2019年1月22日火曜日

2019.01.20粗読講座「五味第五十六」担当:こみやま

( )内はこみやまの意訳

①穀気の生理学

黄帝曰.願聞穀氣有五味.其入五藏分別奈何.
(黄帝が尋ねた。「聞きたいことがある。穀気には五つの味があるけれど、それは五蔵にどうのように分別されて入るの?」)

伯高曰.胃者.五藏六府之海也.水穀皆入于胃.五藏六府.皆稟氣于胃.五味各其所喜.
穀味酸先走肝.穀味苦先走心.穀味甘先走脾.穀味辛先走肺.穀味鹹先走腎.
穀氣津液已行.營衞大通.乃化糟粕.以次傳下.
(伯高はこれに答える。「胃は五蔵六府の海です。食事(水穀)はすべて胃に入ります。五藏六府は胃から気をもらい受けることになります。その際、気は五つの味に分かれそれぞれ行きたい所へ向かうのです。
食べ物の味が酸っぱいのは肝へ、苦いのは心へ、甘いのは脾へ、辛いのは肺へ、塩辛い(鹹)のは腎へ向かいます。
穀気の津液は、ほどなく営衛として体全体をめぐり、やがて糟粕と変化して、大小便として出ていきます。」)
※「走」は「ゆく」くらいの意味ならば「之」や「往」や「行」などとの違いがあるのだろうか。早足で向かう意味が含まれているのだろうか。
※突然現れた「津液」がわからない。「津液」というキーワードはこの時代では、またはこの文章を書いた人にとって常識だったのか。ただ単に栄養のような解釈で良いのだろうか。



黄帝曰.營衞之行奈何.
(これを受け黄帝は「營衞のめぐりとはどのようなものか?」と尋ねた。)

伯高曰.穀始入于胃.其精微者.先出于胃.之兩焦.以漑五藏.別出兩行營衞之道.
大氣之搏而不行者.積于胸中.命曰氣海.出于肺.循喉咽.故呼則出.吸則入.
天地之精氣.其大數常出三入一.故穀不入半日則氣衰.一日則氣少矣.
(伯高はこう答えた。「穀はとりあえず胃に入り、その精微なものは、まず胃から両焦(上焦と中焦)へ行き、五蔵を潤します。それとは別ルートとして営と衛の二つの道をゆきます。
その気の多くはあつまりめぐらずに、胸中に積もります。それを気海と呼びます。気海は肺から出てのどをめぐるので、呼吸と共に出入りすることになります。
天地の精気はそのおおまかな規則として「出三入一」があります。それ故に半日食事をしないと気は衰え、丸一日食事をしないと気は不足してしまいます。)
  ※「両焦」は上焦と中焦のことなのか。林先生の発表に沿うならば、成立年代は新しいということか。また、上記の「走其所喜」と「之兩焦」の「ゆき方の違い」はあるのだろうか。
※胸中に積もり気海と名付けられる「大気」とは五蔵を潤した精微なるものなのか?
※「出三入一」という規則は何を指すのか。食事として入り、大小便と汗の出る三つ?呼吸法として呼3吸1のタイミング?

②五味の配当

黄帝曰.穀之五味.可得聞乎.
(さらに皇帝がのたまう。「穀の五味のこともう少し詳しく教えてほしい。」)

伯高曰.請盡言之.
五穀.秔米甘.麻酸.大豆鹹.麥苦.黄黍辛.
五菓.棗甘.李酸.栗鹹.杏苦.桃辛.
五畜.牛甘.犬酸.猪鹹.羊苦.雞辛.
五菜.葵甘.韭酸.藿鹹.薤苦.葱辛.
(伯高がいう。「詳しく話させて頂きます。
五穀の五味は、うるち米は甘、ゴマは酸、大豆は鹹、麦は苦、きびは辛です。
五果の五味は、棗は甘、すももは酸、栗は鹹、あんずは苦、桃は辛です。
五畜の五味は、牛肉は甘、犬肉は酸、豚肉は鹹、羊肉は苦、鶏肉は辛です。
五菜の五味は、葵の味は甘、韭は酸、豆の葉は鹹、薤は苦で、葱は辛です。)

③五味と病(顔色)の関係

五色.黄色宜甘.青色宜酸.黒色宜鹹.赤色宜苦.白色宜辛.
凡此五者.各有所宜.所言五色(宜)者. 
脾病者.食秔米飯牛肉棗葵.
心病者.食麥羊肉杏薤.
腎病者.食大豆黄卷猪肉栗藿.
肝病者.食麻犬肉李韭.
肺病者.食黄黍雞肉桃葱.
五禁.肝病禁辛.心病禁鹹.脾病禁酸.腎病禁甘.肺病禁苦.
(顔色と味の関係は、顔色が黄色っぽい人は甘いものを好み、青色っぽい人は酸っぱいものを好み、黒色っぽい人は塩辛いものを好み、赤色っぽい人は苦いものを好み、白色っぽい人は辛いものを好みます。
この顔色と味の五つの関係は、各々の好み(宜)ということなので、五宜と呼ばれています。 
脾を病むものはうるち米、牛肉、なつめ、葵を食するのを好む。(甘)
心を病むものは麦、羊肉、あんず、薤を食するのを好む。(苦)
腎を病むものは大豆の芽、豚肉、栗、藿を食するのを好む。 (鹹)
肝を病むものはゴマ、犬肉、すもも、韭を食するのを好む。(酸)
肺を病むものはきび、鶏肉、桃、葱を食するのを好む。(辛)
また、五蔵の病には五味に対してそれぞれ禁忌があります。
肝病には辛、心病には鹹、脾病には酸、腎病には甘、肺病には苦が禁忌となります。)
※「宜」は妥当であることや、適切であることと捉えるならば、「脾病にはうるち米、牛肉、なつめ、葵を食するのがよい。」ともとれる。
※最後の五禁は「金克木」の相剋関係でまとまっている。


④別伝!五蔵と五味の関係

肝色青.食甘.秔米飯牛肉棗葵皆甘.
心色赤.食酸.犬肉麻李韭皆酸.
脾色黄.食鹹.大豆豕肉栗藿皆鹹.
肺色白.食苦.麥羊肉杏薤皆苦.
腎色黒.食辛.黄黍雞肉桃葱皆辛.
(肝は青色を主っているので、甘を食するのがよいです。うるち米、牛肉、なつめ、葵などはすべて甘です。
心は赤色を主っているので、酸を食するのがよいです。犬肉、ゴマ、すもも、李などはすべて酸です。
脾は黄色を主っているので、鹹を食するのがよいです。大豆、豚肉、栗、藿 (豆の葉)などはすべて鹹です。
肺は白色を主っているので、苦を食するのがよいです。麦、羊肉、あんず、薤 (のびる)などはすべて苦です。 腎は黒色を主っているので、辛を食するのがよいです。きび、鶏肉、桃、葱などはすべて辛です。」)
※ここの意訳はどうしてよいのかわからなかったため、現代語訳の本からそのまま採用している。ここでの「宜」は適切であるという意味で捉えているようだ。
※ここでの関係は相生や相剋ではない。五行を円上に配置すると色と味の関係線がごちゃごちゃするが、土を中心に置くとすっきりする。『素問』と『霊枢』の五行が相剋に当てはまらない文章をこの形に変形してまとめて分類するとどういう結果がでるのだろうか。

