陳不讀書 范曾賣藥 陳は書を讀まず 范は曾(かつ)て藥を賣る (陳昭遇・范蠡)
名醫録陳昭遇㱕明治疾無不効者後薦
入翰林院充醫官世呼神醫絶不讀書請
其所習不能應答甞語所親曰我初來都
下揮軍壘中日試醫數百人其風勞氣冷
皆默識之凢醫古方用湯劑無有不愈者
實未甞尋脉訣也故今之醫者皆言口傳
心記歷多達妙反非好醫學者雖明方書
不㑹醫病豈勝我哉夫窮習方書而治
病未愈者歷少而未達應驗但不誤命何
足恠哉其不習方書而善治者因醫失多
而得悟其要也故兵法曰不知用兵之害
不得用兵之利者譬如斯也
【訓み下し】008-1 ★難解。参考資料の『醫說』も参照。
『名醫錄』:陳昭遇,明に歸す。疾(やまい)を治して効(ききめ)あらざる者無し。後に薦められて翰林院に入り,醫官に充てらる。世 神醫を呼ぶ。絕えて書を讀まず。其の習う所を請うも,應答する能わず。嘗て親しき所に語って曰わく,「我れ初めて都下に來たり,軍壘の中に揮って,日々に醫を試みること數百人,其の風勞氣冷,皆な默して之を識(し)る。凡そ醫の古方,湯劑を用いて,愈えざる者有ること無し。實に未だ嘗て『脉訣』を尋ねざるなり。故に今の醫者,皆な口に傳え心に記して,歷(ふ)ること多くして妙に達すと言うも,反って醫學を好む者を非とす。方書に明らかと雖も,病を醫(いや)すを會(さと)らざれば,豈に我に勝(まさ)らんや。夫れ方書を習うを窮めて病を治するに未だ愈えざる者は,歷ること少なくして未だ應驗に達せず,但だ命を誤らざること,何ぞ怪しむに足らんや。其の方書を習わずして善く治する者は,醫の失多きに因って其の要を悟り得たるなり。故に兵法に『用兵の害を知らざれば,用兵の利を得ず』と曰う。譬うれば斯(か)くの如し」。
【注釋】008-1
○名醫録:北宋・黨永年『神秘名醫錄』の略称。程新と王旭光の論文「《医说》《历代名医蒙求》引用《名医录》考」〔『中華醫史雜誌』2021年第5期302-306頁〕を参照。
https://rs.yiigle.com/cmaid/1342375
陳昭遇は宋代のひとなので,『名醫錄』は『新唐書』藝文志・醫術類にみえる「甘伯宗 名醫傳七卷」の異名ではない。/録:「錄」の異体字。 ○陳昭遇:A+醫學百科:宋代醫家。字歸明,南海(今屬廣東南海)人。世醫出身,至昭遇其術益精,嘗任翰林醫官,領溫水主薄。曾奉詔與劉翰、馬志等人校訂撰成《開寶新詳定本草》,後佚。後又參與編修《太平聖惠方》一百卷行世。 『宋史』卷四百六十一 列傳第二百二十/方技上/王懷隱:初,太宗在藩邸,暇日多留意醫術,藏名方千餘首,皆嘗有驗者。至是,詔翰林醫官院各具家傳經驗方以獻,又萬餘首,命懷隱與副使王祐・鄭奇、醫官陳昭遇參對編類。每部以隋太醫令巢元方『病源候論』冠其首,而方藥次之,成一百卷。太宗御製序,賜名曰『太平聖惠方』〔992年成書〕,仍令鏤板頒行天下,諸州各置醫博士掌之。/雲端中醫:「關於醫家<陳昭遇>的簡介」は「(961年-1033年)『陳歸明醫書』一百卷あり」,として文章も引用するが,未詳。
https://cloudtcm.com/dic/987
○㱕明:A+醫學百科と『中醫名詞術語精華辭典』は陳昭遇の字(あざな)とする。/㱕:「歸」の異体字。/以下の識典古籍【AI譯文】は,「歸明」を次の意味で訳している。謂歸服聖明之主。宋代稱西南少數民族首領到宋朝廷補官為“歸明”。/『醫說』は「嶺南人,善醫,隨劉鋹歸朝」に作る。「歸明」と「歸朝〔歸附朝廷〕」は同じ意味であるので,字(あざな)ではなくこの意味に解して【訓み下し】た。 ○無不:沒有不,都是。 ○効:「效」の異体字。功用。 ○翰林院:始於唐代,為待詔之所。宋設翰林學士院,職掌在內朝起草詔旨;此外在內侍省下設翰林院。/唐初置,本為各種文藝技術內廷供奉之處。 ○充:代理、擔任。 ○醫官:古代掌管醫藥政令的官吏。掌管醫務的官。 ○神醫:醫術精妙高明的人。 ○絶不:一定不會。/絶:「絕」の異体字。 ○請:『醫說』作「詰」。詰:詢問、責問。追究、查辦。 ○應答:言語間的酬答。對答。