷二十の三十三オモテ
○蕪:乱雑。 ○陋:学識が浅薄な。 ○越人:秦越人。扁鵲。『難經』の撰者とされる。 ○士安:皇甫謐。士安は字。『鍼灸甲乙經』の撰者とされる。 ○叔和:王叔和。『脈經』の撰者。 ○滑壽:滑伯仁。『十四經発揮』『難經本義』などの撰者。 ○櫽括:矯正する。文章に手を入れる。
卷二十の三十三ウラ
○通弊九章:卷一目録の前に「鍼灸通弊辨」あり。「九章」については未詳。 ○捷徑:近道。 ○變古亂常:もともとある正常な規則を改変する。『史記』袁盎晁錯列傳・論「語曰:變古亂常、不死則亡」。 ○燕雀:『史記』卷四十八・陳渉泄家に見える語。燕や雀のような小さな鳥に、鴻鵠(おおとり)の大きな志が理解できるはずがない。 ○陰德:ひとに知られざる徳行。『淮南子』人間訓「有陰德者必有陽報」。
卷二十の三十四オモテ
○延寳歳在己未:延宝七(一六七九)年。 ○仲秋:陰暦八月。 ○既望:陰暦の十六日。 ○武陵:武蔵国(武州)の漢語風称呼。 ○通菴竹中敬瑞伯:敬は名。字は昌。美濃のひと。万治二(一五五九)年、江戸に移り、半井通仙院瑞堅の門に入る。通庵(号)と瑞伯(名)は、半井瑞堅より授けられる。『黄帝内經素問要語集注』『黄帝内經靈樞要語集注』『古今養性録』などを撰す。
0 件のコメント:
コメントを投稿