唐書張文仲洛陽人以醫術知名則天時
爲侍御尤善療風疾其後則天令文仲集
當時名醫共撰療風疾氣方仍詔令麟臺
監王方愛監其修撰文仲奏曰風有一百
二十種氣有八十種大抵雖同人性各異
庸醫不達藥性之行使冬夏失節因此殺
人唯上氣頭風則隨發動臨時消息但有
風氣之人春末夏初及秋暮得通洩即不
致困劇
【訓み下し】023-2
『唐書』:張文仲,洛陽の人,醫術を以て名を知らる。則天の時,侍御〔醫〕爲(た)り。尤も風疾を療するを善くす。其の後,則天 文仲をして當時の名醫を集め,共に風疾氣を療する方を撰せしむ。仍って詔して麟臺監の王方愛【慶】に其の修撰を監(つかさど)らしむ。文仲 奏して曰わく,「風に一百二十種有り,氣に八十種有り。大抵 同じと雖も,人の性 各々異なる。庸醫 藥性の行を達(さと)らざれば,冬夏をして節を失わしめ,此れに因って人を殺す。唯だ上氣・頭風は,則ち發動に隨い時に臨んで消息す。但だ風氣有るの人,春の末・夏の初め及び秋の暮れ,通洩を得れば,即ち困劇を致さず。
【注釋】023-2
○唐書:010-2を参照。 ○張文仲:(?-700年),唐代醫學家。洛州洛陽(今河南洛陽)人,與當時名醫李虔縱、韋慈藏為當時之三大名醫。嘗任侍御醫、尚藥奉御。嘗於武則天時治蘇良嗣上朝發心疾,斷其難療,果如其言。善療風疾,嘗奉詔與其他名醫共修風疾之著作,其治風強調因人及氣候之差異而應有所不同。所撰有《療風氣諸方》、《四時常服及輕重大小諸方》、《隨身備急方》等,均佚。 ○知名:聲名很大,為人所知。聲名為世所知。猶出名。 ○則天:武則天。(624~705)名曌,唐文水人(今山西省文水縣)。唐太宗時封為才人,賜號「武媚」,太宗崩後出家為尼。高宗立,復入宮,後立為皇后。高宗崩,臨朝稱制,旋廢中宗,而自立為皇帝,改國號曰周。恣為淫虐,大殺唐宗室,然富於才略,善用人,故名相輩出。晚年朝政日非,被迫歸政,中宗復位,上尊號曰「則天大聖皇帝」,尋崩。諡「則天順聖皇后」,世稱為「武則天」。也稱為「武后」。 ○侍御:侍奉君王的人。在君王左右侍從車御的官吏。『舊唐書』『太平御覽』『醫說』は,「侍御醫」に作る。 ○風疾:中醫學泛指由外感風邪而引起的各種疾病。狭義では,風痹、半身不遂等症。 ○療風疾氣方:「風氣疾」は難解。『舊唐書』は「療風氣諸方」に作る。 ○麟臺監:唐代官職名。/麟臺:唐朝武后將祕書省改稱為「麟臺」。/監:古代主管監察或事務的官員。如:「祕書監」。 ○王方愛:『舊唐書』『太平御覽』作「王方慶」。王方慶:?—702。唐雍州咸陽(今屬陝西)人,名綝,以字行。聖曆元年(698年),以年老退居二線,授秘書監,監修國史。/010-1を参照。 ○監:掌管、管理。統領、統率。 ○修撰:編纂。撰寫。/職官名。唐代史館有修撰,掌修國史。 ○一百二十種:『太平御覽』同じ。『舊唐書』は「一百二十四種」に作る。 ○庸醫:醫術不高明的醫生。技術低劣的醫生。 ○不達:不通。不瞭解。不明白;不通達。 ○藥性:中藥所具有的與治療作用有關的性能。可概括為四氣五味、歸經、升降浮沉、毒性等。 ○行:移動、流動。流通。做、從事。實施、實行。 ○失節:失去控制;失於調節。 ○唯上氣頭風則隨發動臨時消息:『舊唐書』『太平御覽』作「唯脚氣頭風上氣,常須服藥不絕,自餘則隨其發動,臨時消息之」。/上氣:病證名,即肺氣上逆。/頭風:病證名。經久難愈之頭痛。/發動:開始動作。引發、啟動。/臨時:謂當其時其事。一時;暫時;非正式的。/消息:消長,增減;盛衰。偏指增補。變化。斟酌。引伸して「症状に応じて治療法・処方を斟酌・増減する」の意か。 ○風氣:病名。《史記‧扁鵲倉公列傳》:“所以知齊王太后病者,臣意診其脈,切其太陰之口,溼然風氣也。” ○通洩:通泄。疏通宣泄。「洩」は「泄」の避諱字(唐・李世民の「世」)。 ○困劇:極端困苦。
○『舊唐書』列傳第一百四十一 方伎/張文仲:張文仲,洛州洛陽人也。少與鄉人李虔縱、京兆人韋慈藏並以醫術知名。文仲,則天初為侍御醫。時特進蘇良嗣於殿庭因拜跪便絕倒,則天令文仲、慈藏隨至宅候之。文仲曰:「此因憂憤邪氣激也,若痛衝脅,則劇難救。」自朝候之,未及食時,即苦衝脅絞痛。文仲曰:「若入心,即不可療。」俄頃心痛,不復下藥,日旰而卒。文仲尤善療風疾。其後則天令文仲集當時名醫共撰療風氣諸方,仍令麟臺監王方慶監其脩撰。文仲奏曰:「風有一百二十四種,氣有八十種。大抵醫藥雖同,人性各異,庸醫不達藥之行使,冬夏失節,因此殺人。唯脚氣頭風上氣,常須服藥不絕,自餘則隨其發動,臨時消息之。但有風氣之人,春末夏初及秋暮,要得通洩,即不困劇。」於是撰四時常服及輕重大小諸方十八首表上之。文仲久視年終於尚藥奉御。撰隨身備急方三卷,行於代。
