2025年9月27日土曜日

『歷代名醫蒙求』085-1

 髙期頗通 褚澄先審  高期は頗る通じ 褚澄は先ず審らか (高期・褚澄)

    史記髙期不知何許人入仕爲濟北王太 

    醫王以期術藝未精遣就太倉公意學經

    脉髙下及竒恒絡結俞穴所居及氣當上 

    下出入邪正逆順之冝定鑱石灸之法歳  

    餘亦頗通之以此知名

    

  【訓み下し】085-1

    『史記』:高期,何許(いずこ)の人かを知らず。入りて仕えて濟北王の太醫と爲る。王 期の術藝の未だ精ならざるを以て,遣わして太倉公意に就かしむ。經脉の高下,及び奇恒絡結,俞穴の居る所,及び氣の上下出入するに當たって,邪正逆順の宜しき,鑱石灸の法を定むるを學ぶ。歲餘,亦た頗る之に通じ,此れを以て名を知らる。

  

【注釋】085-1

 ○史記:003を参照。 ○髙:「高」の異体字。 ○不知何許人:不知道是那裡的人。 ○入仕:入朝作官。 ○濟北王:劉志。齊の悼惠王劉肥の子。「濟北」は,諸侯王の国名(青木五郎)。 ○太醫:供職於皇室內廷的醫生。 ○術藝:技術,技能。 ○就:依順、依從。 ○太倉公意:淳于意,(約前205-?年)。西漢醫學家。 ○竒恒:古醫經名。『素問』病能論:「奇恆者,言奇病也。所謂奇者,使奇病不得以四時死也;恆者,得以四時死也。」/竒:「奇」の異体字。/恒:『史記』『醫說』になし。 ○俞穴:即穴位。 ○逆順:逆與順。 ○之冝:『醫說』『史記』は「以宜」に作る。/冝:「宜」の異体字。 ○鑱:針、錐等銳利的鐵器。 ○石:藥石(方藥與砭石。皆治病的藥物)。 ○歳:「歲」の異体字。 ○頗:甚、很、非常。 ○通:明白、了解。如:「通曉」、「精通」。 ○知名:著名。聲名很大,為人所知。聲名為世所知。猶出名。

     ○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・高期:「高期,不知何許人也。入仕為濟北王太醫。王以期術藝未精,遣就倉公淳于意,學經脈高下,及奇絡結,俞穴所在,及氣當上下出入,邪正逆順,以宜定鑱石刺灸之法。歲餘,亦頗通之,乃以此知名」。

     ○『史記』扁鵲倉公列傳:濟北王遣太醫高期、王禹學,臣意教以經脈高下及奇絡結,當論俞所居,及氣當上下出入邪〔正〕逆順,以宜鑱石,定砭灸處,歲餘。


識典古籍*******************************************************

史記:高期,不知何許人,入仕爲濟北王太醫。王以期術藝未精,遣就太倉公意學經脉高下,及奇恆絡結、俞穴所居,及氣當上下出入、邪正逆順之宜,定鑱石灸之法,歲餘,亦頗通之,以此知名。

    【AI譯文】

『史记』记载:高期,不知道是哪里人,入朝为官担任济北王的太医。齐王认为高期的医术不精湛,就派他去太仓公淳于意那里学习经脉上下分布、奇经八脉的走向、俞穴的部位,以及气运行上下出入的原理、邪气与正气逆行顺行的规律,确定了针石艾灸的治疗方法,一年多以后,他也很精通这些,因此出名了。

    【AI 1】『史記』によると、高期は出身地不詳の人物である。彼は宮廷に仕え、済北王の太医を務めた。しかし、斉王は高期の医術が十分ではないと考え、太倉公・淳于意のもとへ派遣し、以下の学問を修めさせた。すなわち、経脈の上下の分布、奇経八脈の流れ、俞穴の位置、気の運行による上下の出入りの原理、邪気と正気の逆行・順行の法則である。これらを基に、鍼術、石療法、艾灸による治療法を確立することを目的とした。一年余りの修行の後、高期はこれらの技術に精通し、名声を博したという。

    【AI 2】『史記』によると、高期(こう・き)は出身地不詳で、朝廷に仕え、済北王(さいほくおう)の侍医(太医)を務めていた。しかし、斉王は高期の医術があまり優れていないと考え、彼を太倉公・淳于意(じゅんう・い)のもとへ派遣し、経脈の上下の分布、奇経八脈の走行、俞穴(ゆけつ/ツボ)の位置、気の運行の上下出入りの原理、邪気と正気の逆行・順行の法則について学ばせた。これにより、鍼(はり)・石(せき=砭石)・艾灸(がいきゅう)の治療法が明確にされた。1年以上の修行を経て、高期もこれらに精通するようになり、その結果、名声を得るに至った。

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