2025年6月8日日曜日

『歷代名醫蒙求』024-2

    晉書殷仲堪陳郡人也父病積年仲堪衣

    不解帶躬學醫術究其精妙執藥揮淚遂

    眇一目

    

    【訓み下し】024-2

    『晉書』:殷仲堪は,陳郡の人なり。父病むこと積年,仲堪 衣は帶を解かず,躬(みずか)ら醫術を學び,其の精妙を究む。藥を執って淚を揮い,遂に一目を眇(うしな)う。

    

  【注釋】024-2

 ○晉書:007,015を参照。 ○殷仲堪:殷 仲堪(いん ちゅうかん、? - 399年)は、東晋の武将。本貫は陳郡長平県。従伯父は東晋の政治家・軍人の殷浩。/東晉官吏。陳郡(今河南淮陽)人。嘗任荊州刺史,故亦稱殷荊州。兼通醫學。後因爭權奪利失敗而自殺。撰有《殷荊州要方》,已佚。 ○陳郡:周初陳國。後漢置陳郡。治陳縣。卽今河南淮陽縣治。南朝宋移治項縣。在今河南項城縣東北。北齊移項縣於故陳城。隋郡廢。⦿後魏置。今闕。當在河南舊汝寧府境。 ○積年:多年;累年。 ○衣不解帶:沒有解開衣帶,和衣就寢。比喻辛勤不懈。形容辛勤侍奉,致使不能脫衣安睡。 ○躬:親身、親自。 ○精妙:精緻巧妙。精微奧妙。 ○揮淚:灑淚、落淚。涙を流す。『世説新語』の注が引用する『中興書』は「拭淚」に作る。薬を調合していた手で涙を拭いたため,薬物が目に入り,失明した。 ○眇:瞎了一隻眼。引申眼睛失明,或一目失明 [blind in one eye]。 ○一目:一隻眼。一隻眼睛;獨眼。

     ○『晉書』卷八十四 列傳第五十四/殷仲堪:殷仲堪,陳郡人也。……父病積年,仲堪衣不解帶,躬學醫術,究其精妙,執藥揮淚,遂眇一目。

     ○『世說新語』排調61:“殷〔荊州=中堪〕有一參軍在坐,云:‘盲人騎瞎馬,夜半臨深池。’殷曰:‘咄咄逼人!’仲堪眇目故也”劉孝標注引《中興書》:“仲堪父嘗疾患經時,仲堪衣不解帶數年。自分劑湯藥,誤以藥手拭淚,遂眇一目。”

    

識典古籍*******************************************************

《晉書》:殷仲堪,陳郡人也。父病積年,仲堪衣不解帶,躬學醫術,究其精妙,執藥揮淚,遂眇一目。

    【AI譯文】

《晋书》记载:殷仲堪,是陈郡人。他的父亲患病多年,殷仲堪衣不解带,亲自学习医术,探究其中的精妙,为父亲熬药时悲伤得泪流满面,导致一只眼睛失明。

    【AI 1】『晋書』によると、殷仲堪は陳郡の出身で、父親が長年病に苦しんでいた。彼は昼夜を問わず看病し、衣を脱ぐこともなく寄り添いながら、自ら医学を学び、その奥深さを探求した。父親のために薬を煎じる際、彼は深い悲しみに涙を流し続け、ついには片目を失明してしまったという。

    【AI 2】『晋書』によると、殷仲堪(いん ちゅうかん)は陳郡の出身である。彼の父親は長年病に苦しんでいたが、殷仲堪は衣服も脱がず付きっきりで看病し、自ら医学を学び、その奥義を探求した。父のために薬を煎じている際、悲しみのあまり涙を流し続けたことで、ついには片目を失明してしまったという。

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