○『太平御覽』方術部五・醫四:《唐書》曰:……又曰:張文仲,洛州洛陽人也。少與鄉人李虔縱、京兆人韋慈藏并以醫術知名。文仲則天初為侍御醫,時特進蘇良詞於殿庭,因拜跪絕倒。則天令文仲、慈藏隨至宅候之,文仲曰:「此因憂憤邪氣激也。若痛沖脅則劇難救。」自朝候之,未及食時,苦沖脅絞痛。文仲曰:「若入心可不療。」俄頃心痛,不復下藥,日旰而卒。文仲臧善療風疾,其後則天令文仲集當時名醫共撰療風氣諸方,仍令麟臺監王方慶監其修撰。文仲奏曰:「風有一百二十種,氣有八十種。大體醫藥雖同,人性各異。庸醫不達藥之行使,冬夏失節,因此煞人。惟腳氣頭風上氣,常須服藥不絕,自餘則隨其發動,臨時消息之。但有風氣之人,春末夏初及秋暮要得通泄,即不困劇。」於是撰四時常服及輕重大小諸方十八首,表上之。文仲。久年終於尚藥奉御。撰《隨身備急方》三卷,行於代。
○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・張文仲:「張文仲,洛州洛陽人,以醫術著名。文仲則天時為侍御醫,尤善療風疾。則天令撰療諸方。奏曰:風有一百二十種,氣有八十種,大抵雖同,人性各異,唯氣頭風則隨發動臨時消息之。但有風氣之人,春末夏初秋暮得通泄,即不至困劇」。
識典古籍*******************************************************
《唐書》:張文仲,洛陽人,以醫術知名。則天時爲侍御,尤善療風疾。其後則天令文仲集當時名醫共撰療風疾氣方,仍詔令麟臺監王方愛監其修撰。
【AI譯文】
《唐书》记载:“张文仲,是洛阳人,因为医术高明而闻名。武则天在位时担任侍御一职,尤其擅长治疗风邪之症。后来武则天命令张文仲召集当时的名医一起撰写治疗风疾气病的医方,还下令让麟台监王方爱监督他们的编写工作。
【AI 1】『唐書』によると、張文仲は洛陽出身の名医で、その卓越した医術で広く知られていた。武則天の治世に侍御(官職)を務め、特に風邪の病を治療する技術に秀でていたという。武則天は、張文仲に命じて当時の名医たちを集めさせ、風邪や気病の治療法を編纂させた。また、麟台監の王方愛にその編纂作業を監督させた。
【AI 2】『唐書』によると、張文仲(ちょう ぶんちゅう)は洛陽の出身で、その優れた医術によって広く知られていた。武則天が在位していた時代には侍御(じぎょ)という職に就いており、特に風邪(ふうじゃ)による病の治療に長けていた。後に、武則天は張文仲に命じ、当時の名医たちを召集して風疾(ふうしつ)・気病(きびょう)の治療法について医方(薬の処方)を編纂させた。また、麟台監の王方愛を監督者として、その作業を指揮させた。
文仲奏曰:“風有一百二十種,氣有八十種,大抵雖同,人性各異,庸醫不達藥性之行使,冬夏失節,因此殺人,唯上氣頭風則隨發動臨時消息。
【AI譯文】
文仲上奏说:“风症有一百二十种,气病有八十种,大体虽然相同,但人的体质各有差异,平庸的医生不了解药性的运用,在冬夏时令违背时节(用药),因此害死病人,只有上气喘急、头风(病症)则根据发作时的具体情况斟酌用药。”
【AI 1】張文仲は奏上し、「風症は百二十種類、気病は八十種類あり、概ね似たような症状を示すが、人それぞれの体質に違いがある。平凡な医者は薬の性質を理解せず、冬や夏に不適切な時期に薬を用いることで患者を害してしまう。上気(呼吸困難)や頭風(頭痛など)は発作時の具体的な状況に応じて慎重に処方すべきである」と述べた。
【AI 2】張文仲は奏上してこう述べた。「風症には120種類、気病には80種類ある。大まかには似ているが、人の体質はそれぞれ異なる。凡庸な医者は薬の性質と使い方を理解せず、冬夏の時節に逆らって薬を用いることで、かえって病人を死に至らしめる。上気(息切れ)や喘息、頭風(頭部に生じる風の病)は、その発作時の状況を見極めて薬を選ばねばならない。」
但有風氣之人,春末夏初及秋暮,得通洩,即不致困劇。
【AI譯文】
只要是患有风气病的人,在春末夏初以及秋末之时,能够使病邪排泄出去,就不至于病得极为严重。
【AI 1】さらに、風気病にかかった者は、春の終わりから夏の初め、秋の終わりの時期に病気の邪気を排出させることができれば、病が深刻化するのを防げるとも説いている。
【AI 2】風気病を患っている者は、春の末や夏の初め、または秋の末といった時期に病邪を排出できれば、重篤な状態には至らずに済む、とされた。
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