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○所親:親人;親近的朋友。 ○都下:京都。 ○揮軍壘中:『醫說』作「持藥囊抵軍壘中(藥囊を持って軍壘中に抵(いた)り)」。/揮:發號令、指示。/軍壘:軍營周圍的防守工事。 ○風勞:病名。虛勞病復受風邪者。見《太平聖惠方.治風勞諸方》:「勞傷之人,表裡多虛,血氣衰弱,膚腠疏泄,風邪易侵,或游易皮膚,或沉滯臟腑,隨其所感,而眾病生焉。」若體虛食少、羸瘦、筋脈不利、手足多疼者,用防風散等方。氣血不足,臟腑虛傷,肢節煩疼,腰膝無力,形體羸瘦,面色萎黃,小便數多,臥即盜汗者,用巴戟散等方。又稱肝勞。 ○凢:「凡」の異体字。 ○脉訣:脈學著作。宋.崔嘉彥撰。又名《崔氏脈訣》、《崔真人脈訣》、《紫虛脈訣》。一卷。撰年不詳。作者鑒於脈理難明,「非言可傳,非圖可狀。」/《王叔和脈訣》的簡稱。 ○口傳:以口傳授。口頭傳授;口頭傳達。【口傳心授】指師徒間口頭傳授,內心領會。授教者口頭傳授,而受教者心中悟解。 ○歷:經過。 ○非:以為不好、不對。 ○方書:醫書。 ○不㑹:不領會;不知道。不能。不可能。不至於。/㑹:「會」の異体字。理解する。習熟する。できる。よくする。 ○應驗:呈現效驗。猶效驗。 ○恠:「怪」の異体字。 ○兵法曰:『孫子兵法』作戰:「故不盡知用兵之害者,則不能盡知用兵之利也」。
○程新,王旭光「《医说》《历代名医蒙求》引用《名医录》考」:摘要:《医说》和《历代名医蒙求》是产生于宋代的两本医书.两书多次引用了《名医录》,此《名医录》的作者及成书年代,一直未见确切考证.经核对,《医说》引《名医录》共25条,《历代名医蒙求》引《名医录》共31条.两书所引《名医录》内容,皆见于宋人党永年《神秘名医录》,由此推知,《名医录》当是《神秘名医录》的简称.
○『醫說』卷二・神醫・神醫:「陳昭遇者,嶺南人,善醫,隨劉鋹歸朝,後為翰林醫官。所治疾多愈,世以為神醫。絕不讀書,詰其所習,不能答。嘗語所親曰:我初來都下,持藥囊抵軍壘中,日閱數百人,其風勞冷氣之候,皆默識之,然後視其長幼虛實,按古方用湯劑,鮮不愈者,實未嘗尋『脈訣』也。莊周所謂懸解,董遇以為讀書百遍義自見,豈是之謂歟(『皇朝類苑』)」。
【訓み下し】陳昭遇なる者は,嶺南の人,醫を善くす。劉鋹に隨って朝に歸し,後に翰林醫官と為る。治す所の疾(やまい)多く愈え,世 以て神醫と為す。絕えて書を讀まず。其の習う所を詰(と)うに,答うること能わず。嘗て親しき所に語って曰わく:我れ初めて都下に來たり,藥囊を持って軍壘の中に抵(いた)り,日々數百人を閱(けみ)するに,其の風勞冷氣の候,皆な默して之を識(し)る。然る後に其の長幼虛實を視て,古方を按じて湯劑を用いれば,愈えざる者鮮(すく)なし。實に未だ嘗て『脈訣』を尋ねざるなり。莊周が所謂(いわゆる)懸解なり。董遇以(お)為(も)えらく,讀書百遍,〔其の〕義自ら見(あら)わる,と。豈に是れを之れ謂うか(『皇朝類苑』)
識典古籍*******************************************************
《名醫錄》:陳昭遇,歸明,治疾無不效者,後薦入翰林院充醫官。世呼神醫,絶不讀書,請其所習,不能應答。
【AI譯文】
《名医录》记载:陈昭遇,原本是南汉国的臣子,后来归降宋朝,他治病没有不奏效的,后来被推荐进入翰林院担任医官。世人称他为神医,他却不读书,请教他所学的东西,他不能回答。
★南汉:國名。(西元907~971)五代時十國南方政權之一。劉龑所建,國號大越,後改稱漢。建都番禺,改稱興王府(今廣州市),據有今廣東、廣西及海南島諸地,史稱「南漢」。後為宋朝所滅。
【AI 1】『名医録』には次のように記されている。陳昭遇は元々南漢国の臣下であったが、後に宋朝へ帰順した。彼の治療は必ず効果があり、その評判から翰林院の医官として推薦された。世間では彼を「神医」と称したが、彼自身は書物を読まず、学んだ知識を尋ねられても明確に答えられなかった。