2019年1月2日水曜日

成城生活

 12月31日に、成城に往診。お宅はさほど広くはないのですが、ところどころに、自分の家とは違うなと感動しました。

 居間は何畳かわかりません。12畳くらいでしょうか。ぼくは畳の枚数でしか広さを確認できないので、お手上げです。おそらく、設計屋さんは、日本の人では無いかもしれません。

 セントラルヒーティングです。居間も、キッチンも、廊下も、トイレも、暖かいのです。ストーブの姿はありません。我が家のように、石油を補給するとか、石油が高くなって嘆くとかは無いのです。

 母娘でおせち料理を作っていました。お正月の準備に忙しそうです。年中行事やしきたりを守って、伝統を受け継いでいる様子でした。こういう筋の通し方をするお宅を目の前にして、自分の筋の無さを自覚しました。

 おそらく、多分、このようなお宅にうかがうには、それなりのマナーがあるのだと思うのです。手土産、行く時間、帰る時間、靴の脱ぎ方など、そういうふうに躾られていないので、おそらく、多分、だいぶ失礼なことをしているんだろうなあと思います。


 

富士山と男体山

 武蔵野線で西に向かい、荒川の鉄橋を渡るとき、左に富士山、右に男体山がみえました。両方同時に見えたのは初めてで、ひとりで感動しました。

 そもそも男体山が見えるのは、1年の中でもそんなに多くない。今年は、12月下旬になってようやく見えました。二つの山が見えたからどうなんだ、と言われそうですが、いつも二つの山を意識していることが、小さな幸せなのです。日本のあちこちに、地元富士があるのと、おなじような気分なのかもしれません。

 関東平野から浅間山も見えますが、冠雪したすがたは富士山によく似ています。


2018年12月30日日曜日

粗読講座:霊枢雑病二十六 経脈名は明示されているがそのどこを取ればよいかわからない

江口さん,
こういうときは,黄龍祥先生が唱えている「経脈穴」説も,考えてみましょう。
「経脈穴」説とは,
むかしむかしのこと,あるところを刺激すると,遠いところの疼痛・疾病がよくなった。
その時,確実に認識されたのは,ツボと疾病・疼痛部の二カ所のみでした。
その刺激部位=ツボと疾病・疼痛部を線で結んでみた。
これが経脈です。
刺激部位=ツボは,手足の三陰三陽で命名された。
ツボが先,経脈は後と考えます。経脈は,仮想の線です。

 一般に,馬王堆から出土した十一脈(『足臂十一脈』『陰陽十一脈』)には経脈名しかないので,経脈が先,後から経穴が発見された,と考えられていますが。

黄龍祥説によれば,初期の経脈名=治療穴名で,その場所は原穴付近にある。

そこで,『鍼灸甲乙経』に掲載されている原穴付近の穴と,『霊枢』雑病(26)に書いてある,各経脈名にある疾病・病名を比較する。

ぜひ『霊枢』雑病(26)と『鍼灸甲乙経』に掲載されている原穴の主治病証の対応表を作成して,研究なさってください。

それでこれに類似性が見いだせるのであれば,経脈名=経脈穴=各経の原穴説に根拠があることになります。

というより,『鍼灸甲乙経』の三部を構成している,その一部である『明堂経』の著者が『霊枢』雑病(26)を参考にして,経穴の主治症を書いているか否かが,わかります。

結果の発表を楽しみにしています。

川原 秀城著『数と易の中国思想史 術数学とは何か』

http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100879

本書の一番最後にある論文「術数的思考と中国医学」は,『内経』1996年3月号(No.87)に掲載された,20年以上も前に書かれたモノ。
https://plaza.umin.ac.jp/~daikei/shiryo/daikeishi.html

この『内経』誌の前号,No.86には,石田秀実先生の「伝統医学の形成期をどうとらえなおすか」が掲載されている。

そのまた前の号No.85には,『現代語訳 黄帝内経』の訳者のひとりでもある藤山和子先生の「『黄帝内經素問』の寸口診について」が掲載されている。

これらに関心があれば,

https://plaza.umin.ac.jp/~daikei/shiryo/daikeishi.html
「データDVDの販売
内経誌の創刊号から200号までをPDFファイルにしてDVDに収めました。
会員限定の販売となります。
事務局へお申し込みください。」

ということで,入手閲読可能です。

季刊内經 No.213 2018年冬号

季刊内經No.213を発行、発送しました。届いていない方は、事務局までご連絡ください。
過去号の索引を今回の最新号まで更新しましたので、そちらもご利用ください。

季刊内經 No.213 2018年冬号
項目題名執筆者
21302巻頭言古典とのつきあい方天満博
21305翻訳老官山漢墓から出土した鍼処方簡の解読黄龍祥
21366合宿発表兵法書と内経(資料・前編)土山絵里佳
21377連載受講の折々⑦ 『霊枢』天年篇 第五十四大八木剛夫
21382コラム過去から未来へ黛奈奈
21387告知最近のWebの活用について小宮山乃輔
21388末言みんなでやること神麹斎

2018年12月16日日曜日

粗読講座 霊枢雑病二十六(担当:江口)

・経脈名は明示されているがそのどこを取ればよいかわからない。
・その経脈を選んだ根拠もよくわからない
・甲乙との表記ゆれが致命的
・渋江氏の『霊枢講義』は大変参考になった
・神麹斎『霊枢概要』がおもしろかった

2018年11月23日金曜日

鍼灸抜萃大成 

鍼灸抜萃大成序
人爲血氣之屬也經絡爲營
衛之街也孔穴爲邪正之府
也醫者明此可以鍼可以灸
若內經斤斤問答亦然乎向
    ウラ
雖繡梓鍼灸抜萃布行于世
然尚多缺略謬誤讀者患焉
故今剞劂氏刊之大成㪅補
其略校其誤特從鈐圖簡𠊳
而欲使初學者易通曉於是
    二オモテ
乎余嘉其僃而遂弁一言於
其首云爾
 旹元祿十一龍集戊寅仲冬丙子
 岡本一抱涉筆於洛下攝生堂

