2024年2月21日水曜日

鍼灸溯洄集 32 (28)鍼灸補瀉論

   二十一ウラ(672頁)

(28)鍼灸補瀉論

灸法不問虛實寒熱悉令灸之其亦有補瀉之功

虛者灸之使火氣以助元陽也實者灸之使實邪

隨火氣而發散也寒者灸之使其氣復温也熱者

灸之引欝熱之氣外發火就燥之義也其針刺雖

有補瀉法恐但有瀉而無補焉經謂瀉者迎而奪

之以針迎其經脉之來氣而出之固可以瀉實也

謂補者隨而濟之以針隨其經脉之去氣而留之

未必能補虛也不然内經何以曰無刺熇熇熱無

  二十二オモテ(673頁)

刺渾渾脉無刺漉漉汗無刺大勞人無刺大飢人

無刺大渴人無刺新飽人無刺大驚人又曰形氣

不足病氣不足此陰陽皆不足也不可刺凢虛損

危病久病俱不可刺針刺之重竭其氣老者絕滅

壯者不復矣若此等語皆有瀉無補之謂也學者

玩之或問曰吾子前論者語於補瀉詳也今有瀉

無補其言似矛盾針有實補然吾子何曰無補乎

經曰邪之所湊其氣必虛是即開决凝滯而以扶

正氣爲補也對曰然汝內經慇懃之論未曉乎予

  二十二ウラ(674頁)

試語汝調養五藏虛脫者以五味今針可有五味

也若無則何曰滋補乎且夫元氣虛資以甘藥然

則補中益氣六君子腎氣丸湯等與滋補之劑同

日而不可語今針之補者髣髴之補也猶曰平胃

散敗毒散等之補除去邪氣則正氣實之意也吾

子致思乎


  【訓み下し】

   鍼灸補瀉論

灸法 虛實・寒熱を問わず。悉く之を灸せしむ。其れ亦た補瀉の功有り。虛する者は之を灸し,火氣をして以て元陽を助けせしむ。實する者は之を灸し,實邪をして火氣に隨って發散せしむ。寒する者は之を灸し,其の氣をして復た温ためせしむ。熱する者は之を灸し,鬱熱の氣を引き,外(ほか)に發す。火は燥(かわ)けるに就くの義なり。其の針刺(さ)して,補瀉の法有りと雖も,恐らくは但だ瀉有って補無し。經(きょう)に瀉を謂う者は,迎えて之を奪う,針を以て其の經脈の來氣を迎えて之を出だす。固(まこと)に以て實を瀉す可し。補を謂う者は,隨って之を濟(すく)う。針を以て其の經脈の去氣に隨って之を留(とど)め,未だ必ず能く虛を補わず。然らずんば,『内經(だいきょう)』何を以てか曰わん,「熇熇の熱を刺すこと無かれ,

  二十二オモテ

渾渾の脈を刺すこと無かれ,漉漉の汗を刺すこと無かれ,大勞の人を刺すこと無かれ,大飢の人を刺すこと無かれ,大渴の人を刺すこと無かれ,新たに飽く人を刺すこと無かれ,大驚の人を刺すこと無かれ」。又た曰わく,「形氣不足,病氣不足,此れ陰陽 皆な不足なり。刺す可からず。凡そ虛損,危病・久病,俱に刺す可からず。針刺の重き,其の氣を竭(つ)くし,老者は絕滅し,壯者は復(かえ)らず」。此れ等の語の若きは,皆な瀉有って補無きの謂(いい)なり。學者 之を玩(もてあそ)ぶ。或ひと問うて曰わく,「吾子 前の論には,補瀉を語ること詳(つまび)らかなり。今ま瀉有って補無し。其の言(こと)矛盾(ぼうじゆん)に似たり。針に實に補有り。然るに吾子何(なん)ぞ補無しと曰わんや。經(きょう)に曰わく,〈邪の湊まる所,其の氣必ず虛す〉。是れ即ち凝滯を開決して,正氣(しょうき)を扶くるを以て補と爲す」。對(こた)えて曰わく,「然り。汝『內經』慇懃の論,未だ曉(さと)らずや。予(よ)

  二十二ウラ

試み汝に語らん。五藏虛脫の者を調養するに,五味を以てす。今ま針に五味有る可しや。若し無き則(とき)は,何ぞ滋補と曰わんや。且つ夫れ元氣虛するときは,資(と)るに甘き藥を以てし,然る則は補中益氣・六君子・腎氣丸湯等の滋補の劑と日を同じくすと語る可からず。今ま針の補は,髣髴の補なり。猶お平胃散・敗毒散等の補と曰わんがごとし。邪氣を除き去れば,則ち正氣 實するの意(こころ)なり。吾子 思いを致せ」。


  【注釋】

★「助けせしむ」→「助けしむ」。「温ためせしむ」→「温ためしむ」。

 ○經謂瀉者迎而奪之:『靈樞經』小鍼解:「迎而奪之者,寫也;追而濟之者,補也」。訓:「經(きょう)に瀉を謂う者は……」ではなく,「經に瀉と謂う者は……」または,「經に,瀉(と)は/なる者は/迎えて之を奪うを謂う」とよむのがよいか。 ○謂補者隨而濟之:「補と謂う者は……」または「補(と)は/なる者は/隨って之を濟うを謂う」とよむのがよいか。 

  二十二オモテ

 ○針刺之重竭其氣:「針刺の重き 其の氣を竭くし」ではなく,「之を針刺して,重ねて其の氣を竭くせば」とよむのがよいか。 ○玩:研習。「ならう」とも訓ず。 ○或問曰:以下,著者の創作か。

