075循陳髙允 李愈仲舒 循は高允に陳べ 李は仲舒を愈やす (李循・李少君)
後魏書髙允微有不適猶不寢臥呼醫請
藥出入行止吟咏如常髙祖文明太后聞
而遣醫李循往脉視之告以無恙循入密
陳允榮衛有異懼其不乆如是數日夜中
卒家人莫覺
【訓み下し】075-1
『後魏書』:高允 微(わず)かに不適有り,猶お寢臥せざるがごとし。醫を呼び藥を請う。出入行止,吟咏 常の如し。高祖・文明太后 聞いて醫の李循を遣わす。往きて之を脉視す。告ぐるに恙無きを以てす。循入り,密かに允に陳ぶ。榮衛に異有り,懼らくは其れ久しからざらん,と。是(か)くの如くして數日,夜中に卒す。家人 覺(さと)ること莫し。
【注釋】075-1
○後魏書:『魏書』(013を参照)の別名。 ○高允:高允(390年~487年),字伯恭,渤海郡蓨县(今河北省景县)人。北魏名臣、文学家、政治家、史学家,丞相参军高韬之子。 ○微:細小。少。 ○不適:身體不舒服、不舒暢。 ○寢臥:睡眠息止。 ○出入:出進。往來。 ○行止:前進和停止。舉動、態度。偏指行動;活動。 ○吟咏:歌唱;作詩詞。有節奏地誦讀;吟誦玩味。指詩詞等韻文。 ○如常:照常、像平常一樣。平常。 ○高祖:孝文帝(元宏、在位:471年 - 499年)。 ○文明太后:文成文明皇后。北魏の文成帝の皇后。馮太后(ふうたいごう)と称されることが多い。 ○李循:『魏書』作「李脩」。 ○無恙:無疾、無憂。沒有疾病;沒有憂患。 ○密陳:秘密上言, 秘密報告。 ○榮衛:泛指氣血、身體。中醫學名詞。榮指血的循環,衛指氣的周流。榮氣行於脈中,屬陰,衛氣行於脈外,屬陽。榮衛二氣散布全身,內外相貫,運行不已,對人體起着滋養和保衛作用。 ○異:特別的、不平常的。 ○懼:畏、害怕。 ○其:殆、大概,表示揣測。 ○不乆:時間不長。/乆:「久」の異体字。 ○如是:像這樣。如此。 ○卒:死亡。 ○家人:一家的人。僕役。 ○覺:知曉、感受到、意識到。
○『魏書』卷四十八 列傳第三十六/高允:〔太和〕十一年正月卒,年九十八。……先卒旬外,微有不適。猶不寢臥,呼醫請藥,出入行止,吟詠如常。高祖、文明太后聞而遣醫李脩往脉視之,告以無恙。脩入,密陳允榮衞有異,懼其不久。……如是數日,夜中卒,家人莫覺。
○『北史』卷三十一 列傳第十九/高允にも同文あり。
○『太平御覽』方術部四・醫三:『後魏書』曰:……又曰:高允微有不適,猶不寐臥,呼醫請藥,出入行止,吟詠如常。高祖、文明太后聞而遣醫李循往脈視之,告以無恙。修入密陳允榮衛有異,懼其不久。於是遣使備賜御膳珍羞,自酒米至於鹽醢,百有餘品,皆盡時味,及床帳、衣服、茵被、几杖,羅列於庭。王府往還,慰問相屬,允喜形於色,語人曰:「天恩以我篤老,大有所賚,得非以贍容矣。」表謝而己,不有他慮。如是數日,夜中卒,家人莫覺。
識典古籍*******************************************************
循陳髙允 李愈仲舒
【AI譯文】
陈国有高允,李愈像董仲舒。
★「循」は人名。「陳」「愈」は動詞で,「陳」は「のべる」,「愈」は「いやす」。
【AI 1】陳国には高允という人物がおり、李愈は董仲舒に似ていた。
【AI 2】陳の国には高允(こういん)という人物がいて、李愈(り・ゆ)は董仲舒(とう・ちゅうじょ)に似ていた。
後魏書:高充微有不適,猶不寢臥,呼醫請藥,出入行止,吟咏如常。
★「允」を「充」に誤る。
【AI譯文】
『后魏书』记载:高充身体稍微有点不舒服的时候,仍然不躺下睡觉,叫医生来拿药,进进出出、行动举止,吟诗诵词还像往常一样。
【AI 1】『後魏書』によると、高充は体調が少し優れないと感じても、寝床につくことはせず、医者を呼んで薬を受け取った。そして普段通り出入りし、詩を吟じ、言葉を交わすなど、いつもと変わらぬ様子を見せていた。
【AI 2】『後魏書』によると、高充(こうじゅう)は体調が少し優れないときでも、横になって寝ることはせず、医者を呼んで薬を取らせたり、出入りしたりする様子や言動は、詩を吟じ詞を朗読するなど、普段と変わらなかった。
高祖文明太后聞而,遣醫李循往脉視之,告以無恙。
【AI譯文】
高祖文明太后听说以后,派医生李循前去为他诊治,李循回来告诉太后说他没什么大碍。
【AI 1】このことを聞いた高祖文明太后は、医師の李循を派遣して診察させた。李循は戻ると、「特に問題はない」と太后に報告した。
【AI 2】高祖文明太后がこのことを聞き、医師の李循(り・じゅん)を派遣して診察させた。李循は戻ってきて、太后に「大した問題はありません」と報告した。
循入,密陳允榮衛有異,懼其不久,如是數曰,夜中卒,家人莫覺。
【AI譯文】
李循入宫,秘密陈说高允荣卫失调,担心他活不久了,像这样几天之后,高允在夜里去世,家人没有察觉。
【AI 1】しかし、宮中に入った李循は密かに、「高允の気の巡りが乱れ、長くは生きられないかもしれません」と進言した。数日後、高允は夜の間に静かに息を引き、家族はその死に気づかなかったという。
【AI 2】しかし、李循は宮中に入ると密かに太后に申し上げた――高允(こういん:高充の別名)の栄衛(えいえい、生命力や体内の気血)のバランスが乱れており、長くはもたないかもしれないと。果たしてその数日後の夜、高允はひっそりと亡くなり、家族はしばらく気づかなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