    【訓み下し】
鍼灸抜萃大成序
人は血氣の屬爲(た)り。經絡は營衛の街爲り。孔穴は邪正の府爲り。醫者 此れを明らかにして、以て鍼す可く以て灸す可し。內經斤斤たる問答の若きも亦た然り。向(さき)に
    ウラ
鍼灸抜萃を繡梓して世に布行すと雖も、然れども尚お缺略謬誤多く、讀者 焉(これ)を患(うれ)う。故に今ま剞劂氏 之が大成を刊(けず)り、更に其の略を補し、其の誤りを校(かんが)え、特に鈐圖簡便に從って、初學者をして通曉し易からしめんと欲す。是に於いてか、
    二オモテ
余 其の備なるを嘉(よみ)して、遂に一言を其の首に弁(こうむ)らしむと爾(しか)云う。
 旹元祿十一龍集戊寅仲冬丙子
 岡本一抱 筆を洛下の攝生堂に涉す

    【注釋】
鍼灸抜萃大成序
人爲血氣之屬也、經絡爲營衛之 ○街:十字路。経路。 ○也、孔穴爲邪正之 ○府:くら。倉庫。 ○也、醫者明此、可以鍼可以灸、若内經 ○斤斤:明察なる。明らかな。一つ一つ細かいことにこだわる。 ○問答亦然乎、向
    ウラ
雖 ○繡梓:(精巧に)出版する。 ○鍼灸抜萃:『日本漢方典籍辞典』:著者未詳の針灸医学書。全三巻、五冊(上、中之上、中之中、中之下、下からなる)。美濃判。延宝四(一六七六)年紀(き)伊(の)国(くに)屋(や)半(はん)兵(べ)衛(え)刊。末尾に写刻体で「右針灸之穴、雖有数多、日々用而在験穴而己、歌之誠愚慮、依短才所記、後学之者加添削而己」とある。本文は和文で平易に針灸の術を説く。著者は無(む)分(ぶん)(御(み)薗(その))の末流であると書かれているが、人物は特定できない。貞享二(一六八五)年岡(おか)田(だ)三(さぶ)郎(ろう)右(え)衛門(もん)刊の異版もある。さらに元禄九(一六九六)年刊の『合(ごう)類(るい)針(しん)灸(きゆう)抜(ばつ)粋(すい)』と題する縦型袖珍本(五巻三冊本、異版も存在する)や、同年刊の『(合類)広(こう)益(えき)針(しん)灸(きゆう)抜(ばつ)粋(すい)』と題する横型袖珍本(李遷校、不分巻一冊本)などもあり、針灸入門書として当時一般に広く流布した。『針(しん)灸(きゆう)重(ちよう)宝(ほう)記(き)』と内容的に密接な関係にある。 ○布行于世、然尚多 ○缺略:欠けているもの。 ○謬誤、讀者 ○患:憂慮する。心配する。 ○焉、故今 ○剞劂氏:出版業者。彫師。「剞劂」は雕刻刀。 ○刊:(削って)修正・改正する。 ○之大成 ○㪅:「更」の異体字。 ○補
其略校其誤、特從 ○鈐:印。判。 ○圖簡 ○𠊳:「便」の異体字。 ○而欲使初學者易通曉 ○於是乎:「於是」におなじ。
    二オモテ
余 ○嘉:賛美する。 ○其 ○僃:「備」の異体字。完備している。何でもそろっている。 ○而遂 ○弁:前・上に置く。 ○一言於其 ○首:あたま。はじめ。最初。 ○云爾:語末の助詞。かくのごとし。 ○旹:「時」の異体字。 ○元祿十一 ○龍集:歳次。 ○戊寅:一六九八年。 ○仲冬:旧暦の十一月。 ○丙子:六日。 ○ 岡本一抱 ○涉筆:筆を動かす。 ○於 ○洛下:京都。 ○攝生堂

2018年11月18日日曜日

鍼灸説約

針灸説約序
當今醫家有二弊而尋常時醫不與焉攻究醫
經該覽群籍自以爲能事畢矣及其臨病者也
識見不定膽力不壯嚮所貯于腹笥者旁午雜
糅其靈臺乃爲之累其伎倆却劣時醫俚諺曰
學醫不如時醫是之謂也夫醫者方伎也思慮
精則得之粗則失之扁鵲倉公未嘗讀萬卷書
而其名乃高于當世者何居豈非以其思慮之
精且密得之乎而昧者乃欲以躁心浮氣得之
    ウラ
是一弊也師心創説爲一家言依托古方以炫
其名其所長特在攻下一途耳至其末學挾其
師著作一二𡰳抗顏稱醫蔑視前脩草芥人命
是二弊也識與膽兼有自粗入精收博爲約能
讀古人書而不受古人欺者其庶幾乎針科侍
醫石坂宗哲著針灸説約蓋有覩于斯矣古今
針灸書何啻五車然其簡而眀約而要者無有
而已世所謂針醫者拘泥紙上之談則不能出
一知半解自許爲一家言則不能知前人苦心
    二オモテ
其弊猶大方脉然宗哲生針科之家傷其如此
發憤讀書蓋二十年于茲矣就古今針灸書擇
其的確可法者去其迂回無用者間附以獨得
之見著作此編將以醒世之憒憒謂之針科中
雋杰可也及刻成乞序于余余既嘉宗哲斯舉
絕于常儔又爲交誼之厚不能辭其請也宗哲
名文和一字廷玉自號竽齋時
文化壬申六月既望
      侍醫法眼杉本良仲温誌

    【訓み下し】
針灸説約序
當今の醫家に二弊有り。而して尋常の時醫は與(あずか)らず。醫經を攻究し、群籍を該覽し、自(みずか)ら以(おも)爲(え)らく能事畢わる、と。其の病者に臨むに及んでや、識見定まらず、膽力壯(さか)んならず、嚮(さき)の腹笥に貯うる所は、其の靈臺に旁午雜糅し、乃ち之が累(わずらい)と爲る。其の伎倆却って時醫に劣る。俚諺に曰く、學醫は時醫に如(し)かず、と。是の謂なり。夫(そ)れ醫は方伎なり。思慮精なれば、則ち之を得、粗なれば則ち之を失う。扁鵲・倉公未だ嘗て萬卷の書を讀まずして、其の名乃ち當世に高き者は、何ぞや。豈に其の思慮の精且つ密を以て之を得るに非ざるや。而るに昧(くら)き者乃ち躁心浮氣を以て之を得んと欲す。
    ウラ
是れ一弊なり。心を師として説を創り、一家の言と爲す。古方に依托して、以て其の名を炫(てら)う。其の長ずる所は、特に攻下の一途の在るのみ。其の末學に至っては、其の師の著作一二卷を挾(わきばさ)み、抗顏 醫と稱す。前脩を蔑視し、人命を草芥とす。是れ二の弊なり。識と膽と兼ねて有(も)ち、粗自(よ)り精に入り、博を收めて約と爲す。能く古人の書を讀んで、古人の欺を受けざる者、其れ庶幾か。針科侍醫 石坂宗哲、針灸説約を著わす。蓋し斯(ここ)に覩る有り。古今の針灸書、何ぞ啻(ただ)に五車のみならんや。然れども其の簡にして明、約にして要なる者、有ること無きのみ。世に謂う所の針醫なる者、紙上の談に拘泥すれば、則ち一知半解を出づること能わず。自(みずか)ら許して一家の言を爲せば、則ち前人の苦心を知ること能わず。
    二オモテ
其の弊 猶お大方脉のごとく然り。宗哲 針科の家に生まれ、其の此(かく)の如くを傷(いた)み、憤りを發して書を讀むこと、蓋し茲(ここ)に二十年。古今針灸の書に就き、其の的確にして法とす可べき者を擇(えら)び、其の迂回無用なる者を去る。間(まま)附するに獨得の見を以てし、此の編を著わし作る。將に以て世の憒憒を醒さんとす。之れ針科中の雋杰と謂って可なり。刻成るに及んで、序を余に乞う。余 既に宗哲の斯(こ)の舉の常儔に絕するを嘉(よみ)す。又た交誼の厚きが爲に其の請を辭すること能わず。宗哲、名は文和、一字は廷玉、自ら竽(う)齋(さい)と號す。時
文化壬申六月既望
      侍醫法眼杉本良仲温誌(しる)す