 ○然:答辭。『難経』の答えの最初にある「然」の意。 ○慇懃:[industrious]辛勤。情意懇切、周到。憂え痛むさま。慇勤。 

  二十二ウラ

 ★「今ま針に五味有る可しや」:「可」の添え仮名は「シ」。「ン」であれば「今ま針に五味有る可けんや」。

 ○同日而不可語:一般的な漢語では「不可同日而語」。差別很大,不能相提並論。 ○致思:用心思考。

 ◉虞摶(1438~1517)『醫學正傳』(1515年)或問:「針法有補瀉迎隨之理,固可以平虛實之證。其灸法不問虛實寒熱,悉令灸之,其亦有補瀉之功乎?曰:虛者灸之,使火氣以助元陽也;實者灸之,使實邪隨火氣而發散也;寒者灸之,使其氣之復溫也;熱者灸之,引鬱熱之氣外發,火就燥之義也。其針刺雖有補瀉之法,予恐但有瀉而無補焉。經謂瀉者迎而奪之,以針迎其經脈之來氣而出之,固可以瀉實矣;謂補者隨而濟之,以針隨其經脈之去氣而留之,未必能補虛也。不然,『內經』何以曰:無刺熇熇之熱,無刺渾渾之脈,無刺漉漉之汗;無刺大勞人,無刺大飢人,無刺大渴人,無刺新飽人,無刺大驚人。又曰:形氣不足,病氣不足,此陰陽皆不足也,不可刺;刺之,重竭其氣,老者絕滅,壯者不復矣。若此等語,皆有瀉無補之謂也,學者不可不知」。

 ◉李梴(1575序刊)『醫學入門』鍼灸・灸法:「或問:針有補瀉迎隨之理,固可以平虛實之証,其灸法不問虛實寒熱,悉令灸之,其亦有補瀉之功乎?丹溪凡灸有補瀉,若補,火艾滅至肉;瀉,火不要至肉,便掃除之,用口吹風主散。曰:虛者灸之,使火氣以助元陽也;實者灸之,使實邪隨火氣而發散也;寒者灸之,使其氣之復溫也;熱者灸之,引鬱熱之氣外發,火就燥之義也。其針刺雖有補瀉之法,予恐但有瀉而無補焉。經謂:瀉者迎而奪之。以針迎其脈之來氣而出之,固可以瀉實也。謂補者隨而濟之,以針隨其經脈之去氣而留之,未必能補虛也。不然,『內經』何以曰無刺熇熇之熱,無刺渾渾之脈,無刺漉漉之汗,無刺大勞人,無刺大飢人,無刺大渴人,無刺新飽人,無刺大驚人?又曰:形氣不足,病氣不足,此陰陽皆不足也。不可刺。〔割注:凡虛損,危病,久病,俱不宜針。〕刺之重竭其氣,老者絕滅,壯者不復矣。若此等語,皆有瀉無補之謂也,學人玩之」。

 ◉『素問』瘧論:「經言無刺熇熇之熱,無刺渾渾之脈,無刺漉漉之汗」。

 ◉『素問』刺禁論:「無刺大醉,令人氣亂。無刺大怒,令人氣逆。無刺大勞人,無刺新飽人,無刺大饑人,無刺大渴人,無刺大驚人」。

 ◉『靈樞』根結:「黃帝曰:形氣之逆順奈何?歧伯曰:形氣不足,病氣有餘,是邪勝也,急寫之;形氣有餘,病氣不足,急補之;形氣不足,病氣不足,此陰陽氣俱不足也,不可刺之,刺之則重不足。重不足則陰陽俱竭,血氣皆盡,五藏空虛,筋骨髓枯,老者絕滅,壯者不復矣。形氣有餘,病氣有餘,此謂陰陽俱有餘也。急寫其邪,調其虛實。故曰:有餘者寫之,不足者補之,此之謂也。

 ○補中益氣:補中益氣湯(補養之劑)。總結:補中昇陽。主治:脾胃氣虛,少氣懶言,四肢無力,睏倦少食,飲食乏味,不耐勞累,動則氣短;或氣虛發熱,氣高而喘,身熱而煩,渴喜熱飲,其脈洪大,按之無力,皮膚不任風寒,而生寒熱頭痛;或氣虛下陷,久瀉脫肛。現用於子宮下垂;胃下垂或其它內臟下垂者」。

 ○六君子:六君子湯。【功用】益氣健脾,燥濕化痰。【主治】脾胃氣虛兼痰濕證。食少便溏,胸脘痞悶,嘔逆等。

 ○腎氣丸:【功用】溫補腎氣。【主治】腎氣不足,腰酸腳軟,肢體畏寒,少腹拘急,小便不利或頻數,舌質淡胖,尺脈沉細;及痰飲喘咳,水腫腳氣,消渴,久泄。現用於糖尿病、甲狀腺功能低下、慢性腎炎、腎上腺皮質功能減退及支氣管哮喘等屬於腎氣不足者。

 ○平胃散:功效:燥濕健脾,消脹散滿。/適應症:脾土不運,濕濁困中,胸腹脹滿,口淡不渴,不思飲食,或有噁心嘔吐,大便溏瀉,睏倦嗜睡,舌不紅,苔厚膩。

 ○敗毒散:【功用】 散寒祛濕,益氣解表。主治:氣虛,外感風寒濕表證。憎寒壯熱,頭項強痛,肢體酸痛,無汗,鼻塞聲重,咳嗽有痰,嘔噦寒熱,胸膈痞滿,舌淡苔白,脈浮而按之無力。


 鍼灸溯洄集卷上〔おわり〕

0 件のコメント:

コメントを投稿