2025年7月1日火曜日

『歷代名醫蒙求』036-1  

 壷公貨市  子信隱山  壷公は市に貨り  子信は山に隱る (謝元=壺公・張子信)

    丹臺新録謝元一號壷公即孔子三千弟

    子之數也常懸一空壷市肆貨藥日入之

    後公輒蹴入壷中舉丗無人見者唯費長

    房於樓上見之往拜焉以師事之

    

    【訓み下し】036-1

    『丹臺新錄』:謝元,一に壺公と號す,即ち孔子の三千弟子の數なり。常に一空壺を市肆に懸けて藥を貨(う)る。日入りし後,公 輒ち蹴って壺中に入る。世を舉げて人の見る者無し。唯だ費長房のみ樓の上より之を見る。往きて拜して,以て之に師事す。

    

  【注釋】036-1

 ○丹臺新録:『宋史』志第一百五十八/藝文四/子類一/道家類 附釋氏神仙類/神仙類:青霞子『丹臺新錄』九卷。/明代寧獻王朱權於宣德中曾撰《庚辛玉冊》二卷,……書中的資料取材於……(宋代)青霞子《丹臺新錄》等書。 ○一號:又稱。/一:或。 ○壷公:傳說中的仙人。所指不一。/壷:「壺」の異体字。以陶土或金屬製成的容器。小口大腹,通常用來盛裝酒漿、茶水或其他東西。 ○孔子:孔丘。(前551~前479)名丘,字仲尼,春秋魯人。生有聖德,學無常師,相傳曾問禮於老聃,學樂於萇弘,學琴於師襄。初仕魯,為司寇,攝行相事,魯國大治。後周遊列國十三年,不見用,年六十八,返魯,晚年致力整理古代經典。有弟子三千,身通六藝者七十二人,開平民教育先河,後世尊為「至聖先師」。也稱為「孔子」。 ○三千弟子:『史記』孔子世家:「孔子以詩書禮樂教,弟子蓋三千焉,身通六藝者七十有二人」。 ○數:數目、數量。 ○懸:掛、繫。【懸壺】漢代人費長房,見街市中有老翁在賣藥,收攤時跳入壺中。見《後漢書.卷八二.方術下.費長房傳》。後指行醫賣藥的人。/【懸壺濟世】據《後漢書.卷八二.方術列傳下.費長房》記載,市場中有賣藥老翁,白天在街頭懸掛一壺,以為標幟,夜間便跳入壺中,讓人無法看見。後代以懸壺濟世代稱行醫救人。 ○空:沒有東西的。 ○市肆:市場;市中店鋪。城市中的商店。 ○貨:出售 [buy or sell]。 ○日入:太陽落下去。 ○輒:每、總是。即、就。 ○舉丗:全世界。普天下。世の中の人が全員で。世間全体が一致して。/丗:「世」の異体字。 ○費長房:中国後漢の方士。「壺中天」「縮地」で知られる。汝南郡平輿県の出身であるが、生没年を含めて後漢時代の人という以外の大凡の生存年代も不明。当初はとある市場の監視役人を務めていたが、市場の監視楼上から市中で売薬店を構える謫仙の壺公(ここう)が日没時に店先に吊した壺に跳び入る姿を目撃した事から壺公の許を訪れたところ、自分の秘密を目にし得た費に感心した壺公に連れられて壺中に入り、そこに建つ荘厳な御殿で美酒佳肴の饗応を受ける。その後、壺公から流謫も終わって人間界を去る事を聞かされると、自分も仙道を学びたいと思い、壺公の教唆に依って青竹を自身の身代わりに仕立て、縊死を装う事で家族の許を去り、壺公に就いて深山に入り修行する。修行は初め虎の群中に留め置かれ、次いで今にも千切れんとする縄に吊された大石の下に身を横たえるといった内容で、共に成果を修めるも最後に3匹の虫が蠢く臭穢な糞を食すよう求められて遂に上仙を断念し、壺公から地上の鬼神を支配出来る1巻の護符を授かって帰郷する。なお、山中での修行は僅か10日程であったが、地上での実歳月は10年以上を経るものであった。Wikipedia. ○樓上:所處的樓層以上。相對於樓下而言。 ○師事:以師禮事之。謂拜某人為師或以師禮相待。