    【注釋】
針灸説約序
當今 ○醫家:ここではおそらく藩医など、ある程度の高い知識を有する医者。 ○有二弊而尋常 ○時醫:町医者など、臨床をもっぱらとする者。 ○不與:関係ない。 ○焉攻究醫經、該覽群籍、自以爲 ○能事:できること。なすべきことがら。『易』繫辭上「引而伸之、觸類而長之、天下之能事畢矣」。 ○畢矣、及其臨病者也 識見不定、膽力不壯 ○嚮:「向」におなじ。以前。従前。 ○所貯于 ○腹笥:「笥」は書箱。腹の中に記憶としてたくわえられた書籍・学問。 ○者 ○旁午:縦横に交錯する。繁雑になる。 ○雜糅:混合する。入り混じる。 ○其 ○靈臺:心。『莊子』庚桑楚「不可內於靈臺」。郭象注「靈臺者、心也」。  ○乃爲之 ○累:負担。わざわい。あやまち。 ○其伎倆却劣時醫、俚諺曰、學醫不如時醫、是之謂也、夫醫者 ○方伎:「方技」におなじ。各種の技術。 ○也、思慮精則得之、粗則失之、扁鵲倉公未嘗讀萬卷書、而其名乃高于當世者 ○何居:なにが原因か。どういう理由か。「居」は助詞。 ○豈非以其思慮之精且密得之乎、而昧者乃欲以 ○躁心浮氣:「粗心浮氣」におなじ。細心でなく落ち着きがない。 ○得之
    ウラ
是一弊也 ○師心:自分の心を師として、みずからを正しいとする。このあたりは、古方派(吉益東洞)に対する批判か。 ○創説爲一家言、依托古方以 ○炫:自慢する。 ○其名、其所長特在攻下一途耳、至其末學、挾其師著作一二 ○𡰳:「卷」の異体字。 ○抗顏:態度が厳正なさま。顔つきをきびしくする。 ○稱醫蔑視 ○前脩:「前修」におなじ。前賢。前代の徳を修めた賢者。前代のすぐれた医者。 ○草芥:小草。重視するに値しないものの比喩。「視如草芥」(軽視する、かろんずる)。ここでは動詞として使われているので、草のようにあつかう、「殺す」の意であろう。宋・羅大經『鶴林玉露』卷九「一經兵亂、不肖之人、妄相促迫、草芥其民」。 ○人命、是二弊也、識與:膽:胆力。勇気。 ○兼有、自粗入精、收博爲約、能讀古人書、而不受古人欺者、其 ○庶幾:賢人。『易』繫辭下「顏氏之子(顏回)、其殆庶幾乎」。『論衡』別通「夫孔子之門、講習五經、五經皆習、庶幾之才也」。 ○乎、針科侍醫石坂宗哲著針灸説約、蓋有覩于斯矣、古今針灸書 ○何啻:~にとどまらない。 ○五車:五台の車。書籍の多いこと。『莊子』天下「惠施多方、其書五車」。 ○然其簡而 ○眀:「明」の異体字。 ○約:精練。まとまっている。 ○而要者無有而已、世所謂針醫者、拘泥 ○紙上之談:実際に即していない論議。空論。 ○則不能出 ○一知半解:十分に知らない、理解が浅いこと。 ○自許:(自負・自信を含んで)自分で期待・評価する。 ○爲一家言、則不能知前人苦心、其弊猶 ○大方脉:本道(内科)の漢語表現。『明史』志 職官三 太醫院「凡醫術十三科、……曰大方脈、曰小方脈、曰婦人、曰瘡瘍、曰鍼灸、曰眼、曰口齒、曰接骨、曰傷寒、曰咽喉、曰金鏃、曰按摩、曰祝由」。 ○然宗哲生針科之家 ○傷:悲しみ憂う。 ○其如此 ○發憤:不満を自覚して力の限りを尽くす。 ○讀書:書籍を閲読して勉強する。 ○蓋:大概。おおよそ。 ○二十年于茲矣、就古今針灸書、擇其的確可法者、去其 ○迂回:遠まわり。回り道。 ○無用:不必要。用いられない。 ○者、 ○間:時おり。 ○附以獨得之見、著作此編、將以醒世之 ○憒憒:乱れ。憂愁。 ○謂之針科中 ○雋杰:「俊傑」(才智の衆に抜きんでたひと)におなじ。 ○可也、及刻成、乞序于余、余既 ○嘉:賛美する。 ○宗哲斯舉絶于 ○常儔:凡庸な輩。「儔」は、同輩。同類。 ○又爲 ○交誼:交情。 ○之厚、不能辭其請也、 ○宗哲:小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』:宗哲は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた(一部改変)。 ○名文和、一字廷玉、自號竽齋、時 ○文化壬申:文化九年(一八一二)。 ○六月 ○既望:陰暦の十六日。 ○侍醫法眼 ○杉本良仲温:『日本漢方典籍辞典』:一七七〇~一八三六年。忠温の名は良(りよう)・良(よし)敬(たか)、樗(ちよ)園(えん)と号した。官医杉本家の養子となり、六代目を継ぎ、御匙・法印に進み、陽春院の号を賜って頂点をきわめた。多(た)紀(き)元(もと)簡(やす)没後と多紀元(もと)胤(つぐ)没後は一時江戸医学館を督し、文化十三(一八一六)年には『聖済総録』を、文政十二(一八二九)年には『千金翼方』を督刊した。/『読傷寒論』『難経滑義補正』等を撰す。 ○誌:記す。


