2021年10月26日火曜日

解讀『醫家千字文註』127

 (奥書)

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 永仁元年十二月十日撰抄之同二年三月一日写畢 時俊〔花押〕

 同四年十一月十八日扶病校二千石尚康已―

    受庭訓―  山俊

     文章生 于時玄輝門院侍中 貞俊〔花押〕


  【訓み下し】

 永仁元年十二月十日 之を撰抄す。同二年三月一日写し畢わんぬ。 時俊〔花押〕

 同四年十一月十八日 病を扶けて校す。二千石尚康已(お)了(わ)れり。

    庭訓を受け了(お)われり。  山俊

     文章生 時に玄輝門院侍中 貞俊〔花押〕


  【注釋】

 ○永仁元年:1293年。 ○同二年:1293年。 ○時俊:撰者の惟宗時俊。惟宗氏の系譜については、美濃部重克編『医談抄』(三弥井書店、平成18年)64頁以下を参照。 ○同四年:1296年。 ○扶病:支撐病體,帶病工作或行動。『禮記』問喪:「身病體羸,以杖扶病也」。 ○校:訂正、考訂。 ○二千石:漢代內自九卿、郎將,外至郡守、尉,俸祿皆為二千石,其中又分三等:中二千石、二千石、比二千石,約當於後世的三品官,地位並不顯赫。後因稱郎將、郡守、知府為「二千石」。地方長官。 ○尚康:丹波尚康であろう。(未校正)宇津木益夫(昆台)編『日本医譜』初編卷八の丹波氏に「行長 尚長子,叙正四位下,任典藥頭兼施藥院使 被聽 院内昇殿,生尚康。……『東鑑』曰:寛元二年[1244年]……尚康 行長子,任大膳大夫,任典藥頭兼施藥院使,生知長」。「知長 尚康子,叙正四位下,任中務大輔,任典藥頭兼施藥院使 被聽 院昇殿,生嗣長」(句読は筆者。以下おなじ)と見える。院使は長官。また美濃部重克編『医談抄』の丹波氏系図(67頁)を参照。 ○已―:「已」は「おわり」、「―」は「了」であろう。  ○庭訓:『論語』季氏記孔子在庭,其子伯魚趨而過之,孔子教以學《詩》、《禮》。後因稱父教為庭訓。 ○―:「了」であろう。 ○山俊:時俊の子。『日本醫譜』初編卷九:○惟宗具俊 同貞俊 同時俊 同山俊「『醫家古籍考』曰:後宇多帝弘安五年七月十四日,『節用本草』八冊。散位惟宗具俊撰,權侍醫貞俊著。又曰:永仁元年癸巳八月,惟宗時俊撰『医家千字文』幷注,有其子山俊奥書」。 ○文章生:精選版 日本国語大辞典:〘名〙 古代・中世、大学寮で紀伝道を専攻した学生。天平二年(七三〇)設置。明経生が貴族の子弟に限られていたのに対して、庶人にまで門戸を開いたものであったが、紀伝道の地位上昇に伴って貴族化し、またその下位に学生・擬文章生などの予備的課程を持つに至り、寮試・省試などの試験を通過してはじめて与えられる閉鎖的な地位となった。文章得業生となって対策に及第して任官するのが本来であるが、文章生から直ちに対策し、或は文章生を経ただけで任官する道もあった。もんぞうしょう。もんじょうのしょう。〔令集解(730)〕  ○玄輝門院:デジタル版 日本人名大辞典+Plus:1246-1329 鎌倉時代,後深草天皇の妃。寛元4年生まれ。洞院実雄(とういん-さねお)の娘。伏見天皇,性仁(しょうにん)入道親王,永陽門院の生母。正応(しょうおう)元年(1288)准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をうけた。元徳元年8月30日死去。84歳。名は愔子(いんし)。 ○侍中:中国の官名。宮中で天子の側近に侍する役。蔵人(くろうど)の唐名。 ○貞俊:時俊の子。『日本医譜』初編卷六:「『節要本草』八冊。弘安五年七月十四日,散位惟宗具俊撰,權侍醫貞俊書」。


 

    尾州名古屋本町通七町目

 製本所          片野東四郎


  【注釋】

○尾州:尾張国の別称。 ○名古屋本町通:名古屋城から名古屋城下町を経て熱田に至る,名古屋市中区を南北に貫く道路。 ○片野東四郎:朝日日本歴史人物事典の解説(安永美恵):没年:寛政7・10・22(1795・12・3)/生年:寛保1(1741)、安永期(1772~81)から,明治まで続いた名古屋の書肆の初代、名は直郷、片野氏、代々東四郎と称す。店を東壁(璧)堂と号した。店舗は転居ののち,玉屋町下之切に続いた。初代は藩主の学問振興策に応じ,岡田新川など藩儒,藩士の著書を出版し,藩校御用を務めたという。永楽屋は尾州書林仲間の公認(1794)により地歩を占め,江戸の蔦屋との提携ののち,美濃大垣と江戸に出店を持った。文化期(1804~18)に次いで天保4(1833)年ごろ日本橋通本銀町2丁目に構えた江戸店は,数年のうちに江戸書物問屋に加入した。三都に並ぶ大店になるには,初代と,「文屋古文」の狂名を持つ2代善長(生年不詳~1836)の力に拠るところが大きい。3代は善教,4代は善功である。刊行書は本居宣長一門の国学書,横井也有『鶉衣』や井上士朗『枇杷園七部集』などの俳書,『北斎漫画』他の絵本類など幅広い。<参考文献>岸雅裕「尾藩書肆永楽屋東四郎の東都進出について」(『名古屋市博物館研究紀要』7集),「翻刻『東壁堂蔵版目録全』(同8集)


  解讀『醫家千字文註』 終わり


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