    

     ○『三洞群仙錄』卷四:《丹臺新錄》:謝元一號壺公,即孔子三千弟子之數也。常懸一空壺市肆貨藥,日入之後公輒蹙入壺中,舉市無人見者,惟費長房於樓上見之,往拜焉,以師事之。

     ○『神仙傳』卷九・壺公:壺公者,不知其姓名。……汝南費長房為市掾時,忽見公從遠方來,入市賣藥,人莫識之。……

     ○『太平御覽』道部四・天仙:《三洞珠囊》曰:壸公謝元,歷陽人,賣藥於市,不二價,治病皆愈。語人曰:「服此藥,必吐某物,某日當愈。」事無不效。日收錢數萬,施市內貧乏饑凍者。費長房為市令,知其人。後詣公,公攜長房去,授以治病之術,令還。壸公後仙去。戴公柏有太微黃書十餘卷,即壺公之師也。

     ○『太平御覽』道部六・尸解:《神仙傳》……又曰:壸公謝元,陽歷人也,費長房師之。及道士李意期將兩弟子去積年,長房及兩弟子皆隱變解化。

     ○『古今圖書集成』醫部全錄・卷505・醫術名流列傳・後漢・壺翁〈費長房〉:按《後漢書》本傳,「費長房者,汝南人也,曾為市掾,市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。市人莫之見,惟長房於樓上睹之,異焉,因往再拜奉酒脯。翁知長房之意其神也,謂之曰:『子明日可更來』。長房旦日復詣翁,翁乃與俱入壺中,惟見玉堂嚴麗,旨酒甘殽,盈衍其中,共飲畢而出。後長房欲求道,隨從入山。翁撫之曰:「子可教也。」遂能醫療眾病,鞭笞百鬼,乃驅使社公。後失其符,為眾鬼所殺。/按《神仙傳》,壺公者,不知其姓名也。今世所有召軍符、召鬼神治病玉府符,凡二十餘卷,皆出自公,故總名壺公符。時費長房見公從遠方來,入市賣藥,人莫之識。賣藥口不二價,治病皆愈。每語人曰:「服此藥必吐 某物,某日當愈。」言無不效。常懸一空壺於屋上,日入跳入壺中。長房知非常人,乃日掃公座前地及供饌物,公受不辭。積久,長房不少懈,亦不敢有求。公知長房篤信,謂曰:「暮更來。」長房如其言。公為傳《封符》一卷,付之曰:「帶此可主諸鬼神,常稱使者,可以治病消災。」 長房乃行符收鬼治病,無不愈者。

    

識典古籍*******************************************************

《丹臺新錄》:謝元,一號壺公,即孔子三千弟子之數也。常懸一空壺,市肆貨藥。日入之後,公輒蹴入壺中。舉世無人見者,唯費長房於樓上見之,往拜焉,以師事之。

    【AI譯文】

《丹台新录》记载:谢元,又被称为壶公,是孔子三千弟子之一。(他)常常悬挂着一个空壶,在集市上卖药。太阳落山以后,壶公就把他踢进壶里。当时世上没有人能看见他,只有费长房在楼上看到了他,就去拜见他,把他当做老师来侍奉。

    【AI 1】『丹台新録』にはこう記されています。「謝元(壺公とも称される)は孔子の三千弟子の一人である。彼は市場で薬を売りながら、いつも空の壺を吊るしていた。日が沈むと、壺公は自らをその壺の中へと蹴り入れた。当時、世の人々は誰も彼の姿を見ることができなかった。しかし、楼上にいた費長房だけがその光景を目にし、彼を訪ねて師と仰ぎ、仕えるようになった。」

    【AI 2】『丹台新録』によると、謝元は「壺公」とも呼ばれ、孔子の三千弟子の一人であった。彼は常に空の壺をぶら下げて市場で薬を売っていた。日が沈むと、壺公は自分をその壺の中に蹴り入れていた。当時、彼の姿を見ることができる者はおらず、ただ費長房だけが楼の上からその様子を目にし、彼を訪ねて師として仰ぎ、仕えるようになった。