2017年8月1日火曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕04

三オモテ
仮名読十四経治法(ちほう)巻之上
津山彪編次

一 鍼灸之(しんきゅうの)大意
内経(だいきょう)に曰く、大(おおい)に労(つかる)るを刺(さす)ことなく、飢(うえ)たるを刺(さす)ことなく、大飽(たいしょく)を刺(さす)ことなく、酔(えい)たるを刺(さす)ことなく、驚くを刺(さす)ことなく、怒(いか)る人を刺(さす)ことなし、と。又(また)曰く、形気(からだ)不足せるもの或(あるい)は久しく病(やみ)て虚損せるもの、若(も)し針(はり)を刺(さす)ときは、重(かさね)て其気(そのき)を竭(へらす)、と。又曰く、針入(いる)ること僅(わずか)に芒(のぎ)のごとくなれとも、気のいづること車軸(ぼう)のごとし、と。△是(これ)いわゆる針の瀉するありて補(おぎな)ひ無(なけ)ればなり。凡(およそ)灸をするには、平旦(よあけ)よりして午後(ひるすぎ)に及ぶときは、
三ウラ
穀気(こくき)虚乏(へり)たるゆゑに、大(おおい)に宜(よろ)し。須(すべ)からく日午(ひる)までに施(ほどこ)すべし。大概(おおむね)脉絡は細き線(いと)の若(ごと)くなれば、竹筯頭(やいとはし)をもつて炷(すゆ)べし。ただただ其脉(そのみゃく)に当(あて)て灸をすれは、亦(また)よく疾(やまい)を愈(いや)すべきなり。是(ここ)を以て四肢(てあし)には但(ただ)その風邪(ふうじゃ)を去(さる)なれば、灸多く炷(すゆ)べからず。七壮(ななひ)より五十壮(ごじゅうひ)までにして止(やむ)べし。年(とし)の数(かず)に随ふて過(すぐ)ることを得ざるなり。然(しか)れども臍(へそ)の下(しも)の久冷(キュウレイ/ひえ)疝瘕(せんき)気塊(きかい)積気(しゃくき)の証(しょう)には、艾炷(もぐさ)の大(おおい)なるほど宜(よろ)し。故(かるか)ゆへに腹脊(はらせなか)は五百壮(ひ)を灸すべし。唯(ただ)巨闕(きょけつ)鳩尾(きゅうび)の穴(けつ)の如きは、是(これ)胸腹の穴といへども、灸して五十壮を過(すぎ)ずして止(やむ)なり。若(も)し艾(もぐさ)の大炷(おおひねり)を以て多く灸するときは、永く
四オモテ
心力(しんりょく)無(なか)らしむべし。頭項(ヅコウ/かしらうなじ)の穴も亦(また)多く灸するときは、精神(せいじん)を失す。臂脚(てあし)の穴に多く灸せば、血脉(ちすぢ)枯渇(かれかわい)て、肉瘦(にくやせ)毛枯(かれ)て、手足(しゅそく)力(ちから)なく、又(また)精神(せいじん)も失(うすく)なるべし。蓋(けだ)し穴処(けつしょ)に浅深(センシン/あさきふかき)あり。浅穴(あさけつ)に多く灸するときは、必(かならず)筋力(キンリョク/すぢちから)を傷(やぶ)る。故(この)ゆへに三壮(みひ)五壮(いつひ)七壮(ななひ)に遇(すぎ)ずして止(とどむ)なり。医者深く慎(つつしみ)て鍼灸を施(ほどこす)べし。必(かなら)ず忽(ゆるがせ)にすべけん乎(や)。
〔「頭項」の「項」字、「頂」に見えるが、ふりがなと『鍼灸経験方』により、「項」字とした。「七壮に遇(すぎ)ず」。『鍼灸経験方』は「過」字に作る。凡例では△は愚按のはずだが、ここは『鍼灸経験方』の文言。
・『鍼灸經驗方』鍼灸法:內經曰、無刺大勞、無刺大飢、無刺大飽、無刺大醉、無刺大驚、無刺大怒人。又曰、形氣不足者、久病虛損者、鍼刺、則重竭其氣。又曰、鍼入如芒、氣出如車軸、是謂鍼之有瀉無補也。凡灸平朝及午後、則穀氣虛乏、須施於日午。大概脉絡有若細線、以竹筯頭作炷、但令當脉灸之、亦能愈疾。是以四肢則去風邪、不宜多灸。故七壯至七七壯而止。不得過隨年數。臍下久冷疝瘕氣塊積氣之証、則宜芥炷大。故曰、腹背宜灸五百壯。如巨闕鳩尾、雖是胸腹之穴、灸不過七七壯而止。若大炷多灸、則令人永無心力。頭項穴多灸、則失精神。臂脚穴多灸、則血脉枯渇、四肢細瘦無力。又失精神。蓋穴有淺深。淺穴多灸、則必傷筋力。故不過三壯五壯七壯而止。可不慎哉」。〕

禁忌(いみもの)
○生冷(なまもの) 鶏肉(とりにく) 酒糆(さけめんるい) 房労(ぼうじ)等(とう)の物

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