史記杜信髙永侯家丞性度温恭謙柔好
學自知身病乃息心學醫自欲扶危持顛
兼以安人濟衆倉公甚怜之敎以上下經
脉五𧧂之法
【訓み下し】082-2
『史記』:杜信は高永侯の家丞,性度 溫恭,謙柔にして學を好む。自ら身の病を知り,乃ち心を息(や)めて醫を學び,自ら危きを扶け顛(たお)るを持(たも)ち,兼ねて以て人を安んじて衆を濟(すく)わんと欲す。倉公 甚だ之を憐み,教うるに上下經脉・五診の法を以てす。
【注釋】082-2
○史記:003を参照。 ○杜信:西漢醫生。系名醫淳于意之弟子,原為高永候之家丞,其性溫恭,因有病而專心醫藥,歷時二載與淳于意學,得其所授之『上經』、『下經』及五診之法,後果以醫術有名於世。 ○髙永侯:未詳。瀧川龜太郎『史記會注考證証』引梁玉繩曰:「史無高永侯,其地亦不知所在」。/髙:「高」の異体字。 ○家丞:漢代太子家令的輔佐官。諸侯國亦設此職。主管家事。歷代相沿。 ○性度:性情度量;性情氣度。 ○温恭:溫和恭敬。/温:「溫」の異体字。 ○謙柔:謙虛平和。 ○好學:喜歡學習。喜愛學習。『論語』公冶長:「敏而好學,不恥下問,是以謂之文也。」 ○自知:認識自己;自己明瞭。自身知曉、明白。 ○身:親自。第一人稱,相當於「我」。 ○息心:摒除雜念。排除俗念。/『醫說』は「悉心」に作る。悉心:竭盡心力。/『太平御覽』は「專心」に作る。專心:專一心思,集中心力。 ○扶危持顛:挽救危亡顛覆的局勢。『論語』季氏:「危而不持,顛而不扶,則將焉用彼相矣?〔危險時不支持,跌倒時不攙扶,要你這個助手何用?〕」/扶危:在危難時給予幫助。 ○安人:使人民安寧。安民、安撫民眾。【濟世安人】拯救時世,安定人民。 ○濟衆:救助眾人。【博施濟眾】廣施德惠,救助眾人。『論語』雍也:「子貢曰:『如有博施於民而能濟眾何如?可謂仁乎?』」/衆:「眾」の異体字。 ○倉公:淳于意,(約前205-?年)西漢醫學家。齊臨菑(今山東臨淄)人。曾任齊太倉公,故稱倉公或太倉公。少喜醫方術,聞同郡唐里公孫光善為傳古方,遂師事之,公孫公授以秘方調理陰陽、傳語法,皆錄之為用。高后八年(前180年),公孫光薦之於同郡元里公乘陽慶,時慶年70餘,無子,願將術盡授之,更傳秘藏之『脈書』、『五色診』、『奇咳術』、『上下經』、『揆度陰陽外變』、『藥論』、『石神』、『接陰陽禁書』,受讀解驗之,事之三年許,為人治病,多良效。文帝四年(前174年),中人上書誣告,傳至長安,少女緹瑩隨父至長安,上書帝廷,願以身為婢,代父贖罪,文帝感其至誠,郝其父。後文帝詔見意,詢問其治病始末,所診者皆有「診籍」,乃列舉診籍所載病例二十五例,所治之上至王侯,下至奴僕。有肺消癉、不乳、沓風、曉瘕等二十三種疾患。治法多重藥物,兼施刺法、灸法、敷法等。並如實記錄其治療成功之經驗,亦載其失敗之教訓。弟子宋邑、高期、王禹、馮倍、杜信、唐安等,亦以醫名於世。 ○怜:「憐」の異体字。憐憫、同情。愛、疼惜。 ○敎:「教」の異体字。傳授。 ○𧧂:「診」の異体字。
○『醫說』卷一・三皇歷代名醫・杜信:「杜信,不知何郡人也。性度溫恭,謙柔好學,知自身之病,乃悉心學醫。自欲扶危持顛,兼以安人濟眾。遂詣倉公求學,情理甚懇,意憐之,教以上下經脈五診之法,二歲餘,亦以知名漢代(並『史記』)」。
○『太平御覽』方術部三・醫二:「『史記』曰:……又曰:杜信,高永侯家丞,自知身病,乃專心學醫。倉公甚憐之,教以上下經脈五診之法」。
○『史記』扁鵲倉公列傳:「高永侯家丞杜信,喜脈,來學,臣意教以上下經脈五診,二歲餘」。
識典古籍*******************************************************
史記:杜信,高永侯家丞,性度溫恭,謙柔好學。自知身病,乃息心學醫,自欲扶危持顛,兼以安人濟衆。倉公甚怜之,教以上下經脉五診之法。
【AI譯文】
『史记』记载:杜信,是高永侯家的家丞,他性格温和恭敬,谦逊柔顺而且喜好学习。他知道自己身患疾病,于是静下心来学习医学,自己想要扶持救治危急的病人,并且以此来安顿他人、救济众人。仓公非常同情他,教给他根据手足阴阳的脉象及奇经八脉、五脏脉象的变化来诊断病情的方法。
【AI 1】『史記』によると、杜信は高永侯家の家丞であった。彼は温和で礼儀正しく、謙虚で柔順であり、学問を好んだ。自身が病を患っていることを知ると、彼は心を落ち着け、医学の学習に専念した。そして、重病の人々を助け、彼らを支えながら救済することを志した。倉公は彼を深く憐れみ、手足の陰陽の脈象、奇経八脈、五臓の脈象の変化を用いた診断法を伝授したという。
【AI 2】『史記』によると、杜信(と・しん)は高永侯家の家丞(かてい/家政をつかさどる役職)であり、性格は温厚で礼儀正しく、謙虚で素直、さらに学問を好んだ。自分が病にかかっていることを悟ると、心を落ち着けて医学の勉強に励み、自ら重病の人々を助け、救いたいと願い、その術によって他人を安心させ、多くの人々を救済しようとした。倉公(そうこう)は彼の志に深く同情し、手足の陰陽の脈象、奇経八脈、五臓の脈の変化に基づいて病を診断する方法を伝授した。
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