【AI 2】『名医録』にはこう記されています。陳昭遇はもともと南漢国の臣下でしたが、後に宋に降伏しました。彼の治療は必ず効果があり、後に推薦されて翰林院の医官に任命されました。世間の人々は彼を「神医(神のような名医)」と称えましたが、彼自身は書物を読まず、医学について質問されても答えることができませんでした。
嘗語所親曰:“我初來都下,揮軍壘中,日試醫數百人,其風、勞、氣、冷皆默識之。
【AI譯文】
他曾经对自己的亲信说:“我刚来到京城的时候,曾经在军营中为士兵看病,每天看几百个病人,对风、劳、气、冷等各种病症都默默记在心里。
【AI 1】彼はかつて親しい者にこう語った。「私が初めて京城に来たとき、軍営で兵士たちの治療をしていた。毎日数百人の患者を診察し、風邪、過労、気の乱れ、寒冷などさまざまな病の症状を心の中で記憶していた。
【AI 2】彼はかつて親しい者にこう語りました。「私が初めて都に来たとき、軍営で兵士の診療をしていましたが、毎日何百人もの患者を診ていました。風邪、労病、気の病、寒気など、さまざまな病状を黙って心に刻み込んでいたのです。
凡醫,古方用湯劑無有不愈者,實未嘗尋脉訣也。
【AI譯文】
凡是医生,用古代方剂来治疗疾病没有不痊愈的,其实他们并没有去研究过脉诀。
【AI 1】一般の医者は、古くから伝わる処方を用いれば病は治ると考えているが、実は脈診を深く研究しているわけではない。
【AI 2】医者というものは、昔の処方を用いれば病は治るもので、実際には脈の診断法を研究していない者が多い。
故今之醫者皆言口傳心記,歷多達妙,反非好醫學者。
【AI譯文】
所以现在的医生都声称医术靠的是口传心记,经历多了就会达到精妙的境界,反而不认为喜欢学习医术的人是好医生。
【AI 1】今の医者たちは、医術は口伝と経験によって磨かれるものだと主張し、むしろ学ぶことを好む者を名医と認めない。
【AI 2】だから今の医者たちは、医術とは口伝と経験によって身につくものだと主張し、学問として医術を学ぶ人をむしろ良い医者とは思っていない。
雖明方書,不會醫病,豈勝我哉?
【AI譯文】
虽然明白医书,但不能治好病,难道能胜过我吗?
【AI 1】しかし、ただ医書を理解するだけで病気を治せるわけではない。果たして彼らは私より優れているのだろうか?
【AI 2】医学書を理解していても病気を治せないなら、それが本当に私より優れていると言えるのか?
夫窮習方書而治病未愈者,歷少而未達應驗,但不誤命,何足怪哉!
【AI譯文】
那些用尽了医方来治病而没有治愈的人,是因为经历的太少,还没有达到应验的地步,只要不贻误性命,又有什么值得奇怪的呢!
【AI 1】処方を尽くしても治せない者がいるのは、経験が浅く、まだ治療が実証される段階に至っていないだけだ。命を落とさない限り、不思議に思うことはない。
【AI 2】処方を尽くしても病が治らないのは、経験が少なく、まだその薬効が発揮される段階に至っていないからだ。命を取りこぼさない限り、それを不思議がることもない。
其不習方書而善治者,因醫失多而得悟其要也。
【AI譯文】
那些不学习医书却善于治病的人,是因为在医生的失误中获得了经验,从而领悟到了治病的关键。
【AI 1】医書を学ばずとも治療に秀でている者は、他の医者の誤診から経験を積み、病を治す要点を悟ったからだ。
【AI 2】逆に医学書を学ばなくても病を治すのが上手い者は、他の医者の失敗から経験を積み、治療の要点を悟ったからなのだ。
故兵法曰:‘不知用兵之害,不得用兵之利者,譬如斯也。’”
【AI譯文】
所以兵法说:‘不懂得用兵的害处,就不能懂得用兵的好处的人,就像这样啊。’”。
【AI 1】兵法にもこうある——『戦の害を知らなければ、戦の利を知ることはできない』。これと同じことだ。」
【AI 2】だから兵法にもこうある。『用兵の害を知らなければ、用兵の利を知ることもできない』と。まさにそのようなものなのだ。」
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