針灸説約序 (自序)
經曰節之交三百六十五會神氣之所遊行出
入也非皮肉筋骨也又曰氣穴三百六十五孔
穴有名古矣其名義可解亦不可解予嘗謂區
區于孔穴細論分寸者泥矣曰人身一經絡猶
老絲瓜而不取者亦非也蓋經絡失傳針法不
講久矣豈古人無識耶抑古經之不講也難經
爲災於前儒流爲禍於後而湮晦殆盡人能知
溯流尋源不知從源及流也夫經脉由內出絡
    ウラ
脉由外入古經詳論之若斯經傳彼彼復傳斯
者全後人之虛設也至以孔穴附十二經者予
視以爲兒戲也曩寛政丙辰冬奉
台命教諭甲州乞治者踵門生徒滿堂一時所
口說土橋甫輔川俣文哲筆受成斯書以代面
命口授之勞爲童蒙之初訓以今眎之非投丙
火則將覆腐醬近者門人從甲州來者懇求上
木將以省傳寫之勞曰寒鄕乏書以是當拱璧
予笑曰梨棗有神當訴冤又憾其多遺漏則於
    二オモテ
卷後書獨得之見一二條以贈之後君子或因
之可悟其深若夫孔穴附經者知其所以爲兒
戲供挨穴之用作楷作梯使某某易辨不無小
補云爾
文化辛未冬十一月
東都侍醫鍼科竽齋石坂宗哲譔

    【訓み下し】
針灸説約序 (自序)
經に曰く、節の交三百六十五會は、神氣の遊行出入する所なり、皮肉筋骨に非ざるなり、と。又た曰く、氣穴三百六十五、と。孔穴 名有ること古し。其の名義 解す可く、亦た解す可からず。予嘗て謂(おも)えらく、孔穴に區區として、分寸を細論するは、泥む。人身は一經絡、猶お老絲瓜のごとしと曰いて、取らざる者も亦た非なり。蓋し經絡 傳を失い、針法 講ぜざること久し。豈に古人無識ならんや。抑(そも)々(そも)古經の講ぜざるや、難經 災いを前に爲し、儒流 禍(わざわ)いを後に爲し、而して湮晦殆ど盡くせり。人能く流れを溯り源を尋ぬるを知るも、源從(よ)り流れに及ぶを知らざるなり。夫れ經脉は內由り出で、絡
    ウラ
脉は外由り入る。古經詳らかに之を論ず。斯の經 彼れに傳わり、彼れ復た斯れに傳わる者の若きは、全く後人の虛設なり。孔穴を以て十二經に附するに至っては、予 視るに以て兒戲と爲すなり。曩(さき)に寛政丙辰の冬、台命を奉じて、甲州に教諭す。治を乞う者、門に踵(いた)り、生徒 堂に滿つ。一時に口説する所、土橋甫輔・川俣文哲、筆受して斯の書を成し、以て面命口授の勞に代え、童蒙の初訓と爲す。今を以て之を眎(み)れば、丙火に投ずるに非ざれば、則ち將に腐醬を覆わんとす。近(ちか)者(ごろ)門人 甲州從り來たる者、懇(ねんご)ろに上木を求め、將に以て傳寫の勞を省かんとす。曰く、寒鄕 書に乏し。是(これ)を以て當に拱璧とすべし、と。予笑って曰く、梨棗に神有らば、當に冤(あだ)を訴うべし、と。又た其の遺漏多きを憾(うら)めば、則ち
    二オモテ
卷後に獨得の見、一二條を書し、以て之に贈る。後の君子或るいは之に因り其の深きを悟る可し。夫(か)の孔穴 經に附する者の若きは、其の兒戲爲(た)る所以を知りて、挨穴の用に供せば、楷と作(な)し梯と作し、某某をして辨じ易く、小補無きことあらずと云う爾(のみ)。
文化辛未冬十一月
東都侍醫鍼科 竽齋石坂宗哲譔す

    【注釋】
針灸説約序 (自序)
 ○經曰:『靈樞』九針十二原(01)「節之交三百六十五會、知其要者、一言而終。不知其要、流散無窮、所言節者、神氣之所遊行出入也。非皮肉筋骨也.」。 ○節之交三百六十五會、神氣之所遊行出入也、非皮肉筋骨也 ○又曰:『素問』氣穴論(58)「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 ○氣穴:気が出入りするあな。 ○三百六十五、 ○孔穴:ツボ。腧穴。経穴(経脈に属する穴)にかぎらない。 ○有名古矣、其名義可解亦不可解、予嘗謂 ○區區:拘泥する。とらわれる。葛洪『抱樸子』百家「狹見之徒、區區執一」。  ○于孔穴、 ○細論分寸:ツボの位置を詳細に論ずる。 ○者 ○泥:拘泥。固執。 ○矣、曰人身一經絡猶 ○老絲瓜:古いへちま。 ○而不取者亦非也、蓋經絡失傳、針法不講久矣、豈古人 ○無識:無知。 ○耶、抑古經之不講也、難經爲災於前、儒流爲禍於後、而 ○湮晦:埋没。消失。 ○殆盡、人能知溯流尋源、不知從源及流也、夫經脉由内出、絡
    ウラ
脉由外入、古經詳論之、若斯經傳彼、彼復傳斯者、全後人之 ○虛設:虚構。 ○也至以孔穴附十二經者、予視以爲 ○兒戲:子どもの遊び。「視同兒戲」は、態度が不真面目なさま。 ○也 ○曩:以前。 ○寛政丙辰:寛政 八(一七九六)年。 ○冬、奉 ○台命:お上(幕府)の命令。 ○教諭甲州、乞治者 ○踵門:(ひきもきらずに)訪ねてくる。 ○生徒滿堂 ○一時:そのとき。 ○所口説 ○土橋甫輔: ○川俣文哲: ○筆受:ひとの話を筆記する。 ○成斯書、以代 ○面命口授:直接顔を合わせて口伝えに教える。 ○之勞、爲 ○童蒙:幼い児童。知識の浅いもの。初心者。宋・呂本中に『童蒙訓』という家塾での学童のための教科書がある。 ○之 ○初訓:初歩的な教え。 ○以今 ○眎:「視」の異体字。 ○之非投 ○丙火:火。 ○則將覆 ○腐醬:醬油など発酵食品。『漢書』揚雄傳「『太玄』『法言』……吾恐後人用覆醬瓿也」。価値のない、重視されない自分の著作を謙遜していう。その書物が、醬油甕の蓋がわりに使われるの意。 ○近者:最近。 ○門人從甲州來者、 ○懇:真剣に。心をこめて。 ○求 ○上木:出版する。 ○將以省傳寫之勞、曰 ○寒鄕:貧しく辺鄙な地方。 ○乏書、以是當 ○拱璧:両手でかかえるような大きな璧玉。非常に貴重な宝物。 ○予笑曰 ○梨棗:木版印刷に用いる梨の木、棗の木。 ○有 ○神:精気。 ○當訴 ○冤:怨恨。うらみ。 ○又 ○憾:不満に思う。 ○其多遺漏、則於
    二オモテ
卷後、書獨得之見一二條、以贈之、後君子或因之可悟其深 ○若夫:~に関しては。 ○孔穴附經者、知其所以爲兒戲供 ○挨穴:取穴。 ○之用作 ○楷:法式、模範。ここでは、下に「梯」があるので、「階」に通じ、高いところに上るための階段。方法。手だて。 ○作 ○梯:はしご。 ○使 ○某某:不特定のものの代称。 ○易辨、不無小補云爾  ○文化辛未:文化 八(一八一一)年。 ○冬十一月 ○東都:江戸。 ○侍醫:奥医師。 ○鍼科竽齋石坂宗哲 ○譔:著述する。「撰」に通ず。


