千金序仰道人嶺表僧也雖以聦慧入道
長以醫術關懷因晉朝南移衣纓士族
不襲水土皆患軟脚之疾染者無不斃
踣而此僧獨能療之天下知名焉
【訓み下し】006-2
『千金』序:仰道人は,嶺表の僧なり。〔(醫說)少(おさな)くして〕聰慧を以て道に入(い)ると雖も,長じて醫術を以て懷(こころ)に關(か)けり。晉朝 南に移るに因って,衣纓の士族 水土に襲(あ)わず,皆な軟脚の疾(やまい)を患い,染むる者は斃踣せざる無し。而れども此の僧獨り能く之を療して,天下に名を知らる。
【注釋】006-2
○千金:《備急千金要方》,醫方著作。三十卷。又名《千金要方》。(《道藏》作九十三卷本,內容同)。唐.孫思邈撰於七世紀中期。作者以人命至重,有貴千金,故取「千金」為書名。卷一醫學總論及本草、製藥等;卷二-四婦科病;卷五兒科病;卷六為七竅病;卷七-十諸風、腳氣、傷寒;卷十一-二十系按臟腑順序排列的一些內科雜病;卷二十一消渴、淋閉等症;卷二十二疔腫癰疽;卷二十三痔漏;卷二十四解毒並雜治;卷二十五備急;卷二十六食治;卷二十七養性;卷二十八平脈;卷二十九-三十針灸孔穴主治。「總篇二百門,後方論五千三百首。」書中所載醫論、醫方較系統地總結和反映了自《內經》以後、唐代初期以前的醫學成就,是一部科學價值較高的著作。此書也充分反映了作者的醫學成就、實踐經驗和學術思想,尤其可貴的是孫氏的醫德足為萬世法。 ○序:現存する『備急千金要方』(北宋校正本),宋版『新雕孫真人千金方』(未経宋改本),古鈔本『真本千金方』の序には,以下の文章は見えない。
★『東洋医学善本叢書』第9冊 https://dl.ndl.go.jp/pid/12716751/
★『東洋医学善本叢書』第12冊 https://dl.ndl.go.jp/pid/12716624/
○『太平御覽』方術部五・醫四:『千金』序曰:……又曰:仰道人,嶺表僧也,雖以聰慧入道,長以醫術開懷。因晉朝南移,衣纓士族不襲水土,皆患軟腳之疾,染者無不斃踣,而此僧獨能療之,天下知名焉。
○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・仰道士:「仰道士,嶺表僧人也。少以聰惠入道,長以醫術關懷,因晉朝南移,衣纓士類不襲水土,皆患軟腳之疾,染者無不斃踣,而此僧獨能療之,天下知名焉(『千金方』序論)」。
○『備急千金要方』卷七 風毒腳氣・論風毒狀第一:論曰:考諸經方往往有脚弱之論,而古人少有此疾。自永嘉南渡,衣纓士人,多有遭者。嶺表江東,有支法存、仰道人等,並留意經方,偏善斯術;晉朝仕望,多獲全濟,莫不由此二公。
識典古籍*******************************************************
《千金序》:仰道人,嶺表僧也,雖以聰慧入道,長以醫術關懷。因晉朝南移,衣纓士族不襲水土,皆患軟脚之疾,染者無不斃踣,而此僧獨能療之,天下知名焉。
【AI譯文】
《〈千金方〉序》记载:仰道人,是岭南地区的僧人,他虽然凭借聪慧的资质出家为僧,但一直用心于医术。因为晋朝南迁,世家大族的人不适应南方的水土,都患上了脚软无力的病,染上这种病的人没有不死亡的,只有这个和尚能够治疗,于是他名闻天下。
【AI 1】『千金方』の序によると、仰道人(ぎょうどうにん)は嶺南地方の僧侶であった。彼は聡明な資質を持ち、僧として出家したものの、一心に医術の研究を続けた。 晋朝が南へ遷都すると、北方出身の貴族たちは南方の風土に適応できず、足の力が抜ける病を患った。この病にかかった者は、誰一人として助からなかった。しかし、この僧侶だけはその病を治すことができたため、彼の名声は天下に広まった。
【AI 2】『千金方』の序文にはこう記されている。「仰道人という人物は、嶺南地方の僧侶であった。彼は聡明な資質により出家して僧となったが、常に医術に心を注いでいた。晋の時代、王朝が南へ遷都した際、北方出身の名門貴族たちは南方の風土に適応できず、足がだるく力が入らないという病を患った。この病にかかると例外なく命を落としたが、この僧侶だけが治療することができた。そのため、彼の名は天下に知られるようになった。」
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