    (跋)
廷玉之筆此編也常懷欄
低若干枚上自朝仕下走市
閭淂分隂則下之此其用心
入針刺之分間而致之耶吾
知此稿亦十餘年矣今茲壬
    ウラ
申長夏之至盡日定編功竣
示予囙喜而贅于筴尾且挍
陶隂而還之云
 月亭老人
   東里處士源千之書

    【訓み下し】
廷玉の此の編を筆(ふで)するや、常に欄低を懷くこと若干枚。上(かみ)は朝仕自(よ)り、下(しも)は市閭に走るまで、分陰を得れば、則ち之を下す。此れ其の用心、針を入れて之を分間に刺して之を致すか。吾 此の稿も亦た十餘年なるを知る。今茲壬
    ウラ
申長夏の至盡日、定編功竣し、予に示す。因って喜んで筴尾に贅し、且つ陶陰を校して之を還すと云う。
 月亭老人
   東里處士源千之書

    【注釋】
○廷玉:石坂宗哲の字。 ○之筆此編也、常 ○懷:ふところに入れる。 ○欄低:未詳。紙の一種であろう。 ○若干枚、上自朝仕、下走 ○市閭:市井。町なか。 ○淂:「得」の異体字。 ○分 ○隂:「陰」の異体字。「分陰」は、きわめて短い時間。 ○則下之:常に筆記用具を携帯して、江戸城の中であろうと、町場であろうと、すこしでも時間があれば、なにか書き記していた。 ○此其 ○用心:心を尽くす。 ○入針刺之分間而致之耶、吾知此稿亦十餘年矣 ○今茲:今年。現在。 ○壬申:文化九年(一八一二)。
    ウラ
○長夏:夏で昼の時間が最も長いころ。 ○之 ○至盡日:夏至の日。陰暦五月の後半。 ○定編:定稿。 ○功竣:おそらく「工竣」とおなじ。完成する。功(しごと)がおわる。 ○示予 ○囙:「因」の異体字。 ○喜而 ○贅:余分無用の言を付す。 ○于 ○筴:「策」におなじ。書冊。 ○尾、且 ○挍:「校」におなじ。校正する。 ○陶隂:似た字の誤り。明・焦竑『焦氏筆乘』衛包改古文:「『六經』本皆古文、自唐天寶三年、詔集賢學士衛包改古文、更作楷書、以便習讀、而俗書始雜之。至今則魯魚陶陰、字既差訛」。 ○而還之 ○云:文末に置かれる助詞。無義。 ○月亭老人: ○東里處士源千之:デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説:沢田東里(一七八〇~一八二一)。江戸時代後期の書家。名は千之。字(あざな)は文己。通称は文二郎、文太郎。著作に「蘭亭字原考」など。 ○書


    (溝部有山 跋)
姫路矦贈 竽齋聯曰萬卷之書講一鍼一鍼
之微醫萬病有是哉理固有然者莊周有言曰
有眞君存焉所謂眞君自然之理也假如人之
百骸九竅六藏其遭疾而施治焉亦能會其理
而不違天必可治而莫不可治即一鍼之微亦
研精極力以窮其妙處自非講之萬卷書而探
其蘊奧不眩惑乎萬卷書而見其天理則安得
如庖丁之解牛哉庸醫族庖也鍼之纖即刀之
薄也所向不必批大郤而導大窾往往觸軱戾
    ウラ
更刀刃殆哉不是之思而鹵莽滅裂苟且下手
職之不脩也居其位而職不脩焉君子羞之
竽齋侍醫也及觀其所著而知其治之依天理
又知其職之脩也跋既有 大人之言又奚贅
有感乎聯字因妄發其義云
文化壬申夏
      豐後 溝部益有山謹識

    【訓み下し】
姫路の矦 竽齋に贈りし聯に曰く、萬卷の書は一鍼を講じ、一鍼の微は萬病を醫(い)やす、と。是れ有るかな。理固(もと)より然る者有り。莊周に言有り。曰く、眞君の存する有り、と。謂う所の眞君とは、自然の理なり。假(たと)えば人の百骸・九竅・六藏の如きは、其れ疾に遭いて治を施す。亦た能く其の理を會して天に違(たが)わざれば、必ず治す可くして、治す可からざる莫し。即ち一鍼の微、亦た研精極力して、以て其の妙處を窮む。之を萬卷の書に講じて其の蘊奧を探し、萬卷の書に眩惑されず、而して其の天理を見るに非ざる自りは、則ち安(いず)くんぞ庖丁の牛を解くが如きを得んや。庸醫は族庖なり。鍼の纖は即ち刀の薄きなり。向かう所必ずしも大郤を批して大窾に導かず、往往にして軱戾に觸(ふ)る。
    ウラ
刀刃を更(あらた)むるは、殆きかな。是れを之れ思わずして、鹵莽滅裂、苟且に手を下せば、職之れ脩められざるなり。其の位に居りて、職脩められざれば、君子 之を羞づ。
竽齋は侍醫なり。其の著わす所を觀るに及べば、其の治の天理に依るを知る。又た其の職之れ脩むるを知るなり。跋 既に 大人の言有り。又た奚(なん)ぞ贅せん。聯字に感有り。因って妄りに其の義を發すと云う。
文化壬申夏
      豐後 溝部益有山謹んで識(しる)す

    【注釋】
姫路 ○矦:「侯」の異体字。藩主。殿様。酒井忠(ただ)道(ひろ)(一七七七~一八三七)。寛政二(一七九〇)年に播磨姫路藩第三代藩主となる。文化十一(一八一四)年、弟の忠実に家督を譲って隠居し、天保八(一八三七)年に死去。関松(しよう)窓(そう)に儒学をまなび、文化人としても知られた。号は白(はく)鷺(ろ)。 ○贈 竽齋 ○聯:詩文で二句が対になっているもの。 ○曰、萬卷之書講一鍼、一鍼之微醫萬病 ○有是哉:物事を肯定し感嘆していう。まことにその通りである。『論語』子路「子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正/子曰わく、必ずや名を正さんか。子路曰わく、是れ有るかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん」。 ○理固有然者 ○莊周有言:『莊子』齊物論「若有真宰、而特不得其眹。可行已信、而不見其形、有情而無形。百骸九竅六藏、賅而存焉、吾誰與為親?汝皆說之乎?其有私焉?如是皆有、為臣妾乎、其臣妾不足以相治乎。其遞相為君臣乎、其有真君存焉。如求得其情與不得、無益損乎其真(真宰有るが若(ごと)し。而れども特(た)だ其の眹(あと)を得ざるのみ。行かしむ可きこと已(はなは)だ信なり。而れども其の形を見ず。情有れども形無し。百骸・九竅・六藏、賅(そな)わりて存す。吾れ誰と與に親しみを為さん。汝皆な之を説(よろこ)ばんか。其れ私有らんか。是の如きは皆有り、臣妾と為さんか。其れ臣妾は以て相い治むるに足らざるか。其れ遞(たが)いに相い君臣と為さんか。其れ真君の存する有り。如(も)し求めて其の情を得ると得ざるとは、其の真を益損する無し)」。 ○曰有眞君存焉、所謂眞君自然之理也、假如人之百骸九竅六藏、其遭疾而施治焉、亦能 ○會:悟る。瞭解する。 ○其理、而不違天、必可治、而莫不可治、即一鍼之微、亦 ○研精:きめ細かく研究する。一心不乱に研究する。 ○極力:一切の能力をつくす。全力を尽くして思考する。研精殫力。 ○以窮其 ○妙處:優れたところ。すばらしいところ。 ○自非:もし~でなければ。 ○講之萬卷書、而探其蘊奧、不眩惑乎萬卷書、而見其天理、則安得如庖丁之解牛哉、庸醫 ○族庖:多くの、一般の料理人。『莊子』養生主「族庖月更刀、折也」。東晋・崔撰注「族、衆也」。 ○也、鍼之 ○纖:細小。細長い。 ○即 ○刀之薄:『莊子』養生主「刀刃者无厚、以无厚入有間、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣〔刀の刃には厚みがない。厚みのないものを隙間のあるところに入れるのだから、広々としていて刃を遊ばせるにも、かならず十分な余地がある〕」。 ○也、所向不必 ○批大郤而導大窾:『莊子』養生主「依乎天理、批大郤、導大窾、因其固然。技經肯綮之未嘗、而況大軱乎(天理に依りて、大郤を批し、大窾に導くに、其の固(もと)より然るに因る。技の肯綮を經ること未だ嘗てせず、而るに況んや大軱をや)」。批:切り裂く。郤:「隙」に通ず。すきま。導:沿う。したがう。窾:隙。骨節間の空間。およそ要領をつかんでいれば、刃が迎えられるようにすっと簡単に入っていく。/固然:もともとそなえている形態。/肯綮:骨と筋肉が結合した部位。 ○往往觸 ○軱:大きい骨。『莊子』養生主「技經肯綮之未嘗、而況大軱乎」。唐・成玄英疏「軱、大骨也」。 ○戾:彎曲。違反。さからう。「軱戻」は、大きな違反の意味にも使われる。
    ウラ
○更刀刃:『莊子』養生主「良庖歲更刀、割也。族庖月更刀、折也。今臣之刀十九年矣、所解數千牛矣、而刀刃若新發於硎。彼節者有閒、而刀刃者無厚、以無厚入有閒、恢恢乎其於遊刃必有餘地矣。是以十九年而刀刃若新發於硎(良庖の歲ごとに刀を更むるは、割〔はこぼれ〕すればなり。族(並の腕前の)庖の月ごとに刀を更むるは、折ればなり。今ま臣の刀は十九年なり。解く所は數千牛なり。而るに刀刃は新たに硎(といし)より發せしが若し。彼の節なる者に閒有りて、刀刃なる者には厚さ無し。厚さ無きものを以て閒有るものに入れば、恢恢乎として其の刃を遊ばすに於いて必ず餘地有らん。是を以て十九年なるも刀刃は新たに硎より發せしが若し)」。 ○殆哉:鍼治療をして道具である鍼が使いづらくなったと頻繁に代えるような腕では、危険でないか。 ○不是之思:「不思之」の強調倒置形。 ○而 ○鹵莽滅裂:粗略。おおざっぱで、いい加減。『莊子』則陽「君為政焉勿鹵莽、治民焉勿滅裂。昔予為禾、耕而鹵莽之、則其實亦鹵莽而報予。芸而滅裂之、其實亦滅裂而報予」。 ○苟且:いい加減。軽率。気まま。 ○下手:実行する。手を動かす。 ○職之不 ○脩:「修」におなじ。 ○也、居其位而職不脩焉、君子羞之、竽齋侍醫也、及觀其所著、而知其治之依天理、又知其職之脩也、跋既有  ○大人:地位や徳の高いひと。 ○之言、又奚贅、有感乎聯字、因妄發其義云、文化壬申夏 ○豐後:いま大分県の中部・南部。 ○溝部益有山:文化十一(一八一四)年、橋本(德)伯壽『國字斷毒論』(石坂宗哲序)に「江戸 溝部益有山閲」と見える。 ○謹識


    (田中信行跋)
宋王維一著銅人經三卷繁而不詳元滑伯仁
著十四經發揮孔穴之分寸摘英不遺其見卓
矣然若說脉絡傳注則迂而泥蓋好博而不約
其蔽也無識好約而不博其蔽也寡聞世醫陷
無識寡聞之域者徃徃有焉如斯書先生平素
所口說而門人所筆授也今茲壬申之春信行
與齋藤宗甫繕寫功竣將上梓請之先生先生
不許因退與宗甫謀曰斯書簡而眀約而悉寔
針科之準的矣不啻吾輩爲帳中論衡也達之
    ウラ
窮鄕遐陬則取路也不失其正矣使學者無陷
無識寡聞之域縱得罪於先生不亦仁民之一
術乎私命梓人刻將就以強先生先生笑曰遂
事不可諫余豈以毀譽爲心者哉於是公然遺
之同志云
 文化壬申夏五月
      門人 江左里正 田中信行謹識

    【訓み下し】
宋の王維一 銅人經三卷を著わす。繁にして詳らかならず。元の滑伯仁 十四經發揮を著わす。孔穴の分寸、英を摘んで遺(のこ)さず、其の見卓(すぐ)れたり。然れども脉絡の傳注を説くが若きは、則ち迂にして泥(なず)む。蓋し博を好んで約ならざるは、其の蔽なるは無識なり。約を好んで博ならざるは、其の蔽なるは寡聞なり。世醫の無識・寡聞の域に陷(おちい)る者、往往にして有り。斯の書の如きは、先生平素 口説する所にして、門人の筆授する所なり。今茲壬申の春、信行 齋藤宗甫と與(とも)に繕寫して功竣す。將に上梓せんとして之を先生に請う。先生 許さず。因って退いて宗甫と謀る。曰く、斯の書 簡にして明、約にして悉なり。寔(まこと)に針科の準的なり。啻(ただ)に吾が輩の帳中の論衡と爲すのみならざるなり。之を
    ウラ
窮鄕遐陬に達すれば、則ち路を取り、其の正を失わず、學ぶ者をして無識・寡聞の域に陷ること無からしむ。縱(たと)い先生に罪を得るとも、亦た仁民の一術ならんや、と。私(ひそ)かに梓人に命ず。刻 將に就(な)らんとして、以て先生に強(し)う。先生笑いて曰く、遂事は諫む可からず。余 豈に毀譽を以て心と爲す者ならんや、と。是(ここ)に於いて公然として之を同志に遺すと云う。
 文化壬申夏五月
      門人 江左里正 田中信行謹んで識(しる)す

    【注釋】
○宋 ○王維一:王惟一(九八七?~一〇六七)。名は惟德。宋・仁宗(趙禎)時のひと。勅を奉じて宋以前の鍼灸学を大成し、『銅人腧穴鍼灸圖經』を撰し、石刻、あわせて鍼灸銅人形を鋳造した。 ○著銅人經三卷、繁而不詳、元 ○滑伯仁:滑壽。伯仁は字。攖寧生と号す。『十四經發揮』を撰す。 ○著十四經發揮、孔穴之分寸 ○摘英:精華の部分を摘出する。 ○不遺:あますところがない。 ○其見 ○卓:卓越している。 ○矣然、若説脉絡 ○傳注:つたわりそそぐ。流注。 ○則 ○迂:まわりくどい。 ○而 ○泥:拘泥する。固執する。 ○蓋:おもうに。 ○好博而不約、其 ○蔽:欠点。『論語』陽貨「子曰、由也、女聞六言六蔽矣乎」。 ○也 ○無識:知らない。知識がない。 ○好約而不博、其蔽也 ○寡聞:耳にするところが少なく、結果として見識が浅い。 ○世醫:医を世襲しているもの。 ○陷無識寡聞之域者 ○徃徃:「往往」におなじ。 ○有焉、如斯書、先生平素所口説、而門人所 ○筆授:「筆受」におなじ。授業を聞いてその内容を筆記する。 ○也、 ○今茲:今年。現在。 ○壬申:文化九年(一八一二)。 ○之春、信行與 ○齋藤宗甫: ○繕寫:清書する。編輯する。 ○功竣:「工竣」。完成する。 ○將 ○上梓:出版する。 ○請之先生、先生不許、因退與宗甫謀曰、斯書簡而 ○眀:「明」におなじ。 ○約而悉:簡潔明瞭にして、ゆきとどいてる。 ○寔針科之 ○準的:標準(とすべきもの)。 ○矣、不啻 ○吾輩:われら。 ○爲 ○帳中論衡:『後漢書』列傳三十九・王充傳「充……箸論衡八十五篇、二十餘萬言」。注「袁山松書曰、充所作論衡、中土未有傳者、蔡邕入吳始得之、恆秘玩以為談助。其後王朗為會稽太守、又得其書、及還許下、時人稱其才進。或曰、不見異人、當得異書。問之、果以論衡之益、由是遂見傳焉。抱朴子曰、時人嫌蔡邕得異書、或搜求其帳中隱處、果得論衡、抱數卷持去。邕丁寧之曰、唯我與爾共之、勿廣也〔袁山松の『書』に曰く、「充作る所の『論衡』、中土に未だ傳うる者有らず。蔡邕 吳に入りて始めて之を得たり。恆に秘玩して以て談助(話の材料)と為す。其の後 王朗 會稽の太守と為り、又た其書を得たり。許(地名)下に還るに及んで、時人 其の才進めりと稱す。或るひと曰く、異人に見(あ)わざれば、當に異書(貴重・滅多に見られない書)を得たるべし。之に問えば、果して『論衡』の益を以てす。是れに由って遂に傳えらる」と。『抱朴子』に曰く、「時人は蔡邕の異書を得るを嫌(うたが)い、或るもの其の帳中の隱處を搜求して、果して『論衡』を得、數卷を抱えて持ち去る。邕 之に丁寧して(鄭重な言葉で)曰く、唯だ我と爾(なんじ)と之を共にせん。廣むること勿かれ」と〕」。 ○也、 ○達:到達する。いたる。 ○之
    ウラ
○窮鄕:人も少ないいなか。はるかに遠い村里。 ○遐陬:辺鄙な一隅。中心から遠くはなれたところ。 ○則 ○取路:(正しい)道を選択する。 ○也 ○不失其正:『周易』乾「上九亢龍有悔」。疏・文言「知進退存亡、而不失其正者、其唯聖人乎」。 ○矣、使學者無陷無識寡聞之域 ○縱:仮に~だとしても。 ○得罪:罪を犯す。怒りに触れる。礼を失する。 ○於先生、 ○不亦:肯定を示す反語。句末に「乎」が置かれることが多い。『論語』學而「學而時習之、不亦說乎」。 ○仁民:衆人に仁愛・仁義をほどこす。『孟子』盡心上「君子之於物也、……親親而仁民、仁民而愛物(君子の物に於けるや、……親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す)」。 ○之一術乎 ○私:密かに。 ○命 ○梓人:木匠。彫師。書肆。 ○刻:版木に文字を刻む。 ○將 ○就:完成する。 ○以 ○強:無理をいう。 ○先生、先生笑曰 ○遂事不可諫:してしまったことはとがめても仕方ない。『論語』八佾「成事不說、遂事不諫、既往不咎」。 ○余豈 ○以毀譽爲心:『管子』明法「是故官之失其治也、是主以譽為賞、以毀為罰也、然則喜賞惡罰之人離公道而行私術矣」。尹知章注「以毀譽為賞罰、則官自然失理」。 ○者哉、於是公然遺之同志云  文化壬申夏五月 門人  ○江左:おそらく地名。宗哲の序によれば、甲州の別称か。 ○里正:おそらく「名主・庄屋」の漢語表現。 ○田中信行: ○謹識 
  ○このあと匡郭外に「窻月堂藤利品書 彫工 江川八左衛門」とある。デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説:江川八左衛門 えがわ・はちざえもん 一七四一~一八二五 江戸時代中期~後期の彫師。寛(かん)保(ぽう)元年生まれ。江戸根岸にすむ。昌(しよう)平(へい)黌(こう)から刊行されるほとんどの書籍の版木を彫り、また水戸彰考館で編修された「大日本史」も手がけた。文政八年死去。八五歳。

    ※なお『臨床実践鍼灸流儀書集成』十二の影印には、乱丁がある。
     正しくは、三二七頁→三二六頁(溝部跋)、三二五頁→三二八頁(田中跋)。